ひよっこのほほん日記 -アイドル・ミュージアム-
  • 18Oct
    • 田村英里子① 80年代最後の正統派アイドル!

      田村英里子本名:坂本絵理子1973年1月16日生まれ茨城県勝田(現・ひたちなか)市出身B型デビュー曲:「ロコモーション・ドリーム」(1989年3月15日)事務所:サンミュージックレコード会社:東芝EMIキャッチフレーズ:メインストリート、アイドル。父親の仕事の都合で、8歳から13歳まで西ドイツのデュッセルドルフで過ごす。帰国後、受けたオーディション「決定!全日本歌謡選抜・スターは君だ」でグランプリを獲得し、芸能界入りとなる。各社からスカウトされたが、松田聖子、早見優、岡田有希子、酒井法子などの人気アイドルを送り出していた老舗プロダクション、サンミュージックに所属することとなった。「全日本歌謡選抜スターは君だ!」…真璃子、諸岡菜穂子などを輩出した文化放送のオーディションにてグランプリを獲得し、芸能界へ。ドイツ語について聞かれるもの日本人学校に通っていたため、「(客席の)母に聞いてください」と答える始末(笑)歌唱審査では荻野目洋子「湾岸太陽族」を歌う。ちなみにこのグランプリは他の子が獲得するはずだった…という。ソレを覆した彼女…エリコ、恐ろしいコ!歌手活動スタート前に、ドラマ出演やラジオのパーソナリティーなどを経て、89年3月に「ロコモーション・ドリーム」でデビューとなる。ヒットメーカー筒美京平により作曲されたのポップな楽曲であり、平成の幕開け、アイドル歌手の登場には相応しい1曲となった。肝心のボーカルは新人歌手にして堂々とし、明るく健康的な佇まいで、正統派アイドルの登場!として注目された。この楽曲はカネボウ「朝シャン」のCMソングとして流れ、本人も出演となった。また、同時期に旺文社のイメージガールにも抜擢され、こちらのCMにも登場している。期待の新人として雑誌掲載時には大きく扱われ、テレビやラジオ出演時には、「帰国子女だけど西ドイツでは日本人学校に通っており、ドイツ語は話せません…」という面白エピソードを語り、話題性たっぷりのデビューであった。恵まれた環境でのデビューとなり、オリコンTOP10入りを果たし、上々の滑り出しとなった。「ロコモーション・ドリーム」(89/オリコン最高9位・3.7万枚)…純白のドレスに頭には大きなリボン。ポニーテールが揺れる…。正統派アイドル登場!!の趣でゴザイマシタ。前年が美少女ブームに沸いた年だったので、この王道的佇まい+歯切れのよい堂々とした歌唱は、気分を高揚させてくれました。キラキラ!ワクワク!する今までの80年代テイストとは違うアレンジを施した小林武史氏は後にMr.Childrenのプロデューサー、My Little Loverの一員として脚光をあびます。と2001年には銀河鉄道に乗り、あなたとハネムーンに行きたいと願う女のコの歌です。♪夢を叶えたいの~と歌う彼女自身の夢はというと…。右はカネボウ「朝シャン」のCM。後ろの女性は元おニャン子クラブの富川晴美サン。さらに、デビュー翌月より彼女をモデルにしたアニメ「アイドル伝説えり子」が放映スタート。実在の歌手とタイアップしてのアニメであるため、オープニングの「涙の半分」(「ロコモーション・ドリーム」C/W)をはじめ、本編でも彼女の楽曲がふんだんに使われることとなった。この番組で”えり子”が「エリリン」という愛称で呼ばれることから、彼女自身も「エリリン」と呼ばれるようになっていった。また、番組最後には、本人が出演する「エリリンコーナー」にて、新曲、イベント、関連商品の告知も行っていた。アニメ「アイドル伝説えり子」(89-90)…アイドル歌手としてデビューした「田村えり子」のサクセスストーリー。ストーリーは完全なフィクション。次々と襲い掛かる不幸に、それを煽る重苦しいナレーション。大映ドラマ的な作風で、そのクサさを笑いながら、嵌った者も多かったのか関連商品の売上は80億円に達したという。本編で「田村英里子」の楽曲が使用され、次回の予告前に”エリリンコーナー”が設けられ、新曲やイベントの告知を行っていた。アイドルの活躍の場が減っていくなか、なんというラッキーガールでしょう!!予告へつなぐ「来週の『アイドル伝説えり子』は一体どうなっちゃうの?」というセリフが実に可愛かったです。日本での放送終了後も、スペイン、イタリア、フランス、中近東でもオンエアされたという。80年代半ばから歌番組は曲がり角を迎えており、ポップスは若者、歌謡曲・演歌は中高年とユーザーが別れ、以前よりも視聴率が取れなくなり、歌番組はリニューアルのため試行錯誤を続けている時代。しかし、回復にならず、終了となる番組も多くなっていた。それに伴い、アイドルたちも活躍の場が減少。前88年は「アイドル冬の時代」へ突入した初年といわれる年でもあった。それに変わって、バンドブームが起きていた。そんななか、存分に自身をアピールする場に恵まれたアイドルであった。2nd「好きよ」も作曲を筒美京平が担当、作詞には松本隆を迎える。稀代のヒットメーカー二人が作り上げた作品は、前作に続き好調であり、着実に人気を上昇させ「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」で注目曲として登場。1stアルバム「May be Dream」は収録曲の全てが、筒美京平作曲という豪華盤となり、それを引っさげてコンサートも開催された。 「好きよ」(89/オリコン最高10位・2.8万枚)…前作に比べると、えらく歌謡曲的な楽曲でありますが、クセになる楽曲。個人的には、間奏部分が歌謡曲チックで”好きよ”です。エリリンの髪型といえば、チャイナ娘風お団子ヘアが印象的デスが、この楽曲の後半頃からしていたのですヨ。歌唱時、声がたまに裏返り、ハラッ!とさせられる時もアリマシタが、終始笑顔で目が輝き、余裕を感じさせる部分も。大物になりそうな雰囲気を醸し出してオリマシタ。3rd「真剣(ほんき)」は続いて筒美・松本コンビで作られたキャッチーな作品。「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」ともにランクインを果たし、人気アイドルの仲間入りを果たす。また、この楽曲は、新人賞の晴れ舞台で歌われることとなった。音楽に対する考えの変化から、賞取りレースに左右されない音楽活動を行うアーティストを中心に、ノミネート辞退者が増え、音楽賞の権威が徐々に失われつつあったが、まだまだも注目されていた時代。アイドルの売り出し方も色々だが、アイドルは新人賞に参加し、顔を売るのが通例。前年は天皇崩御により自粛傾向であったが、再び、新人賞レースが活気づく。参戦の主要メンバーは、川越美和、星野由妃、細川直美、香田晋、そして、「ふりむけばヨコハマ」がロングランとなっていたマルシア。この年の新人賞は、彼女とマルシアの一騎打ちであった。大晦日「第31回日本レコード大賞」では、デッドヒートを繰り広げたものの、マルシアの頭上に最優秀新人賞が輝くこととなった。「真剣(ほんき)」(89/オリコン最高9位・5.3万枚)…前2作とは趣を変え、イントロから攻撃的なチューン。サビも♪ちょっとやそっとの恋じゃない~とキャッチーに決まっておりました。人気音楽番組「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」にランクインし、新人賞レースで歌われたこともあり、彼女の代表的な作品。「歌謡ゴールデン大賞・新人グランプリ」はじめ、多くの音楽祭で最優秀新人賞を獲得しました。「第31回日本レコード大賞」でも有力候補と目されており、開票が公開され、会場は親衛隊による英里子コールが響き渡りました。しかし、僅かな差で、マルシアに軍配があがり、敗北…。賞レースの末期を盛り上げてくれたエリリン、ありがとう。デビュー1年目は王道アイドル路線を貫いたが、2年目は鈴木康博(オフコース)、平松愛理、織田哲郎などニューミュージック系の作家陣を迎え、ニューミュージックの香りがする作品をリリース。音楽番組が相次いで終了し、アイドルを取り巻く環境が厳しくなるなか、近年デビューした他のアイドルより頭ひとつリードしている存在であったが、世間的には数多いる若手の一人といったところであったと思われる。歌手活動のほかに、バラエティ番組、グラビア、Vシネマなど多岐に渡った活動をしていく。色々と可能性を試すかのように…。そして、この90年の冬、彼女のが大いに注目されることとなる。「プロセス」(90/オリコン最高7位・7.5万枚)…デビュー年は、曲も衣装も、バリバリのアイドルしていましたが、シリアスな楽曲をハリのある野太いお声で熱唱。衣装もボディコンチックで、オトナへの階段を上りはじめました。次への展開への過度期にあたる作品で地味な存在ではありますが前作で勢いづいた影響もあり、オリコン最高位&最大売上げを記録。「Domino」(90/オリコン最高10位・4.5万枚)…ニューミュージック系のライターを起用。作曲はオフコースの鈴木康博。作詞にブレイク前の平松愛理サンを起用。Wエリリンということでしょうか?声の色艶に磨きがかかり、ドレスがお似合いのレディへ。「リバーシブル」(90/オリコン最高10位・4.1万枚)…夏の陽射し、湿度、風などを上手く表した詞・曲を平松愛理が…ソレに感情のこもったエリリンの歌声がノリ、清涼感溢れる作品に仕上がりました。♪なのに微笑みかわす私は誰~の辺りなど切なく聴かせてくれマス。”リバーシブル”という言葉を上手く使い失恋の気持ちを描いていますネ。エリリンもお気に入りだとか。また彼女の楽曲のなかでは、いちばん”好きよ”と言うファンも多い。2年目のジンクスを吹き飛ばした歌手に贈られる「第16回日本テレビ音楽祭」金の鳩賞を獲得。「虹色の涙」(90/オリコン最高12位・4.2万枚)…織田哲郎が作曲をしたエキゾチック歌謡。前作より5ヶ月ものブランクが空いてのリリースとなりました。チャゲ&飛鳥の「万里の河」を彷彿させるような作品デス。半分ヒップを披露した”半ケツカレンダー”を発表。前年に宮沢りえがふんどし姿のカレンダーを発表し、話題となっていた。また、杉本彩や岡本夏生、かとうれいこなどのセクシーアイドルなどが台頭してきた頃でもある。しかし、彼女は正統派アイドルとして孤軍奮闘している存在であり、あり得ない内容。ファンや歌謡曲愛好家などの彼女の活動を知る者は騒然とし、これで彼女を知ったという者も多かったと思われる。91年カレンダー…17才の正統派アイドルの”半ケツ”にビックリ!! クラスでも「見たか?」と話題デシタ。!正しくは”おしりルック”らしいが、そうは呼ばれず…。前年に”褌カレンダー”を出した宮沢りえチャンはアイドルだけどアイドルではない雰囲気でしたが、彼女は正統派アイドル、また、歌唱力バツグンなので、まさかの展開。デビュー2年目、広く認知されているとはいえない状況での発表だったため、知名度アップにはなったが、”田村英里子=半ケツ”のイメージが…。歌手の彼女が大好きだったワタクシはファンと公言できなくなってしまいました…。しかし、「いったい何処に向かっているのだろう?」と思いながら、カレンダーは購入。今も手元にありますヨ。13万部の売上げ。良くも悪くもカレンダーにて知名度をアップさせ、活動の場を拡大させていく。ドラマに出演し、脇ではあるものの女優に取り組む。クイズ番組のレギュラー出演、話題のアニメ「少年アシベ」主題歌「リトル・ダーリン」のリリースなど本格的なブレイクを目指し、方向性を探りながら活動してるかのよう見えた。また、ショートカットにし、ビジュアルでのイメージチェンジを図ったのもこの頃である。●ドラマ&CMドラマ「ナースステーション」(91)…菊池桃子サン、森口博子サン、水野真紀サン、田中律子チャン、中山忍チャン…当時の若手女優や駈け出しアイドルがナースを演じました。主演は田中実サン。お会いしたことがあるのですが、気さくで爽やかな印象を受けました。ご冥福をお祈りいたします。同じ頃に「君だけに愛を」にも出演。日清食品CM「チキンラーメンどんぶり」(91)…チキンラーメンにどんぶりタイプが出た際にイメージキャラクターに選ばれました。空中を飛びながら商品をアピール。「リトル・ダーリン」(91/オリコン最高12位・4.5万枚)…アイドルに詳しくない方にとっては人気アニメの主題歌となったコレが彼女の代表曲となるのでしょうか?この頃、長かった髪をバッサリ切りイメージチェンジ。右は「ドキッ!丸ごと水着!!女だらけの水泳大会」で、本作を披露した時の姿。水泳大会の末期を西田ひかるチャンとともに盛り上げてくれました。”ミスフォトジェニック”を3度受賞しております。臨時発売「まかせて!チン・トン・シャン」(91/オリコン最高39位・1.5万枚)のリリースも。そんななか、セクシーラテン歌謡といった趣の「誘惑のチャチャ」をリリース。それに加え同時期にドラマ「愛さずにいられない」における大胆な役どころ、前年に続くセクシーなカレンダー発売など、さらにオトナっぽく変身していくことに対し、ファンはいまひとつ受け入れられなかったようで、人気は鋭角に下降線を描き、急落。アイドル冬の時代到来のなか、潔くアイドルしていた姿勢に加え歌唱力も兼ね備えているところが人気の源だったと思われる。前年のカレンダー発売が、やはり彼女のアイドル人生の分岐点となったように思う。「誘惑のチャチャ」(91/オリコン最高18位・2.8万枚)…冒頭から♪だめよ アンアンア~ン…とエッチい歌詞が炸裂。青少年だったワタクシは赤面しました。伸びやかで艶やかな歌声にナイスボディなので、セクシーな楽曲を宛がいたくなるのは分かりますが、もうチョットひねって頂きたかった。出だし「さそり座の女」に似てます。92年カレンダー…”半ケツ”の次は”下乳”を披露。アイドルを取り巻く状況が変わり、正攻法ではブレイクできないと考え、こうなったと思われるが…。ドラマ「愛さずにいられない」(91)…派手で傲慢なお嬢様、のちにキャバクラ嬢となり、改心する役どころで出演。吹き替えと思われるが、全裸で水浴びする後姿が…。人気俳優の吉田栄作主演のドラマでありました。その後も、活動を続けていくものの、最盛期はデビューから91年までの約3年間。アイドルらしいアイドルには厳しい環境なか、大ヒットには恵まれなかったものの、デビュー曲から6作連続でオリコンTOP10内に送り込んだ。80年代の最後の最後に登場し、昭和のアイドルっぽい正統派な雰囲気で気を吐いた。伝統的なスタイルで活動しながらも、歌手のほか、ドラマ、CM、バラエティ番組、そして、グラビア…と多くの分野に進出し、その後に登場するアイドル達の活動の礎を築き、時代と時代を繋ぐ存在でもあったと思う。「Discovery」(91/オリコン最高44位・1.5万枚)…デビュー曲から問題作「誘惑のチャチャ」までを収録のベスト盤。シングルは良曲揃い。バリエーション豊かで、ソレを器用に歌いこなしていました。が、結局はセクシー路線に行き着き、撃沈というのが、なんとも残念…。今までは方向性を探るのではなく、迷走だったの?と。もっと爽やかなアイドルポップスをリリースし続けて欲しかったです。ブックレットに各シングルのリリース当時の心境が素直に語られています。また新しく歌い直した曲もあり、歌に対する”真剣”な心が感じられマス。アイドルとしての活動がひと段落し、その後の彼女が向かった先は!?

