はじめに
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
三人は「三英傑」と呼ばれ、日本史上もっともよく知られた人物たちである。
信長が天下統一への道を開き、秀吉がそれを完成し、家康が江戸幕府を開いて長期的な政治秩序を作った――三人については、しばしばそのように説明される。
あるいは、「鳴かぬなら」という有名な時鳥の句によって、信長を短気、秀吉を機略、家康を忍耐の人物として比較することもある。
しかし、こうした比較だけでは、三人の違いの核心には届かない。
三人はいずれも天下をめぐって戦った。
三人とも巨大な権力を手にした。
にもかかわらず、私たちが三人から受ける印象は大きく異なる。
三人の中で、もっとも「英雄」という言葉が似合うのは、おそらく信長である。
次に秀吉。
家康は偉大な政治家であり、三人の中で最終的な政治的勝者となった人物でありながら、信長や秀吉ほどには「英雄」という言葉になじまない。
なぜなのだろうか。
これは三人の能力の優劣だけでは説明できない。
むしろ三人が、
自らの有限な生を、どのような仕方で未来へつなごうとしたのか。
そして、
三人が死んだ後、何が残ったのか。
という問題なのではないだろうか。
そのことを考える手掛かりとして、『信長公記』『太閤記』『三河物語』という三つの「物語」を置いてみたい。
三作品は成立事情も性格も異なる。
だから、同じ種類の伝記として単純に比較することはできない。
しかし、その違いそのものが、信長・秀吉・家康という三人の歴史的存在の違いを、不思議なほど鮮明に映し出しているように思われる。
一 信長――「誰であったか」を問わせ続ける人
信長の生涯には、強烈な一回性がある。
桶狭間で今川義元を破る。
足利義昭を奉じて上洛し、やがて対立して将軍を京都から追放する。
比叡山を焼き、石山本願寺と長く戦い、安土城を築く。
そして天下統一を目前にしながら、本能寺で突然死ぬ。
これらの行為を、後から合理的な政策体系として説明することはできる。
しかし信長の魅力は、そうした説明からいつも何かがはみ出すところにある。
信長について語るとき、私たちは「織田政権とは何だったのか」と問うだけではない。
それ以上に、
「信長とは、いったい何者だったのか」
と問う。
なぜ、あの場面であの決断をしたのか。
何を見ようとしていたのか。
もし本能寺で死ななかったなら、次に何をしたのか。
信長については、四百年以上たった現在でも、この問いが終わらない。
ここに、信長の英雄性があるように思う。
英雄とは、単に大きなことを成し遂げた人物ではない。
既存の世界の中で最も合理的な場所を見つけ、そこで成功した人物でもない。
むしろ、
自らにしかなし得ない行為を通じて、それまで見えていなかった人間の可能性を世界に現す人物
なのではないだろうか。
信長が何を「革新」したのかについては、歴史学上慎重な議論が必要である。
信長以前にも楽市楽座はあり、「信長が中世を一挙に破壊して近世を作った」という単純な革命児像を、そのまま史実として採用することはできない。
しかし、それと信長の英雄性とは別問題である。
英雄性とは、政策の新規性を数えることではない。
信長という一人の人間の行為を目の前にした後世の人々が、
「この人物なら、世界をこれまでとは違う形にしてしまうかもしれない」
と感じ続けたことにある。
そして信長は、その可能性を完成させないまま死んだ。
この「未完」は重要である。
秀吉については、天下統一後に何をしたかを私たちは知っている。
家康についても、天下を取った後にどのような政治秩序を作ったかを知っている。
しかし信長についてだけは、
「その先」
が存在しない。
だから信長には永遠に、
「もし信長が生きていたら」
という問いが残る。
信長の人生には未来が欠けている。
しかし、そのために逆説的に、
信長は死後も未来を持ち続ける。
二 『信長公記』――行為を「誰」の物語へ変える
しかし、信長がどれほど非凡に行為しても、その行為だけでは後世に残らない。
行為は一回的だからである。
戦いは終わる。
命令した声は消える。
見ていた人間も死ぬ。
ここで太田牛一の『信長公記』が重要になる。
もちろん、『信長公記』を単純な英雄伝として扱うことはできない。
それは信長研究の基本史料であり、その成立過程や記述の性格を慎重に検討しなければならない。
しかし、ここで問題にしたいのは別のことである。
太田牛一が信長の行為を書き残したことによって、信長の一回的な行為は、信長の肉体の死とともに消えなかった。
信長が何をしたか。
どこへ行ったか。
何を命じたか。
誰と戦ったか。
そうした行為を読み直すたびに、後世の人間は、
「信長とは誰だったのか」
を問い直すことができる。
