hitoyasumi-hiroのブログ
  • 19May
    • おわび……

      ご無沙汰しております。このところずっと超低迷で、心身とも腐り状態であります。ブロ友のみなさまのブログも、まれに立ち寄るのですが、コメントを書く気力がなく……。というわけで、ご無沙汰をお詫びするためだけの記事であります。来月、とりあえず手術入院をするので、ひょっとすると気もちが変わるかもしれません。しばらく消滅していますので、あしからずご容赦ください。みなさまのご健闘、ご健勝をお祈りしております(ほんとに)。あ。励ましのコメントとか、気を遣わないでくださいね。返コメする気力がないので……。ごめんなさい(;´Д`)

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  • 11Apr
    • まゆつば国語教室 48

      もう一つの遠野物語 (下)                 ◇まゆつば国語教室 48気がつくと、まゆ国、なんと48回目!飽き性のぼくとしては驚異的な数字です(笑)万事しんどくなっている昨今ですが、とりあえず50回の大台までは……。今回は、リアル殺人事件です。母殺し……。まず前段の短い話を挙げておきます。この男(=さらに前の話で不思議な体験をした男)ある奥山に入り、茸を採るとて小屋を掛け宿(とま)りてありしに、深夜に遠きところにてきゃーという女の叫び声聞え胸を轟(とどろ)かしたることあり。里へ帰りて見れば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹なる女その息子のために殺されてありき。山中に泊まった男の耳に、遠くから聞こえてきた叫び声。殺されたのは、男の妹でした。さて本編。この女というは母一人子一人の家なりしに、嫁と姑との仲悪(あ)しくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。その日は嫁は家にありて打ち臥しておりしに、昼のころになり突然と倅(せがれ)のいうには、ガガはとても生かしては置かれぬ、今日はきっと殺すべしとて、大(おおき)なる草苅鎌を取り出し、ごしごしと磨(と)ぎ始めたり。いきなり不穏な描写 ((゚m゚;)女は一人息子と、その嫁との三人で暮らしていた。嫁は姑と折り合いが悪く、実家へ逃げ帰ることがあった。この日は嫁は家にいて、具合が悪いのか、朝から伏せっていた。昼頃になって突然、息子が「かかあは生かしておけない。今日はきっと殺す!」と草刈り鎌を取って磨き始めます。嫁と姑。きっと長い長いいさかいがあったんでしょうね。息子は間に立って、ずっと苦しんでいたんでしょう。わかるわかる……そしてあるとき、ふいに切れた!結論は、母の方を殺す。そのありさまさらに戯言(たわむれごと)とも見えざれば、母はさまざまに事を分けて詫(わ)びたれども少しも聴かず。嫁も起き出(い)でて泣きながら諫(いさ)めたれど、露(つゆ)従う色もなく、やがて母が遁(のが)れ出でんとする様子あるを見て、前後の戸口をことごとく鎖(とざ)したり。ただならぬに形相、母は謝るけれど、切れてしまった息子にはもはや聞こえない。嫁も泣きながら夫をいさめます。意地を張って義母といさかってきたけれど、まさか殺すなんて……嫁の驚きとあわてぶりが目に浮かびます。逃げ出そうとする母の気配に気づき、息子は家の戸を閉ざします。便用に行きたしといえば、おのれみずから外より便器を持ち来たりてこれへせよという。夕方にもなりしかば(=なったので)母もついにあきらめて、大なる囲炉裡の側(かたわら)にうずくまりただ泣きていたり。重たい時間が過ぎていきます。息子もなかなか実行に移せない。あきらめ、うずくまって泣く母……。「便用」のやり取りがリアルですね。(小説書きには大事なところ!)倅はよくよく磨(と)ぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて薙(な)ぐようにすれば、鎌の刃先(はさき)炉の上の火棚(ひだな)に引っかかりてよく斬れず。その時に母は深山の奥にて弥之助が聞きつけしようなる叫び声を立てたり。前段の話の男が聞いたのは、この第一打のときの母の叫び声だったんですね。鎌を薙ぐように打ち下ろす。刃先が火棚にひっかかって母の体をかする──ものすごくリアルで、うまいですね。(遠野物語は「すぐれた文章」として三島由紀夫などが高い評価をしています)二度目には右の肩より切り下げたるが、これにてもなお死絶えずしてあるところへ、里人ら驚きて馳せつけ倅を取り抑え直に警察官を呼びて渡したり。警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。母親は男が捕えられ引き立てられて行くを見て、滝のように血の流るる中より、おのれは恨も抱(いだ)かずに死ぬるなれば(=死ぬのだから)、孫四郎は宥(ゆる)したまわれという。これを聞きて心を動かさぬ者はなかりき。二度目は右肩からざっくりと……。近所の人たちが、先ほどの声を聞きつけたんでしょう、戸を開けて中に飛びこみ、息子を取り押さえます。滝のような血を流しながら、母は最後の力をふりしぼって言います。「恨みはない。息子を許してやってくれ」──。胸に迫りますね。孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。息子は壊れてしまったんですね。「狂人は罰しない」という考え方や仕組みが、明治にもあったことがわかります。今も生きている──というのだから、まさにリアルタイムの事件です。

