旅の思い出「軽井沢高原文庫」(軽井沢タリアセン④)(長野県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

軽井沢高原文庫

℡)0267‐45‐1175

 

往訪日:2023年4月29日

所在地:長野県北佐久郡軽井沢町長倉217

開館時間:9時~17時(12月・1月は10時~16時)

入館料:(本館のみ)高校生以上800円

駐車場:180台(別途500円)

※文庫内部は撮影NGです

 

《それは木漏れ日をうけてひっそりとあった》

※一部ネットより写真をおかりました

 

ひつぞうです。いよいよ軽井沢タリアセン散策も大詰め。四つ目は軽井沢高原文庫です。軽井沢ゆかりの作家を顕彰する文学館で、1985年8月の開館以来、様々な企画展が催されてきました。そして屋外には、堀辰雄、次いで画家の深沢省三・紅子夫妻が過ごした1412番山荘。野上彌生子の書斎鬼女山房。そして有島武郎の別荘浄月庵が移築されて、建築家の磯崎新さんがデザインされた中村真一郎立原道造の文学碑もあります。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

では一旦園外に出て、高原文庫を目指そう!

 

 

「観光客いないよ」サル

 

一般観光客には縁のうすい作家ばかりだしね。漱石とか鷗外、太宰あたりだと寄って来る客もいるけれど。

 

「マイナー過ぎるんじゃね?」サル

 

いやいや。商業的成功と作家としての業績は必ずしもリンクしない。むしろ相反すると言ってもいいよ。

 

 

ここってさ、1998年の就任以来、作家の加賀乙彦先生が25年のあいだ館長を務めてきたんだけど、つい半年ほど前に(2023年1月12日)還らぬ人になったんだ。

 

「全然知らないにゃ」サル どんなひと?

 

加賀乙彦(1929‐2023)(少し若い頃の肖像です)

 

加賀先生は東大医学部を卒業して精神科医としてフランス留学したのち、死刑囚のカウンセラーになるんだ。人の心の闇を見つめることを務めとするうち、先生は文学に目覚める。そして、39歳の時に第一回太宰治賞に書き下ろし作品で挑戦。それが処女作『フランドルの冬』だ。これが大変すばらしい作品で、文学的な試みも立派だが、とにかく読ませるんだよ。結果的に次点に終わるんだけど、それには理由があって、長編小説だったんだけど、枚数制限があるから第一章だけを応募した。

 

「大胆な試みだにゃ」サル


しかし、さすがにプロの目はごまかせなかった。

 

 

選考委員だった高橋和巳は「これ長編の一部なんやろ?」と見破った。で、面白いやつだってことで出版がかなったんだ。それ以降、綿密な取材による大長編を数年置きに発表するようになる。『宣告』しかり『湿原』しかり、重いテーマばかりだが、凡百の犯罪小説よりも面白く、そして、なにかを託されたというズッシリした読後感がある。とても魅力的なんだよ。

 

「で、なにが言いたいの?」サル 話がながい!

 

またひとり偉大な作家が鬼籍に入って淋しいなあと。

 

「ひとはいつかこの世からいなくなるんだよ」サル

 

そうなんだよね。

 

※展示室では『追悼加賀乙彦館長~軽井沢高原文庫と歩んだ25年~』と題して、原稿、単行本、遺品など、パネルとゆかりの品を中心に足蹠を追う企画展が開催中だった。(会期3/18~5/23。終了しました)

 

穂高に登ったのだろう。上高地の梓川の傍で撮った大学生時代の写真が初々しかった。

(ちなみに先生はAmeba公式ブログを僅かだが更新されていた。老いても盛んだった。)

 

★ ★ ★

 

内部は撮影できないので見学したのち屋外へ。

 

 

これは二代目館長だった中村真一郎の文学碑(詩・夏野の樹)だね。

 

「読みづらい」サル てか読めん

 

数年前までは綺麗に刈られていたんだけど。コロナも五類になったことだし、少しずつ元に戻っていってほしいね。ちなみに中村真一郎も一時代を築いた作家・詩人・文芸評論家だよ。家人の不幸な死によって一時大変な思いをされたけれど、フランス心理主義小説から、王朝文学、漢詩、江戸戯作と、様々なジャンルを消化して重要な仕事を残した。

 

次にいこう。

 

 

「あれ?これって堀辰雄文学館にあった模型と同じ?」サル

 

そうそう!

 

米国聖公会宣教師パーシー・A・スミスが大正時代に建てた別荘が始まり。その後、堀夫妻、そして深沢夫妻が継がれたのは見てきたとおりだ。

 

 

「でも堀夫人より先に二人とも亡くなったんだね」サル

 

そうなんだよ。解説にもあるように、そのままでは朽ちるのを待つばかりなので、多恵子夫人はタリアセンに寄贈したんだね。中にも入れるよ。

 

 

だいぶ年季は入っているが、網代葺きだったり、贅沢な造りではあったんだ。

 

 

暖炉も立派だもの。

 

 

この記念品は撮影していいみたいね。

 

 

まだ血色もいいね。

 

「なんか壁に穴開いてない?」サル

 

 

キツツキの仕業だよ…あせ

 

「ムササビも入って来るんじゃね?」サル

 

だよね。

 

 

ここは書斎だね。

 

 

堀はラジオが好きだったんだ。

 

 

いつまでこの姿を残すことができるのだろう。

 

 

これは室生犀星からの贈りもの。

 

「当時の軽井沢の雰囲気は掴めたかにゃ」サル

 

 

最後に野上彌生子先生の書斎《鬼女山房》を見学しよう。昭和8年に軽井沢の山荘の離れとして建てられたものだ。ここで漱石門下の安倍能成中勘助たちと謡いの会を催した。野上先生も99歳まで生きたんだよね。ペイネといい、紅子さんといい、みんな長寿だな。宇野のお千代さんも98歳と長寿だったし。

 

「秘訣でもあるのかにゃ」サル

 

 

それはたぶん恋する気持ちなんじゃない?

 

夫は(やはり漱石門下の)野上豊一郎だけど、晩年には哲学者の田辺元と長らく恋愛関係にあったと判り、世間を驚かせた。

 

「やるにゃー」サル

 

恋多きひとだったんだよ。ま、老いらくの恋なので許されると思うけど。

 

 

整頓された方丈の間を見ると、静寂と清澄を重んじる野上先生の人柄が偲ばれる。

 

時計を見ると、おろ?もう11時だよ。

 

「ご飯食べる時間ないじゃん」サル 腹へったー

 

ダイジョブだって。

 

(つづく)

 

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