      50
      テーマ:
  • 04Oct
    • アイドルからアーティストへ② 森高千里

      森高千里本名:森高千里1969年4月11日生まれ熊本県熊本市出身O型「NEW SEASON」(1987年5月25日)事務所:アップフロントエージェンシーレコード会社:ワーナー・パイオニア1986年夏、大塚製薬主宰の「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」で1万2000人の中より、グランプリを受賞する。このコンテストは88年に歌手デビューする本田理沙も出場していたという。イメージガール故「ポカリスエット」のCMに登場。このCMには、審査員を務めていた糸井重里といっしょに出演し、独特のやりとりを繰り広げ、笑いを誘った。「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」(86)…1万2000人の応募があったという。歌唱審査では、中森明菜の「十戒(1984)」を歌唱。全国大会出場者のなかには、のちに本田理沙としてデビューする少女も…。第2回は調べても見つからなかったのですが、あったのかしらン?CMでは、コピーライターの糸井重里氏と登場。個人的には、自動販売機前で、二日酔いという設定の糸井氏とクールでシュールなやりとりをするVer.が好きデシタ。その後、イメージキャラクターに宮沢りえ、一色紗英、中山エミリらを起用し、”有名女優の登竜門”的なCMとなりました。87年 映画「あいつに恋して」にヒロインとして出演し、その映画主題歌「NEW SEAZON」で歌手デビューとなった。アイドルシーンは隆盛期を過ぎ、アイドル冬の時代に差し掛かった頃であったためか、デビュー曲は歌謡ロックといった趣で、楽器を演奏しながらのスタイルを取り、異色のアイドルとしての登場だった。九州の高校時代には、ガールズバンドを組み、ドラムを担当していたということである。同期には酒井法子、立花理佐、畠田理恵、BaBe、石田ひかり、坂本冬美などがおり、粒ぞろいなメンバーの中、目立つ存在にはなれず、ヒットには至らなかった。その後も新曲のリリースはあるもののパッとしない状態が続き、また、デビューして1年ほどは、女優業もおこなっていたが、こちらでも脚光を浴びることはなかった。「NEW SEAZON」(87/オリコン最高23位・4.4万枚)…ドラムが印象的なロックっぽい楽曲でデビュー。アイドルシーンに陰りが見えた頃のためこの路線での出発となった?美形すぎて親しみやすさが足りない感じだから、普通にアイドル路線ではブレイクできなかったことでしょう。”ファーストフード”、”テイクアウト”などの言葉が登場します。今ではお馴染みとなった言葉ですが、当時としては耳馴染みのない言葉でした。パッと聴いた感じ、鼻づまり声のヘタな歌ですが、聴きこむとキュートで可愛いと思えてくるから不思議(笑)写真は人気番組「夜のヒットスタジオ」に登場したときのもの。しかし、88年、2ndアルバム「ミーハー」のタイトル曲「ミーハー」(のちに「ザ・ミーハー(スペシャル・ミーハー・ミックス)」としてリミックスされシングルカットされる)を初めて手がけると歌詞がユニークで、歌謡曲愛好家の間で話題となる。作詞を手がけた経緯は、スタッフより、「書いてみたら?」と言われたからだという。以後、森高自身の作詞が増えていく。89年の「ザ・ストレス」は歌詞に注目が集まるだけでなく、CDジャケットやPVや歌唱時の超ミニのウェイトレス姿も話題となり、人気番組「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”のコーナーに登場となった。美しい顔と美脚で奇妙な楽曲を歌うギャップで、この頃からジワジワと森高千里の名前が広まりはじめていった。「ザ・ストレス(ストレス 中近東ヴァージョン)」(89/オリコン最高19位・4.0万枚)…もともとは、4thアルバム「見て」(88)に収録されていたもので、その際は「ストレス」だったが、シングル化にあたりアレンジを変え、「ザ」をつけた。彼女がストレスから腹痛になったことを歌にしたという。なぜ衣装がウェイトレスなのか不思議であるが、「ストレス」と「ウェイトレス」をかけたらしい…。アンナミラーズのウェイトレスのようなピンクと白のストライプ柄のミニスカ姿で歌唱し、男性視聴者が喰いついた。”コスプレ”が一般的でない時代にこの衣装は斬新デシタ。そんななか、次作は「17才」をリリース。これは71年に南沙織のデビュー曲として発表し、大ヒットしたものである。リリース時はリバイバルブームであり、斉藤由貴が井上陽水の「夢の中へ」をカバーし、大ヒットさせていた。この楽曲を当時流行のユーロビートにアレンジし、フィフティーズ風の超ミニで歌い踊る、そして、意図的にパンチラを決行。視聴者に大きなインパクトを与え、オリコンチャートや「ザ・ベストテン」などのTOP10内にランキングされる。このヒットにより、彼女を知ったという人も多いと思われる。そして、”超ミニスカ美脚=森高千里”となる。「17才」(89/オリコン最高8位・19.5万枚)…南沙織のデビュー曲「17才」(オリコン最高2位・54.2万枚)をカバー。彼女は当時20才でしたので、C/Wは「20才」です。当時リバイバルブームで、薬師丸ひろ子「時代」(88)、田中美奈子「涙の太陽」(89)、坂上香織「グッバイ・マイ・ラブ」(89)、咲浜小百合「天使の誘惑」(89)などがリリースされていた。元の楽曲にミスマッチな激しいユーロビートに仕上げ、ヒットとなる。当時はディスコブームでもありましたネ。ヒットの要因は、”超ミニスカパンチラ”も大きいと思います…(汗)前曲に続き「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”に登場、遂に10位へランキングされました!初夏に発売され、秋口にランクインなので、ジワリジワリのロングヒット。その後は、個性的な作品を多く発表し、ヒットさせていくこととなる。また、アルバムも好セールスを記録。文学的な言葉やカッコイイ言葉を用いず、シンプルでたわいない日記みたいな内容をそのまま歌詞にする作風がウケ、唯一無二のソングライターとしてポジションを確立していった。また、超ミニスカ+ヴィヴィドなカラーやスパンコール、肩パッドを使った派手な衣装にも注目が集まり、フィギアにするファンやコンサートで同じ衣装を着て応援するファンも現れた。衣装が派手であった理由は、「ライブで一番遠くのお客さんからも私の姿を見つけやすいようにってことが第一なんですが、TVで埋もれないためでもありました。当時はバンドブームで、一人で目立つには派手にするしかなかったんですよ」と後年に語っている。「非実力派宣言」(89/オリコン最高2位・21.6万枚)…タイトルもビックリですが、ジャケット写真もなかなか(笑)、バブル時代の象徴のようなワンレン、ミニスカ、ハイヒール…。コレをフィギアにしたものを宅八郎氏が持っていましたネ。「はだかにはならない」、「私はおんち」なんて楽曲が収録(笑)「今度私どこか連れていって下さいよ」は加藤紀子が92年にデビュー曲としてリリース。「古今東西」(89/オリコン最高1位・35.8万枚)…アルバムでは、唯一の1位獲得作品。発売当時のキャッチコピーは「どうせやるなら ここんとうざい」というもの。どういう意味かしらン?「ROCK LIVE」(92/オリコン最高3位・31.1万枚)…演歌に挑戦した「酔わせてよ今夜だけ」を収録。93年に城之内早苗がカバーし、翌年に渡り約2年間のロングリクエストで「第27回日本有線大賞」有線音楽優秀賞を受賞している。92年により多くのファンを獲得することとなる。「私がオバさんになっても」のヒットである。この楽曲は女性の共感を呼んだようで、カラオケでもよく歌われた。世の中に”ザ・森高”を印象付け、今でも彼女のことを語るときには、欠かせない代表作となっている。なお、紅白歌合戦にも初出場となり、この年を含め7年連続出場となった。93年には「渡良瀬橋」、「私の夏」、「風に吹かれて」がヒットとなる。特に「渡良瀬橋」は、07年に歌碑が足利市にある渡良瀬橋のそばに建てられるほど、愛される曲となった。この頃より、ミニスカートの似合う女性というイメージを維持したまま、サウンドや歌詞が以前より自然な感じになっていった。(「雨」(90)のような切ないバラードも書いていましたが、コミカルな面に注目が集まることが多かった。)「私がオバさんになっても」(92/オリコン最高15位・22.7万枚)…♪私がオバさんになったら あなたはオジさんよ~ そうですネ。でも♪私がオジさんになったら あなたはオバさんよ~と歌ったらスゴく怒られそうな気がします(笑)オリコン順位は意外にTOP10圏外で、売上げだって特大ヒットではありませんが、記憶に残る1曲であり、彼女の名刺代わりの1枚でもありますネ。芸能ニュースが彼女について語るときに”オバさんになっても”森高はキレイなんて枕詞でつきますよネ。「渡良瀬橋」(93/オリコン最高9位・30.9万枚)…栃木県足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かる橋。この曲のヒットで、存在が全国的に知られるようになり、観光名所となった。また、足利市から「足利のイメージアップに寄与した」ことを理由に、感謝状を贈られた。07年には橋の傍に歌碑も立てられ、碑の横のボタンを押すと「渡良瀬橋」が流れる。歌の中に登場する”八雲神社”や”床屋の角にぽつんとある公衆電話”は実在し、公衆電話については、利用者の減少によりNTT東日本が撤去対象としていたが、市側の要望で撤去が回避されたという。しんみりとした楽曲でも、森高節は健在で♪北風が冷たくて 風をひいちゃいました~というのが彼女らしい。音楽活動のほかに、アイドルとミュージシャンのボーダーライン上に存在する特異な存在であったため、大手企業のCMのイメージキャラクターも多く務めていた。順調に活動をおこなっていくものの94年に顎関節症のため、2年間、コンサートツアーを休業するというトラブルもあった。しかし、精力的に活動を続け、この年は子供向けの「ロックン・オムレツ」をリリースし、話題に。またビールのCMソング「気分爽快」をヒットさせている。●CM全日空…沖縄、九州のキャンペーンに登場。前者は「私の夏」(93/オリコン最高5位・38.2万枚)、後者は「風に吹かれて」(93/オリコン最高1位・38.1万枚)がCMソングとして起用されヒットとなりました。アサヒビール…アサヒ生ビール「Z」には、「気分爽快」(94/オリコン最高3位・43.8万枚)が起用される。♪飲もぉ~ 今日はとことん盛り上がろう~ 覚えやすいサビで、コレも彼女の代表曲でありますネ。「17才」の頃には、”ミニスカでパンチラして男に媚びるバカアイドル”ということも言われていましたが、男女に愛される歌手に成長しました。90年代半ば(94年から95年辺り)に大きく売り上げた楽曲が集中しており、人気のピークであったように思う。「夏の日」(94/オリコン最高5位・40.9万枚 「浅草橋ヤング洋品店」エンディングテーマ)「素敵な誕生日」(94/オリコン最高1位・38.0万枚 アサヒ生ビール「Z」CMソング)「二人は恋人」(95/オリコン最高5位・44.4万枚 ドラマ「恋も2度目なら」主題歌)「ジンジンジングルベル」(95/オリコン最高2位・25.3万枚 サントリー「アイス・ジン」CMソング)「ララサンシャイン」(96/オリコン最高5位・17.9万枚 花王「ブローネ」CMソング、情報番組「めざましテレビ」テーマソング)99年、俳優の江口洋介と結婚。出産を経験し、1男1女の母となる。育児を優先し、芸能活動はCMや雑誌の連載などを散発的に行う程度となっていたが、2008年ごろから、子育てに支障のない限り、音楽活動も徐々に再開。ハウス「ジャワカレー」(04-08)…夫・江口洋介とCMで共演。キッコーマン「うちのごはん」…歌いながら商品の説明をしてましたネ。2012年の歌手デビュー25周年に、ベストアルバム発売、本格的に歌手活動を再開することを発表した。以後、メディアへの露出も増え、2015年には音楽番組「水曜歌謡祭」の司会も務めた。最近は、クラブミュージックにも挑戦し、携わるジャンルの幅を広げている。2017年には歌手デビュー30周年を迎えた。

      28
      テーマ:
  • 16Sep
    • アイドルからアーティストへ① 渡瀬麻紀

      渡瀬麻紀本名:渡瀬麻紀1969年2月22日生まれ三重県鳥羽市出身O型「パールモンド・Kiss」(1987年6月1日)事務所:エステー企画レコード会社:ポリドールキャッチフレーズ:真珠のような女の子小学生の頃より、松田聖子の大ファンであり、鏡の前で完全コピーをするほどであったという。彼女に憧れ、歌手を目指す。1986年に雑誌「ヤングジャンプ」のクィーンコンテストでグランプリを獲得し、芸能界へ。バラエティ番組のレギュラー出演を経て、87年6月に「パールモンド・Kiss」でアイドル歌手としてデビュー。同期は、同期には酒井法子、立花理佐、畠田理恵、BaBeがいた。彼女らが人気音楽番組で歌を頻繁に披露する機会に恵まれたのと比較すると、彼女は少ない状態であった。歌う姿より、情報番組のアシスタントやクイズ番組での回答者などのタレント活動で見かけることのほうが多く、その際、出身の鳥羽なまりのトークがユニークであるものの、目立つ存在ではなかった。一般的にいう”売れないアイドル”の部類に属していた。「パールモンド・Kiss」(87/オリコン最高43位・2.0万枚)…ちょっと前時代的な香りもする楽曲。三重県鳥羽出身ということもあり、2番には”パールピアス”という歌詞が登場。アイドル業界が迷走を始める時代ですが、まだアイドルは♪清く正しく美しく~の時代。佇まいはアイドルだが、トークは方言丸出しで、田舎臭いカンジがありました(滝汗)。「I Love You」(87/オリコン最高56位・1.3万枚)…マイナー調ですが♪アラビュ~ アラビュ~の連呼が耳に残る楽曲。私のなかで渡瀬麻紀といえば、この曲です。素朴でストレート、自然なビブラート…伸びやかな歌声。歌唱力に申し分なしですが、売れなかった…。夢のアイドルになったものの、服や歌に違和感を覚えるようになっていたという。事務所の社長に無断でボロボロなジーンズにTシャツという服装で歌い、怒られ、正直に気持ちを話したところ、ロックバンドを組むことになったという。デビューの翌年には、”LINDBERG”を結成し、シングル3枚でアイドルを廃業する。アイドル時代は、水着姿も披露しています。きっと、こういう仕事にも違和感を感じたことでしょう。アイドルはシングル3枚で終わり。3rd「ノーカウント」(88/チャートインせず)…作詞・秋元康 作曲・芹沢廣明。ふたりのヒットメーカーが手がけましたが、さっぱり売れませんでした。80年代後半は、音楽業界は曲がり角を迎えており、試行錯誤している時期。アイドル全盛期は過ぎ、やって来たのが、バンドブーム。それは”アイドル冬の時代”の到来でもあった。人気に陰りの見えてきた本田美奈子や菊池桃子など、バンド活動を行うものも現れた。また、お笑いに走るバラエティーアイドル(バラドル)も登場し、アイドル以上の人気を獲得する者もいた。グラビアで活躍するグラビアアイドルが勢いを持ち始めたのもこの頃である。純然たるアイドルが受ける時代ではなくなっていた。RAMU(ラ・ムー)「愛は心の仕事です」(88/オリコン最高9位・10.1万枚)…清純派アイドルの桃チャンがロックバンドを結成。ブラックミュージックっぽいサウンドで、黒人バックコーラスまで従えての登場。しかも、アイドル時代と変わらない囁き唱法…「コレはロックなの?」と世間はザワザワ。直立不動で歌うことの多かった桃チャンのダンス姿が見られたのが、収穫でしょうか(笑)それにしても、凄い肩パットがバブリ~(by平野ノラ)。MINAKO with WILD CATS「あなたと、熱帯」(88/オリコン最高10位・4.0万枚)…実力派アイドルが女性のみのロックバンドを結成し、脱アイドルへ。アイドル時代もロックぽい楽曲のリリースがあり、桃チャンほどの意外性はありませんでしたネ。この楽曲は作詞・松本隆、作曲を忌野清志郎が手がけたが話題となった。”LINDBERG”は平川達也と彼の音楽仲間であった川添智久、小柳昌法で結成されたバンドである。89年に「ROUTE 246」でデビュー。2nd「今すぐ Kiss Me」がドラマ「世界で一番君が好き!」の主題歌に起用され、大ヒットとなる。「今すぐ Kiss Me」(90/オリコン最高1位・61.0万枚 年間3位)…トレンディドラマ「世界で一番君が好き!」の主題歌で大ヒットとなり、一躍有名に。彼女らの最大ヒットであり、名刺代わりの1枚です。ドラマのオープニングの三上博史と浅野温子のキスシーンが話題となりました。長かった髪をバッサリ切り、ロックバンドのヴォーカリストという風情。歌声もアイドル時代とは違い、ビブラートは封印。名前も”渡瀬マキ”として、再出発となった。一躍人気バンドとなり、ヒット曲を連発していくこととなる。最初は、多方面から楽曲提供されたいたが、次第に作詞は渡瀬、作曲は平川、川添、小柳がが手がけるようになる。なお、95年からは、”渡瀬マキ”名義でソロアルバムをリリースしている。●LINDBERGの主なヒット曲「Dream On 抱きしめて」(90/オリコン最高2位・22.0万枚 アルペンCMソング、国際スポーツフェア'90春イメージソング)「BELIEVE IN LOVE」(91/オリコン最高2位・40.0万枚 バラエティ番組「夢で逢えたら」オープニング曲)「恋をしようよYeah!Yeah!」(92/オリコン最高1位・39.6万枚コカコーラCMソング、「第43回紅白歌合戦」出場曲)「胸さわぎのAfter School」(93/オリコン最高5位・55.0万枚 進研ゼミCMソング)「だってそうじゃない!?」(93/オリコン最高1位・46.9万枚 AXIA CMソング)「GAMBAらなくちゃね」(94/オリコン最高1位・30.3万枚 進研ゼミCMソング)「もっと愛しあいましょ」(95/オリコン最高5位・35.2万枚 「かざあなダウンタウン」テーマ曲)「every little thing every precious thing」(96/オリコン最高5位・31.1万枚 パナソニックハイビジョンCMソング)「恋をしようよYeah!Yeah!」(92/オリコン最高1位・39.6万枚)…コカコーラのCMソングでしたので、耳にする機会も多かったと思います。「第43回紅白歌合戦」初出場曲。売れに売れた90年代を代表するバンドでしたが、意外にも1回だけの出場。97年に平川達也と結婚。02年にLINDBERGが解散となり、14年間のバンド活動に終止符を打った。90年から96年まで根強い人気があり、バンドブームを象徴する存在であった。その後、彼女は出産を経験。子供服ブランドを立ち上げたり、子供番組のテーマソングをリリース。夫とのユニットも結成し、音楽活動を継続していた。14年にLINDBERGが結成25周年を迎えるのに伴い4年ぶりに再始動となった(09年に期間限定で再結成していた)。そのころより、情報番組やバラエティ番組にも出演し、15年には「第8回ベストマザー賞」音楽部門を受賞するなど、タレントとして活動も顕著にみられるようになっていた。しかし、18年4月に”機能性発声障害”と診断されたことを明らかにし、「きちんと治療をすることが、今、私に出来る最善」とコメントを発表している。

      41
      テーマ:
  • 09Sep
    • CHA-CHA 元祖?歌って踊ってお笑いも出来るアイドル!!

      CHA-CHA・勝俣州和 1965年3月12日生まれ 静岡県御殿場市出身・西尾拓美 1967年6月17日生まれ 東京都足立区出身・松原桃太郎 1965年9月2日生まれ 新潟県新潟市出身・中村亘利 1970年2月9日生まれ東京都港区出身・木野正人 1968年12月2日生まれ 静岡県藤枝市出身デビュー曲:「Beginning」(1988年9月7日)レコード会社:VAPバラエティ番組「欽きらリン530!!」の放送開始に合わせ、司会の萩本欽一は男性アイドルユニット”茶々隊”を企画・プロデュースし、そこからさらにメンバーを絞り込んだのが、”CHA-CHA”である。グループ名の由来は番組進行に茶々をいれるということから名づけられたという。初期メンバーには後にSMAPで脚光を浴びる木村拓哉、草彅剛もいたが、最終的にメンバーが勝俣州和・中村亘利・木野正人・西尾拓美・松原桃太郎の5名に落ち着く。 写真右よりメンバーを紹介します。勝俣州和は劇男一世風靡(一世風靡セピアの母体)、西尾拓美は劇団員、松原桃太郎は欽ちゃんの付き人、中村亘利は少年忍者、木野正人は田原俊彦のバックダンサーということもあり、“寄せ集め”であり、独特な空気を発散するアイドルグループであった。88年9月に番組のテーマ曲に歌詞をつけた「Beginning」(オリコン最高5位・10.9万枚)でレコードデビューを果たし、バラエティ番組から飛び出したにもかかわらず「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」にもランキングされ、幸先のいいスタートを切った。なお、木野は88年春から夏にかけてヒットした田原俊彦の「抱きしめてTONIGHT」でバックダンサーを務めており、歌謡曲愛好家には、知られる存在であった。田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」(88/オリコン最高3位・27.9万枚 年間18位)…主演ドラマ「教師びんびん物語」の主題歌。86年ごろからレコードセールス不振だったトシちゃんの起死回生の1曲。この年を代表するヒット曲であり、今でも歌われるトシちゃんの代表作となりました。右が木野。左の赤い服は元ジャPAニーズの乃生佳之。冠番組「ビギニング!!チャチャ」もスタートし、他のアイドルにない二枚目半的な魅力で彼らは人気を加速させる。そして、2nd「いわゆるひとつの誤解です」はデビュー曲とは趣を変えたダンス歌謡的な楽曲。前作より売上を伸ばし、活動が勢い付いていくこととなった。「いわゆるひとつの誤解です」(88/オリコン最高2位・11.6万枚)…デビュー曲は、いかにもバラエティ番組から飛び出したグループです!と言わんばかりの企画モノ臭を発散していましたが、曲もパフォーマンスも洗練されました。ジャニーズを意識したかのようなダンス歌謡。似合ってるか?似合ってないか?はナゾですが、彼らにとって最大ヒットとなりました。アイドル雑誌にも大きく取り上げられ、写真集やビデオもリリースし、コンサートも行うなど本格的なアイドルも真っ青な活動を展開。近年、タレントとして活躍する勝俣が「アイドルグループにいた!!」、「SMAP並みに人気があったんだぞ!!」と語る姿を目にすることがあるが、やや盛気味ながらも、冠番組も持っており、また勝俣はトレンディドラマ「同・級・生」に重要な役どころとして出演している。雑誌「MEN'Sヘアカタログ」(89)、「明星」(90)、「BestOne」(90)…”アイドル雑誌の表紙”をたくさん飾りました。人気アイドルと認められたものが行う仕事であります。勝俣サンの話は、嘘でもないんですよ。SMAP並みの人気者だったか?と問われるとソレはどうかなァと思いますけれどネ(笑)写真集「Diamond-head wo Buttobase」(90)…アイドルらしく?水着姿も披露しています。なんと!ビキニパンツ姿も。写真集は3冊発表。“笑い(喋り)もできるアイドル”というスタイルは、その後にたくさん現れ、今となっては普通のことだが、その元祖的グループと言えるのかもしれない。●「ビギニング! !チャチャ」 から生まれた派生ユニットJA-JA…冠番組「ビギニング! !チャチャ」 内でCHA-CHAのライバルユニットとして登場。「東京キッドブラザーズ」の長戸勝彦、水谷敦(現・水谷あつし)で88年に結成される。高身長の二人は少し大人の雰囲気を醸し出し、若い年齢層に支持されたCHA-CHAに対し若干高めの年齢層を狙っていた。89年「瞳を閉じてごらん」でデビュー。青春の応援歌のような甘酸っぱい雰囲気漂う3曲「僕のせいいっぱい」、「ボクらの夢によろしく」、「約束」もオリコンチャート上でTOP10へ送り込む。なお、「ボクらの夢によろしく」はアニメ「ミラクルジャイアンツ童夢くん」の主題歌に起用された。このころ、松原が野球で怪我をしてしまうというトラブルもあった。「僕のせいいっぱい」(89/オリコン最高3位・8.7万枚)、「ボクらの夢によろしく」(89/オリコン最高9位・6.2万枚)…アニメ「ミラクルジャイアンツ童夢くん」主題歌、「約束」(89/オリコン最高9位・6.5万枚)。松原桃太郎が89年5月ごろ、骨折し、1ヶ月の入院となった。しかし、誰もお見舞いには来なかったという…。忙しかったのか、ハブられていたのか?その後、バラエティ番組出身の彼らの持ち味を活かしたコミカル色強めの作品「ぽろり物語」(89/オリコン最高13位・4.4万枚)、「キスしたい」(90/オリコン最高18位・2.7万枚)のリリースもあったが、あまり話題とならなかった。80年代後半は音楽業界が曲がり角を迎えていた頃であり、音楽番組のリニューアルや終了が相次いで起きていた。また、バンドブームが起こり、アイドルは、何をやっても注目されない冬の時代に突入であった。90年5月にはアメリカへダンス留学のため木野が脱退となる。4人で活動継続となったが、その後はこじんまり活動となってしまった。勝俣がよくネタにする「アンパンマンたいそう」がリリースされたのは、91年のことである。「アンパンマンたいそう」(91/オリコン最高83位・0.6万枚)…93年にドリーミングがカバー。CHA-CHAの歌唱版は2018年現在までCHA-CHAのアルバムに収録なし。「それいけ!アンパンマン」関連のいくつかのアルバムには、収録されている。92年1月、渋谷公会堂のコンサートにて活動停止となる。シングル10枚、アルバム5枚(ベスト2枚)を残した。各々の近況は…勝俣州和アイドル時代は俳優業にも進出していたが、現在は、タレントとして活動している。堀部圭亮と、1992年に「K2」を結成し2001年まで活動していたこともある。現在も多くのバラエティ番組で姿が見られる売れっ子タレントである。しかし、意外にもMCや冠番組は持っていない。タモリ、ウッチャンナンチャン、とんねるず、和田アキ子、みのもんた、中居正広にダウンタウンといった、そうそうたる大物たちと絡む名バイプレーヤーといったポジションで出演している。短髪短パンがトレードマークのにぎやかキャラでタレントとしてブレイク!でかい声でチャチャ(ガヤ?)を入れるナイスなアシストぶりで重宝されているようです。元アイドルであることを自らネタにしたり、イジられることもありますネ。右は著書「やさしくなるとうまくいく」(17)西尾拓美活動停止後は、歌手や俳優として芸能活動を継続するものの現在は引退し、料理人に転身している。96年に、かねてより交流のあった西村知美と結婚。家族でバラエティ番組に出演することもある。 「西尾拓美写真集」(91)…CHA-CHA時代はバリバリのアイドル路線のポジションでした。CHA-CHA時代末期に出されたソロ写真集。表紙からSEXY全開です。引き締まっておりナカナカ良いカラダ。コレは自信アリと見た(笑)91年の「ねるとんね紅鮭団」に出演時に、理想のタイプは”西村知美”と語っている。なお、97年にめでたく結婚となる。現在は引退し、料理人とのこと。「FAT GIRL」(92)…ソロデビュー曲。中村亘利91年に「NOBU」名義でソロデビュー。その後、オーストラリアで世界最古の楽器・ディジュリドゥに触れたことから、演奏法を学ぶ。その後「KNOB」と改名。北鎌倉・雪堂美術館を拠点に全国各地で演奏活動を行っている。アイドル時代は「はなきんデータランド」に出演していました。お隣は喜多嶋舞サン。”NOBU”時代のアルバム「愛ティスト」(91)松原 桃太郎CHA-CHA解散後は”松原ひとし”と改名し、コントコンビ「まんもす2」として活動していたが、間もなくして解散。引退後は、お笑い講師職などをしていたが、2010年頃から故郷である新潟市にてカイロプラクターを務める傍らラーメン店でPRサポーターを行ったり、イベント等に出演していた。現在の詳細は分からない。木野正人 90年に脱退し、アメリカにダンス留学し、帰国した後は阿佐ヶ谷にダンス教室を開いたり、田原俊彦やKinKi Kidsなどの振付を担当している。ダンスアーティストとして活動中。今のアイドルの活動の礎を築いた元祖的な彼らも今年デビュー30周年を迎えた。再結成の話は聞こえて来ない。