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  • 08Apr
    • まゆつば国語教室 47

      もう一つの遠野物語 (上)                  ◇まゆつば国語教室 47そらまめさんのブログを読んでいて、ふと、柳田国男の『遠野物語』を思い出しました。明治の文語文なので、古文学習への“助走”として、中学2年の夏期講習によく使っていました。『遠野物語』といえば、座敷わらしや河童をはじめ、山人、マヨイガ、オシラサマなど、人と異界をつなぐ民話の宝庫として有名です。日本で民俗学が生まれる元になった作品ともいわれます。そういう要素については語り尽くされていて、それが『遠野物語』の一番の魅力であることは間違いないんですが、実はそればかりではない、もう一つの魅力もあります。ということで、今回は“民話系”ではない話を二つほど取り上げてみます。まずは、『遠野物語』の中でぼくが一番好きな、切なく美しいファンタジー?です。名文なので、原文通りにのせます。ぜひ読み味わってください。東北をおそった津波の話です。土淵(つちぶち)村の助役北川清と云ふ人の家は字(あざ)火石に在り。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院(しようふくいん)と云ひ、学者にて著作多く、村のために尽くしたる人なり。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田ノ浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯(おほつなみ)に遭ひて妻と子を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。北川福二という男、海岸沿いの家へ婿に入ったけれど、大津波に襲われて妻と子を亡くしてしまいます。流された屋敷の跡地に小屋を建てて、生き残った子供ふたりと暮らして1年後……。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりし我(わが)妻なり。古文に比べればずっと易しい文章なので、よけいな現代語訳はつけません。便所は、住まいから遠く離れた渚に作ってあったようです。夜霧の立ちこめる中から、男女ふたりが近づいてきます。女はなんと、津波で亡くなった妻です。思はず其(その)跡をつけて、遥遥(やうやう)と船越村のほうへ行く崎のある所まで追ひ行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑ひたり。男はと見れば此も同じ里の者にて大海嘯の難に死せる者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり。奥さんには、福二と結婚する前、心を通わせた男がいたんですね。そして、その男も先年の津波で死んでいた……。妻に声をかける。と、「振り返りてにこと笑ひたり」。描写が簡潔でリアルです。今は此人(このひと)と夫婦になりてありと云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。死したる人と物言ふとは思はれずして、悲しく情(なさけ)なくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰(やまかげ)を廻り見えずなりたり。死んで、あの世で、もとの恋人と夫婦になっているのだと言います。福二が子供のことを言うと、妻は泣きます。福二もどうすればいいのかわからず、足もとを見ている間に、ふたりは足早に去っていきます。追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。其後(そののち)久しく煩(わずら)ひたりと云へり。これが最後です。思わず追いかけようとしたけれど、ああそうだ、ふたりはもう死んでいるんだ……。その場で福二は朝まで立ちつくします。その後、長く福二は病に伏せりました。奥さんの家柄は書いてないけど、「屋敷」とあるから、きっと網元のお嬢さんじゃないでしょうか。いま、ようやく一緒になれた元の恋人は、たぶん身分のない貧しい漁師……。奥さんは、家柄の良い福二と、親にむりやり結婚させられたんだと思います。でも妻は福二との結婚生活を誠実にこなし、子供たちもしっかり育てました。そして津波で死に、元の恋人とあの世で出会って、ようやく一人の女に戻った……。子供の待つ家へ帰る途中の道に立ちつくし、福二は何を考え続けたのでしょう。福二もかわいそうだけれど、ぼくは奥さんの気もちを想像すると切なくなります。(勝手な想像を交えて書きました。違うかも……(^^;))

