「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」
(2018年/英露仏合作)
The White Crow
監督:レイフ・ファインズ
脚本:デヴィッド・ヘア
製作:レイフ・ファインズ他
出演:オレグ・イヴェンコ(ヌレエフ)、レイフ・ファインズ(プーシキン)、
アデル・エグザルホプロス(クララ)他
ネタばれあり(画像はネットよりお借りしました)
こんばんは。ひつぞうです。今夜は映画の紹介。ロシアの伝説的バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフの亡命までを描いた伝記映画。監督は「シンドラーのリスト」や「ハリー・ポッター」シリーズの名演で知られるイギリス人俳優レイフ・ファインズ。製作にも関わっている。音楽家や画家とは違って吹き替えが難しいヌレエフ役には現役ダンサーのオレグ・イヴェンコが抜擢されている。
「やっぱりバレエダンサーのおしりは素晴らしいだよ」
僕は足かな。
物語は帝政崩壊後のシベリア鉄道のシーンから始まる。そこで若い農婦が一人の赤ん坊を産む。それがヌレエフだった。伝記によればヌレエフの父親はタタール系の軍人。つまりモンゴル人の血を引くアジア系だ。そのためだろうか。ヌレエフは自己主張が強く、攻撃的な性格の青年として成長する。映画の中でも忠実に描かれている。ただ面貌は(母親に似たのだろう)彫りの深いギリシャ彫刻のような印象である。平たい顔族ではない。
場面はアエロフロート機内に代わる。キーロフバレエ団(現在のマリインスキーバレエ団)の団員として、ヌレエフはパリ公演に向かっていた。
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展開は凝った構成になっていて
①幼少期の記憶(オペラに始まる芸術への目覚め)
②17歳のバレエ学校入学に始まる修業時代
③1961年のキーロフバレエ団のパリ公演
この三つの時代の舞踏家ヌレエフという個性を象徴する挿話が、前後して鏤められていく。そのため少し判りづらい。この構成は「めぐりあう時間たち」の脚本家ならでは。
(その異端の人生がヌレエフとかぶるセルゲイ・ポルーニンも出演)
17歳からのスタートはダンサーとしては致命的に遅い。死に物狂いで練習するヌレエフだが、周囲の評価は芳しくない。自信家で攻撃的な青年は、生徒の分際で教師を代えてくれと校長に直訴する。そこで出逢うのが恩師プーシキンだった。「舞踏は技術ではない。物語をつむぎだすことだ」という意味のことを師は口にする。
バレエは競技である以上に芸術である。完璧な動作を求めることよりも、表現者として何をなすべきか。ヌレエフの「表現」に対する貪慾は、パリでの西側文明との邂逅によって一気に拡大していく。
(ジェリコーの名画「メデュース号の筏」にヌレエフは何を観たのだろうか)
エルミタージュ美術館やパリ・オペラ座でのロケも素晴らしい。オレグが見せるバヤデール、ドン・キホーテのヴァリエーションは、実際のヌレエフのそれでなくても素晴らしいと思うだろう。
「ニーナ・アナニアシヴィリの32回グランフェッテも凄かったにゃ」
おサルのローキックも撓りがあるけどね…。
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映画の話に戻ろう。研鑽が実り、ヌレエフはニジンスキーの再来と評されるようになる。地方バレエ団への配属の危機、恩師の妻との公認の三角関係など、矢継ぎ早のエピソードは観客を戸惑わせるかもしれない。この編集の思い切りの悪さが本作の残念なところ。亡命後に花開くマーゴ・フォンテインとの伝説のコンビネーションの示唆などは蛇足だった気がする。
(ヌレエフ&マーゴによる「白鳥の湖」の公演)
物語のクライマックスは亡命に至るシークエンス。遠征地パリでの“自由”な行動がKGBの堪忍袋の緒を切ってしまう。次なる英国公演からの突然の離脱通告。帰国を命じられたヌレエフは更迭が待っていることを悟る。この大団円は実録スパイ物風な緊張感があって誰にでも愉しめるだろう。
(当時マルローにはフランス国民の絶大なる支持があった)
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閉塞したソ連でのダンサーとしての限界が、ヌレエフを計画的な亡命に導いたと理解していたが、この偶然の連鎖(ヌレエフがパリで出逢った一人が文化大臣を務めた作家アンドレ・マルローの義理の娘だった)が彼に安息の地を与えたものとして描かれていた。
バレエを知らない人でもヌレエフの伝記は面白く読めるだろう。そして、少しでも興味が湧けば、バレエの世界を覗いてみるのもいいかもしれない。僕のような芸術音痴でも、ギエムやルグリの舞台を生で観た時は鳥肌がたったものだ。
「ていうかさ。ひつ、ぜんぜん踊れないじゃん」
おサルだって発表会のとき、一人だけ反対に回ってたじゃん。
五十歩百歩。似た者夫婦である。
(終わり)
個人的備忘録に最後までおつきあい頂きありがとうございます。