      15
      テーマ:
  • 01Sep
    • ~昭和歌謡曲~ 昭和ディスコティック歌謡 2018/8/14

      ~昭和歌謡曲~ 昭和ディスコティック歌謡とき:2018/8/14    16:00~ 昭和歌謡ディスコ   19:00~ 80’ディスコところ:名古屋 ReNY limited男性¥2,500(2D付き) / 女性¥2,000(2D付き)Twitterでふと目にした音楽イベントが気になっていました。名古屋では、昭和歌謡のイベントなんか聞いたことがないし、前夜まで、どうしようか迷っていましたが、行くことに。しかし、急遽行くことにしたので、勿論、ひとりでです…。場所は名古屋 ReNY limited。松坂屋の地下。開場の30分前に行った所、並ぶ人もおらず。そして、看板を見て、気づいたこと…”昭和ディスコ歌謡”ということ。”昭和歌謡”じゃないんだ…。”ディスコ歌謡”って、数えるほどしか知らないな…と少しこのお出掛け間違いだったかも?と、早くも後悔モード(滝汗)食べ物持込可なので、近くのドラッグストアで菓子を買い込み、開場を待ちました。開場になってもそんなに人が並ぶわけでなく、50代と思われる方々がパラパラといるだけで、すんなりと入れました。受付で、CDとリクエストの紙を貰い、人生初のディスコに入りました。暗い(イベントが始まれば、レーザー光線などの光の演出がされるのですが、第一印象は、コレでした)お立ち台はないけど、ステージがあり、その上にMCさん、DJさんがいました。ミラーボールがあったので、「あぁ、ディスコに来たんだぁ。」と思いました。ジャスコは行ったことあるんだけどネ(汗)「せっかくリクエストの紙を貰ったのだから、記入しなきゃあ。ディスコ歌謡ねぇ、う~ん…」と唸って、書いたのが…。①「KEEP ME HANGIN' ON~誘惑を抱きしめて~」松本典子②「東京街(TOKIO TOWN)」森恵③「My Love, My Life ダンスの森は眠らない」葉山レイコ最初の曲は、小坂明子の「あなた」でしたので、「あぁ、ついていける」と思いましたが、「ディスコ歌謡って?」とも。その後、昭和歌謡が次々かかっていきました。要は、昭和歌謡で踊るってことなのネ。(私は、踊りませんでしたが…)開場直後はバラード系の時間で、西城秀樹の「ブルースカイ ブルー」とかが、かかっていたかな。徐々にノリの良い曲に変わって行きました。また、最初はポツポツ人がいるだけでしたが、時間が経つにつれ、人は増えていきました。開場が16:00だもの、いくらお盆とは言え、お仕事の人もいたことでしょう。途中から来たお客さんは、お仕事帰りの憂さ晴らしかしら?誰もが知っている大ヒットばかり。だから、リクエストは渡せず…。上記がかかったらどんな空気になるでしょう?せめて、早見優の「ハートは戻らない(Get out of my life) 」くらいにしておきなさいヨ。フリツケが印象的な曲は、フロア内の人たちが皆、そのフリツケになるのが、面白かったですネ。柏原よしえの「ハロー・グッバイ」で、肩を揺らしたり、チェッカーズの「涙のリクエスト」で腕をグルグルまわしたりネ。トシちゃんの「哀愁でいと」や「抱きしめてTonight」は、おじさん達がトシちゃんになりきって踊っていました。案外、足も上がるカンジでビックリでした(失礼!)マイク持参でアイドルやスターになりきってる人もチラホラ…。アン・ルイスの「六本木心中」から中森明菜の「DESIRE-情熱-」の流れは「分かってる~」と上から目線で言いたくなりました。もちろん、お客さんらによる♪フゥフゥ~!の合いの手、♪ハァ~どっこい!の合いの手入りました(笑)沢田研二の「勝手にしやがれ」の♪あぁ~のところでは、皆さん手を上げ揺れて…DJさんは、帽子を放り投げるし(笑)「ジュリー!」と樹木希林のように叫びたかったです(笑)マッチから明菜の曲の流れでは「どんな流れでしょう?」とMCさんが言ってましたが、それは昭和を生きた人なら知っている、そういう流れです…。そのあと小出広美の「タブー」でも流して欲しかったですわ(汗)ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」、「ペッパー警部」のメドレーや小泉今日子の「学園天国」など、絶対に盛り上がる曲も抜かりなく流れておりました。ほかに中山美穂「WAKUWAKUさせて」、渡辺真知子の「迷い道」、中原理恵「東京ららばい」、平尾昌晃・畑中葉子「カナダからの手紙」、島倉千代子「人生いろいろ」、早見優「夏色のナンシー」、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」など幅広いラインナップ。もちろん”ディスコ歌謡”らしい石井明美「CHA-CHA-CHA」、昨年再ブレイクした荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」もちゃんとありましたヨ。ほかには、斉藤由貴「夢の中へ」、Wink「淋しい熱帯魚」など。これらは平成歌謡だけど、丁度ディスコブームのときですネ。昭和歌謡専門DJブラッシュさんと言う方がステージ上でパフォーマンスをして盛り上げてくれました。東京で人気とのこと。名古屋のイベントに登場するのは初めてなんだそうです。業界では、有名な人なのかな?城みちるの「イルカに乗った少年」のときに「お待たせ~」と言っていたので、これが持ちネタなんでしょうね。イベント終盤はアメリカ国旗柄の衣装で「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」(西城秀樹)を。後半の80’ディスコは洋楽の楽曲をかけるようで、前半だけで切り上げてきました。私は、後ろの方の席で、チップスターを食べながら、踊りもせず、リクエストもせず、見ているだけでしたけど、普段聴かない大ヒット曲を聴き、懐かしいなぁと思い、参加した価値はあったかな…と思います。この日は取材のカメラも来ていたので、どこかの局でイベントの様子も流れたと思います。どこだろう?ご覧になった方ございますか?次回開催は、9/11(火) です。東海地区の方、いかがですか?

      22
      テーマ:
  • 18Aug
    • 美少女ブームのアイドルたち② 坂上香織・喜多嶋舞

      坂上香織本名:坂上香織1974年7月29日生まれ長崎県出身A型デビュー曲:「レースのカーディガン」(1988年8月24日)事務所:ライジングプロダクションレコード会社:東芝EMIキャッチフレーズ:かおり、深呼吸。1986年、12才(小学校6年生)の時に長崎県で行われた、荻野目洋子のコンサート会場でスカウトされ、芸能界へ入ることとなる。後藤久美子が巻き起こした美少女ブームで多くのローティーンアイドル、注目されたなかでのデビューとなった。87年にグリコ「プリッツ」のCM出演でデビューし、ドラマ「ガキ大将がやってきた」で女優としてもデビューし、大河ドラマ「独眼竜政宗」にも抜擢される。「オレの妹急上昇」、「太陽の犬」では主演を飾り、「第2の後藤久美子」と言われてるようになっていた。深窓の令嬢的な佇まいは、将来、”正統派女優”もしくは”正統派アイドル”として大きくなるであろうと期待された。女優業に続き、88年8月には作詞を松本隆が、作曲を来生たかおが手がけたという超豪華盤「レースのカーディガン」でアイドル歌手活動もスタートさせる。レコードジャケットは「Sk」マークをこすると「香織のかおり」がするという、特殊加工も施されていた。ほかにも、アニメ「キテレツ大百科」主題歌に起用、ミュージックビデオは大林宣彦監督による作品と完璧なるプロモ体制が敷かれた。ヒットメーカーが作り上げた美しく切ない楽曲と彼女の佇まいがマッチし、人気番組「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」にランクインとなる。上々な滑り出しとなった。ファンからは”ガミちゃん”と呼ばれ愛されていたが、そのニックネームも含め、全国的な人気を獲得していくものだろうと思われた。「レースのカーディガン」(88/オリコン最高7位・7.2万枚)…女性が男性の立場で歌う"ボクもの"楽曲。松本隆作詞の「木綿のハンカチーフ」+来生たかお作曲「セーラー服と機関銃」÷2=「レースのカーディガン」といった感じで、別名「木綿の機関銃」とも…(笑)八重歯のおかげで、笑うと端正な顔立ちが、無邪気な14才になるのです。そして、その変化が、物凄く魅力的デシタ。♪大事な何かを失うたびに 人って大人に変わるんだね…と、その後のガミちゃんを暗示させる歌詞?(笑)哀愁漂う楽曲を歌うその声は、低音で野太く、舌足らずでベタッとした感じであまり歌手向きではありませんでした。(滝汗)。デビュー曲と同路線の2nd「赤いポシェット」、アニメ「らんま1/2」主題歌である3rd「プラトニックつらぬいて」もスマッシュヒットとなる。しかし、音楽業界は各方面で、曲がり角を迎えている時期であり、ランキング番組の上位に進出していても大衆に認知されないヒット曲というもの存在するようになった時代。彼女の楽曲もご他聞に漏れずであった。ドラマ出演などあり、それなりの成功を収めているものの一般的な知名度を得ているとは言えず、本格的なブレイクを待つ状態に。なお、1988年12月頃から翌年4月発売の3rd「プラットニックつらぬいて」リリースの約3ヶ月という短期間で、八重歯の矯正を行っている。「赤いポシェット」(88/オリコン最高7位・5.4万枚)…前作と同路線。ちょっとインパクトに欠けてしまったでしょうか?今度は女の子が男の子を見送ります。「プラトニックつらぬいて」(89/オリコン最高9位・4.4万枚)…人気アニメ「らんま1/2」のEDテーマのため、認知度が一番高いのかな?アップテンポで、前2作のおとなしいイメージからぷちチェンジ?しかし、パフォーマンスがちとハジケ切らないカンジ?特技は”料理”でお嬢様のイメージを裏切らない。特に煮物等の和食全般が得意と語っておりましたネ。実家は長崎市内で割烹料理店(現在は飲食店を複数)を経営。なるほどネ!4thはアンルイスの名曲「グッバイ・マイ・ラブ」をカバー。当時、カバーブーム。斉藤由貴「夢の中へ」をカバーし、大ヒットをさせており、森高千里が「17才」でブレイクしていた。彼女もカバー楽曲にて本格ブレイクの方式を狙った。方々の歌番組に話題曲として取り上げられるものの、売上げは振るわなかった…「グッバイ・マイ・ラブ」(89/オリコン最高22位・3.5万枚)…アン・ルイスが74年にリリースし大ヒット(オリコン最高14位・23.8万枚)を記録した楽曲をカバー。話題曲として、「ザ・ベストテン」”今週のスポットライト”などへの出演もありましたが、ヒットとならず(涙)学生の”ガミちゃん”にはちと難しい楽曲だったかナ。まだ”恋に恋するお年頃”デショ?90年に5th「瞳のダイアリー」をリリース。恋の始まりを歌った煌びやか且つ等身大の楽曲であり、新境地を見せてくれるかと思われたが、その後アルバムをリリースし歌手活動が終了。以降は歌手と平行していた女優に注力して行くこととなる。91年の主演映画「電影少女-VIDEO GIRL AI-」あたりまではアイドル女優的な立ち居地で活動していた。この後あたりからか、名前を「坂上かおり」と改名し、2年ほど活動する。「瞳のダイアリー」(90/オリコン最高50位・0.9万枚)…使いきりサイズの医薬品テルモ「プチック」CMソング。少し余裕が出たのか、歌唱時に笑顔も見られるようになりました。高校生になったガミちゃんは、どんな顔を見せてくれるのかナと思っていましたが、ラストシングルとなりました。主演映画「電影少女-VIDEO GIRL AI-」(91)あたりまではアイドル女優の趣でしたが、どこかからか「脱いじゃうの?」という空気を発散しているように感じました。「坂上かおり」と改名し、2時間ドラマ、連続ドラマのゲスト等で頑張っていました。91年にトップアイドル宮沢りえがヌード写真集「Santa Fe」を発表、10代の現役トップアイドルの健全なヌードは、ヌードへ対する見方を変え、アイドル性を保ったヌードが多く発表されるようになっていた彼女も93年に、雑誌「週刊プレイボーイ」でヌードを披露し、写真集「FLOWERS」を発表する。写真集「FLOWERS」(93)…「週刊プレイボーイ」が全面バックアップした話題作。ヘアヌード全盛期でありましたが、ヘアにぼかしが入ったオールヌード写真集。父親は近所の人に娘のヌードを見られたくなくて、地元の本屋の写真集全て買い漁ったという…。19歳のヌード。しかし、この時すでに芸暦7年デシタ。以後、どんどんケバくキツイ顔つきになっていきます(涙)清純派からここまで変貌する娘も珍しいのでは…というくらいに。そして、脱ぎ続け、ヘアも公開します(滝汗)。この後もヌード写真集を4冊発表。少女に何が起こったか?その後は悪役や汚れ役を体当たりで演じることが多くなる。ヌード写真集もコンスタントに発表となる。01年には子供向けの特撮ドラマ「ウルトラマンコスモス」にて副隊長を演じる姿も見られたものの、お色気路線での活動が顕著であった。02年には団鬼六原作の官能小説を映画化した「紅薔薇夫人」に主演。杉本彩が体当たりでSMシーンを熱演し、(中年男性の間で)ブームとなった「花と蛇」シリーズの延長線にある作品で今度は彼女がチャレンジすることとなった。しかし、杉本彩の「花と蛇」のようなブームは巻き起こせなかった。Vシネマ「XX マトリの女」(98)…殺しとエロティシズムの衝撃的映像美の「XX(ダブルエックス)」シリーズの第4弾の主演女優として登場。Vシネマ「ヤンママトラッカー」シリーズ(99-03)…全5作。デビュー当時の美少女だった、ガミちゃんが、ヤンママに…。映画「紅薔薇夫人」(01)…夫の借金のかたに娼婦として働かされ、SM地獄へと足を踏み入れていく女性を演じた。デビューの時の深窓のお嬢様的佇まいを知る者にしては、少し悲しくもあるが、出し惜しみすることなく、潔く脱ぎ続けた女優魂に大拍手を贈りたい。-------------------------------------------------------喜多嶋舞本名:喜多嶋舞1972年8月11日生まれ神奈川県茅ヶ崎市出身AB型デビュー曲:「Whisper~そっとあなたに~」(1988年2月5日)事務所:スペースワンレコード会社:ファンハウス母親は女優の内藤洋子、父親は元ザ・ランチャーズで、音楽プロデューサーの喜多嶋修である。2歳の頃にアメリカ合衆国のカルフォルニア州へ移住している。1986年、俳優の奥田瑛二と共演した、コンパクトカメラ「ニューカルディア」のCMでデビューとなる。88年、「ときめきざかり」で初主演、女優としてスタートを切ったのに加え、ドラマ主題歌の「Whisper~そっとあなたに~」で歌手デビューも果たすこととなった。芸能界入りしたものの当時はまだカルフォルニア在住であり、仕事がある時に日本にやって来るという形を取っていた。連続ドラマの撮影ということで長期にわたり日本に滞在となった。また、カルフォルニア州のハイスクールでは休学制度がなく、この日本滞在中は州公認の家庭教師の下で個人授業を受けて単位を取得したという。富士フィルム「ニューカルディア」(86)…奥田瑛二サンとの共演CMでブラウン管に登場。この時はまだ10代はじめ…顔面の完成度が高い!カメラのCMに美少女はピッタリですネ!ドラマ「ときめきざかり」(88)…女優としてのデビュー作がゴールデンタイムのドラマの初主演とは!恵まれた環境でのスタートでした。やはり、2世タレントは有利?しかし主題歌「Whisper~そっとあなたに~」(オリコン最高34位)はヒットとならず…。歌手としての活動は、シングル「Dear Daddy」、アルバム「Whisper」を発表し、半年ほどの短期間で終了となる。テレビでの歌唱披露もなく、あっさりとしたものだった。女優として、光GENJIの大沢樹生、内海光司と共演となったドラマ「ワイルドで行こう! BORN TO BE WILD」(88)や大河ドラマ「春日局」(89)などの話題作に出演していたが、それらよりも当時、まだ珍しかった帰国子女タレントとしての活動が印象的であった。国際電話や英会話スクールのCMの出演や情報バラエティ番組「はなきんデータランド」の司会などで、英語力や外国育ちの感性を活かし活躍していた。KDD「国際電話」…帰国子女ということが活かされたお仕事。もちろん英語をお話しています。ほかには、英会話学校のイーオンにも出演していました。今では外国育ち、ハーフタレントは珍しくないのですが、当時は早見優サン、西田ひかるチャンくらいしかいませんでした。情報バラエティ「はなきんデータランド」(89)…桂文珍サンや朝岡聡アナらと一緒に司会を務める。外国育ちらしくハッキリとした言動が垣間見え、気が強そうデシタ。となりはCHA-CHAの中村亘利クン。華々しくデビューしたものの、若手女優のひとりという感じの目立たない状態となっており、94年ごろからは、大胆に肌を見せるような写真集の発表や濡れ場などにも挑戦するようになり、いくつかの作品でヌードを披露している。また、2001年には篠山紀信撮影でヘアヌード写真集「mye」を発表。07年には、映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」で殺気迫る演技を見せ、話題となった。映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」(07)…石井隆監督作品。女優の名美は、同じく俳優の夫の不倫に悩まされていた。そんな中、彼女は新作映画で夫と共演することに。さらに夫の不倫相手である女優までキャスティングされ…。エロティック、そしてサスペンスたっぷりという愛憎劇。石井隆は、喜多嶋舞を想定して初稿を書き、熱烈なラブコールを彼女に送ったという。名美は美少女アイドルとして登場したという件もあります。私生活では、96年には、元光GENJIの大沢樹生と妊娠をきっかけに結婚となるが、05年に離婚。しかし、07年には、出版社勤務の一般男性と再婚となる。大沢との間に誕生した息子であるが、13年に、DNA鑑定により息子と大沢との間に血縁がないことが明らかになり、ワイドショーや週刊誌で大きく取り上げられた。実子騒動(13-15)…我が子だと長年、育ててきた子が、他人の子だったという衝撃。訴訟後、大沢側が勝訴。話し合いにより、親権は喜多嶋に一旦戻ったが、拒否したために息子はアメリカにいる実母である内藤洋子の許で育てられることになった…。騒動が終焉を迎えるまでに、双方の食い違う主張や離婚後の親権の移り変わり、長男からの二人からの虐待告白、そして本当の父親は誰か?いうことまで、色々と話題になった。15年、この騒動で「公私のけじめ」などの理由をもって芸能界を引退している。