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  • 05Apr
    • 雑談

      どうでもいい話ですが、近所の中学の校門前を自転車で通り過ぎるとき、「許可なく校内に入ることを禁じます」という看板が見えました。どこにでもある看板ですが、事務室は中にあるので、許可を得ようとしたら校内に入らなければならない!校内に入る許可をください、と許可なく校内に入って尋ねることに……( ´;゚;∀;゚;)  *  *  *別の話ですが、スーパーの自転車置き場。間隔がすごく狭い。買い物かごが隣の自転車にひっかかって入れられないし、無理に入れると出せない。欧米の自転車はだいたい買い物かごなんてついてないから、それにあわせた駐輪場マニュアルに沿っているんじゃないかと睨んでいます。日本のママチャリは、あの間隔じゃだめなんですよね。結局、みんな一つおきに止めている。かえって無駄……( ´;゚;∀;゚;)  *  *  *そういえば、電車の「ここは7人がけの座席です」もどうなんだろ。アナウンスしていることもある。女性や子供が2人くらい交じっていると大丈夫なんだけど、大人の男ばかりだとかなりきつい。隣のおっさんとぴったり体をくっつけることになる。気もち悪ーい……(;´Д`)夏なんか、肌が直接くっつく。冬はそれはないけど、服が分厚いからよけい窮屈。太ったおっさんが交じっていたりすると、もう絶望的です。結局、お客さんはたいてい6人で座っている。それを許すまいと、シートに切れ目を入れたりする。そもそも、「7人がけ」にふさわしい幅なのかどうかが問われないといけないのでは?たぶんあれも、どっかで決めたマニュアル通りに作っているんでしょうね。  *  *  *ついでにもう一つ。公衆トイレやコンビニトイレで数年前から流行っている、「きれいにお使いいただき、ありがとうございます」という貼り紙。要は「汚すな」ということですよね。丁寧だ、謙虚だ、と思う人もいるかも知れないけど、ぼくは慇懃無礼!な気がします。にっこりほほえんで威嚇している感じ……( ´;゚;∀;゚;)外国のトイレは、たいていストレートに書いてあります。正直な方が、ぼくは好きだな。  *  *  *あ、もう一つ。これは物心ついたころからずっと思っていることで、たぶん多くの人が同じ感想を抱いているでしょうが、食べ物屋さんの看板で、豚や牛や鶏がナイフとフォークを手に、ぺろりと舌を出して、うれしそうに笑っているってどうなんでしょ。アジアにはそんな看板よくあります。いやいや。どうでもいいとわかっちゃいるんだけど、見るたびに、どうしても違和感。なじめません。殺して食うのはしかたないけど、そこまでやらせるなよ……という感じ。

