時々親からメールが届く

例えばこれ。
「今日は天気が良かったので、栗ご飯を持ってお父さんとコスモスを見に行ってきました。とってもきれいだったよ。」

メールにはたいてい写真が添付してあって、今回も、青空をバックにコスモス畑を撮ったものと、自撮のツーショット写真が付いていた。

愛用の赤色のらくらくスマホで撮ったのだろう。
一番美しく咲き誇っているはずのコスモスがぼやけている。

自撮のツーショット写真にいたっては、下方を覗き込むような姿勢で、上方にかろうじて青空が映り込んでいるものの、背景のコスモス畑は完全になかったことにされている。
そのうえ、ただでさえ目立つ皺やほうれい線が下からの容赦ないアングルによりその濃さを増し、あげく鼻の穴が丸見えだ。

見た瞬間ぷふっと吹き出す。

ああ、脱力。
かなわないなと思う。

写真の外のコスモスまでも鮮烈に浮き立ってくるようだ。

濃いシワとほうれい線。
ズレたアングルから染みでるゆるい脱力と幸福感は、私の中をじんわりと淡いきいろに染めてゆく。




「絶叫委員会」

世界からズレた言葉、意味を見失った言葉から漂う笑いと、幸福感。
ズレたアングルからするっと飛び出た言葉から生々しい実感が迫ってくるようだと思った。