      30
      テーマ:
  • 13Aug
    • 美少女ブームのアイドルたち① 後藤久美子・藤谷美紀・細川直美

      後藤久美子本名:後藤久美子1974年3月26日生まれ東京都杉並区出身O型デビュー曲:「teardrop」(1987年3月18日)事務所:オスカープロモーションレコード会社:日本コロムビア小学校5年生のときからモデルを始める。86年、ドラマ「テレビの国のアリス」のヒロイン役で女優デビューした頃より、本格的に注目される。CM「キットカット」(85)…同時期に子役モデルとして、宮沢りえも活動しており、彼女と共演したCM。同学年ということもあって仲が良く、良きライバル関係でもあったという。りえチャンはその後、「三井のリハウス」のCMで脚光を浴びます。子供らしからぬ整った顔立ちに世間が驚き、その後、「続・たけしくん、ハイ!」、大河ドラマ「独眼竜政宗」などに出演。また、大手企業のイメージキャラクターとしても起用されていく。一躍、時の人となり”ゴクミ”と呼ばれ、「国民的美少女」を謳い文句に活動が加速していく。大人びたルックスだけではなく、クールな表情でハッキリものを言う性格にも脚光を浴び、「ゴクミ語録」という書籍も出版されている。住友スリーエム「スコッチ」、ヤマザキビスケット「チップスター」ほかにも大正製薬「パブロン」、花王「エッセンシャル」、ポッカ「元気であいさつ」など大手企業のCMに引っ張りだこでゴザイマシタ。87年3月には、「teardrop」でアイドル歌手として音楽業界にも進出。ヒットメーカー(作詞・来生えつこ、作曲・筒美京平、編曲・武部聡志)によるメランコリックなマイナー調の楽曲で満を持してデビュー。喋り方どうりの淡々とした無機質な歌唱が楽曲の世界観とフィットし、オリコン上位にランクインする。しかし、「歌はやりたくない」という旨を歌手デビュー前より語っており、テレビでの歌唱披露もなく、女優やモデル業に軸足を置いた活動をしていた。音楽活動は僅か1年という短期間で終了となった。「teardrop」(87/オリコン最高3位・7.3万枚)…DENONコンポのCMで流れておりました。87年4月の「ザ・ベストテン延長戦」でランキング11位に登場するが、出演はなし。(15歳未満のため労働基準法の関係もありました)。リリース直後に人気絶頂の中山美穂主演のドラマ「ママはアイドル」に出演。2大アイドルの共演ということで話題でした。計算したであろうデビューでしたネ!翌年、「初恋に気づいて」(88/オリコン最高10位・3.4万枚)をリリース。THE ALFEEの高見沢俊彦による作詞・作曲。ゴクミはアル中(アルフィー中毒)と語る程のファンでした。2ndにしてラストシングルとなりました。所属事務所のオスカープロモーションは、87年8月に「第1回全日本国民的美少女コンテスト」を開催。その後、不定期ながらも継続し、現在も行われている。このオーディションは今や「ホリプロタレントスカウトキャラバン」と並び称される一大オーディションとなり、オスカープロが世間に知られるきっかけとなったものである。アイドル業界は「第2のゴクミ」を探せという風潮になり、ローティーンの少女達が注目されることとなった。”美少女ブーム”と呼ばれるものである。このなかで、コンテストの第1回優勝者の藤谷美紀を始め、坂上香織、小川範子、喜多嶋舞などが美少女アイドルとしてクローズアップされ、歌手デビューを果たしている。89年ごろまでが美少女ブームの第一人者として捉えられ、多くの作品に主演女優として抜擢されている。映画では「ラブストーリーを君に」(88)、「ガラスの中の少女」(88)、ドラマでは「痛快!ロックンロール通り」(88)、「風少女」(88)、「アイラブユーからはじめよう」(89)などで、際立った美貌を披露していた。映画では「ラブストーリーを君に」(88)では仲村トオルクンと共演。「ガラスの中の少女」(88)では、駆け出しの新人であった吉田栄作クンが相手役であった。「痛快!ロックンロール通り」(88)は沢口靖子サンとW主演。「風少女」(88)では津川雅彦サンや野村宏伸クンが出演。80年代中盤のおニャン子クラブに代表される「普通っぽさ」のアンチテーゼして、プロダクション・メディア・テレビサイドが強く仕掛けたものだったように思いますが、それにしても短期間にドラマ、CM、映画と多くの作品に登場し、ゴクミを見ない日はないというカンジでした。その後は宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさなどが次なる美少女ブームの牽引者となっていった。女優、モデル業も安定期に入り、93年に「もう涙は見せない」の主演、映画「男はつらいよ」に5度に渡り出演。また「シティーハンター」では、ジャッキー・チェンと共演し、話題となった。映画「男はつらいよ」(89-95)、映画「シティーハンター」(93)さまざまな役を演じていてもどこかクールな空気が漂い”後藤久美子”であったような気がする。話題作に数多く出演しながらも、女優としてはコレといった作品はなく、いまひとつ火が点かなかった印象である。順調に活動を続けるなか、95年にF1レーサーのジャン・アレジと交際が発覚し、後に結婚(事実婚)となり、スイスに在住となる。以後の芸能活動は、散発的にグラビアやCMに出演する程度となっている。2017年には娘のエレナの芸能界デビューに伴い久々に公の場に姿を見せ、衰えない美貌に再び世間が注目した。-------------------------------------------------------藤谷美紀本名:金谷満紀子1973年9月15日生まれ愛知県名古屋市出身O型デビュー曲:「転校生」(1988年4月5日)事務所:オスカープロモーションレコード会社:ワーナーパイオニア1987年に「第1回全日本国民的美少女コンテスト」でグランプリを受賞し、芸能界入りとなる。応募のきっかけは、副賞で仲村トオルと映画で共演できるから…ということであったという。その後、バラエティ番組「美少女学園」、映画「ラブストーリーを君に」の出演を経て、88年4月に「転校生」で歌手デビュー。美少女ブームの火付け役の後藤久美子所属プロダクションのオーディション第1回グランプリということで、歌手デビュー前から注目されており、オリコンチャートでTOP10入りを果たし、好調なスタートを切った。「転校生」(88/オリコン最高10位・6.2万枚)…「ザ・ベストテン」では、10位内には入れませんでしたが、注目の新人として”今週のスポットライト”のコーナーに登場。学園モノのドラマでヒロインを演じたい!とインタビューで答えている。このデビュー曲はそんな感じですね。歌いだしのこのポーズは歌いにくくないのだろうか…と思ったものである。芸名は、後藤久美子の「藤」と、美少女の「美」とを本名の一部に付け加えたものである。しかし、88年ごろからアイドル冬の時代が到来。コンスタントに楽曲リリースするが、アイドル歌手としては際立つ存在にはなれなかった。また、所属事務所の先輩だった後藤久美子のニックネームであるゴクミを真似た”フジミ”という愛称も一般的には浸透しなかった。2nd「応援してるからね」(88/オリコン最高17位・2.6万枚)…野球部の男の子を応援するガンバレソングをユニフォーム風の衣装で歌っていました。3rd「たったひとりの神様」(88/オリコン最高16位・2.5万枚)…徐々にセールスダウンでしたが、ここまではTOP20内に送り込んでおり、逆転もあるかも…と思っていました。ゴクミと違って音楽活動には意欲的であったようで、新人賞レースにも参加し、「ゴールデンアロー賞」音楽新人賞に入選しています。6th「君の名前」(89/オリコン最高40位・0.9万枚)…この頃になるとテレビでは見るもののサッパリ売れてません。が、デビュー2年目で活躍する歌手に贈られる「日本テレビ音楽祭」金の鳩賞を受賞。コレはゴリ押しでしょ(笑)平行して女優としても積極的に活動しており、朝の連続テレビ小説「凛々と」(90)に出演、映画「のぞみウィッチィズ」(90)では主演を務めるなどで活躍していた。91年に歌手を廃業し、女優業に専念していくこととなる。「のぞみ・ウイッチィズ」(90)…初主演映画。集英社「週刊ヤングジャンプ」にて連載されていた青春ボクシング漫画の映画化。主題歌「BELIVE IN MYSELF」(オリコンチャートインせず)も担当。共演は宮下直紀クン。88年に「№1」でアイドル歌手としてデビュー。なのでフジミとは同期ってことネ。「千代の富士物語」(91)が代表作。「スクール☆ウォーズ2」(90-91)にも出演しておりました。女優として舞台や映画、CMにと精力的に出演。93年には「わが愛の譜 滝廉太郎物語」、「女ざかり」で芝居を披露する機会に恵まれた。どちらも話題作で、後者では吉永小百合の娘役での出演であったが、本格的なブレイクとはならなかった。連続ドラマのゲスト出演や2時間ドラマでしばしば姿を見かける存在で、こじんまりと纏まってしまった印象であるが、主演した2時間ドラマのいくつかがシリーズ化されている。NTT「100年目の電話生活」(90-91)…CMなのに田中邦衛、中井貴一、薬師丸ひろ子、高嶋政宏らの豪華キャスト。バブルの時代デス。お金かかってます。彼らに混じって、次女を演じていました。2時間ドラマ「狩矢父娘」シリーズ…19作続いています。原田龍二サンと出演。ほかにも「京都祇園入り婿刑事事件簿」シリーズ(12作)、「内田康夫サスペンス・福原警部」シリーズ(5作)などに主演クラスで登場。”2時間ドラマの女王”は片平なぎさサンだけじゃない?それにしても、鼻の下のホクロは何時からなくなったのでしょう?また、「赤毛のアン」のアン・シャーリーの吹き替えやアニメ「るろうに剣心」の神谷薫役で声優にも挑戦している。2010年には主演した昼ドラ「新・愛の嵐」で共演した俳優の鈴木浩介と交際が報じられたが、12年に一般男性と結婚(妊娠8カ月)。13年に男児、15年に女児を出産している。子育てが中心となっているようだが、現在も女優として活動中である。-------------------------------------------------------細川直美本名:細川知保1974年6月18日生まれ東京都杉並区出身O型デビュー曲:「君はどこにいるの」(1989年4月25日)事務所:オスカープロモーションレコード会社:ワーナーパイオニア1988年に「第2回全日本国民的美少女コンテスト」のグランプリを受賞して芸能界入り。89年にアイドル歌手として「君はどこにいるの」でデビューとなる。後藤久美子、藤谷美紀に次ぐ「国民的美少女」として所属プロダクション期待の新人アイドルであった。リスなどの小動物を髣髴させるような可愛い顔立ちに、幼い少女らしい歌声が、なんともアイドル的で、前のふたりより高いアイドル性を発散していた。公式に発表されたニックネームは”ナヴィ”であり、2ndは「ナヴィのはじめて物語」という作品。「君はどこにいるの」(オリコン最高53位・1.1万枚)…♪La La La どこに どこに どこに どこにいるの そばに そばに そばに そばにいるよ ~というアイドルど真ん中という趣の青春歌謡。それを屈託なく歌う”ナヴィ”が可愛いです。アイドル冬の時代に潔く勝負しましたが、時代が求めていたアイドルとは、ちょっと違うかな…。順位、売上げともに淋しい状態でした。年末の新人賞レースには、3rd「ダブルブッキングなんか怖くない」で参戦。しかし、彼女は6~7番手であり、大きな音楽祭では選から漏れることもあった。翌年に4th「バイバイBOYにしてあげる」をリリースし、歌手活動は終了となってしまった。「ナヴィのはじめて物語」(89/オリコン最高91位・0.4万枚)…自分のニックネームを歌詞に入れました。コレ以降、ユニークな作品をリリースしていきます。「ダブルブッキングなんか怖くない」(89/オリコンチャートインせず)…生まれ持った美貌のために次々と恋人が変わるといった旨の歌詞。タイトルには、いずれ売れっ子になるという意味もあるんでしょうネ。新人賞レースの勝負曲でありますが、チャート圏外でした。「バイバイBOYにしてあげる」(90/オリコンチャートインせず)…ロシア民謡歌謡?衣装がなんか大阪のおばチャン的ですネ。その後、ドラマ「水戸黄門」の準レギュラーとしての出演もあったが、目立たない存在となっていた。そんななか、93年の連続テレビ小説「かりん」でヒロインに抜擢され、知名度を上げる。以後、女優が活気付いていくこととなる。95年に出演した「星の金貨」では、ヒロインの恋敵となる院長令嬢役で見せた猪突猛進ぶりは鮮烈なインパクトを残した。以後、この手の役が十八番となった模様。朝ドラ「かりん」(93)…信州諏訪の老舗味噌屋の娘・千晶役。周りとの葛藤を経て成長し、傾きかけた生家を盛り返すようすを描いた。連続テレビ小説の第50作目であり、十朱幸代、石坂浩二、岸田今日子、筒井道隆など豪華メンバーが脇を固めた。ドラマ「星の金貨」(95)…酒井法子主演の高視聴率ドラマ。秀一(大沢たかお)と結婚するためなら、手段を選ばない祥子役を熱演(怪演!?)。のりピー、大沢たかおサン、竹野内豊サン、西村知美チャンなど皆イイ味出していました。女優で活躍する傍ら、バラエティ番組の出演も多く、ドラマのイメージと違う天真爛漫ぶりが見られた。また、CM「武富士」での摩訶不思議なダンスも印象的であった。CM「武富士」(96-98)…消費者金融のCMである。一般的にあまり良いイメージがないため、お仕事に恵まれないタレントがする仕事であると思っていましたが…人気女優のナヴィ(と呼ぶ人はいませんでした)が登場。なぜ?そしてなぜにクネクネとダンスを踊っているの?写真集「ZEAL」(93)…バラエティ出演時は、よく笑い爽やかなイメージで、SEXYな印象はありませんでしたが、際どいショット満載の写真集も発表しています。02年10月に俳優の葛山信吾と結婚。結婚1年前にレストランで出会い、交際に発展し、結婚に至ったとのこと。当時、葛山は昼ドラ「真珠夫人」でヒロインの相手役でブレイクした直後であり、細川の誕生石が真珠であったため、芸能ニュースで話題になった。03年に長女、06年に二女を出産している。葛山信吾…90年に「第3回ジュノンボーイコンテスト」で優勝。「仮面ライダークウガ」(00)に出演し、主演のオダギリジョーらと共にイケメンヒーローの火付け役となる。「真珠夫人」(02)が代表作。写真右はドラマのハイライト、妻に”たわしコロッケ”を出されたときのものである。正統派の俳優サンといった印象ですが、意外にも10周年記念写真集「sama・sama」でギリギリのヌードを披露しています(驚)…ヘアが見えてる!?見えてない?というSEXYショットをギリギリでトリミングしました(笑)芸能活動を控えていたが、13年からは活動が活発化し、「ママさんタレント」的活動を行なっている。

      13
      テーマ:
  • 08Aug
    • 男闘呼組 ジャニーズのロックバンド!

      男闘呼組・前田耕陽 1968年8月16日生まれ東京都八王子市出身・成田昭次 1968年8月1日生まれ 愛知県名古屋市出身・岡本健一 1969年5月21日生まれ 東京都新宿区出身・高橋一也 1969年5月20日生まれ東京都世田谷区出身デビュー曲:「DAYBREAK」(1988年8月24日)事務所:ジャニーズレコード会社:BMGビクター1984年、事務所内で仲の良かった成田と高橋の2人が、「でたらめロックバンド」というプライベートバンドを結成。その後、バンドを結成するという企画が雑誌で発表される。以降、何度もメンバーの加入や脱退、バンド名の変更を繰り返す。85年には「男闘呼組(おとこぐみ)」と名乗るようになる。最終的に4名のメンバーとなった。右から前田耕陽、成田昭次、岡本健一、高橋一也・前田耕陽…4人の中ではイチバン、アイドルっぽいルックス?87年に国生さゆりと映画「いとしのエリー」でW主演。 ・成田昭次…ハスキーヴォイスで、この声にしびれる女性ファンが多かった。・岡本健一…ミステリアスで甘いマスクで人気に。レコードデビュー前より「サーティーン・ボーイ」(85)、「この子誰の子?」(86)などのドラマ出演が多かった。・高橋一也…チョット尖った熱いキャラクター。性教育ドラマ「毎度おさわがせします」(85)に出演、「ナイン」(87)では主人公を演じていた。ドラマやバラエティ、CM、ライブ活動を行っており、また個々にも活躍し、着実に人気を築きあげていった。なお、レコードデビュー前の87年の時点で、当時の人気番組「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”のコーナーへの出演を果たしている。「STAND OUT!!」(87)…主演ドラマ「ボクの姉キはパイロット!」の主題歌として流れていたもの。レコードデビュー前であるが、「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”のコーナーに登場。人気の程が伺えますね。黒柳サンの横は、2nd「哀愁ピュセル」で人気上昇中だった伊藤美紀チャン。また、88年2月には、主演映画「ロックよ静かに流れよ」が封切られる。この作品が好評を得たことにより、レコードは発売のゴーサインが出たという。結成から3年が経っていた…。映画「ロックよ静かに流れよ」(88)…長野県松本市で起きた実話が原作。バンド活動を夢見ていた高校生四人組が、不良と呼ばれながら、困難や仲間の不慮の死を乗り越えてコンサート決行へと突き進む姿を描いた青春群像劇。出演は、寺尾聰、あべ静江、渡辺正行、内藤剛志ほか。「DAYBREAK」で満を持して正式にデビュー。ジャニーズ事務所は歌い踊るアイドルが多かったが、ロックバンド形式だったため、インパクトを与えた。オリコンチャートでは、初登場で1位を獲得。各音楽番組でも1位に輝き、華々しいデビューとなった。続いて2nd「秋」もヒットとなる。その年の「第30回日本レコード大賞」最優秀新人賞を獲得。また、「紅白歌合戦」にも出場となった。「DAYBREAK」(88/オリコン最高1位・69.3万枚 年間4位)…カップリング曲とジャケットの異なる4種を発売。少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」を倣ったようですネ(こちらは3種でしたが…)。♪そして…ゴリラァ~と小学生のワタクシは歌っておりましたが、Growing Loveなのネ(笑)。デビューまで3年、やっと夜が明けたというカンジでしょうか?紅白出場は、田原俊彦が出場を辞退したため、「出場候補の次点だった」ことで、繰り上げ当選となった。右は「弟30回日本レコード大賞」、左は「第39回紅白歌合戦」での成田クン。翌年も「TIME ZONE」、「CROSS TO YOU/ROCKIN' MY SOUL」 が1位を獲得。特に前者はCMソングとして起用され、多くの人が耳にする機会に恵まれた。前年に引き続き、「日本レコード大賞」、「紅白歌合戦」に登場している。80年代後半から、音楽番組は曲がり角を迎えており、いわゆる歌謡曲歌手、アイドルの活躍の場が少なくなっていたが、地道に活動を続け、91年より自作曲が中心となる。“ジャニーズのアイドルバンド”との声もあったが、この頃からアーティスト色も強まっていった。「TIME ZONE」(89/オリコン最高1位・35.4万枚)…時計メーカー「SEIKO」CMソング。シングルでタイアップを獲得した作品は意外にもこの楽曲だけという。この年には、江崎グリコ「アーモンドチョコレート」のCMにも出演していました。「CROSS TO YOU/ROCKIN' MY SOUL」 (89/オリコン最高1位・23.0万枚)…唯一の両A面シングルで、最後のオリコン1位獲得作品。「ザ・ベストテン」などのランキング番組では、「ROCKIN' MY SOUL」がランキングした。93年、男闘呼組が主演をつとめる舞台「スラブ・ボーイズ」が終了すると同時に高橋が突然の解雇命令をされ、グループの活動は停止(事実上の解散)となってしまう。予定されていた夏のコンサートツアーは各箇所チケット完売にもかかわらず中止となるという謎の出来事であった。当時、写真週刊誌「フォーカス」では、解雇の理由は高橋が協調性に欠ける行動を取っていたことや、薬物の使用疑惑が原因となったと報じている。解散後は、成田はシンガソングライターとして、高橋・前田・岡本の3人は、俳優としての活動を始めた。高橋和也(一也から改名) 解散後は俳優・声優として活躍。声優としては韓国俳優イ・ビョンホンの吹き替えを多く担当。14年、映画「そこのみにて光輝く」での演技が評価され「高崎映画祭」最優秀助演男優賞を受賞。また、いくつかのバンドを結成し、音楽活動も継続している。現在は、ハンク・ウィリアムズらに影響され、俳優業のかたわらカントリーのライブも行っている。成田昭次解散直前に出演していたドラマ「お茶の間」で原作さながらの体当たりの演技をし、好評を博していたが、解散後は俳優ではなく、シンガソングライターの道を歩む。ソロでCDをリリースしながら、ライブハウスを中心に活動。しかし、09年、大麻取締法違反で逮捕された。その後、近況は明らかになっていない。前田耕陽解散後はバンド活動や俳優など幅広く活動している。98年には中村由真と結婚し、元アイドル同士の結婚が話題となった。しかし、03年離婚。06年にレギュラー番組「なるトモ」共演がきっかけで、漫才師の海原ともことできちゃった婚をする。他のメンバーと比較すると、バラエティ番組でも時折、姿が見られる。岡本健一数多くのドラマ、舞台に出演。97年には、ベストセラー小説「不機嫌な果実」のドラマ化の際に、主人公と不倫する役で出演していたのが、印象的。その後、2回に渡り「読売演劇大賞」の優秀男優賞を獲得している。メンバーでは唯一、ジャニーズ事務所に残っている。息子の岡本圭人は「Hey!Say!JUMP」のメンバー(18年9月より活動休止予定)。レコードデビューから約5年の活動であり、短命だったが、ジャニーズとしては異例の硬派なイメージで、インパクトを残した。

