宇宙は「例えれば、人間の様な生命体」であり、人間が時々刻々変化しているように、宇宙も時々刻々と変化(自然法爾)しています。地球は、「謂わば、人間の細胞の様な存在」であり、やはり時々刻々と変化し生きています。細胞が死ねば、人間も病気になります。同様に、地球が絶滅すれば、宇宙に大きなダメージ(宇宙の運行に大きな支障をきたす)を与えます(地球は、無限大と言える宇宙になかでは、無きに等しい小さな小さな星ですが、誕生した当初からご神仏に守られている、大変聖なる星なのです)。地球上には、目に見えるモノ・コトと目に見えないモノ・コトが存在しています。地球上の目に見えるモノや目に見えないモノ(例えば、妖精など)が絶滅すれば、地球に大きなダメージを与えます。目に見えるモノと目に見えないモノの絶滅は、人間による乱獲や環境破壊によりもたらされます。絶滅するモノが増えるという事は、「人間の細胞が壊死していく事と同じ」です。絶滅が進めば、人間はやがて死滅する事になります。同様に、地球が絶滅する事になるのです。ですので、人間と地球上の万物は、全て共存しなければならないのです。

 

 

人間は、死に際して「医者や介護施設などにお世話になる人」と「極く自然に死ねる人」がいます。また、死後に子孫にして貰いたい事などもあります(勿論、何も考えない人も多くいます)。こうしたことに関して、生前に「エンディングノート」を書き、それに従って対処してほしいと願う人もいます。

 

 

特に、問題になるのは「医者による延命治療を受けるかどうか」という問題です。日本尊厳死協会という組織があります。尊厳死を望む人は、一切の延命治療を拒否する事になります。この件に関しましては、人により意見は異なると思いますし、どちらの意見でも良いと思います。私は、天命に従って生きたいと思っていますので、延命治療は拒否したいと思います。

 

 

何故なら、寿命は「天が決めたこと」ですので、天命を変えるようなことは好ましくない、と思うからです。また、余命を宣言されて死ぬまでの間、「出来るだけ苦しむことなく、安らかに死を迎えさせてあげる事が大事である」と看取り士会の人達のように、死に行く人をケアーしている人も居ます。

 

 

しかし要は、大事な事はそういう事ではなく、死ぬ時の「霊格の高さが問題」という事なのです。在藤さんが言っているように「あの世に持っていけるのは霊格だけ」なのです。そして、霊格の高低によりあの世でのポジションが決められるのです。

 

 

また、死後の「死者の扱い」も大事な事と言えます。即ち、葬式やお墓参りや追善菩提などです。死後の事に関しましては、「葬式は、キチントして貰った方が良い(特に、お経を読んで頂く事は必要)」という事と、「年忌供養は絶対にして頂いた方が良い」という事と、「出来れば、お彼岸には墓参りをして頂いた方が良い(特に、一周忌の墓参り)」という事です。

 

 

年忌を忘れられると故人は大変悲しみます。年忌供養で、個人は大変な功徳を受けることが出来るのですが、この他にも何かがあの世にはあるのだと思います。年忌といっても、大がかりなものではなく、位牌をお寺に持って行って、そこでお経をあげてもらうだけで十分です。年忌明けは50回忌ですが、普通の人は33回忌までで十分と思います。