ここに、ハンナ・アーレントが古代ギリシアの政治経験から取り出した「不死」という問題が関わってくる。
三 不死――人間世界の中に残る「誰」
アーレントが『人間の条件』で古代ギリシアを論じるとき、重要な意味を持つのが「不死」である。
人間は死ぬ。
その意味で、人間は徹底的に有限な存在である。
しかし人間は、ただ生まれ、生命を維持し、子を残して死ぬだけの存在ではない。
他者の前で語ることができる。
行為することができる。
そしてそのとき、
その人が「何であるか」ではなく、
「誰であるか」
が現れる。
武将である。
大名である。
天下人である。
将軍である。
これらは、その人が「何」であるかを示す。
しかし、それだけでは信長が信長であること、秀吉が秀吉であること、家康が家康であることは説明できない。
「誰」は、その人にしかなし得ない言葉と行為の中に現れる。
しかし、行為は一回的である。
だから、観客が必要になる。
それを見る者。
語る者。
記憶する者。
物語にする者。
そして、その物語を次の世代へ渡す者。
そうして、一人の死すべき人間の「誰」が、本人の生命より長く共同世界にとどまる。
これが、ここでいう「不死」である。
したがって、
不死は個人について言われる。
家について言われるのではない。
制度について言われるのでもない。
この区別は、信長・秀吉・家康を考える上で決定的である。
四 不死と永遠
さらに、もう一つ区別しなければならない。
不死と永遠は同じではない。
不死は、人間世界の時間の中にある。
信長が語られる。
秀吉が語られる。
家康が語られる。
アキレウスが語られる。
語る人間がいて、物語を受け取る人間がいるから、「誰」は死後も人間世界に現れる。
したがって、この不死そのものも、人間世界に依存している。
人間世界そのものを超越したものではない。
これに対して、プラトンの『饗宴』が最後に向かうのは、まったく別の方向である。
エロスの階梯を上っていく者は、一つの美しい身体への愛から、すべての美しい身体へ、美しい魂へ、制度や知の美へと進み、最後に、
「美そのもの」
へ到達する。
それは、ある時には美しく、別の時には醜いものではない。
生まれたり、滅びたりするものでもない。
個々の美しいものが変化しても、それによって変化するものではない。
ここで問題になっているのは、
永遠なるもの
である。
したがって、
アーレントの不死は、人間世界の時間の中に残ること。
プラトンの永遠は、生成消滅する時間そのものを越えること。
両者は異なる。
英雄は、永遠の存在ではない。
むしろ、死すべき人間だからこそ英雄になり得る。
英雄が獲得し得るのは、この人間世界における不死なのである。
五 家――「誰」が替わることによって続く
では、「家」はどこに位置するのだろうか。
家は不死ではない。
永遠でもない。
家は、
持続する。
しかし、その持続の仕方は、英雄の不死とはほとんど反対である。
英雄は、
「この人でなければならなかった」
という代替不可能性によって成立する。
アキレウスを別のギリシア兵に置き換えることはできない。
信長を別の織田一族に置き換えることもできない。
ところが、家は違う。
父が死ぬ。
子が継ぐ。
その子も死ぬ。
さらに次の者が継ぐ。
家は、
「誰」が替わることによって続く。
英雄は「誰」が消えないことによって残る。
家は「誰」が交代することによって残る。
ここに、
英雄の時間と家の時間
の根本的な違いがある。
そして家は、永遠でもない。
どれほど長く続いた家にも断絶の可能性はある。
徳川家も例外ではない。
皇室も、歴史的時間の中に存在する以上、論理的に永続が保証された存在ではない。
したがって、家について語るべきなのは「不死」でも「永遠」でもない。
継承と持続
なのである。
六 秀吉――「誰」の物語から家の継承へ
秀吉もまた、一人の「誰」として強烈に物語られる人物である。
ただし、その英雄性は信長とは違う。
信長の物語を動かす問いが、
「この人は次に何をするのか」
だとすれば、秀吉の物語を動かす問いは、
「この人はどこまで上っていくのか」
である。
低い位置から出発する。
信長に仕える。
頭角を現す。
軍団を率いる。
本能寺の変が起きる。
中国大返し。
山崎。
賤ヶ岳。
そして関白となり、天下人となる。
秀吉の人生そのものに、圧倒的な上昇の運動がある。
だから後世の人間は、
「豊臣政権とは何だったのか」
だけではなく、
「秀吉とは、いったいどのような人間だったのか」
と問う。
『太閤記』が成立し、秀吉の生涯が繰り返し物語られたことは象徴的である。
豊臣家よりも先に、
秀吉という一人の人間の生涯そのものが物語になった。
ところが天下を取った後、秀吉には別の問題が現れる。
一人の秀吉が天下を取ることから、