      13
      テーマ:
  • 27Jul
    • Wink② 活動停止後のふたり

      Wink・相田翔子 1970年2月23日 生まれ 東京都武蔵野市出身。 B型・鈴木早智子1969年2月22日生まれ 東京都出身 A型デビュー曲:「Sugar Baby Love」 (1988年4月27日)事務所:アップライトミュージックレコード会社:ポリスター活動停止後のふたりの活動は、明暗がハッキリ分かれた…とも言いたくなるような状態である。----------------------------------------------翔子Wink活動停止直後の2年間は、音楽活動に没頭しCDをリリースするものの、成功を収めることはできなかった。表現者としての表現の場を限定することを辞め、バラエティ番組進出を決意し、98年「世界ウルルン滞在期」のレポーターとして出演したところ、好評であり、翌年から司会として登場となる。2000年には「踊る!さんま御殿!!」にゲスト出演し、初回から天然ボケぶりが露呈する。「世界ウルルン滞在記」(99-06)…レポーターとして出演したところ、好評で司会に抜擢。「メレンゲの気持ち」(05-07)…レギュラーとして出演、写真は、松山千春に対して、不味い発言をしてしまい、途中で気づくところ(笑)それ以後、バラエティ番組での出演が増え、毎度ユーモラスな会話を展開し、以降、「笑っていいとも!」、「メレンゲの気持ち」などのバラエティ番組で司会、レギュラーを務め、至るところで姿を見かける存在になる。Wink時代と変わらないルックスを維持しており、「癒し系」、「美魔女」といった時代のニーズにもマッチし、売れっ子タレントとなる。●CMアサヒ飲料「WONDAショット&ショット」新幹線パーサー」編(05)…「淋しい熱帯魚」をモチーフにした替え歌を披露。「東邦ガス」(18)…皆がガッツポーズをするなか、翔子チャンは、さりげなく「淋しい熱帯魚」の”大魔神ポーズ”を披露!30年経っても使われるフリツケ…凄すぎる。08年に医師と結婚、出産も経て、芸能活動を継続。バラエティ番組での活躍をきっかけに活動の幅を拡大させ、再度、音楽活動にも精力的に取り組んでおり、アルバムのリリースやライブ活動も活気付いて来ている。毎度バラエティ番組で、インパクトのあるトークを展開し、話題を振りまいているため、あまり知られていないようだが、女優として映画やドラマ、舞台など幅広く活躍し、多くの作品に出演している。早智子早智子は波乱万丈且つ、活躍の場が見つからない状態が長く続いている。翔子と同様、解散後の音楽活動は不振であった。Wink活動停止後に営業というかたちでの歌手活動はあったものの、女優やタレントの活動が中心となっていた。そんななか、98年にテレビ番組「ASAYAN」の”再起に賭ける芸能人オーディション”に出演。これは、小室哲哉プロデースを賭け、ニューヨークで共同生活をしながら、レッスンを行うというものであった。しかし、協調性のない態度で臨み、後半には別のルートでCDリリースの打診があったため企画を離脱する。早智子は後に、この番組は、やらせ演出で知らないところで自分を「悪役」として仕立てる編集がなされていたと語っている。シングルをリリースしたものの、アルバム発表まで間が空いたりと音楽活動は断続的に行われる状態で、タレント活動が中心であった。「ASAYAN」再起に賭ける芸能人オーディション(98)…共同生活の拒否、レッスンの途中退場、別ルートからのCDリリースによる離脱…。この一連の行為により、その後の芸能活動が制限されたと思われる。台本があり、また、悪く見える編集がされていたという。98年のシングルリリースから随分と時を経た03年にアルバムを発表。PRのためにバラエティ番組に出演し、アイドル時代の思い出を語るものの、ひたすらたどたどしいトークを展開。09年3月には薬物服用により救急搬送されたと報じられ、自殺未遂かと憶測をされたが、睡眠不足によって安定剤を服用したことを会見で説明した。その後、程なくしてセンセーショナルなニュースが飛び込んでくる。AV出演が報じられたのだった。実際は、AIV(アダルトイメージビデオ)という代物であったが、AVと変わらないシュチュエーションで、男性と絡む姿を披露したのだった。アイドルでレコード大賞歌手のアダルト作品出演は前代未聞であり、出演作「September Shock」は6億円を売り上げたという。翌10年には、「週刊文春」で、俳優・津田英佑との不倫を報じられる。これにより、芸能活動を一時的に自粛する。その後、自叙伝「負けじ魂」を出版し、不倫の否定と芸能活動復帰の発表を行なった。「September Shock」(09)…AVメーカー「MUTEKI」からのリリースであり、世間的にはAVという風に解釈されることとなった。映像では相手役の男性は顔がよく分からないのだが、後に不倫報道される俳優・津田英佑だと言われる。この不倫疑惑について、早智子は不倫を認め、津田は否定。奥さんと離婚調停中という言葉を聞かされ、その言葉を信じて4年間付き合っていたという。自分の事務所に津田を招き仕事の面倒もし、DVDの相手役に指名した模様。津田は14年にアニメ映画「アナと雪の女王」でハンス王子の声優として脚光を浴びることとなる。聖子チャンの娘の沙也加チャンと歌っていたあのイケメンです。復帰後は、若干のテレビ出演するなどしたもののテレビで見かけることはなく、活動が活性化しないでいる。----------------------------------------------2017年夏、スポーツ誌が「Wink22年ぶり再始動へ」と報じた。翔子の事務所は「具体的なことは何も決まっていません」と返答し、徐々に沈静していった。再結成…これまでに特別番組にて「一夜限りの」と2人揃って歌を披露することが3回あった。「不仲のため活動を再開しない」という説が囁かれている。写真は、08年「第50回日本レコード大賞」メモリアルアクト・日本レコード大賞50周年記念特別企画での歌唱。18年、デビュー30周年を迎え、7inchアナログ復刻、アルバム全作品が復刻されることとなった。この復刻リリースを記念して、10月にスペシャルイベント「『Special To Me』-1日限りのスペシャルトークイベント」の開催が決定している。

      18
      テーマ:
  • 17Jul
    • Wink① 笑わないアイドルとして一世を風靡!

      Wink・相田翔子 1970年2月23日 生まれ 東京都武蔵野市出身。 B型・鈴木早智子1969年2月22日生まれ 東京都出身 A型デビュー曲:「Sugar Baby Love」 (1988年4月27日)事務所:アップライトミュージックレコード会社:ポリスター早智子と翔子のふたりはワニブックス社の雑誌「UP TO BOY」が開催したコンテストであるミス・アップの入賞者で、1988年に「Wink(ウィンク)」を結成する(早智子は第7代、翔子は第9代のグランプリ)。この結成までは、個々に芸能活動をしていたという。翔子…中学生の時に渋谷でスカウトされ、芸能事務所に所属し、モデルとして活動しながら、歌のレッスンを受けていたという。16歳(高2)の時に歌手デビューの話があり、レコーディングも済んでいたものの校則で禁止されていたため、実現とならなかった。87年に雑誌「UP TO BOY」の第9代ミスアップ・グランプリを受賞となる。早智子…中学生の時にアニメソングのオーディションに合格するも辞退。高校に進学するが、退学し、バイトをしながら、レッスンを受けるようになる。芸能事務所に所属していたこともあったという。86年には、「第1回ロッテCMアイドルは君だ!」に出場し、最終選考まで残るもグランプリは逃す。同年「UP TO BOY」のミス・アップ第7代グランプリを受賞し、芸能事務所にスカウトされる。しかし、ほぼ活動は無かった。この二人で、グループを組ませようという話が出たのは、デビューからわずか2ケ月前だという。74年にデビューしたイギリスのバンド、ルベッツのカバー「Sugar Baby Love」で88年4月に「Wink」として、デビューを果たした。南野陽子主演のドラマ「熱っぽいの!」の主題歌に起用され、オリコンTOP20に登場し、まずますのスタートを切った。しかし、テレビでの露出は多くなく、目立たない存在であった。2nd「アマリリス」はノスタルジックなフォーク路線の楽曲。前作より売上げはダウンし、ヒットには至らなかった。この頃は、キャンペーンでは観客が入らず、楽屋で泣くこともあったという。1st「Sugar Baby Love」(88/オリコン最高20位・6.1万枚)…ドラマ「熱っぽいの!」主題歌。74年にルベッツがリリースした作品のカバーである。2nd「アマリリス」(オリコン最高30位・1.4万枚)はフォーク路線。カバーとフォーク…古きよきポップスの再現という路線を狙っていたのかも?活動後期に再びフォーク路線の楽曲をリリースします。グループ名は当初、oz(オズ)やTwinkle(トゥインクル)などが候補として挙がっていたが、マネージャーが提案したWinkに決定したという。88年の秋から冬にかけて放送された南野陽子主演のドラマ「追いかけたいの!」の主題歌に起用された「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」が、ドラマが終了してからもジワリジワリとチャートを上昇。翌89年にTOP10入りし、最終的には1位を獲得(1位到達までは12週目を要した)。「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」などのチャート番組でも1位獲得となる。テレビで頻繁に彼女たちを見かけるようになると、巷で話題になることがあった。それは、「無表情」ということ。それまでのアイドルは、”笑顔”が基本であったが、無表情でマリオネット風にぎこちなくフリツケをし、歌う。「常に極度の緊張で真顔になってしまうから」と語っていたが、それが話題を呼びに呼んだ。個性と捉えられ、楽曲のよさと相まって「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」は大ヒットとなった。当時は、アイドル系のシングルは登場週が最高順位、後は下がっていくという曲が大半であったが、オリコンTOP100内に40週滞在するロングランを記録した。この楽曲は、オーストラリアのアーティストであるカイリー・ミノーグの楽曲のカバーである。彼女らのカバーの効果もあってか、本家も日本の洋楽シングルチャートにて1位を獲得する大ヒットとなった。3rd「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」(88/オリコン最高1位・64.5万枚 89年・年間第5位)…ドラマ「追いかけたいの!」主題歌。「ザ・ベストテン」では、88年の12月に”今週のスポットライト”のコーナーに登場。89年1月5日放送で初登場で、唯一、「昭和64年」初登場の曲デス。最終的に1位もゲット!長期にわたり10位内に滞在し、次作「涙をみせないで」と5週ダブってランキングされた。「無表情」のほかに、ふたりともどこか儚げな雰囲気を醸し出し、顔立ちも似ていたため「双子なの?」とこともよく言われていましたネ。洋楽のカバー楽曲でありますが、及川眠子サンの歌詞は実によくメロとハマり、左右非対称のフリツケは斬新で、見て聴いて良しの楽曲でありました。80年代後半は、バブル最盛期であり、ディスコブーム。アイドルシーンはユーロビート系の洋楽カバーブームとなっていた。荻野目洋子が「ダンシングヒーロー」(85)で、長山洋子が「ヴィーナス」(86)で人気歌手の仲間入りを果たし、BaBeが「Give Me Up」(87)でデビューから話題を集めていた。また、早見優が「ハートは戻らない(Get out of my life)」(87)で再びスポットライトを浴びていた。早見優「ハートは戻らない(Get out of my life)」(87/オリコン最高15位・13.2万枚)…ドイツ出身の女性シンガー、Lady Lilyの86年ヒットのカバー。「ザ・ベストテン」では「誘惑光線・クラッ!」(84/オリコン最高7位・15.5万枚)以来のランクイン。ロングランとなり、当時、流行っていた12インチも発売。その後も同路線の曲をリリースするも、ヒットにはならず。破れたジージャンと片方だけ短いジーパン姿で激しく歌い踊る姿が印象的でした。勢いが止まらない中で発売された「涙をみせないで~Boys Don't Cry~」は、ユーゴスラビアのユニット、ムーラン・ルージュの楽曲のカバー。とっびきりメジャーな楽曲で、この曲も各チャートで1位を獲得。また、このころは、歌謡曲が下火となり、新しい音楽が求められ、バンドブームが巻き起こりはじめていた。昭和から平成へ変わっていく時期に登場した、洗練された楽曲を笑わないで歌うアイドルは、新しい時代の新しいアイドルという趣で鮮烈であり、トップアイドル街道を本格的に驀進し始めた。4th「涙をみせないで-Boys Don't Cry-」(89/オリコン最高1位・52.3万枚、89年・年間10位間)…前作とはカラーを変えた、ポップで明るい楽曲をリリース。♪Sick-sick-sick~と実に口ずさみやすい。”笑わないアイドル”ということでしたが、このPVでは、ふたりの笑顔が多く見られます。弾けた感じがちょっと前年デビューのBaBeっぽい?Wink旋風が吹き荒れるなか「淋しい熱帯魚」をリリース。2作連続で洋楽をカバーしてきたが、このたびはオリジナル曲のリリースとなった。サビ部分の「大魔神ポーズ」と呼ばれることもあった印象的なフリツケが男女問わず広い世代でモノマネされ、Winkのイメージを決定づけるものになった。続く「One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜」もヒットとなる。音楽活動だけでなく、雑誌のグラビア、バラエティ番組にも出演。明治製菓、Panasonic、山之内製薬、オリエント時計など大手企業のCMにも登場となる。また、ふたりが主演の単発ドラマも放映されるなど、テレビで見ない日はないほどの人気を誇るようになっていた。ピンク・レディー以来、大成功を収めた女性デュオであったため、いつしか”平成のピンク・レディー’という声も聞かれるまでになっていた。●CMブレイクすると多くの大手企業のイメージキャラクターに起用された。なかでも下記の2社は長く務めたもの。明治製菓(89-92)…お菓子のCM出演は人気アイドルに不可欠。勿論、♪チョコレートは明治~の歌を披露!Panasonic(89-91)…「相田サン」、「鈴木サン」というセリフのやり取りが印象的で、覚えているヒトも多いのでは?ファンからは、ショーコ、サッチンと呼ばれていましたネ。新曲が出るたびにCMソングとして流れていました。●モノマネ やまだかつてないWink…山田邦子と横山知枝によるパロディのユニット。89年、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」で山田が翔子のモノマネを行い”日本全国早智子を探せ”で視聴者から早智子役を募集し、横山が選ばれた。翌年に「“T”intersection~あなたに戻れない~」(90/オリコン最高10位・13.3万枚)でデビューし、2nd「さよならだけどさよならじゃない」(91/オリコン最高2位・26.9万枚)で解散。のちに横山は「Happy Birthday」(90/オリコン最高2位・12.6万枚)でソロ歌手としてデビュー。しかし、その後はパッとせず、96年にヌード写真集「潤〜うるおい〜」を発表。11年に引退。年末の「第31回日本レコード大賞」での大賞有力候補の一組と目されていた。この年、美空ひばりが亡くなっており、下馬評は、軍配は昭和の歌姫にあがるというものであったが、それを覆し、「淋しい熱帯魚」で見事レコード大賞獲得となった。また「第40回NHK紅白歌合戦」への出場も果たした。ちなみにこの年はピンク・レディーも再結成し、出場をしている。5th「淋しい熱帯魚」(オリコン最高1位・56.4万枚 89年・年間7位)…Winkといえばコレでしょう。その知名度と浸透力は、なんといっても♪Heart on wave~の部分の大魔神ポーズ。勿論、無表情でキメるワケです(笑)チョット奇妙で、皆(私も)、マネをしておりました。前作までの無表情や無機質さは緊張からくるものであったでしょうが、この曲からは意識してやっていたのではないかと思います。30年たった現在も「日清やきそばUFO」のCMで内田裕也サンがやってます。この楽曲のリリースで個性的な「Winkの世界」が出来上がった感じ。「第22回全日本有線放送大賞」グランプリ、「第31回日本レコード大賞」大賞受賞、「第40回NHK紅白歌合戦」にも出場。90年第1弾シングル「Sexy Music」もヒットし、5曲連続オリコンチャート1位を獲得。しかし、アイドルには厳しい時代の活動であったため、最後の1位の獲得となった。以降は大ヒットこそなかったが、中規模なヒットを繰り出し、アイドル不在の音楽業界に彩りを添えてくれていた。6th「One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜」(89/最高1位・42.3万枚)…”マリオネット”という世間の声を逆手に取り、フリツケの中にお互いをからくり人形に見立てるフリをブチ込みました。片方が糸を操る様に腕を回して、もう片方は引っ張られ、クルクル回る。一歩間違うとお笑いになってしまうところを緊張感を保ち、上品に仕上げました。7th「Sexy Music」(90/最高1位・32.9万枚)…ノーランズの楽曲をカバー。現時点において、最後のオリコン1位獲得曲。フリツケも衣装も可もなく不可もないアッサリ風、今までのようなゾクゾク感にチョッピリ欠けていたかな?人形的で無機質な世界観を大事にしながら、ラテンやサンバ、ヨーロッパ、ロシア民謡的な要素を取り入れるなど、さまざまな作品をリリースしていく。(「淋しい熱帯魚」で確立したその勢いで突き進んでいるかのようにも見えた…)8th「夜にはぐれて 〜Where Were You Last Night〜」(90/オリコン最高2位・29.1万枚)…イントロがSFチックで、メタリックな衣装に身を包みダイナミックなフリツケを披露。9th「ニュームーンに逢いましょう」(90/オリコン最高2位・24.9万枚)…中華ユーロポップス。10th「きっと熱いくちびる~リメイン~」(91/オリコン最高2位・17.5万枚)…クラシカルでヨーロッパ的な冷ややかな楽曲だが、サビが頭のなかでグルグル…中毒性がありマス。個人的にコレ、スキです(笑)11th「真夏のトレモロ」(91/オリコン最高3位・22.5万枚)…ラテン系でキャッチー。サビ部分の♪だって Dang-Dang~のフレーズとフリツケを覚えている人も居るのでは?中期の代表曲でしょう。12th「背徳のシナリオ」(91/オリコン最高3位・19.6万枚)…イントロが荘厳でロシア民謡的。当時、流行っていたビジュアル系バンドに対抗したかのような仰々しい曲調と黒ずくめの衣装デシタ。13th「追憶のヒロイン/イマージュな関係」(91/オリコン最高5位・13.6万枚)…唯一の両A面シングル。両曲ともアニメ「わたしとわたし ふたりのロッテ」に起用された。「追憶のヒロイン」はサンバ系の楽曲。緩やかに下降線を描いていた人気であるが、92年ごろから落ち着いた感が漂い、「無表情に歌い踊るマリオネット」というイメージではない、次の路線を模索している模様で、ロック調・ダンスチューンなどの激しい楽曲やいままでの流れとは異なる作品などのリリースも見られた。また、個々にCDをリリースしたり、ドラマや映画に出演したりと、ソロ活動も行うようになっていた。14th「摩天楼ミュージアム」(92/オリコン最高4位・14.2万枚)…ド派手な歌謡ロック。♪ゲッバゲッバ~(笑)15th「ふりむかないで」(92/オリコン最高7位・13.2万枚)…62年リリースのザ・ピーナッツのカバー。今までの流れから見ると唐突で「アマリリス」の次ならおかしくないが、売上げ減少のテコ入れ?売上げは上昇せず、横ばい。17th「永遠のレディードール~Voyage Voyage~」(93/オリコン最高19位・6.9万枚)…86年にリリースされたデザイアレス「Voyage Voyage」のカバー。「淋しい熱帯魚」リリースの際に候補に挙がったという…囁くような繊細な歌声で心地良いですが、この曲ではオリコンTOP10入かなわず、記録は14作連続で途切れました(涙)そんななか、93年秋に資生堂のCM「プルミエ」に登場。CMソング「咲き誇れ美しさよ」がヒットとなり、少し大人になったWinkにスポットライトが当たった。それまでは、豪華な衣装を身に纏いオルゴール人形的な佇まいだったが、”笑顔で自然体のWink”という風情にイメージチェンジ。歌唱時の衣装もシンプルなものを着用し、新たな一面を見せた。19th「咲き誇れ美しさよ」(93/オリコン最高9位・33.7万枚)…資生堂の化粧品「プルミエ」のCMソング。作詞:大黒摩季、作曲:織田哲郎。当時人気であったJ-POP系アーティストの力を借りて本格イメチェン。今までのWinkとは違い、ずっと追っかけてきたファンはどうだったのだろう?3作ぶりにオリコンでTOP10入り、売上げ30万枚越えを果たした。しかし、不思議なことに、この路線は継続しなかった。彼女らの最後のヒット曲らしいヒット曲となった。その後は、懐かしいが新しい感じのする作品、時代の半歩先を行くような音楽のリリースをしていた。売上げは萎んでいったが、挑戦的且つ高品質な作品をリリースしていた。20th「いつまでも好きでいたくて」(94/オリコン最高19位・7.9万枚)…作詞に秋元康を迎えている。フォーク路線の楽曲。シマダヤ「鉄板麺」CMソング。21st「トゥインクル トゥインクル」(94/オリコン最高28位・7.4万枚)…前作に引き続き作詞に秋元康を起用。TOKYO CITY KEIBA「トゥインクルレース」のCMソング。♪トゥインクル トゥインクル~ってサビ聞き覚えありませんか?24th「JIVE INTO THE NIGHT~野蛮な夜に~」(95/オリコン最高92位・0.6万枚)…ハイパーユーロ。パラパラといった趣の楽曲。安室奈美恵の「TRY ME~私を信じて~」のヒットがこの年でありました。96年3月31日をもって約8年間に及んだ活動を停止。解散の理由は、明確にされず、また、ライブもないままの停止となった。25th「Angel Love Story 〜秋色の天使〜」(95/オリコン最高62位・0.8万枚)…現時点、ラストシングルとなっている。ブラコン歌謡。アイドル冬の時代に新しいアイドル像を創り上げ、長期に渡って活動。最盛期は89年の1年間と短かったものの、短期間に立て続けに楽曲をヒットをさせ、日本中に歌声が駆け巡った。平成を代表するアイドルといっても過言ではないだろう。今年、30周年を迎え、彼女たちの周辺が動き始めているようである。一日限りの復活でなく、活動再開を願う。

      20
      テーマ:
  • 10Jul
    • ありがとうございます!アクセス数ベスト更新

      昨日(7/9)のアクセス数:ベスト更新しました。ひさしぶりにランキング100位台にも入りました。嬉しいです。アクセス増加の理由はニフティニュースに「80年代実力派アイドル 伊藤智恵理さんは“美魔女”社長夫人」というインタビューが掲載されたことで、こちらの伊藤智恵理さんの記事にもアクセスされた方が多いようでした。ありがとうございました。

      7
      2
      テーマ:
  • 04Jul
    • 高岡早紀 アイドル時代から独特な存在感!

