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 昨日は北杜市総合計画審議会があり、市役所にいってきました。新市政になったのを機に今年719日から始まった審議会も今回で5回目です。第2回の審議会が書面開催になるなど、コロナ禍の影響もありましたが、新しい総合計画も素案のもととなる案(素々案)の審議というところまできました。

 人口減少、新型コロナウイルス感染症、DX(デジタルトランスフォーメーション)、高速交通の開通といった社会変化を対応すべき課題ととらえ、2030年の地域のありたい姿を5つの姿に設定して(第1部 基本構想)、それを実現するために優先化・重点化すべき取組をリーディングプロジェクトとして明示し、さらに各2本、計10本の重点プロジェクトによって推進する(第2部 前期基本計画)という構成になっています。

 昨日はこの案を確認して疑問や意見を出していきました。その詳細をここで書くことはしませんが、わたしが重視する子育て・教育については、率直に言わせていただきました。

いくつか紹介すると、<いじめ・不登校対策の推進と教育相談の充実>の中で「教育支援センター『エール』等と連携して、児童生徒の居場所づくりを含め、社会的自立に向けた具体的な支援を図ります。」の「教育支援センター『エール』等」を「フリースクール等」にするよう、意見しました。御存知のように、北杜市には種々のフリースクールがあります。それらは学校教育の枠に嵌らないユニークな内容をもち、多様な子どもたちの受け皿となって、北杜市の教育内容を豊かなものにしています。その存在を総合計画のなかに位置づけて行政との連携を図ることは、子どもや保護者に安心感を与えるだけでなく、教育行政に対する信頼感を高め、子育て世代の移住・定着を促進すると考えます。

また、「教員の児童生徒と向き合う時間の確保」の中に当初あった「部活動指導員の配置拡大に取り組むとともに、合同部活動や地域スポーツクラブ化等を支援」という文言を復活させるように求めました。2019年から開かれている北杜市立中学校適正規模等検討に係る審議会やその地域説明会に出席して、学校内で一定の種類の部活動が設置できないという保護者の意見を少なからず聞きました。しかし部活動は社会教育でもあります。これは本来、社会教育活動として地域で公的に十分保障されるべき問題です。諸外国ではそれが一般的です。これを学校だけで完結させようとするから、教員が教材研究の時間を十分にとることができない、忙しくて子ども一人ひとりにゆっくり向き合えない、といった弊害が生まれてきます。

日本でも今、地域のスポーツクラブの意義が見直されようとしています。スポーツクラブだけではありません。地域にはさまざまな文化活動を行っている団体もあります。そういうところに、国や自治体がしっかりと予算措置をして、指導者も育成するし、環境も整える、そういったことをして、地域の中で子どもたちを育てていけばいいのです。日本も、そろそろ学校での部活動から社会教育活動へ比重を移す時期が来ているように思います。

そのために、北杜市の部活動は、外部人材の活用や地域との連携を積極的に行いながら、小さくてもキラリと輝く部活動を目指していく。また、中高の部活動の交流や教員の負担軽減や指導教員の異動などに左右されず指導の安定化を図る意味でも、社会体育との連携を進め、地域において小学校から高校まで一貫して競技を続けられる環境の構築を目指すほうがいいと考えて、意見しました。

 その他、学校と地域との協働を進める上で不可欠の社会教育主事の増員、市民参加の手段としてのPI(パブリックインボルブメント)の活用などを提言しました。

 一つ、苦言を呈させていただきましたのは、「2030年、地域のありたい姿」のうち、「ともに、よりよく生きるまち」のリーディングプロジェクトの「市民総活躍のまちづくり」という言葉です。

 「総活躍」という、あたかも市民が一人残らず活躍するかのような、現実にはありえない文言を掲げることは、かえって具体的方策がない空疎な印象を与えかねません。それを行政が、それも最上位の計画である総合計画で言うのは適切ではないと思います。

 さらに、「総●●」という言い方は、市民に対して恐怖を伴った嫌悪感を与える場合があります。なぜなら、第二次世界大戦中に行われた網羅的動員統制法である国家総動員法から始まり、過去の「一億火の玉」「一億総玉砕」「一億総懺悔」などといった言葉によって、日本国民は犠牲を押し付けられてきた歴史があるからです。どんなに耳当たりの良い言葉に置き換えても、「総●●」という形式のスローガンを聞いた瞬間、過去の悪夢を想起する人がいるかもしれません。そういう言葉を大切な総合計画のリーディングプロジェクトに使うべきではないと意見しました。

 そのわたしの意見について、政策推進課長は「検討する」と言われました。

政治は言葉を大切にしなければいけません。言葉は歴史の箱舟のようなものであり、その背中に過去を背負っています。今のままでは「市民総活躍」を謳うことによってかえって、市民が総活躍しないというパラドックスが生まれかねなくなります。

今度の総合計画審議会は、「市民が主役のまちづくりを目指して」始まりました。その試みの一つとして審議会の委員に一般公募枠が設けられ、わたしもそれに応募して委員に選ばれました。

しかしわたしたちがどんな計画を策定しても、受け取る側の印象が悪ければ協力は得られず、結局実現できません。

今回の案には、わたしの意見に基づいて、「浅川伯教・巧兄弟をはじめとする北杜市ゆかりの先人たちの功績等、郷土に関する資料の収集保管・調査研究・普及啓発活動を充実させるとともに、資料館活動を通じて地域づくりに取り組みます。」という文言が記載されました


行政の歴史的センスを期待したいと思います。