地球を愛の星にするために。福岡のスピリチュアル詩人ヒーラーゆいおとや作品集

詩人ファンタジー作家&ライトボデイヒーリングのおとやです。作品やヒーリングを通して地球を美しい愛の星に変えたいと願っています。孤独トラウマなどテレホン相談ご利用ください。世界人類が平和でありますように。



地球大浄化の祈り
ha-to 世界平和の祈り
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が全うされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます

(このお祈りをすると自分だけでなく地球全体の波動がきれいになります)

    (人生相談の御案内)

*人生がつらい方のためにこころをこめて相談にのります。守護霊様といっしょに運命の改善をしませんか?ビビっと来た方ご連絡くださいね。


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美しい生と醜い生

 

               ゆいおとや

 

美しい生は愛した生

醜い生は愛せなかった生

だけど愛せなかった醜い生だって

やっぱり神様に愛された美しい生

 

 

       *

僕はいつも気楽に愛のことを書いてますが実際問題として純粋に楽しい愛の時間を共有するのはお互いが相当できた人どうしでないとめちゃくちゃ難しいと思います。

 

普通人間はお互いの思考感情のやりとりを(愛)と思っていて思考感情が似ているあいだは愛し合えていると思っても思考感情がずれてくると(愛は死んだ)と想いがちですがそこに根本的な錯覚があると思います。

 

OSHOがよく言うことですが

 

(愛は関係性ではなく存在の状態である)

 

これはどういうことかと言うと

人と人とのやり取り以前に祈りや瞑想で自分の波動を一定の愛の波動の状態にすることが大事だってことです。

 

たとえば若い女の子はみな好きだけどおばあさんはみな嫌いだというのは自分の中に愛の波動がなくてホルモン的に女の子に引かれているだけですからその子が若くなくなったらたちまち恋愛感情もなくなってしまいます。

 

冷静に人間を見渡したらほとんどの人が家族と親友くらいにしか本当は興味がないので、人間はまだまだ普遍的な人類愛には程遠い存在状態にあるのだと思います。

 

僕も相当長いことお祈りや瞑想してきて2年前くらいからやっと自分の中に一定の愛の波動が身についてきた気がしたのですが、それまでは非常に自閉的な人間だったのですがしだいに性格も変わっていろんな出会いがつぎつぎに起こるようになってきて、ほんの少し愛の波動が出ただけでこんなに大きな変化が起こったのだから五井先生やサイババ様やOSHOみたいに全身これ愛みたいな波動圏に入ったらどれほど人生が強烈な至福に満ちたものになるんだろうかととても楽しみです。

 

こんなに多様化が進んだ現在、趣味や考え方や生き方が人と一致するなんてことは実にまれなことなので、まずは自分の中に瞑想して愛を見出さない限りは

この人ともここが合わない

この人ともここが合わない

で失望を繰り返すばかりになってしまうのではないでしょうか?

 

そして結局は

俺のことをわかってくれる人などいない

私のことを理解してくれる男などいない

とか人生にすねてしらけてしまう人が特に年をとってからは多いような気がするのはとっても残念な気がします。

 

だから逆説的ですが愛のある楽しい人生を送りたかったから、まずは人間関係をいじることよりか

ひたすらお祈りや瞑想して自分の内側に

(愛のみなもと)

を発見することが大切で

自分の中に一定の愛の波動をキープして自分で自分を楽しめるようになったら他者への依存心がへりお互いに人間関係のわずらわしさや重苦しさが大幅に減るので人間関係がすごく気楽な遊びに満ちたものに変化してゆきます。

 

情念タップリ演歌型な愛が好きな人

 

(情念が好きな人におすすめ)

 

にはあっさりしすぎて物足りないかもしれないけれど人類の未来はこの

 

(瞑想にもとずく執着のない軽やかな光のような愛)

 

をたくさんの人が実現できるかどうかにかかっているのではないでしょうか?そんな気がします。

 

だけど僕が思いますに存在の中心にある愛はそれはそれは深い愛で

(イエス様とマグダラのマリヤの深い愛)

 

上手に人と愛し合える人も、愛したり愛されたりが苦手な不器用な人も、すっかり愛に絶望してすっかり諦めきっている人も変わりなく愛してくれているので、どんなにすねていてもいつかは変化が起こり誰もが素直に子供みたいに愛し合えるのが普通の時代がそのうちやってくるだろうと楽観しています。

 

だから

 

愛に失敗した人も安心してくださいね!