      高岡早紀本名:高岡 佐紀子1972年12月3日生まれ神奈川県藤沢市出身A型「真夜中のサブリナ」(1988年4月30日)事務所:ボンドレコード会社:ビクター中学生のときにスカウトされ、モデルとして活動を始める。88年に、俳優・岡田真澄を相手にダンスをする「マドラス」のCMに登場し、神秘的で優雅な佇まいで、話題となる。そのバックで流れる「真夜中のサブリナ」でアイドル歌手としてデビューも果たした。エレガントでヨーロピアンな曲に、歌の世界に没頭していない感じの涼しげなヴォーカルがのり、幻想的な世界を創り上げていた。残念ながらヒットはしなかったものの、従来の歌謡曲が下火となり、洗練された音楽が求められる時代になっていたその時に、アイドル歌謡という範疇を越えたハイクオリティーな仕上がりに、歌謡曲愛好家たちから高い評価を得た。マドラスCM「男と女のマドラス」…”男と女”と謳っておりますが、このCM撮影時は早紀チャンは14才。しかし、岡田ファンファン真澄サンとの共演でも、しっくり来ています。ちなみに幼少期からをクラッシクバレイを習っていたそうです。このCMソング「真夜中のサブリナ」(オリコン最高47位・2.5万枚)でデビュー。その後も、「眠れぬ森の美女」、「悲しみよこんにちは」と一貫してヨーロピアン路線のサウンドで甘美な楽曲をリリース。テレビでの露出も増えていき、15歳らしいあどけなさの中に垣間見える妖艶さで、明るく可愛らしいが基本のアイドルとは違う独特な存在感で、ファンを獲得していくこととなる。「眠れぬ森の美女」(88/オリコン最高21位・2.8万枚)…バイオリンの音色から始まり、イントロからアイドルの楽曲とは思えない荘厳な感じが漂います。サビの歌詞♪バーブラブーシュカ…はどんな意味なんでしょう?ロシア語らしんですが…。「悲しみよこんにちは」(88/オリコン最高15位・2.3万枚)…サガンの小説をモチーフにしたようです。もちろん歌詞も曲も全く違うものですが、斉藤由貴や麻丘めぐみも同じタイトルの楽曲がありましたネ。2曲とも「マドラス」のCMに起用され、映像の神秘感と見事にマッチしていました。翌89年には、1stアルバムをリリース、コンサートも開催となった。コンサートはステージを設けず、会場に池や歩道、森、床に落ち葉などの演出を施しており、観客は体育座りで見るというスタイルで、ここでも独特な世界を構築していた。「Good News 高岡早紀 1989 真夜中のバレリーナ」(89)…バレイあり、ショータイムありで、非常に贅沢なコンサート。声量や安定感に欠け、歌手としての実力はありませんでしたが、ウィスパー唱法は魅力的でした。また、女優業にも注力し、89年映画 「cfガール」で銀幕デビューを果たす。90年には映画「バタアシ金魚」での瑞々しい演技が評価され、「第5回高崎映画祭」ではベストアイドル賞を獲得。テレビドラマでは、「いつか誰かと朝帰り」で、人気アイドル・宮沢りえの友人で共演。歌手としてより、アイドル女優的な活動で注目を浴びていくこととなる。「バタアシ金魚」(90)…水泳部の少女に一目ぼれした高校生の恋愛騒動を描いた青春ドラマ。少年カオルは、カナヅチにもかかわらず水泳部に入部。相手にもしてくれない彼女の冷たい態度にめげず何度もアタックする…。今で言うストーカーの物語です!って、そんなワケないわな(滝汗)。水泳部の物語なので、もちろん早紀チャンのグラマラスな水着姿をみることが出来ます。この作品は「あすなろ白書」、「君といた夏」で人気者になる筒井道隆サンのデビュー作ナンだそうだ。浅野忠信サンも出演。あどけなさを感じさせるルックスとバレイで鍛えたプロポーションのアンバランスさにも注目が集まっており、グラビアやCMにも多く登場となる。ビクター「甲子園ポスター」、メニコン、花王など大手のイメージガールに抜擢された。特にハウス食品の「ハウスフルーツINゼリー」のCMでは、ダンスで胸が揺れる演出がされ、中高生を中心に話題となった。「ハウスフルーツINゼリー」(90-91)…♪早紀好きさ~の唄と胸の揺れる演出で覚えている人も多いと思われるCM。薄着や水着になると、童顔と反するようなダイナマイトボディにビックリでした。このCMは、学校でも「おい、見たか?」と話題になっておりました(笑)普段は爽やかなお嬢サンに見えるので、花王のCM(「ビオレ」、「メリット」など)に長く起用されておりました。91年には音楽活動を停止。歌手として7枚のシングル、5枚(ベスト盤含む)のアルバムを残した。熱烈に支持する者もいたが、音楽番組が少なくなっていった時代であり、彼女の歌を聴く機会は少なく、成功したとは言えない結果だった。しかし、世界観を作り込み、高クオリティなものを一貫してリリース続けたゆえに、現在も評価されている。「Sabrina」(89/オリコン最高25位・1.9万枚)、「楽園の雫」(90/オリコン最高18位・2.3万枚)、「Romancero」(90/オリコン最高17位・2.4万枚)、「S'Wonderful」(91/オリコン最高55位・1.3万枚)お洒落というか退廃的というかアンニュイというか…明るく可愛いアイドルらしいとは一線を画した楽曲…10代の女の子に唄わせるのは、どうなの?という作品もたくさん。加藤和彦らおじさん達が「オレの色に染めてやるゼ!」と作ったような少女調教路線?早紀チャンもどんな心境だったのか?時には、吐息交じりで物憂げに唄い、その後女優として成功する片鱗が…。歌手活動の終了は所属事務所の倒産が原因らしい…。以後、女優業に専念していくこととなる。92年「ポールポジション!愛しき人へ…」、93年「魚のように」など、連続ドラマの主要キャストや単発ドラマの主演が続いていたところに、転機を迎える。ドラマ「魚のように」(93)…NHKの単発ドラマ。藤谷美紀、森且行と共演。周りの人たちを翻弄する美少女を演じています。昨今の彼女はスキャンダル続きで、”高岡早紀=魔性の女”であろう。それ故に、そんな役も多いのだが、女優としてスタートし始めたこの頃から、ヒト癖あるオンナのコを演じておりました…。94年、映画 「忠臣蔵外伝 四谷怪談」に出演し、ヌードも辞さない体当たりの演技を披露し、「日本アカデミー賞」、「ブルーリボン賞」など主たる映画祭の主演女優賞を受賞する。この作品をきっかけに一部では高い評価を得ている女優から、知名度を拡大させ、売れっ子女優の階段を駆け上がっていくこととなる。95年に出演した美白歯磨剤「アパガード」のCMでの「芸能人は歯が命」というキャッチフレーズが話題となり、流行語となった。また、この年には篠山紀信撮影のヘアヌード写真集 「one, two, three」を出版している。99年、「ストーカー 逃げ切れぬ愛」で民放連続ドラマで初主演を果たす。また「ハッピー 愛と感動の物語」にも主演、この作品は劇場版、翌年には、「ハッピー2 愛と感動の物語」も放送される人気ドラマとなった。「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(94)…忠臣蔵と四谷怪談をドッキングさせた時代劇エンタテイメント。監督・深作欣二。天真爛漫で妖艶なお岩を魅力的に演じ、「日本アカデミー賞」では最優秀主演女優賞と新人俳優賞をダブル受賞し、「キネマ旬報賞」、「報知映画賞」、「ブルーリボン賞」など、映画賞はほぼ総ナメで獲得。服の上からでも分かる大きな胸が遂に公開されました(滝汗)。私生活では96年に俳優の保阪尚希で結婚。二人の男の子をもうけるものの、04年には布袋寅泰との浮気が報道され、大きな話題となった。その後、離婚。ドラマ、映画、舞台にと幅広く活動していくなか、演出家、歌舞伎俳優、野球選手など数々の男性と熱愛報道がされては、消えていった。11年には、事実婚の青年実業家との間に女児をもうけたが、短期間で関係を解消したということも報じられている。サンヨー食品「サッポロ一番」…当時の夫・保阪尚希サンとのCM。ほかにも花王「メリット」などでも夫婦で出演しておりました。本当にたくさんの男性と噂になりました。脈絡があるとは思えない色々なタイプの男性と。それも芸能界だけでなく、スポーツ選手や一般男性までも…。いつしか「スキャンダル女優」、「魔性の女」と呼ばれるように…。ドラマや映画の役柄も悪女や色っぽい役が増えていく。(多くの男性と噂されなければ、もっと役も広がっただろうに…)13年、映画「モンスター」のエンディング曲「君待てども ~I’m waiting for you~」を担当し、それ以降は音楽活動も再開。ライブ活動もおこなっている。「Sings-Bedtime Stories」(14)…“夜寝る前に静かに聴きたいアルバム”をコンセプトに、スタンダードなジャズを厳選。ジャズ・ピアニストの山下洋輔が全面参加。囁くような歌唱で高岡早紀ワールドへ連れて行ってくれます。最近は、外食グループの社長、舞台で共演した松坂桃李との交際が伝えられるほか、子供や事実婚の元夫の事が週刊誌で取り上げられ、プライベートは相変わらず波乱万丈であるが、女優としての評価はとても高く、話題作に絶え間なく出演している。

      20
      テーマ:
  • 19Jun
  • 16Jun
    • 本田理沙 いちごがポロリはいつ?

      本田理沙本名:本田こずえ1971年5月27生まれ大分県中津市出身B型デビュー曲:「Lesson2」(1988年7月1日)事務所:フロム・ファーストレコード会社:ソニー1986年に大塚製薬主催の「第1回ポカリスウェット・イメージガールコンテスト」に出場するものの、予選で落選。しかし、芸能プロダクションにスカウトされ、高校入学と同時に上京となる。ちなみに、このコンテストのグランプリは森高千里だった。翌88年に、ドラマ「花のあすか組!」に主要キャストの敵役・春日で出演となる。このドラマはB級アイドルだった南野陽子、浅香唯を一気にトップアイドルに押し上げた「スケバン刑事」シリーズの延長線上にあたる話題作で、ここでのツッパリぶりが、アイドルマニアの間で話題になった。「花のあすか組!」(88)…小高恵美主演。理沙チャンは全中裏の幹部・春日。男装の麗人というような佇まいで、熱演。なんともいえないフテブテしい感じが良かったデス(笑)この番組には新人アイドルがたくさん出演。あすかのマブダチの小沢なつきチャン、石田ひかりチャン。敵役は佐倉しおりサン、和久井映見チャン、千葉美加チャンなど。また、ドラマ放送中に歌手としてもスタートを切る。デビュー曲の「Lesson2」は作詞を大御所の阿久悠が担当した。ドラマの役柄を受け継ぐようなちょっとワルっぽい(けど根は純情な)女のコのイメージで売り出された。GSサウンドにちょっと蓮っ葉な歌詞の載った前時代的な楽曲でデビューし、しぼり出すような色香漂う声で、余裕・貫禄充分に唄い上げた。また、テレビでの歌唱時には、リーゼントの「貴族」という名のバックバンド付きで、パフォーマンスを披露。他のアイドルとは一線を画すような形をとり、ヒットとはならなかったものの、歌謡曲愛好家に存在をアピールした。また、あどけなさを残す小悪魔的なルックスに小柄だけどグラマーな肢体がデビュー時から注目を集めており、グラビアで引っ張りだことなっていく。「Lesson2」(オリコン最高92位・0.3万枚)…70年代は神がかっていた阿久先生の歌詞も、80年代になるとパワーダウン…♪未熟 半熟 そして 早熟~即興?と疑ってしまうフレーズが…。しかし、曲やアレンジは凝っており、一聴の価値ありです。イントロのワ-ォ!の男声の雄叫びから引き込まれます。初期は一人で歌っていましたが途中から”With貴族”となりました。和洋折衷の変わった衣装で”貴族”というより”横浜銀蠅”的お兄さんたちに囲まれ歌唱する姿は、カッコイイ!というより、奇妙デシタ。インパクトは残ったかもしれないが、ファンの間でも賛否両論あった様子。2ndも作詞に阿久悠を迎えることととなる。タイトルは「いちごがポロリ」。踊りに夢中で肩紐がずり落ちバストトップがポロリしてしまった(というか、わざとポロリしたとしか思えない歌詞…)という内容。またもヒットとはならなかったが、歌謡曲愛好家の記憶に残り、後世に語り継がれる迷曲となった…「いちごがポロリ」(オリコン最高34位・1.1万枚)…♪刺激が強い いちごがポロリ ごくり 生つばねぇ…なんともHな歌詞で、コレは可哀想と思いましたが、新人らしからぬ堂々とした唄いっぷりで、プロのお仕事をしてくれました。彼女のことを語るときに”歌の上手い場末のホステスさん風”と表現することがありますが、童顔だけど、クールで色っぽい表情を見せるので、このテのモノをあてがいたくなるのは、分かるのデスが…。「でかダンク いちご白書」(88)…1st写真集。ココにも”いちご”の文字が…”ポロリ白書”でなく良かったワ(笑)、それ程にあの楽曲は、衝(笑?)撃的でした。この写真集は、もちろん健全な水着姿の写真集デス。翌89年も「本気!(マジ)」、「さそって入り口 ふるえて出口」とその後も作詞に阿久悠を起用し、キュートでHな路線を貫いていた。1stアルバム「ME HER スクランブル」でも10曲中9曲を阿久悠が担当している。「ME HER スクランブル」(89)…1stアルバムには、「いちごがポロリ Part2」が収録。曲とアレンジを変えた別バージョンも収録されていマス。そんなに伝えないといけない内容なのかしらン(笑)艶のある気合の入ったヴォーカルが、斜に構えたような、挑発的で高飛車なオンナが登場する歌謡曲にマッチしました。”バブル時代版・山本リンダ”のイメージで作詞されたようデス。90年には、アニメ「おぼっちゃまくん」のエンディングテーマ「容赦なく愛して」をリリース。原作者である小林よしのりの作詞であったが、ヒットには繋がらなかった。この頃より、「スーパーマリオクラブ」の司会やバラエティ番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」、「東京イエローページ」などでコントを披露するなど、お茶の間タレント的な活動が顕著になっていた。この時代は、アイドル冬の時代に突入し始めていたため、アイドルを歌よりも司会やアシスタントでTV出演させることが多くなっていた時代。また、グラビアで活躍するグラビアアイドルが勢いを持ち始めたのもこの頃。バラエティアイドルとして、井森美幸、森口博子、山瀬まみを筆頭に、松本明子、松居直美、松本典子などが存在しており、同じ頃デビューした田中律子、島崎和歌子などもバラエティに活路を見出していた。グラビアアイドルとしては、杉本彩、かとうれいこ、岡本夏生、細川ふみえなどが活躍しており、また各会社のキャンペーンガールなどが存在していた。彼女は歌、グラビア、ドラマ、バラエティと色々こなしていたが、どの分野でも今ひとつ抜け切らない感じであった。91年に「a・za・mi」にて楽曲のリリースが終了となる。約3年間の歌手活動で、7枚のシングルと1枚のアルバムを残した。「スーパーマリオクラブ」(90-93)では、渡辺徹とお子様向けゲーム番組の司会を担当(後に加藤紀子に交代)。180cmの徹サンと並ぶと154cmの小柄な理沙チャンはこう見えます。また、「志村けんのだいじょうぶだぁ」や「東京イエローページ」にも出演し、コントを披露しておりました。91年には、「オールナイトフジ」で、企画モノユニット"堀越ダイナマイツ”を伊藤美紀、相川恵里と結成。アイドルマニアを楽しませてくれました。所謂アイドル稼業から撤退した後は、Vシネマやドラマのゲスト出演、バラエティ番組、グラビアなどが活動の中心となっていた。特に、グラビアでの活動が印象的であり、「いちごがポロリはいつ?」と思われながら、1997年の結婚引退までに12冊(復刻含む)の写真集を残した。「少女がおとな」(91)…数多くのセミヌード写真集を残しましたが、いちばんの衝撃作といえば、コレではないだろうか?セミヌードと言えば、”いちごがポロリ”しないように、あのテこのテでこぼれないようにするのだけど、このような隠し方があったとは。お子様向けゲーム番組の司会のお姉さんをしつつ、一方ではセクシーなグラビアで大活躍でした。いつ”いちごがポロリ”してくれるの?という感じだったが、結局は、”ポロリ”しないまま、結婚引退へ。08年にグラビアで復帰し、翌年には写真集も発表し、活動を拡大していくと思われたが、10年に父親が急死し、高齢の母1人が残されたことをきっかけに大分に戻り、活動の拠点とすることとなった。司会業やタレント育成スクールの代表として、アイドル発掘を行っているという。15年には、引退の理由はストーカー被害であったことを告白し、話題となった。

      11
      テーマ:
  • 02Jun
    • 小高恵美 スターの座を約束されたシンデレラガール?

      小高恵美本名:小高恵美1972年5月9日生まれ神奈川県横浜市出身A型デビュー曲:「早春の駅」(1988年3月21日)事務所:東宝芸能レコード会社:ポニーキャニオンキャッチフレーズ:コンセプトは・・・正統派。1987年に開催された「第2回東宝シンデレラオーディション」でグランプリに選ばれる。このときの審査員特別賞はのちに松下電器(Panasonic)のCM”きれいなおねえさんは、好きですか”で話題となる水野真紀である。即座に、第1回グランプリであり東宝の看板女優である沢口靖子主演の映画「竹取物語」で銀幕デビューを果たす。沢口靖子と一対一の場面があるなど重要な役に抜擢され、次のスターとなる東宝期待の新人であった。翌88年には、「早春の駅」でアイドル歌手としてもスタートし、活動が本格化する。スッキリした顔立ちに、口元からのぞく白い歯。そして、ロングヘア。綺麗な声で素直な歌唱。正統派の雰囲気を振りまいていた。「早春の駅」(88/オリコン最高85位・0.5万枚)…デビュー曲のCMが流れ、鳴り物入りのデビュー!しかし、テレビでの歌唱はあったかな?名前の読みは”エミ”ではなく”メグミ”なので、愛称は”メグチ”。清楚なルックスに線の細い歌声で、まさに正統派。この時代、それではインパクト不足カナ…。なんとなく芦田愛菜チャンに似てる?愛菜チャンがあと数年したら、メグチになる?歌手デビューの1ヶ月後には主演ドラマ「花のあすか組!」が放送開始となる。ショートカットになり、裏番組織と戦う女子中学生役を演じることとなった。このドラマはB級アイドルだった南野陽子、浅香唯を一気にトップアイドルに押し上げた「スケバン刑事」シリーズの延長線上にある番組であり、前年にアイドルとしてデビューしていた小沢なつきと石田ひかりが共演とのことで、アイドル雑誌でも大きく取り上げられた。このシリーズ従来のアクションシーンに加え、少女たちの青春をコミカルに描く要素もふんだんに取り入れられ、軽妙なタッチとセンスを醸し出す作品となっていた。「花のあすか組!」(88)…メグチが主人公・九楽あすかを熱演。彼女の代表作。ショートカットへ変身するこのシーンは、地毛をバッサリとヤッタらしい。このあと美容院に行き「山口百恵の髪型にしてくれ、プレイバックPart2唄ってたときのヤツ!!」と名ゼリフ(笑)を吐きます。この番組には新人アイドルがた~くさん出演。マブダチの小沢なつきチャン、石田ひかりチャン。敵役側だって、佐倉しおりサン、速水昌未チャン、和久井映見チャン、千葉美加チャンなどカワイイコ揃い。そして、本田理沙チャン。彼女の熱演ぶり?がクラスで話題でした(笑)ちなみにあすかの武器は、24金コインでした。主題歌に「BLUE WIND」が起用されることとなった。「スケバン刑事Ⅲ」のように放送開始とともに、人気沸騰、チャート急上昇ということになるかと思ったが、前作より売上げや順位は上がるものの著しい結果が出た訳ではなかった。88年は隆盛を誇っていたアイドルシーンが下火になりつつあったこと、以前のシリーズは全国ネット枠であったが、この番組は、遅れての放送や未放送となった地域もあったという…それらも関係しているようだった。「BLUE WIND」(88/オリコン最高38位・1.2万枚)…「花のあすか組!」主題歌。作曲・編曲を当時、工藤静香への提供曲の連続ヒットで、売れっ子だった後藤次利が担当。ドラマの世界を反映した楽曲デス。撮影が忙しかったのか、テレビで歌う姿を見たことがなかった…。それがセールスに反映した?なつきチャンやピカチャンも歌での露出は少な目。アンタたち、今でなくて、いつ出るの?「スケバン刑事」のメンバーはそれなりにあったでしょ?スタッフさん、なんで?このジャケットは、ショートカットマニアからは大ウケだったようデス。そして「スケバン刑事Ⅲ」で主役3名がドラマの設定そのまま、風間三姉妹として楽曲を発表したように、小沢なつき、石田ひかりとともに、あすか組として「悲しげだね」をリリースする。方々で話題曲として取り上げられ、人気音楽番組「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」などに話題曲として出演した。一応の成功を収めたが、いまひとつ物足らない印象であった。「悲しげだね」(88/オリコン最高12位・5.2万枚)…ドラマ後半の主題歌でした。ドラマの役柄も個性的でしたが、三人三様の心地良さのある歌声でした。線が細いが素直に唄うメグチ、無機質な囁き歌唱がクセになるピカちゃん、ほんのり甘い声のなつきチャン。みなパンチがなくやや不安定ですが、それ故、バランスが取れているのかも?レコードではセーラー服であるが、テレビ歌唱時はアクションシーンで着ていた特攻服を着用。ナンノ、唯チャンみたいにドラマ出演を機に大ブレイクするかと思ったが、メグチはできず(涙)…ピカ、なつきも鳴かず飛ばず…しかし、90年代に入ってピカちゃんが驚きの大変身となります。なつきチャンも何度も驚かせてくれますがネェ…「花のあすか組!」出演をきっかけに一気にスターダムにのし上がり、女優もしくはアイドル歌手として大ブレイクすると思われたものの、芳しい結果は得られなかった。その後もしばらくは平行して活動していく。しかし、アイドルらしい活動を精力的にしていたのは、89年までである。この年までシングル、アルバムのほかにビデオや写真集など多岐にわたる活動をしていたのだが、90年には楽曲の発表はなく、91年の主演ミュージカル「アンの愛情」のイメージソング「いま、風の中で」にて歌手活動を終了し、女優に専念していく。「情熱のささやき」(89/オリコン最高46位・1.1万枚)…♪好き 好き 大好きよ~ついこの間まで、ツッパリっていた女のコが、真っ赤な特攻服でなく、ヒラヒラとした衣装で歌い、フリツケをする。この変わり様はギャップ萌え狙い?メグチの出すシングルはその都度、趣が違いました。よく言えばバリエーション豊か、悪く言えば散漫。「コンセプトは…正統派。」だったのに…迷走感アリアリ。コレらは様々な役を演じなければいけない女優サンの活動に活かされたかしらン?テレビドラマでは、目立った役どころで出演したのは、89年「ヘイ!あがり一丁」の主人公の妹役、90年「いけない女子高物語」の生徒役。また、アニメ「ちびまるこちゃん」が話題の頃には、単発ドラマ「さくら家の人々」で、まるこの親友たまちゃん役を演じたこともあった。しかし、どれもヒットしたとは言えず、「花のあすか組!」出演時のように、彼女が注目を浴びることはなかった。「さくら家の人々」(92)…90年に始まり、国民的人気アニメとなった「ちびまる子ちゃん」の作者・さくらももこサンのデビューに至るまでをドラマ化。さくらサンは前91年に初エッセイ集「もものかんづめ」がミリオンセラーとなり、時の人となっていました。主人公のももこ(愛称・まる子)を富田靖子、母は渡辺えり子、祖父は笹野高史、祖母は松金よね子が演じた。語りは古今亭志ん朝。メグチは親友のたまちゃん役。アニメのたまちゃんに似てますネ!東宝の女優であるため、89年より、映画ゴジラシリーズに連続出演しており、「ゴジラvsビオランテ」から「ゴジラVSデストロイア」までの6作で超能力少女・三枝未希役を演じ、特撮愛好家からは、”ゴジラ女優”としてお馴染みの存在となっていった。ゴジラシリーズ(89-95)…メグチの”あすか時代”を知らない人には、ゴジラに出てる女優サンってことになるのカナ?写真は「ゴジラVSメカゴジラ」(93)、スリムになり、ロングヘアに戻り女っぽくなりました。翌94年には、人気漫画「シュート!」の実写映画版でSMAPの木村拓哉の相手役を演じておりました。98年には、昼ドラ「白衣のふたり」に主演する。病院を舞台とする愛憎劇であったが、「花のあすか組!」以上の話題作とはならなかった。2000年にミュージカル「火の鳥」の出演を体調不良を理由に辞退。その後、東宝芸能を退社し、女優業を引退したという。オーディションに応募した理由というのが、病弱な自分を変えたいということだったが、引退となってしまった。その後、長い間、公の場に登場することない状態が続いたが、10年ごろより、特撮もののイベントや雑誌のインタビューに応じているという。また、結婚もしており、夫の演劇ユニットの演出助手として活動している模様。