自分が死んだ後にも、豊臣家へ政治的達成を継承できるか
という問題への移行である。
秀頼を残す。
自分の一代の達成を、家の時間へ移そうとする。
しかし、それには成功しなかった。
秀吉の死後、豊臣家は滅びる。
しかし秀吉は消えなかった。
ここに重要なことがある。
豊臣家の持続と、秀吉個人の不死は別問題だった。
豊臣家は滅びた。
しかし秀吉という「誰」は、今日まで語られている。
家が途絶えても、人は不死になり得る。
七 家康――「家康でなくても続く世界」を作る
そして家康である。
家康にも、英雄的な行為はいくらでもある。
三方ヶ原。
伊賀越え。
小牧・長久手。
関ヶ原。
家康もまた一人の「誰」として、今日まで語られている。
したがって家康にも、個人としての不死は成立し得る。
しかし、家康の政治的偉大さの核心は、それとは別のところにある。
家康が最終的に作ろうとしたのは、
家康という一人の「誰」がいなくても続く政治
だった。
1605年、家康は存命中に将軍職を秀忠へ譲る。
自らは大御所として後見する。
これは重要である。
秀忠は家康ではない。
家康ほどの軍事的英雄である必要もない。
家康ほどのカリスマを持つ必要もない。
必要なのは、
徳川家の当主として、将軍職を継承できることである。
つまり家康が解こうとした問いは、
「どうすれば第二の家康を作れるか」
ではなかった。
むしろ、
「第二の家康が現れなくても続く政治を、どう作るか」
だった。
天才は世襲できない。
英雄も世襲できない。
だからこそ、長期的な政治秩序を作ろうとするなら、
英雄を必要としない制度
を作らなければならない。
ここに家康の政治的達成がある。
八 英雄と家――代替不可能性/継承可能性
こう考えると、英雄と家の違いは鮮明になる。
英雄は、
代替不可能である。
家は、
継承可能でなければならない。
英雄は、
「この人でなければならなかった」
ことによって成立する。
家は、
「この人が死んでも次の人が継ぐ」
ことによって続く。
英雄の価値は、一回性にある。
家の強さは、反復可能性にある。
英雄は固有名詞を必要とする。
家は当主を交換しながら家名を持続させる。
だから、
英雄の不死と家の持続は、同じものではない。
むしろ時間に対して反対の構造を持つ。
英雄は、
「誰」が消えないことで残る。
家は、
「誰」が替わっても続くことで残る。
ここまで区別すると、家康が信長ほど英雄的に見えない理由も、より正確に理解できる。
家康が信長より小さな人物だからではない。
むしろ家康の最大の政治的達成が、
一人の卓越した「誰」を必要としない仕組み
を作る方向へ向かっていたからである。
九 『三河物語』――一人の英雄ではなく、家々の時間
この違いを象徴的に示すのが、大久保忠教の『三河物語』である。
『信長公記』や『太閤記』と同じ意味で、「家康という一人の英雄の物語」と読むと、その特徴を見失う。
『三河物語』に流れるのは、「家」の時間である。
松平・徳川家がある。
それに仕えてきた大久保家をはじめとする家々がある。
祖先はどのように主家へ奉公したのか。
どのような苦難をともにしたのか。
その奉公を子孫はどう受け継ぐべきなのか。
そこには、
祖先――現在――子孫
という累代の時間がある。
これは「家の不死」ではない。
継承の物語である。
そして、この違いは決定的である。
『信長公記』を読むと、私たちは信長という「誰」を問い直す。
『太閤記』を読むと、秀吉という「誰」の人生を追う。
『三河物語』を読むと、家康という個人だけでなく、
「われわれの家はいかに主家とともに現在まで来たのか」
という累代の時間が前景化する。
ここに三者の大きな違いがある。
十 三英傑――三つの「不死」ではない
以上を踏まえるなら、
信長――名の不死。
秀吉――名から家への不死。
家康――家の不死。
という整理はできない。
なぜなら、途中で概念の対象が個人から家へ変わってしまうからである。
より正確には、
信長――一人の「誰」が突出して記憶される人物。
秀吉――一人の「誰」として記憶されながら、その政治的達成を家へ継承しようとした人物。
家康――一人の「誰」として記憶される一方、自分がいなくても家と制度が持続する政治を作った人物。
と整理すべきだろう。
三人を分けるのは、「三種類の不死」ではない。
個人の「誰」と、家・制度の持続との関係の違い
なのである。
ここまで直して初めて、
「三英傑の中で信長が最も英雄的で、次に秀吉、家康は相対的に英雄から遠く見える」
という感覚も、正確に説明できる。
信長については、政治体制以上に信長という一人の「誰」が前面に出る。
秀吉も、豊臣家以上に秀吉という一人の人生が巨大な物語になる。
家康は、自らの「誰」を消したわけではない。
しかし政治的達成としては、
「家康でなくても続く世界」
を作る方向へ進んだ。
英雄性の強弱は、家が長く続いたかどうかとは別問題なのである。
十一 三人とも「不死」になり得る
では、三人の誰が不死なのだろうか。
信長か。
秀吉か。
家康か。
この問いに、家の長さで答えることはできない。
織田家がどうなったか。
豊臣家がどうなったか。
徳川家が何代続いたか。
それらは、それぞれ重要な歴史的問題である。
しかし、一人の人間が不死になったかどうかとは別の問題である。
三人とも、死後も物語られている。
三人とも、現代の人間世界に「誰」として現れる。
だからアーレント的な意味では、
三人とも不死に参与している
と考えることができる。
ただし、その現れ方が違う。
信長には、
「この人はいったい何をしようとしていたのか」
という問いがつきまとう。
秀吉には、
「この人はいかにしてここまで上ったのか」
という問いがつきまとう。
家康には、
「この人はいかに生き残り、最後に秩序を作ったのか」
という問いがつきまとう。
三人とも、
大名。
関白。
将軍。
という「何」だけには還元できない。
信長。
秀吉。
家康。
という固有の「誰」として、今も語られている。
だから三人とも、個人として不死たり得る。
しかし、
徳川家が長く続いたことは、家康の不死の根拠ではない。
家康が不死であるとすれば、それは家康という「誰」が、今なお他者によって物語られ、人間世界の記憶の中に現れるからである。
十二 英雄とは、永遠なる者ではない
ここで、英雄という存在について一つ重要なことが分かる。
英雄は、永遠なる者ではない。
むしろ、
死すべき者である。
アキレウスが死なない神であったなら、彼の選択はあれほど人間を魅了しなかっただろう。
信長が決して死なない人間であったなら、本能寺の「未完」も存在しない。
英雄の行為が輝くのは、その人の時間が有限だからである。
いつか死ぬ。
時間は戻らない。
やり直すこともできない。
それでも、その瞬間に行為する。
だから、その人の「誰」が現れる。
そして、その一回的な行為を他者が記憶する。
英雄が有限性を越えるとすれば、
永遠の存在になることによってではない。
有限なまま、人間世界の記憶へ入ることによって
なのである。
結び――英雄の時間、家の時間
信長、秀吉、家康。
三人の中で、もっとも英雄的なのは信長である。
次に秀吉。
家康は相対的に、もっとも英雄から遠く見える。
しかし、それは家康が二人より小さな人物だったということではない。
三人は、時間に対して異なる関係を結んだからである。
信長は、一人の「誰」として突出した。
秀吉も、一人の上昇する「誰」として巨大な物語になった。
家康もまた一人の「誰」として記憶されたが、その最大の政治的仕事は、
自分という一人の人間がいなくても続く家と制度を作ること
だった。
ここに二つの時間がある。
一つは、
英雄の時間。
「この人でなければならなかった」という代替不可能な「誰」が、他者によって記憶され、物語られ続ける時間である。
もう一つは、
家の時間。
一人の人間が死んでも、別の人間がその位置を継ぎ、系譜や役割を未来へ運んでいく時間である。
前者には、アーレント的な「不死」が成立し得る。
後者は「不死」ではない。
継承であり、持続である。
そして、その持続にはつねに断絶の可能性がある。
さらに、そのどちらもプラトン的な「永遠」ではない。
永遠は、人間世界の中で長く続くことではない。
生成し、変化し、消滅する個別的なものを越えた「美そのもの」へ向かう、別の次元の問題である。
だから、
英雄の不死と家の継承は、二つの不死なのではない。
また、
家が長く続くことと永遠も、同じではない。
むしろ、
有限な人間が歴史的時間と関わる、二つの異なる仕方
として、英雄と家を考えるべきなのである。
英雄は、
「誰」が消えないことによって残る。
家は、
「誰」が替わっても続くことによって残る。
『信長公記』を開けば、今日も信長が動き始める。
『太閤記』を開けば、今日も秀吉が天下へ駆け上がる。
そして『三河物語』を開けば、一人の人間の生涯を越えて、祖先から子孫へと家々の時間が流れていく。
人は死ぬ。
家も、いつか途絶えるかもしれない。
制度も、いつか終わる。
それらは永遠ではない。
しかし、一人の人間が他者の前に「誰」として現れ、その姿が語るに値するものとして記憶されたならば、その人は肉体の死の後にも、人間の共同世界へ現れ続けることができる。
それが、不死である。
そして三英傑の中で、信長がもっとも「英雄」という言葉を呼び寄せるのは、
織田家が長く続いたからではない。
信長という代替不可能な「誰」が、四百年以上たった今なお、私たちに、
「この人は、いったい何者だったのか」
と問い続けさせているからなのである。