いよいよ本丸天守前に到着!

大戦さ前の静かさやてへぺろ

 

御屋形様から総攻撃開始の下知は、まだないアセアセ

 

私以外にも、気の早い足軽(お客さんが)数人口笛

9時になり攻撃開始!(開館時間!てへぺろです

 

 

歴史資料館の館内は

戦国・江戸と小田原城の歴史や

北条五代について

 

戦国時代、小田原城を本拠に関東一円を支配した戦国大名北条氏(後北条氏)

歴代当主五人は、北条五代と呼ばれて
明応4年(1495年)、関東で理想の国家を作ろうと大森氏を退け

北条早雲が伊豆韮山から小田原城に入城キラキラ

以後、北条氏は小田原を拠点に着々と勢力を伸ばしうずまき

二代目氏綱が関東支配の礎を築き

三代目氏康の時代には城下町の形態も整えられ

小田原は関東における政治、経済、産業、文化の中心として繁栄キラキラ

永禄4年(1561年)の上杉謙信、永禄12年(1569年)の武田信玄による

小田原攻めを退けますびっくり

 

そして、天下統一の機運が高まる中、四代氏政・五代氏直は

豊臣秀吉軍の攻撃に備えて町全体を取り囲む巨大な総構を築きましたが

天正18年(1590年)、約18万の大軍に小田原を包囲されびっくり

約100日に及ぶ籠城戦の後、小田原城を開城ガーン

北条氏は滅亡するのでしたもやもや

 

ついに!小田原城攻略ですチョキ

天守からの眺め目

八幡山・東海道線カメラ

 

真鶴半島・早川・小田原漁港カメラ

 

常盤木門と遠方に相模湾カメラ

 

御用米曲輪と小田原駅カメラ

 

小田原城天守は、昭和35年(1960年)に市制20周年記念事業として復興
江戸時代に造られた模型や設計図(宝永年間の再建の際に作られたもの)を

基に江戸時代の姿として外観復元されてへぺろ、内部は歴史資料館となっていますうずまき

 

復興には多くの市民からの寄付コインたちが寄せられ

小田原市では平成18 年(2006年)に天守の高さを基準とした規制を行いびっくり

天守の高さを超える建物の建築を制限バツレッドしているそうですグッ