  • 21May
    • 相川恵里 CMアイドルとして華々しくデビュー

      相川恵里本名:相川恵里1972年4月29日生まれ長崎県長崎市出身B型デビュー曲:「純愛カウントダウン」(1988年4月20日)事務所:アーティストハウス・ピラミッドレコード会社:東芝EMI1987年、第2回「ロッテCMアイドルはキミだ!」に応募し、グランプリを獲得し、芸能界へ。このオーディションの準グランプリは、島崎和歌子が選ばれている。また、本選には千堂あきほも残っていたという。88年4月、「純愛カウントダウン」で歌手デビューとなり、本人出演のロッテのCMでも流れた。初代グランプリが前年度、ドラマ「毎度おさわがせします」の主演で話題となり、「第29回日本レコード大賞」最優秀新人賞の立花理佐であったため、その2代目ということで注目された。また、同時期にトップアイドルの南野陽子主演ドラマ「熱っぽいの!」に出演し、テレビ、雑誌など各メディアで取り上げられ、非常にラッキーなデビューとなった。「ロッテCMアイドルはキミだ」(86-89)…ロッテの主催で4度に渡って開催された女性アイドル発掘オーディション。「ホリプロタレントスカウトキャラバン」や「全日本国民的美少女コンテストに次ぐ人気を誇った。グランプリ受賞者にはロッテのCM出演と歌手デビューが約束されていた。第3回は山中すみか、第4回は宍戸留美がグランプリを受賞。切れ長の目が印象的なクールな顔立ちで、年齢にしては大人っぽい雰囲気を漂わせていた。当時は、「美少女ブーム」であり、キレイ系のルックスはその流れにマッチしており、活躍が期待された。オリコンチャートでは、TOP10近くまで上昇し、大型新人の登竜門、人気番組「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”のコーナーにも登場となった。「純愛カウントダウン」(88/オリコン最高12位・3.9万枚)…♪だけど サヨナラって サヨナラって 言えない…キャッチーなんだけど、曲調やアレンジがチョット古めで、70年代風歌謡曲という感じデス。唄う姿は、クール、落ち着いている、媚びない…今ならクールビューティーと称され、売れっ子になりそう。特技は、古式泳法。ベストテンスポットライトで歌唱時には、プールで撮影した映像も流れた。(古式泳法は見せず…)2nd「ABコンプレックス」は、前作とは作風を変え、コミカルな歌詞&イントロ部分からコーラス隊が盛り上げるノリの良いアイドルらしい楽曲をリリース。この楽曲は、本人がAB型であることからデビュー曲の予定であったが、上京後の検査でB型と分かり、お蔵入りとなった作品とのこと。3rd「Shock Me!」は、百恵&明菜路線の楽曲であった。「ABコンプレックス」(オリコン最高12位・2.9万枚)…イントロから、コーラスがA・B・A・B、HEY!HEY!と盛り上げます。恵里チャンも♪恋のレッスンABCD ♪Are you ready go One two One two three four! など可愛い声で語尾をシャクリあげアイドル歌唱を披露!しかし、ハジけ足りない?開き直りが足らないカンジ…学校では「大将」と呼ばれているんでしょ?(笑)遊び心いっぱいのラブコメのような乙女な歌詞はクールな美少女・恵里チャンにはミスマッチだったかナ。秋には主人公の妹役で出演したドラマ「さすらい刑事旅情編」の放送開始となる。このドラマはシリーズ化され、95年まで続いた。シリーズ全てに登場し、いわゆる彼女の代表作であろう。80年代半ばから後半にかけて歌番組は曲がり角を迎えており、ポップスは若者、歌謡曲・演歌は中高年とユーザーが別れ、以前よりも視聴率が取れなくなり、歌番組はリニューアルのため試行錯誤を続けている時代。しかし、回復にならず、音楽番組が相次いで終了となっていた。それに伴い、アイドルたちも活躍の場が減少。デビューした88年は、「アイドル冬の時代」へ突入した初年といわれる年でもある。また、天皇陛下の体調不良が伝えられており、各局の音楽祭=お祭りと目され、自粛傾向であった。この年の新人歌手はお披露目する機会が少なく、なんとも厳しいスタートとなっていた。年末には新人賞レースへ参戦、「第30回日本レコード大賞」新人賞を獲得している。しかし、アイドルが注目されない時期であり、世間的にはたくさんいるアイドルのひとりといったところであったと思われる。翌89年の4th「サブウェイ・シンデレラ」は、前作に続き百恵&明菜路線を狙ったかのようなクールな楽曲、5th「渚してみれば」は爽やか路線。新しい魅力を披露してくれるものの目覚しい結果を得ることは出来ていない状態であった。また、話題の女流作家・椎名桜子の小説「家族輪舞曲」の映画化に出演となるが、こちらも興行成績が振るわない状態であり、女優としてもブレイクにはならず。「SHOCK ME!」(88/オリコン最高16位・2.1万枚)、「サブウェイ・シンデレラ」(89/オリコン最高19位・1.9万枚)…2枚続きけて、百恵&明菜路線の楽曲をリリース。シャープでクールなルックスの恵里チャンには、こちらの方がお似合い+イキイキ唄っているように見えました。前者は、ドラキュラ、世紀末など出てきてナカナカ面白い歌詞でした。後者は野太い声で歌唱。歌によって声を使い分けることが出来ました。「渚してみれれば」(89/オリコン最高27位・1.2万枚)…当初2nd予定だった楽曲。陽の目を見ました。そのようななか、90年、大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」のテーマ曲の一つとなった「約束」を発売。それに加えて、春の「第62回選抜高等学校野球大会」の入場行進曲にも選ばれた。起死回生のヒットが期待されたが…撃沈。そして、惜しくもこの作品がラストシングルとなった。「約束」(オリコン最高59位・1.0万枚)…「国際花と緑の博覧会」のテーマ曲。「第62回選抜高等学校野球大会」入場行進曲。前年度のヒット曲・流行歌が起用されるのが通例だったが、同曲は例外となった。ヤ・ク・ソ・クと可愛く振り付けをする恵里チャン。しかし、ヒットとならず(涙)ヤ・ケ・ク・ソで脱ぎ脱ぎセミヌードタレントになっちゃいマス。歌手活動を終了した後は、女優兼タレントとして活動をしており、「さすらい刑事旅情編」のシリーズで定期的に見ることは出来るのだが、その他は、話題作に恵まれない印象。二科展に入選し、少し話題となったこともあった。しかし、写真集やビデオで大胆に肌を露出している、そちらのほうが印象深い。女優兼タレントとして活動。91年「オールナイトフジ」で本田理沙、伊藤美紀と”堀越ダイナマイツ”と称した企画ものユニットを結成していた。「東京イエローページ」(89-90)では、初代”Page7”のメンバーでしたネ!また、色っぽい写真集やビデオを発売。セミヌード写真集「A SHADE」(93)は表紙からおしり丸出しなので、とりあえずココでおあずけ…。茶系のノスタルジックな色合いの写真が多く掲載され、創り手の努力が感じる作品です。スレンダーな体でグラビア映えします。95年に「さすらい刑事旅情編」が終了となる。この頃、芸能界から引退した模様。芸能界を引退してからは、「ヤクルトスワローズの押尾健一氏と結婚した」という噂が語られてきたが、16年に、押尾氏が「結婚相手は名前の読み方が同じだけの別人」として報道を否定したという。「さすらい刑事旅情編」(88-95)…恵里チャンの代表作でしょう。キャストの入れ替わりが激しく、全シリーズ出演は三浦洋一サン、宇津井健サンと恵里チャンだけ。Part2とPart4を並べてみるとイイ女に成長したのが、分かるデショ?さっぱりした顔で木村多江サンに似てますね。薄幸顔とも言うのかな…。曲によって唄い方を変えることが出来たり、書道、水泳、二科展入選など多才なアイドルでした。今なら、バラエティで大活躍していたでしょう。アイドル歌手としては、シングル6枚、アルバム2枚を残した。一般的な知名度は得られなかったが、冬の時代に健闘したアイドルのひとりと言えよう。

      19
      テーマ:
  • 17May
    • 西田ひかる カラッ!と眩しい帰国子女アイドル

      西田ひかる本名:西田光1972年8月16日生まれ神奈川県川崎市多摩区出身O型デビュー曲:「フィフティーン」(1988年4月6日)事務所:マナセプロダクションキャッチフレーズ:つまさきまでまぶしい15才神奈川県に生まれるが、父親の転勤に伴い生後10ヶ月から13歳まではカルフォルニア州ロサンゼルスで育った帰国子女である。88年、航空会社JASのキャンペーンガールとして芸能界デビューし、「'88コーラルアイランド・キャンペーン」のCMに登場。その後、アニメ「小公子セディ」のテーマ曲「ぼくらのセディ」をリリースし、プレデビュー。そのミュージカルで主演を演じる。歌や舞台にと、順風満帆な活動開始となった。「ぼくらのセディ」(88)…ハウス名作劇場「小公子セディ」テーマ曲。アニソンってことで企画もの=プレデビュー扱いになる感じ?岡本舞子サン、志賀真里子サンもそうでしたネ。男の子みたいな凄いショートカットですね(汗)元気ハツラツだったから、ボーイッシュなイメージで売り出そうとしたのでしょうか?程なくして、公式デビュー曲「フィフティーン」でアイドル歌手としてスタートを切った。ハウス食品「フルーチェ」のCMソングに起用され、本人も出演となった。しかし、ヒットと呼べるには、至らなかった。そして、3rd「Little Chance」が花王の洗顔フォーム「ビオレ」CMソングに起用され、本人も出演。耳にする機会は多かったはずだが、売上げや人気は振るわず…。88年は、天皇陛下の体調不良により、各局の音楽祭は開催中止傾向であり、顔を売る機会が少なかったが、賞レースに参戦したのが、相川恵里と仲村知夏。また、前年の後藤久美子が巻き起こした美少女ブームで注目されたのが、藤谷美紀、坂上香織、小川範子など。彼女らがこの年を代表するアイドルであり、第1グループとして活躍。彼女は目立つ存在ではなかった。「フィフティーン」(88/オリコン最高40位・1.0万枚)…ショートカットでボーイッシュ。でも、可愛い女のコ。「ぼくらのセディ」からの3ヶ月ですが、可愛くなりました。ボーイッシュで元気ハツラツの彼女は、この年のブームとはちょっと違ったでしょうか…。声もチョット野太いし…。この年デビューは、上記のほかに高岡早紀チャン、田中律子チャン、Wink、男闘呼組など。翌89年もシングルのリリースを絶え間なく行い、「テレビ探偵団」(日曜日のゴールデンタイム放送)のアシスタントを山瀬まみよりバトンタッチされるなど露出はあるものの、一般的な知名度や人気の獲得とならず。もちろん歌手としても低空飛行であった。音楽業界は、バンドブームに突入し、アイドルは”冬の時代”へ突入となっていた。花王「ビオレ」(88-89)、ハウス食品「フルーチェ」は2年目も継続して出演。「フルーチェ」では、健康的なイメージを活かして水着姿も披露してくれました。グラビアアイドルにも引けをとらないナイスボディ!その後も、ハウス食品は長期間CMに起用(88-97、08-09)。ポップコーン、カレー、シチューなど。長く続いたといえば、彼女の”お誕生日パーティー”も…。デビューの88年から結婚前年の01年まで14年間開催されました。毎年ワイドショーで紹介され、「夏の風物詩」でしたネ(笑)歌手よりは帰国子女という点を活かした司会、アシスタント業などのバラエティ・アイドル的な活動が順調であった。(日本をよく知らないから、ちょっとボケた発言が面白かった…)90年にトップアイドル・宮沢りえ主演の連続ドラマ「いつも誰かに恋してるッ」、「いつか誰かと朝帰りッ」に準主役的ポジションで出演したころより、世間に認知され始める。音楽活動にも反映され、「プン プン プン」、「手のひらの私」がチャート20位台に登場し、1stコンサートも行われた。この年は、活動が拡大していく様子が目覚しく、映画「山田ババアに花束を」に出演し、「第14回日本アカデミー賞」新人俳優賞、最も雑誌のグラビアを飾り話題を提供したタレントとして「第28回ゴールデン・アロー賞」グラフ賞を獲得している。また、アラクス「ノーシンホワイト」のCMでのセリフ”私はすぐにナオリタガール”の”ガール”の発音の良さが話題となったこともあった。 CM「ノーソンホワイト」…”私はすぐにナオリタガール”の”ガール”の部分だけ英語の発音。その後、日本人的な発音に修正…。ネイティブな発音に拒否反応を示した人が多かったから?面白かったのに…。CMソングは「手のひらの私」(90/オリコン最高20位・2.4万枚)は作曲がCHAGE、編曲は亀野誠治。前作「プン プン プン」(90/オリコン最高29位・2.5万枚)からの継続。どちらの楽曲もバラエティ・アイドル的活動が反映された、ちょっとコミカルな仕上がり。91年はテレビのチャリティー番組、24時間テレビ「愛は地球を救う」にチャリティーパーソナリティとして抜擢される。そして、歌手としては今ひとつ決定打を欠く状況が続いていたのを打破することとなる。ヒロインとして出演する「デパート!夏物語」の主題歌「ときめいて」のヒットである。オリコンチャートのTOP10内に初チャートインを果たした。このヒットで「第42回NHK紅白歌合戦」にも初出場し、紅組のトップバッターとして歌唱と相成った。「ときめいて」(オリコン最高7位・14万枚)…作詞・松本隆、作曲・筒美京平。「デパート!夏物語」の主題歌。その後、「デパート!秋物語」、「夏!デパート物語」にもヒロインとして出演、それぞれ主題歌も担当しました。「紅白歌合戦」出場がお約束されるような規模のヒットではなかったが、アイドルで誰を出場させるか?となったら、彼女で間違いありません。ジャケット写真は、髪も伸びてバッチリ、アイドルするひかるチャンです。同時期に活躍したアイドルは、田村英里子チャン、高橋由美子チャン、宮沢りえチャン、CoCo、ribbon、島崎和歌子チャンなど…。明るく元気な優等生キャラで、歌、芝居、司会業(英語もOK!)と器用にこなせる彼女はテレビには欠かせないという程に人気が加速し、92年には、NHK教養番組で冠番組「西田ひかるの痛快人間伝 -Dashing life story-」の司会を務める。この年も紅白歌合戦出場となった。93年、ドラマ「チャンス」では、トレンディー俳優の三上博史と共演、三菱エアコンCMソング「涙 止まらない」 がヒットし、連続で紅白に出場となった。この年は、持ち歌でだけでなく、森口博子、坂本冬美と人気アニメ「美少女戦士セーラームーン」に扮し、歌唱するパフォーマンスを見せている。ドラマ「チャンス」…三上博史主演。人気絶頂の折、突然渡米と充電を表明し、2年後に帰ってきたら忘れ去られていた破天荒な歌手・本城裕二の復活させようとさせる新米マネージャーがひかるチャンでした。三上博史サンがドラマの役名・本城裕二で「夢 with You」(最高位3位・39.5万枚)をリリースし、ヒットとなった。94年は「きっと愛がある」 、95年は「人生変えちゃう夏かもね」をヒットさせ、この時期が歌手としてのピークであった。しかし、紅白歌合戦には落選となっている。「涙 止まらない」(93/オリコン最高18位・13.7万枚)、 「きっと愛がある」(94/オリコン最高19位・18.4万枚)は三菱のCMソングとなりヒット。後者は彼女の最大ヒットとなり、クーラーの前でバスローブを開くCMも話題となった。♪あるある・る・る 紅白ある かなり確実…と思ったら落選。翌年の「人生変えちゃう夏かもね」(95/オリコン最高18位・18.0万枚)でも、返り咲きはならず。演歌やなつメロの占める割合が高く、ヒット曲といえども大ヒットではなかったためポップス枠から押し出された形になった?。最近は、とくこサンのモノマネでお馴染みですかね?森口博子サン、岡本夏生サンなども当時、マネしていました。その後、ヒット曲とは縁遠くなっていたが、90年代後半も、スキャンダルもなく、正統派アイドルとして活動を続け、ドラマ、CM、バラエティ番組等マルチに活動し、98年には、長野冬季オリンピックのアンバサダーとして選ばれている。また、この年は、紅白歌合戦に5年ぶりの返り咲きを果たした。「第49回NHK紅白歌合戦」(98)…なぜかヒット曲が全くなかったが出場し、「ザッツ・ディズニーファンタジー」というディズニーメドレーを歌唱。どういった理由での人選だったのかしらン?紅白歌合戦は4回出場。NHKが好きそうな良い子で清潔感あふれるキャラクターですモノね。早見優サン的といいますか…。ヒット曲がないのに出場というと、○原○恵サンを思い出してしまいます(滝汗)2002年5月、30歳の時に、交際が噂されていた3歳上の男性とゴールイン。06年には長男、09年には次男をもうけている。しばらくは主婦業をメインに芸能活動は抑えていたが、昨今は、コメンテーターなどのタレント業を主として活躍している。アイドル冬の時代の活動であったため、ヒット曲はあるものの、大ヒットはうまれませんでしたが、音楽、ドラマ、司会、CMなど幅広く活躍し、圧倒的な知名度を誇りました。この時代のアイドルとしては、歌手活動が継続して10年間以上続き、貴重な存在でした。

