人間には88の煩悩があり、四国八十八ケ所霊場を巡る事によって煩悩が消え、願いが叶うと言われています。徳島阿波(発心の道場1番から23番)、高知土佐(修行の道場24番から39番)、愛媛伊予(菩提の道場40番から65番)、そして香川讃岐(涅槃の道場66番から88番)に至る1450kmを巡礼し、最後に高野山に参拝します。我家では、これ迄9回八十八ケ所の巡礼を行いました。但し、車による巡礼です。合計、13000km車で移動した事になります。車で行っても、1回廻るのに8~10日くらいかかります。そして、殆どのお寺は、駐車場から本堂と大師堂まで急な階段を含む道をかなり歩かなければなりません、私のような軽度の身体障害者には大変な試練と言えます。

 

初めて八十八ケ所の巡礼を完了した時には「やり切った感動」がありましたが、二回目以降は「さっさと回りたい」という感じで、淡々と廻っていた感じがしています。ただ、一つだけ言える事は「本堂でも大師堂でもキチントお参りしていた」という事です。本堂では「開経偈、般若心経、ご本尊の真言、回向文」を唱え、太子堂では「開経偈、般若心経、御宝号、回向文」を唱えました。同行二人と言いますが、お大師さまは車で回っていても、一緒に回って下さいます。こんな素晴らしい霊場を作ってくれたお大師様は、やはり凄い方だと思います。問題は、八十八ケ所の個々のお寺です。何が問題かと言いますと「参拝者を感謝の念をもって迎える」という気持が殆どのお寺に感じられないという事です。逆に言えば「参拝させてやっている」という感じさえします。現代社会は、僧侶とお寺に対する信頼性が著しく低下していると言われていますが、将に「さもありなん」という感じがします。私は、できればもう1回巡礼したいと思っています。もし、行けるなら、一層心を込めて参拝してきたいと思っています。やはり、仏様に対する「尊敬の念、感謝の念」が一番大事だと思います(2023年7~8月に10回目を終えました。お大師様より、大変な中良く廻られましたとのお言葉を頂きました)。

 

 

現在日本には、約7万7千の寺院があり、そのうちの2万以上が無住の寺(空き寺)と言われています。寺院の数は年々減少してきており、2040年には「今ある寺院の3~4割が消滅しかねない」という衝撃的な試算もあります。

 

 

この背景には、「人口減少、檀家の高齢化と減少、若者の都会への流出、お寺やお墓はもういらないという人の増加、お寺の存在意義の希薄化、ご神仏やあの世を否定する人の増加、力のない和尚さんの増加、寺院の参拝者や檀家への問題ある対応、僧侶の堕落、世襲制度がもたらす弊害など、多くの問題点があります。

 

 

一言で言えば「お寺や僧侶に対する必要性と信頼性の希薄化が進んでいる」と言えます。今こそ、仏教界、僧侶は「宗教界の問題点を洗い出し、あるべき姿を考える時である」と言えます。私は、宗教界の人達は先ず「宇宙、地球、人間社会に於ける」、「宗教の意義と位置づけを明確にする事」と思います。

 

 

そして先ず、僧侶にとって、最も大事な事は「根底として行うべき事は、霊格を高める事である事」を知る事であり、「始めに宗教ありき」という事ではない事を知るべきです。

 

 

当然の事として「ご神仏や、あの世や、人間とはなにかや、死とはどういう事か」といった「目に見えないコト・モノも知るべき」です。

 

 

そして、「教相と事相」に真剣に取り組み、仏教の教えに熟知し、ご神仏とお話が出来る程の修行を積むことが求められます。

 

 

ある調査によれば、人々の僧侶に対する親近感は「僅か、10%」しかなかったそうです。仏教の教えを少し学び「法話やお説教や悩みを持った人の相談など」をされている僧侶の方もおり、自分をセラピストと称して「有料のお悩み相談」をしている僧侶などもいるようです(現世利益が大事)。

 

 

仏教の基本は「多聞」であると言われていますが、あまりにも上から目線の僧侶や自信過剰な僧侶なども多くいる事は問題です。神戸市の鏑射寺の中村公隆座主(今は引退されています)のように「実るほど、稲穂を垂れる、稲穂かな」であってほしいと思います。

 

 

また、多くの仏教の関係者は「日本仏教の核心は葬儀である」と考えているそうです。これは、全く間違った考えです。

 

 

お釈迦様は「人々を救済し、究極的には、苦の輪廻からの解脱=悟り」を目的として、仏教を起こされましたし、真言密教は「即身成仏」を目的としています。

 

 

今の仏教界に欠けている事は、「先祖供養の意義を知り先祖供養を徹底して行う事、ご神仏と話が出来ご神仏の智慧と力をお借りし難病患者や難題に苦しむ人を救う事」だと思います。

 

 

仏教では「帰依仏、帰依法、帰依僧」が求められます。帰依とは「全身全霊を持って依存する事」です。僧侶に帰依しなさいと言っていますが、この意味するところは、僧侶は仏様に替わり「仏様のお智慧やお力をお借りし、衆生を正しく導き、救う事」が責務として課せられている、という事なのです。僧侶の方は、今こそ仏様の穂期待に応えるべきであることを肝に銘じて頂きたいと思います。