 

ということが言いたかった詩なんです。

 

 

 

OSHO Times The Other: Myself 関係性――混じり合った惨めさ

参考までにOSHOの関係性に関する講和です。

関係性――混じり合った惨めさ

 私は孤独が怖いのです。いま、誰ともつき合っていません。それが実状なのですが、この状態は好きでもあり嫌いでもあります。

 あなたが独りでいられるようになる時も訪れるだろう。だが、その時はまだ来ていない。だから、好きだろうと嫌いだろうと、あなたは誰かといっしょにいるしかないだろう。孤独でいられるのは、人がほんとうに成熟したときだけだ。そして、その成熟をすぐに何とかしようとしても、何もできない。成熟は、あなたが人びとといっしょに過ごして苦しみ、また楽しんでもいるときに、徐々に訪れる。

 ひじょうに多くの関係性の経験を経て、ある日、人は独りで十分だということが、あなたの意識の中で明らかになってくる――他人に依存する必要はないことが、孤独はある種のネガティブな空間ではなく、深い成就だということが、孤独はその中に祝福のある、美しいものだということが。だが、それが訪れるのは、あなたが多くの地獄と煉獄を経験してこそだ……そのときになって初めてだ。あなたは天国に一足飛びには行けない。天国への道は地獄経由だ。あなたは地獄を通り抜けなければならない。それは学びの場――あなたを天国に向けて鍛えてくれる。だから、急いではいけない。さもなければ、あなたは惨めになる。

 付き合って惨めでいるほうが、惨めに独りでいるよりいい。今現在、選ぶのはそれしかない――独りで惨めか、いっしょに惨めか。だが、いっしょに惨めなほうが、いい。少なくとも、あなたは相手に責任を転嫁できる!

 まったく独りのとき、どこに責任を転嫁するかね? あなたがすべての重荷を負っているのだ……それを共に負ってくれる人すらいない! 誰かといっしょにいて惨めであれば、なぜ惨めさがあるのかという理由を、説明を見つけることができる。独りのときは、理由も原因もない。だから、マインドはまるでやることがなくて、惨めさはどこまでも果てしなく、永遠に続くように思われる。

 今は、その惨めさを選ぶがいい、もう一方の、人びとが関わりと呼ぶものを。それは通過するしかない必要悪だ。そうすればある日、あなたはそれを越えることができるだろうが、今はまだその時ではない。その時が来たら、あなたは独りでいても、まったく惨めには感じないだろう、世界の頂点にいる感じがするだろう。それに匹敵する喜びはない、その喜びをもたらすことのできる関係性はない。関係性はつねに混じり合った現象のままだ――喜びの瞬間が少し、そしてそれ以上の惨めさ。それが、このわずかしかない歓びの瞬間のために、人が払わなければならない代償なのだ。

 だが、もしあなたがいま現在独りだとしたら、このわずかしかない瞬間すらないだろう。惨めさに次ぐ惨めさだけで、単調な感じがする。誰かといっしょにいるときは、少なくとも惨めさが色、形、状態を変える。朝にはこうだったのに、夜には別物だ。それでもやはり、惨めさにちがいはない。だが、それは変化する! だから、誰かかわいそうな人を見つけるがいい。探しはじめなさい!

Osho, The Sun Behind the Sun behind the Sun, #24 より抜粋

 

 

 
 
 
 
 
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           川

 

             ゆいおとや

 

川が流れている

まるで人生のようだね

 

あの時々白く光る小石はおれの人生かな

 

ああやって時々キラリキラリ光りながら流されてゆくんだね

 

誰か見てくれる人はいるのかな

誰か見つけてくれたらいいね

 

 

 

         

 

                                *

 

生まれつきダイヤモンドみたいに光り輝いて、誰からも褒められて絶賛されてあがめられるのが当たり前みたいな人もたまにはいますが、ほとんどの人はどこにでもたくさんころがっている何の変哲もない小石みたいで、なんとなく流されるままに人生を送り、就職とか結婚とか出産とかの晴れ舞台に二三日くらい、ちょこっと光があたり、おめでとうとか言われて、それもすぐに過ぎ去ってまたなんでもない日常が続いてゆくのだと思います。

 

 

それどころか実はダイヤモンドよか素晴らしい光があるのに、誰にも気がつかれずに世間の片隅でそっと光輝いているような人や作品もたまにはあって、今回頂いた天使さんの書はそんな感じで、天使さんは別に有名な人でもなさそうだし、作品を無造作にポイと机に置いていたら、どこにでもいる、ちょっとうまい人の一人としか思えないと思いますが、よく見たらダイヤモンドよかまだ神様の光で輝いている、そんな神聖な波動を僕は感じました。

 

本当によい人やよい物はたいてい謙虚すぎて目立たなくて誰にも発見されずに埋もれてしまうこともすごく多いような気がします。

 

僕の人生も天使さんの人生も目立たず細く、ちょろちょろ流れている、田舎のなんでもない小さな小川かもしれませんが、お互いの川を横目でみたら、

(あ今なんかピカって光ったような気がする)

(あ、なんかただの小石かと思ったらダイヤモンドみたいだ)

ってお互いに

(見てくれる人を見つけた)

ってお互いに楽しくなった、そんな出会いでした。

 

みなさんの周りにもきっとさりげなく素晴らしいものを持っている人が自分でも気がつかずに存在していて、その自分でも気がつかない自分のよさをお互いが発見してお互いに褒めたたえあったら、とっても人生に生きがいができるし生きる勇気も湧いてくると思います。

 

まあ自己満足と言ってしまえばそれまでですがミサイルの飛んでくるせちがらい世の中ですから自己満足でもお互いがそれで嬉しかったらそれで良いし、それがきっかけでもっと良い作品が生まれたら神仏もきっと喜んでくれると思います。

 

そんなことを考えながらちょっと書いてみた作品です。

 

(天使さんの神気あふれる書です。)

 

 

天使さんのブログ

 

 

 

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世界中が大荒れで台風も接近してきています。

そんな中でも僕はのんきに5年ぶりにOSHOにはまりまくって山のようにOSHOのビデオをユーチューブからダビングして、それから五井先生から最近いただいた人類救済の切り札の

(神性復活目覚めの印)

をたくさん組んでいます。

 

頭でどんなに考えても宇宙の真相はわからないから、ハートを開いて、ハートのさらに奥にある宇宙の鼓動を感じ入って、そのドクンドクンと波打つ愛のリズムを聞いています。

 

このごろはいつも美しい海の中で泳いでいるような気持のときが多くて

 

(宇宙は海

大きくて神聖な海

僕はその中の一匹のさかな

星から星へと泳ぎ続ける

やさしくかわゆいさかな

泳ぎ疲れたら

あのプレアデスの七つ星を見ながら

静かに休んでいよう)

 

と今詩ができました。

不思議ですが

ハートが開くと宇宙からいくらでもインスピレーションが降りてくるような気がします。

 

神秘玄妙という言葉が好きで

時々筆ペンでヘタウマな文字を書きます。

神秘玄妙という言葉が好きだったから

ほんとうに神秘玄妙な文字を書く天使さんと縁ができて神秘玄妙な書が突然僕の部屋に登場しました。

 

昨日来たお祈り関係の方が

この人の字は弘法大師よりかうまい

と褒めてくれて僕もとても嬉しかったのです。

弘法大師の書

 