  • 12May
    • 吉田真里子 頑なに…ひた向きに…夢を追いかけて

      吉田真里子本名:吉田真里子1970年11月19日生まれ兵庫県姫路市出身B型デビュー曲:「とまどい」(1988年2月3日)事務所:スリーシーズンレコード会社:ソニー1987年、雑誌「週刊少年マガジン」(講談社)が主催の「第6回ミスマガジン」で、審査員特別賞を受賞し、芸能界入りする。この芸能界入りまでは、ちょっとしたエピソードがある。応募はしたものの、学校が芸能活動禁止で最終選考を辞退したところ、その資質を惜しむ関係者が特別賞というものを送り、芸能界へ導いたという話だ。ミスマガジン…82年に「週刊少年マガジン」のグラビアオーディション企画として写真家・野村誠一の全面協力を経て創設。第1回目のグランプリは伊藤麻衣子。その後、斉藤由貴、八木さおり、細川ふみえら有名アイドルや女優を輩出した。南野陽子もミスマガジンと勘違いされるが、コンテスト外で選ばれたマガジンメイトというもの…とのこと。雑誌社のオーディション出身のため、まずグラビア展開が行われた。深窓の令嬢的な気品溢れる佇まいは”清純派アイドル”の登場と盛り上がり、歌手デビューのイベントには、3000人以上のファンが殺到したという。彼女の歌唱は、噛み締めるような独特の唄い方。なんというか、”真里子節”とでも言おうか、和風の響きを持った、心休まるような味のある唄い方であった。また、心休まると言えば、18歳という年齢(当時のアイドルとしては高齢デビューですが…)に似合わない落ち着いた、播州なまりのある淑やかなトークも魅力的だった。抜群のルックス、育ち良さげで知的な雰囲気、癒し系の歌声で、独特の存在感を醸し出し、トップアイドルの候補として、非常に期待度が高かった。「とまどい」(88/オリコン最高14位・3.6万枚)…おっとり話す真里子チャンに似合いのゆったりとした癒し系の楽曲。聴きドコロは間奏部分の「拝啓、初めてお便りします…」という語り。彼女の個性が活かされていますネ!憂い顔もバッチリ決まりました!だって、デビュー前の目標は「女優」だもんネ。タイトルは「あこがれ」だったけど北岡夢子チャンが「憧憬(あこがれ)」でデビューしたので、変更となったという噂(真実?)。写真は「夜のヒットスタジオ」に出演時のもの。若くて可愛いだけのアイドルではない風情であったが、写真集の発売やらラジオのレギュラー、ドラマ出演など、アイドルらしい、お決まりのコースを歩んでいた。講談社「ORE」を中心にグラビアでも活躍。水着姿も見せてくれました。愛くるしく儚げで、凛としてるカワイコちゃんだから、写真集を3冊も発表。「守ってあげたい…Mariko」(88)、「リトル・ロマンス」(89)、「バラードが聞こえる…」(90)2nd「さよならのリフレイン」は、マイナー調の失恋ソング。後藤次利の作曲であった。当時の後藤といえば、工藤静香への提供曲が当たり、ヒットメーカーとして絶好調の時期であった。デビュー曲とは、趣を変えたが、落ち着いた彼女の雰囲気に似合い、人気番組「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”にも登場となった。「さよならのリフレイン」(88/オリコン最高15位・3.3万枚)…後藤次利の作曲・編曲。ゴッキーが静香風ではなく、真里子チャンの個性に合わせた楽曲をキチンと提供してくれています。疾走感のあるマイナー調の曲に”真里子節”がのっかります。♪さよならのリフレイン せつなさのメロディ…というサビも覚えやすく、ヒット曲を狙いに勝負に出たと感じる一曲。「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”にも登場いたしました。また、年末には1stアルバム「詩華集-ANTHOLOGY-」の発売、「ライオンリスナーズグランプリ・FM東京最優秀新人賞(のちのJFNリスナーズアワード)」で、最優秀新人賞を獲得となった。地味ながらも、吉田真里子の世界を築き上げようとする丁寧な作品づくりが高評価を得ていた。「ライオンリスナーズグランプリ・FM東京最優秀新人賞」…FM東京とライオンが主催(95年、名称変更)。ラジオ局側によるノミネートを経て、最終的にリスナーによる投票でグランプリを決定するのが特徴。テレビ局主催の新人賞とは違う顔ぶれになることも。アーティストの受賞者が多いという傾向。ちなみに、この年、テレビでの賞レースを賑わせていたのは、アイドルでは相川恵里と仲村知夏であった。「詩華集-ANTHOLOGY-」(88)…彼女のキャラクターを考慮した楽曲はシングルでも提供されているが、アルバムでは、より一層彼女の魅力を感じることが出来るよう丁寧に創っている。オルゴールの音が施され統一感と上品さを感じるアルバムとなっている。10曲中、9曲を武部聡志が編曲を担当(武部氏は、だいたい編曲のみのことが多いが、真里子の作品に関しては、作曲も担当。2ndアルバムでも)。歌謡曲ファンより名盤と評価されている。翌89年は、シングル、アルバムのリリースに加え、春と冬にコンサートを開催。3rd「夢を追いかけて」はアニメのエンディングテーマ、4th「夏の恋人達」は本人登場のCM「全共連農協自賠責共済」で流れるものの楽曲も彼女もフィーチャーされるには至らず、デビュー時には上々の盛り上がりを見せていたものの、苦戦する状態となっていた。「夢を追いかけて」(89/オリコン最高21位・2.5万枚)…ぷちイメージチェンジで、それまでの静かな路線から、チョット明るく路線変更。アニメ「名門!第三野球部」のエンディングで流れていました。♪夢を一歩二歩 追いかけて…聴いたら、分かるかも?清楚なワンピースのイメージがありますが、ブリブリのヒラヒラのお姫様風ドレスもよくお似合いでした。曲のイメージとチョット合いませんが(笑)♪グッバイ・ミス・ボーイッシュってこと?この頃は、音楽業界はバンドブームへ移行している時期であった。また、「ザ・ベストテン」は89年、「歌のトップテン」も90年に終了となる。アイドルが受け入れられない、唄う場がない…アイドルにとっては”冬の時代”突入となっていた。松田聖子も1位記録が途絶えるなど、アイドルをのあり方や取り巻く環境が変わろうとしている時期であることを感じさせた。バブル経済の華やかな時でもあり、彼女のような清純派アイドル路線は時代錯誤感も漂った。特に88年デビューの新人は天皇陛下の体調不良に伴って、音楽祭も開催中止されることが多く、顔を売る場が少ないという不利な状態からのスタートとなっていた。(とはいえ、Winkはデビューの翌年に「日本レコード大賞」を受賞…)楽曲のクオリティを評価されつつも、それは、歌謡曲ファンからのみであり、一般的には浸透せず、歌手としてブレイク出来ないでいた。そうなると女優やタレントとして活躍の場を広げていくケースが多いが、彼女は90年より、毎月小さなホールでライブ活動を始めた。CM「農協の共済 自賠責・自動車共済」(89-90)…保険に入っていない車には乗りたくないというCM。89年Ver.は、入ってないなんて!と男性をビンタする内容(汗)。数少ないお芝居の仕事(といっても、セリフはない…)。アルバムには「朗読」が収録されているが、穏やかな声色なので、女優業も行っていたら、人気者になったのでは?「夏の恋人達」(89/オリコン最高24位・1.7万枚)、「陽ざしのソリチュード」 (90/オリコン66位・0.7万枚)が起用されていました。自ら作詞・作曲も行うようになり、アイドルというよりも、アーティスト的な活動となっていった。しかし、テレビで見かけることが少なくなっていた。デビュー時は、セーラー服の似合うロングヘアの美少女でしたが、ショートヘアがカッコイイ大人の女性へ変身していました。ブレイクできなかったのは、どうしてだろう?”真里子節”はちょっとババくさい?A○アイドル風に見えてしまうところ?写真は、ベスト盤「ブーケ」(91)93年、自らインディーズレーベル「blue turtle」を立ち上げ、シンガソングライターに転向。OLをしながらの音楽活動だった。現在、地下アイドルというものがあるが、アイドル(元アイドル)がインディーズレーベルを出して活動することは、当時、非常に珍しかった。頑なにひた向きに音楽活動を行っていたようだが、2002年、自身のHPにて、結婚と芸能活動引退を発表。アイドルとしての活動は、88~91年まで。シングル8枚、アルバム5枚(ベスト含む)を発表した。2017年にオリジナルアルバム4枚が、ソニーオーダーメイドファクトリーより復刻され、再評価されているひとりである。

      10
      テーマ:
  • 02May
    • 姫乃樹リカ 遅れてきた ハイクオリティ・アイドル!

      姫乃樹リカ本名:西村理香1971年10月6日生まれ大分県出身O型デビュー曲:「硝子のキッス」(1988年2月3日)事務所:ピュアコーポレーションレコード会社:キティレコード1982年、「ちびっ子歌まね合戦」(テレビ東京)に出場したのをきっかけに、芸能プロダクションにスカウトをされる。86年に雑誌「Momoco」に登場し、テレビ番組「モモコクラブ」にレギュラー出演となる。「モモコクラブ」…雑誌「Momoco」の特別コーナー「モモコクラブ」を発端とする番組。これを機にデビューしたアイドルは、西村知美、杉浦幸、島田奈美、畠田理恵、酒井法子など。桃組出席番号1773番。印象的な苗字「姫乃樹(ひめのぎ)」は芸名。本名の西村を使用しなかったのは、西村知美とのバッティングを防ぐ為。当初は本名非公開だった。「お姫様のようにまた、樹木のようにどんな事にも負けずに真っすぐ成長して欲しい」という願いが込められているそうだ。88年2月、「硝子のキッス」で歌手活動開始させる。アニメ映画「めぞん一刻 完結篇」の主題歌に起用されるというラッキーなスタートを切った。アイドル然としたルックス、キャラクター。そして、抜群の歌唱力に注目が集まり、歌謡曲ファンより「ポスト聖子」と称され、近い未来にトップアイドルとして君臨するだろうと期待された。「硝子のキッス」(88/オリコン最高21位・2.6万枚)…愛嬌のあるルックスに、ハキハキとしたトーク、よく伸びる透明感のある歌声。テレビでの歌唱でも、可愛く歌い踊りながら音程を取り、感情豊かに歌い上げる。ほかのアイドルと一線を画す存在でありました。ちょっとしゃくりあげる歌唱が聖子チャン風?あどけない中にすでに貫禄も…。「リカ、恐ろしい子!」2nd「ときめいて」では、ロッカバラードを情感豊かに歌い上げ、オリコンチャートのTOP20内に登場。ラジオ番組でのパーソナリティや大手製菓会社のCMキャラクターも務め、活躍の場が拡大していった。(このラジオ番組のパーソナリティはラジオ雑誌の人気投票でベストテン入りを6回も果たすほどの人気ぶりだったという)「ときめいて」(88/オリコン最高16位・3.0万枚)…2枚目にしてロッカバラードを歌い上げる。(本人は荻野目洋子的なビートものをお得意としていたようだが…)この曲は、宮崎美子サンもお気に入りで、有線放送にリクエストしたとか!?。同期の西田ひかるチャンも「ときめいて」(91/オリコン最高7位・14.9万枚)という曲をリリースしていましたネ。グリコの「ジャイアントカプリコ」(88)ではジャイアント馬場さんと共演、そして新製品「いちごチョコ」では単独出演。3rd「もっとHurry Up!」はアイドルポップスの王道的楽曲。歌唱はもちろん、振り付け、カメラ目線などのパフォーマンスもビシッ!!と決まったインパクトの強い作品となった。この楽曲で、人気番組「ザ・ベストテン」に注目の新人として出演。”今週のスポットライト”のコーナーにて歌唱し、人気に火がつくのは時間の問題と思われた。「もっとHurry Up!」(88/オリコン最高24位・2.8万枚)…リカチャンの溌剌とした個性にピッタリの楽曲。リリースした中で、最も知られているであろう、いわゆる代表曲。日通海外ペリカン便のCMソング。これぞアイドル!といった趣。(そうそう、彼女の趣味は釣り。これだけは、ちょっとアイドルっぽくなかったデス)。人気番組「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”に登場。歌前トークでは、「姫乃樹」という名前の話に。なんとなく、ビデオ女優っぽい名前だぁと思っていたのは、私だけ?90年代初頭に活躍した桜樹ルイ嬢チックと言いましょうか…(滝汗)。しかし...80年代後半から90年代後半は「アイドル冬の時代」。その影響は彼女も食らってしまった。しかもこの88年は天皇陛下の体調不良に伴ってお祭りは自粛傾向であり、新人歌手一同が集まる音楽祭なども開催されない状態であり、この年度にデビューの新人歌手(アイドル、演歌、歌謡曲など)はプロモーションの機会が例年より少ないという、不利な状態でもあった。その後、「アンバランスに抱きしめて」(88/オリコン最高28位・1.8万枚)、「ロマンの騎士」(89/オリコン最高34位 0.7万枚)などを発表するものの芳しい成果を得ることは出来ないでいた。音楽番組が減っていくなか、89年10月から90年3月まで、コントと歌で構成された「東京イエローページ」の”Page7”として出演。バリバリのアイドルポップスから演歌、ロックに至るまでなんでも歌いこなす才能を見せ付ける機会に恵まれたものの、ブレイクできずモドカシイ状態で季節が過ぎていった。「東京イエローページ」(89~90)…初代Page7(ページセブン)として出演。メンバーはほかに、相川恵里、千葉美加、細川直美、川越美和、マルシア、里中茶美。お題に合わせて、演歌からロックまで色んな歌に挑戦。リカちゃんの魅力のひとつは笑顔。笑うと目がなくなってしまう。このころは「紀子様フィーバー」で、笑うとよく似ていると言われていました。早くも2年目の後半には大人の歌手へと脱皮が図られたようで、バラードの「スタンド・バイ・ミー」をリリース。人気アニメ「YAWARA!」のエンディングテーマに起用され、ブレイクのチャンスが訪れるものの彼女の人気や楽曲のヒットへとは結びつかず。そして、更なるイメージチェンジか、脱アイドルのような楽曲「地上の楽園」をリリース。ギターを抱えての歌唱スタイルで登場となった。彼女の代表曲となるような大ヒットが欲しかったため、音楽ディレクターが井上陽水に依頼した作品で、ギターを弾いての歌唱が提供の条件であったという。「スタンド・バイ・ミー」(88/オリコン最高43位・0.9万枚)…人気アニメ「YAWARA!」のエンディングテーマにが起用され、ブレイクのチャンスが訪れるが、ヒットに至らず。矢萩渉(安全地帯)が作曲のかっこいいバラード。2ndでリリースの予定でしたが、当時のリカちゃんにはオトナっぽすぎるとのことで、リリースが見送られたとのことである。赤い口紅が似合う女性になりました。「地上の楽園」(オリコン最高58位・1.0万枚)…井上陽水の作曲。ギターの弾き語りが提供の条件のため、リカちゃんはギターを猛練習!新展開を見せてくれると思いきや、姿を見なくなってしまった。シングル7枚、アルバム3枚(1枚はベスト盤)で、姫乃樹リカの活動は終了となった…。彼女の活動で、特筆する点は、2枚のオリジナルアルバムはシングル未収録。これは、当時のアイドルとしては異例のことで、彼女が色々なタイプの楽曲を歌える歌唱力があったため、出来たことだったであろう。彼女について、歌謡曲愛好家らは、本人のルックスやキャラクター、楽曲、歌唱力と三拍子揃った逸材だった。しかし、完璧なアイドルは、88年では、時代錯誤感があり、遅すぎた。アイドル冬の時代でなく、もう少し早く(80年代中期)デビューしていたら、大きな結果が出せただろう…と語る。「Fariy Tail」(88)、「AMAZING STORY」(89)2枚ともバラエティ豊かな構成で飽きがこないアルバムとなっている。作詞にも挑戦しています。姫乃樹リカの活動は終了となったが…92年に芸名を西邑理香(にしむら りか)に改名、「ナチュラル」をリリースし、新しくスタートを切ることとなる。93年にはユニット「西邑理香with COMING SOON!」を結成。そして後に「THE COMING SOON!」に改名し、活動。しかし、こちらでも世間をにぎわすことはできなかった。95年12月にベーシストのDave Criggerと結婚。米国に在住し、芸能界から離れている。2000年の書籍「あの人に逢いたい―まぼろしのアイドル」(白夜書房)、16年のテレビ番組「人生が変わる1分間の深イイ話」に登場。単行本「あの人に逢いたい―まぼろしのアイドル」(00/白夜書房)…オトナになったリカちゃんが表紙。巻頭もリカちゃん!インタビューで結婚後の生活を話しています。テレビ番組「人生が変わる1分間の深イイ話」(16/日本テレビ)…ひさしぶりのテレビ出演!本やテレビの出演時には、「歌はまたやりたい」と語っている。デビュー30周年を迎え、復活が期待される。

      12
      テーマ:
  • 17Feb
    • 高橋良明 笑顔と元気をふりまいて…

      高橋良明本名:高橋良明1972年9月2日生まれ東京都出身O型デビュー曲:「天使の反乱」(1987年11月21日)事務所:東京宝映テレビレコード会社:キング84年に児童劇団東京宝映(宝映テレビプロダクション)に入所し、ドラマ「夢かける女」で子役として芸能界デビュー。広島東洋カープなどに所属していた野球選手の高橋慶彦は従兄にあたるという。85年に出演したドラマ「うちの子にかぎって2」で、主人公の女の子のケンカ友達・羽田役で人気を博す。その後、「痛快!OL通り」(86)、「ママはアイドル」(87)、「パパはニュースキャスタースペシャル」(87)など話題作に出演。「うちの子にかぎって2」(85)…田村正和主演、人気ドラマのパート2に登場。スペシャル版では、卒業を間近に控えた小学生の少年(高橋良明)と少女(西尾麻里)と、彼らの大人になってからの姿が絡まり合う物語。小学生なのにキスシーンもあり、話題となりました。87年10月には「オヨビでない奴!」でドラマ初主演。この作品で、共演者である植木等・所ジョージに引けをとらない演技が評価され、「第二の植木等」・「第二の所ジョージ」と評された。「オヨビでない奴!」(87)…無責任で明るい主人公と、彼を取り巻く人たちのドタバタな日常を描いたコメディドラマ。その時代ならではのエピソードがあり、芸能人になろうとしてだまされる回や、TBSにて放送されていた他のドラマをネタにした回もある。また、その放送中に、「天使の反乱」でアイドル歌手としてもデビュー。お世辞にも上手いといえる歌ではないもののオリコンチャートのベスト10内に食い込み、人気を裏付けた。どこでもいそうな元気で腕白な男の子的なところが魅力であった。 「天使の反乱」(87/オリコン最高9位・8.5万枚)…マイナー調だけどポップな感じもある楽曲。そこに味のある歌唱?が乗っかります。人気番組「ザ・ベストテン」では、最高11位まで上昇。あともう一歩!東京宝映に同じく所属していた、小川範子チャンと並んで、子役出身の2大アイドルという感じで、ドラマで大活躍でした。歌手デビューにあたってCMも流れ、ドラマ「オヨビでない奴!」内でも歌唱されました。.その後も、リリースした楽曲がオリコンチャート上位にランキングされる。アイドル誌の表紙に登場したり、製菓会社のCMに抜擢されるなど活動が活気付いていった。「恋の3-2-1」(88/オリコン最高6位)…親にはズレているから、歌なんか出すなと言われたという(滝汗…)「ヴィーナスの失敗」(88/オリコン最高7位)…緊張すると高熱が出てしまう体質とのことで、汗を薄っすら光らせての歌唱。2枚ともオリコンでは上位ながら、音楽番組ではランクインできず(涙)。後に、某事務所の影響があったという噂を聞きました。「明星」(集英社/88年4月号)…人気アイドルでないと出来ないアイドル雑誌の表紙を務める。うしろ髪ひかれ隊、成田昭次(男闘呼組)と一緒に。森永製菓「チョコモナカ デラックス」のCM登場。アイドルのCMの定番といえば、お菓子メーカーですよネ!特に俳優としての活動はより活気付いていき、サスペンスドラマ「避暑地の猫」に主演し、殺人犯の役を熱演。年末の長時間時代劇「五稜郭」にも出演。それまでは天真爛漫な役が多かったが、徐々に色々な役に挑戦しはじめていた。1989年には、NHK大河ドラマ「春日局」の放送がスタート。主人公の兄・斎藤利宗役で出演。しかし、事故死1月5日夜、レンタルビデオを返却するためオートバイで走行中、車道を横断してきた中学生に接触。バランスを崩して駐車していた自動車に激突、病院に救急搬送された。一時的に意識が回復したものの、23日に死亡。無免許運転だったという。NHK大河ドラマ「春日局」(89)…大原麗子主演。役のために頭を丸めて気合充分!坂上香織チャン、宮沢りえチャン、喜多嶋舞チャンに坊主頭を撫でられる(「明星」より)。良明クン含め、皆、次世代のスターとしての活躍が期待されていました。これからという時の事故死…残念でした。トップアイドルの衝撃的な事故死はテレビや週刊誌で大きく取り上げられた。そして、葬儀には女子中高生などファン5000人が押しかけた。追悼のアルバムや写真集など…メモリアルアルバム「夢で逢えるさ!」(89)、写真集「笑顔のままで」(89)。「春日局」は放送前に撮影済みであったが、主演予定であった「ツヨシしっかりしなさい」は急遽、森且行(SMAP)に変更された。デビューからわずか4年の活動だったが、現在でも根強いファンの方が多く、イベントが開催されていると聞く。爽やかな笑顔がとても印象的でした。

      54
      テーマ:

プロフィール

ひよっこ

自己紹介:
twitterもやってます。各記事の下部にリンクあります。 80年代アイドル大好き! 愛知県の知多...

続きを見る >

フォロー

ブックマーク

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス