昨日は、須玉ふれあい館まで映画「lifeライフ ~ピッコロと森のかみさま~」を観にいってきた。


 昨年ピッコロを視察に訪ねて、その保育を実地に見てはいたが、改めてピッコロと子どもたち、そして中島さんの保育を確かめたいと思って(また、中島さんの元気な姿を見たいと思って)、申し込んだ。

 ピッコロの謳っている自然保育は自由保育で、その自由とは自己決定できること。そういう自己決定できる自由人=市民を育てるのが、信じて待つ保育。

 トンボの翅を毟って死なせてしまった子どもに「どうしてトンボの翅を毟ったの?」と尋ねたら、「飛んでいってほしくなかったから。傍に置いておきたかったから」と答えた。

 自由に飛び回るトンボを自分の傍に置いておきたくて羽を奪ってしまった子ども。そのエピソードを話している最中に中島さんは泣いてしまう。それは、目の前にいるその子どもは自由を求めてもがいている私たち自身の姿だから。

 中島さんはウソが嫌で、ピッコロにいる人たちは本当を探している。

 そして中島さんが保育し続ける理由は、子どもは本当だから。

 すごくハイレベルの保育が、ピッコロで行われている。その「lifeライフ」の焦点は「幸福」。

 子どもたちはお父さんとお母さんの幸せを願っている。そんな子どもに追いつきたい、本当の幸せに向かいたい。

 中島さんは「皆に幸せになってもらいたい」と思って、保育していた。本当の幸福とは、それを誰かと分かち合うこと。

 この映画も、その分かち合いだった。映画を観終わったあとに訪れた幸福感は、それ故だったのだろうと思う。