昔弘法大師空海の難しい本をたくさん読みました。

三教指帰とか大きな図書館にあった仏教全集の中から借りて道元の正法眼蔵とかといっしょにドトールで読みふけっていたのも今は楽しい思い出です。

 

今から考えたら無駄なことばかしやっていましたが

たどりつくことよりも

たどりつこうと努力することのほうがずっと楽しい

のかもしれません。

(もうすこしでたどりつくどうしてこんなにさみしいんだろう)

とか

(たどりついたらたどりつけない旅だった)

って詩を作りましたが、

どこまでいっても

宇宙は究極

(神様の楽しい遊び)

だから人間も無駄なことをたくさんして楽しい遊びをいつまでも続けたらよいのでしょう。

そして疲れたら神様のふところに帰って

ママもう疲れたよ

って眠ってしまえばよいのでしょう。

 

僕は宇宙が最終的に解明できるなんてまったく思いません。

これから何万年科学が進歩を続けてもすべてが解明できる日はけっして来ないと思います。

 

すべてが解明されてしまったらこれ以上このゲームは続けられなくなるから神様の楽しみがなくなってしまいます。

終わらない進化創造の中で僕もいつかは五井先生やOSHOやそうした覚醒者のひとりにもなるでしょうし、また星のたましいになって夜空で輝く日もくると思います。

ひょっとしたら今の天の川みたいな存在にもなるのかもしれません。

 

無限を頭で考えることはできません。

無限の中では過去も未来もその意味を失い

(永遠の現在)

が果てしもなく続いてゆくばかしです。

弘法大師も道元も今僕がパソコンを打っているすぐ横にいて

ニコニコ見守ってくれていたり、また

やれやれどこまで手がかかるんだか

とあきれられたりもしています。

そんな時空を超越した時空間は確かにあるのです。

それこそ

神秘玄妙の世界です。

 

北朝鮮のことが気になってユーチューブでいろいろ見ていますが結局のところどうすることもできないのでやはりお祈りをしようと思います。

OSHOの映像を見ながらエクスタシーを感じることも素敵ですが

餓死寸前のやせこけた北朝鮮の子供の映像なんか見たらしんみりしてやっぱり世界のために祈らないとなあとか殊勝に思います。

 

ハートを開いたこころからのお祈りになりたいなあっていつも思います。

 

祈れ祈れ

愛になるまで

祈れ祈れ

光になるまで

 

天使さんに書いていただいた書の写真を見ながら、そんなことを考え感じた今朝の僕でした。

 

 


世界情勢が大変なので

こんな楽しい歌を紹介します。

僕の大好きなOSHOミュージック。

おっさんバンドが面白いですが歌っているのはミラレパという有名なOSHOミュージックの第一人者です。

 

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       美しいもの

 

           ゆいおとや

 

たったひとつでよいから

ほんとうに美しいものを見つけたいな

すべてを捨ててしまってもよいから

それさえあれば輝いて生きてゆける

そんな美しいものを

見つけたいな

 

 

 

 

               *

僕の長年の女友達のSWさんがこのごろサンニャーシン(インドの言葉で真理を求めるもの。)になりました。

宇宙から

マ アナンドリーラ(至福の遊び)

という名前が降りてきて

いつもいっしょにいる三人で祝福のダンスをしました。

ダンスのあいだにおなかが空いてカップラーメンを食べました。

幼女のように嬉しそうにしている彼女を見ると

なんてやさしいハートの人なんだろうって僕もとてもやさしい気持になりました。

三人とも浮世離れした無邪気な人たちで、僕たちのあいだには何かとても美しいものがあったのです。

これまでの人生を捨ててしまい新しい

マ アナンドリーラ(至福の遊び)

になった彼女からは

過去を捨ててほんとうに美しいものを見つけかかっている素直な美しさが滲んでいました。

僕はそんな彼女の美しさに心を打たれて

(美しいもの)

という詩を書きました。

この詩を

マ アナンドリーラに捧げます。

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     私

 

              ゆいおとや

 

陽にあたって

影がさして

 

長くなった影の下に

なきしんぼのみみずがいて

 

そおしてそおして

明るくなって

 

飛んでゆくのよ

 

 

 

         *

 

この詩も自分の書いた中ではベスト5に入る金子みすず調の好きな詩です。

なきしんぼのみみずは造語ですがとってもひびきがよいです。

そのまんま本物のみみずと受け取ってもよいし

(泣き虫の私)と解釈してもよいです。

 

あえてスピリチュアル的に訳したらこんな感じかな?

 

(神様の光を浴びたら

自分の中から影の自分があらわれた

 

その長い影の自分は

泣き虫の私だった

 

だけど光を浴びてエンエンエンエン泣いたら

こころがすっきりして明るくなって

 

光の中へ飛んでゆけそうな

私がいた)

 

 

 

 

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書をいただいたお礼に天使さんに手紙を書いたら天使さんがアップしてくれましたのでリブログします。

書はいくつも頂いたのですが特に次の書は絶品だと思いますのでみなさん鑑賞してくださいね

天使さんのブログ

 

扉をひらくとそこは空

 

       ゆいおとや

 

扉をひらくと

そこは空

自由になって

飛んでゆく

 

 

僕は始めから

空だった

僕は始めから

自由だった

 

扉をひらくと

そこは空

自由になって

飛んでゆく

 

そして扉もなくなって

僕はお空に

なりました

 

広いお空に

なりました

 

扉をひらくと

そこは空

 

明るいひかりが

さしてます

 

扉をひらくと

そこは空

 

 

 

 

真剣(まことのつるぎ)と神剣(かみのつるぎ)

 北朝鮮情勢を受けて書いた詩

      ゆいおとや

 

真剣とは

まことのつるぎであり

かみのつるぎ(神剣)でもある

まことのつるぎがあれば

どんなものでも断ち切れる

かみのつるぎ(神剣)があれば

どんな深いカルマでも

断ち切れる

真剣でありたい

真剣な祈りを

祈りたい

真剣(まことのつるぎ)と

神剣(かみのつるぎ)

 

これは私が天使さんに送った手紙。下手うま?筆ペンで書きました

天使さんの達筆と比べるとああ恥ずかしい!

しかし文字は人なりと言いますが自分の字を見るとつくずく私は馬鹿っぽい人だと自分で思いました。

まあそこがいいところでしょうが?

自分なりの良さを生かすとよいですね!

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貝殻の中のやさしさ

 

          ゆいおとや

 

貝殻の中に

何かが見つかるような気がして

貝殻を

ひっくり返した

 

何も見つからなかったけれど

そんな自分がおかしくて

やさしい気持になった

 

貝殻の中に

やさしさがあった

 

お陽さまの光が貝殻にあたり

陽炎のようにゆらめいた

 

僕は泣いた

涙が貝殻の中にポツンと落ちて

真っ白い貝殻の中に涙が滲んだ

 

貝殻の中のやさしさ

 

 

人がいろいろな形あるものの中に捜し求めているものは、きっと本当はその形ではなくてその中にある愛ややさしさだと思います。

僕も(詩)という形を通して

形にならない無形の美しいものをお伝えしたいと願っています

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このブログで何回も紹介させていただいた天使さんからついに本物の書を頂きました。

僕は書道にはまったく詳しくないので保存法とかよくわからないのでとにかく額縁に入れようと思って近くのリサイクルセンターに行ったら運よく横長のピッタリの額がひとつあってすぐにそれを買って

(扉をひらくとそこは空)

を入れました。

 

ネットで見ただけでも尋常ならざる素晴らしい波動を感じていましたが実際に現物を見るとその作品からにじみ出る

 

(神気)

 

の素晴らしさに圧倒されました。

 

よく近くの市民センターで書道展覧会とかやっていてチョコチョコ見てはいましたが、正直うまいなあとは思っても、たましいが感動するなんて書はただの一度も僕は見たことはなかったのです。

 

うまい人よりか逆に(あいだみつおさん)みたいな下手うまっぽい作品のほうが感動はありましたが、それでもあいださんの書はいかにも人間くさいのにたいして、天使さんの書はまったく次元のちがう、弘法大師や観音さまなどのいる神仏の強烈で清冽な光がみなぎっていて、そうとうチャランポランな僕でさえ思わず合掌してしまう、そんな力のある書でした。

 

うまい人はいくらでもいるし、感動させてくれる人も若干はいると思いますが

 

たましいを清め霊格をあげる書

 

などは、普通まずありえないので、どうも天使さんは弘法大師空海の恋人の、真井御前(まないごぜん)だったらしいのですが

(本当かも?)

って思わず思いました。

 

書でも絵でも詩でも、その人の住んでいる世界の波動は隠しようがないので僕の感じでは天使さんの書は

 

(仏教霊界のきわめて高い次元

 

からおろされた書のように思えました。

 

ほんとに魂が釘付けになるというか、いつまでもいつまでもずっと見ていたくなるそんな魅力のある字なのです。

 

僕は天使さんに会ったこともないし、履歴とかもほとんど知らないのですが、別に有名な方でもないと思うのですが、

 

ほんとにこの日本という国は過去世の過去世のまた過去世から修行に修行を重ねたすごい魂をお持ちの方々が普通の庶民としてなんとなく日常生活を送っているすごい国なんだなあ

 

って、改めて感じいりました。

 

僕はインドのメンタリテイに一番親近感を感じる人間で

神道の清き明きこころや

仏教のおごそかな慈悲よりも

ガンジス川の清濁なにもかにも飲み込む宇宙愛が一番好きで、あまりにもおごそかなものはちょっと苦手

 

なのですが

この時期にこの書が僕のところに来たのは

サイババ様やOSHOのインドの覚醒者も素晴らしいけれど

 

おまえの祖国の日本にははかりしれない素晴らしい世界があるのだよっていう神仏のお導き

 

のような気がしました。

 

僕も昔筆ペンでヘタウマな字を書いていたので天使さんに刺激されて久しぶりに筆ペンで書いてみたら、天使さんの神気とあまりにもちがう漫画ちっくなラブリーな波動に笑ってしまいました。

 

才能というものは基本的には天命としてひとりひとりが違うものをさずかっているので比較してはいけませんがほんと波動の世界は100人100色で

結局

人間の一番の喜びは

自分が本当に自分らしい波動を出してその波動の魅力で他者にも喜ばれることだなあ

と思いました。

 

僕は普通に僕らしくしていたら

コーヒーを飲んで本を読んでごろごろして気が向いたら瞑想にふけるって猫のような暮らし

にどうしてもなるのですが

このような神気に満ちた書が室内にあると、ちょっと今までとちがってもちょっと襟を正したピリっとした生き方に変わってくるのかなあとか思いました。

 

ともかく今回天使さんの書とめぐり合ったというのはやはり宇宙の特別な意思が働いたとしか思えないので少しは襟を正して正座してピリっとした姿勢で平和のお祈りをしたいものだなあと今日はとりあえず思いました。(まあいつまで持つかしれませんが)

 

このブログをお読みの皆様も天使さんの書をつくずく眺めてその

(神気)

を感じ取っていただきたいなあと念願しています。

 

天使さんのブログ

 

 *参考までに空海と真名井御前

(海人系・空海と丹後の姫真名井御前宿命の愛)

 記事の作者は古代史研究家の月海千峰氏である。なんと事もあろ  うに、あの甲山(かぶとやま)の神呪寺(かんのうじ)の開基、真井御  前厳子(まないごぜんいつこ)が空海と「愛人関係であったと言われ  ています」と書かれていた。
 
 それによると、空海は京都の頂法寺六角堂で修行中の厳子と最初  に出会った。年令は二十九も離れてはいたが、空海は由緒のある
海部家(あまべけ)の姫厳子を敬愛し、厳子も有名な空海に関心と  尊敬をいだき、お互いに惹かれあっていった。そして遂に丹後元伊
勢に伝わる「潮満の玉」を厳子は空海に預けた。
  
やがて、淳和帝の妃として  宮中に入った厳子を六年後、甲山に逃がしたのは空海であった。その  後の再三の淳和帝から厳子に対する呼び戻しの要請を避けるため  に、空海は厳子に破格の阿闍梨灌頂(あじゃりかんじょう)を授けて  仏門のもとに保護した。そして空海は厳子をモデルに如意輪観音  像を彫る。それはまるで燃えあがる愛情のすべてをその像の中に  凝縮させて厳子に捧げ尽くしたようだった。その四年後、空海は六十  二才の三月二十日入定する。その一日前、厳子は高野山に向かっ  て合掌し、如意輪真言を唱えながら息絶える。三十三才の短い命で  あった。「空海を思慕する覚悟の自殺でしょうか?あるいは厳子の  死を追って空海が入定したのでしょうか? 共に生きられなかった二人は、共に死ぬことで愛を完結したようです」とこの記事は結ばれている。

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       祈り

         ゆいおとや

 

祈れ祈れ

愛になるまで

祈れ祈れ

光になるまで

 

 

        *

あまりにもシンプルすぎて詩とか俳句とか作品とすら呼べないような中になんとなく良いものを感じて好きな作品です。

 

意識の探求は不思議なもので、進めば進むほど無限に異なる色彩

たとえば同じ愛という言葉でも

 

親子愛

友達愛

男女の愛

性的な愛

自然への愛

なさけのような愛

とおとむような愛

宇宙に溶け込むような愛  

 

とか無限の種類の愛のニュアンスを感じてゆくのに、その反面で

 

存在とは愛

 

とかすべてがひとつで言い表せるような単純で核心的な認識も起こってきます。

 

無限にシンプルなものから無限に複雑なものが無限に生じて終わることのない存在の神秘性

 

には言葉を失って

 

ああ とか

うう  とか

 

しか言えないのかも知れません。

 

シンプルな祈りをシンプルに祈り続けて

純粋でシンプルでしかも無限な情緒に富む愛になりたいし

 

祈りの中で真っ白い光がプリズムを通して虹のような神秘玄妙な色彩になってゆく

 

そんな祈りになりきりたいと願っています。 

 

      

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    つぼみ

 

       ゆいおとや

 

花のつぼみ

いつか開く

 

私もつぼみ

いつか開く

 

つぼみの時も

良いけれど

 

花になったら

もっとよい

 

 

 

           *

とってもわかりやすい詩で特に解説もいらないのですがちょっとスピリチュアル的に付け加えたいことがあります。

 

それは普通の人間としての生では、たとえどんなに一生懸命努力して満開の花を咲かせたように見えても、咲いてしまったらあとは散ってゆくしかないという歴然とした事実です。

 

少し前までの大スターが麻薬でつかまったり、大統領だった人が汚職で牢屋に入れられたり

(天人五衰)

は毎日のようにニュースで見てものがなしい気持になります。

昔大輪の花のように見えてまぶしかった人が久しぶりに会ったら、どこにでもいるただのおばちゃんになってがっかりしたとかは誰でも身に覚えがあるのではないでしょうか?

 

スピリチュアルな探求とはある意味

一度咲いたら二度と散らない

 

(永遠の花)

 

を捜し求める贅沢な欲求と言ってもよいかと思います。

この詩をスピリチュアル的に深読みすると

 

つぼみとは宇宙意識をとらえるチャクラのこと

と解釈して

 

(花のつぼみがいつか咲くように

人間のチャクラもいつかは開いて宇宙意識になるだろう

通常の肉体としての人生もつぼみのようで良いのだけれど

宇宙意識が花のように開いたらもっと素晴らしい

だってこの花は一度咲いたら二度と散らない

永遠の花なのだから)

 

となるわけです。

 

諸行無常は世の習い

色は匂えど散りぬるを

 

むなしくはかないこの世の花よりも

一度咲いたら咲き続ける

宇宙の花になりたいものです。

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