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  • 03Apr
    • まゆつば国語教室 46

      雉を狩る……今昔の夢 4                 ◇まゆつば国語教室 46今昔物語集に戻ります。「本朝仏法部」に分類される諸巻は、仏を信じたお陰で御利益があったとか、法華経を唱えたから成仏できたとかいう話がほとんどで、ワンパターンなんですが、中にはちょっと珍しいものもあります。夢に関する話は意外に少ないんですが、今回はそのなかで、描写がホラー映画のようにリアルなものをご紹介。(長いので適当に抄出です)巻19第8話「西の京の鷹を仕ふ者、夢を見て出家する話」西の京に鷹狩りを仕事にする男がいました。鷹を七、八羽、犬を十数匹飼い、毎にち野山で雉を追って暮らしていました。老境に至り、病を得て眠れぬ夜を過ごした夜明け頃、ようやくウトウトして夢を見ます。嵯峨野の墓地の中にある小屋。男は、妻と子供たちといっしょに、その小屋で暮らしています。寒い冬が終わり、うららかな春が訪れます。男は家族を連れて若菜摘みに出かけます。暖かに良きままに、散り散りに、或は若菜を摘み、或は遊びなむどして、おのおの墓屋の辺りをも遠く離れぬ(離れた)。子どもも妻も、かく散り散りに遊び去りぬ。しかる間、太秦(うずまさ。京都北西部)の北の杜のほど、多くの人の音あり。鈴の音、大きなる小さきの、数鳴き合ひたり。楽しく遊んでいると、森の方からたくさんの人の声が聞こえてきます。鈴の音が大きく、小さく鳴っています。高いところに登って見ると、狩衣を着た男たちが、鬼のような鷹や、獅子のような犬を引き連れてやってきます。鷹と犬には鈴がつけられていて、激しい音を空に響かせています。これを見るに、目もくれ(目の前が暗くなり)心も迷ひければ、「さは、わが妻子どもを疾(と)く呼び取りて隠れむ」と思ひて見れば、所々に遊び散りて、呼び取るべきもなし。しかれば、西東も思へずして、深き薮のあるに、隠れ入りて見れば、わが「いみじくかなし」と思ふ太郎子も薮に隠れぬ。妻子を早く呼んで隠れようと思うけれど、みんなあちこちに散って遊んでいて、呼び集められない。とりあえずヤブに隠れると、近くのヤブに長男が隠れているのが見えた。「かなし」は、「愛し」とよく漢字が当てられる言葉で、「いとおしい」という意味。現代語にすると「悲しい」「いとおしい」と逆の意味に分かれるように見えますが、要は、胸がせつなくキュウンとなる感じ。悲しいときも、いとおしいときも、キュウンとなりますよね。しかる間(そうするうちに)、狗飼(いぬかい。犬を飼って猟をする人)、鷹飼(同じく)、みな野にうち散りて、所々に有りて、狗飼は杖を以ちて薮を打ち、多くの狗どもを以ってかがす(臭いをかがせる)。「あないみじの態や(ああ恐ろしいことだ)。これはいかがすべき」と思ひゐたる。「いみじ」というのは、ごぞんじ、程度が著しいことをいう語で、「すごくいい」「すごく悪い」「立派だ」「貧乏だ」とそのつど内容を考えないといけない。「忌む」から出た言葉で、神とか死とか「おそろしくて避けたくなる気もち」が本来の意味です。現代語の「いまいましい」も同じですね。古文には、「ゆゆし」など、「程度が著しい」ことを表す語がほかにもたくさんあります。(「ゆゆし」も避けたくなる気もちが元。)日本人は、「良いか悪いか」という論理的な善悪のものさしより、「近づいてもいいか、近づかない方がいいか」という生活上の距離感を大事にしてきたようです。この太郎の隠れたる薮ざま(ヤブの方)に、狗飼一人寄りぬ。狗飼、杖を以って薮を打つに、生ひ繁りたる薄(すすき)も、皆杖に当たりて折れ臥しぬ。狗は鈴を鳴らして、鼻を土に付けてかがひつつ寄る。「今は限り(もうおしまいだ)」と見つるほどに、太郎子、堪へずして、空に飛び上がりたり。犬に迫られて、長男は耐えきれず、空へ飛び上がりました。夢の中で、いつのまにか長男は雉になったんですね。その時に、狗飼、音(ね)を挙げて叫ぶ。少し去(の)きて立てる鷹飼、鷹を放ちて打ち合はせつ。太郎子は上ざまに高く飛びて行く。鷹は下より羽を□□の責めばかりの□□。鷹も放たれました。いいところで脱文、判読できない箇所があります(;´Д`)しかる間、太郎子、飛び煩ひて下るほどに、鷹、下より飛び合ひて、腹と頭とを取りて、転(まろび)て落ちぬ。狗飼、走り寄りて、鷹をば引き放ちて、太郎子を取りて、頸骨を掻□□て押し折りつ。その間、太郎子、わりなき音を出(い)だすを聞くに、更に生きたるべくも思えず。刀を以って、肝心を割くが如し。長男の雉が飛びわずらって降下したところを、鷹が下から攻め上がって、腹と頭をつかまえる。二羽は落下。犬が走り寄ってきて、鷹から長男を奪い、首の骨をへし折った((゚m゚;)長男は断末魔の悲痛な声をあげる。「わりなき音を出だす」って、リアル……。「わりなし」というのは、「ことわり(道理)がない」=理不尽な、わけが分からない。それを聞く男の心は、まさに刀で内臓を切られるよう。このあと、次男と三男の遭難が描かれます。次男も首の骨を折られ、三男は、三郎子、堪へずして立ち上れば、狗飼、杖を以て三郎子が頭を打ちて、打ち落としつ。頭を打ち落とされた……。妻は北の山の方へ逃げます。鷹飼は鷹を放ち、馬を走らせて追う。藪に隠れた妻のもとに犬が次々と押し寄せ、四方から挟む……。妻もやられます。そして、男もはげしい逃走と追跡のあと、鈴の音に囲まれて追いつめられます。悲しく、せむ方なく思(おぼ)ゆるままに、下は沢だちたる薮に、頭ばかりを隠して、尻を逆さにして臥せり。狗、鈴を鳴らして寄り来るに、「今は限り」と思ふほどに、夢覚めぬ。ようやく夢が覚めました。長かった……。男は、長年、鷹を駆り立てて雉を殺してきたことを反省します。あの雉たちは、今夜、夢の中でおれが思ったような悲しみや恐怖に身を切りきざんでいたのだろう。そして、夜が明けるのを待ちかねるように鷹屋に行き、足のひもを切って放します。犬も放し、狩の道具類をすべて燃やします。妻子に夢のことを話し、そのまま一人で山寺に入って、お坊さんになりました。

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  • 27Mar
    • まゆつば国語教室 45

      初瀬のお告げ……今昔の夢 3                 ◇まゆつば国語教室 45有名な作品はいろんな本やブログで取り上げられているので、ここではあまり世間に知られていない小さなお話、かつ、できれば原文をコピペできるもの(笑)──というスタンスでやってるんですが、「夢のお告げ」を話題にする以上、やっぱり一度は触れなければならないのが「初瀬の観音様」です。源氏物語、蜻蛉日記、住吉物語、更級日記などなど、いろいろな作品に登場します。初瀬というのは奈良の長谷寺で、そこの観音はさまざまな願いを叶えてくれる霊験あらたかな仏様として古来厚く信仰されていました。観音様のお告げは、参籠した人の夢に現れます。そして、その夢を見せてもらうのが、参籠の大きな目的です。今回は、更級日記から、その様子をちらりと覗いてみましょう。源氏物語に憧れ、夢見る少女だった作者も、はや二十代後半に突入。当時としてはほとんど婚期を逃しかけている娘の将来が、母親は心配でなりません。で、初瀬への参拝を思いつきますが、いかんせん京都から初瀬は遠く、長い山越えを思うと山賊なども恐ろしい。そこで母親は知り合いの僧侶を代理に立て、「夢を見に行ってもらう」のであります。母、一尺の鏡を鋳(い)させて、え率(ゐ)て参らぬ(作者を連れて参ることができない)かはりにとて、僧を出だし立てて初瀬に詣でさすめり。「三日さぶらひて、この人のあべからむさま(将来のさま)、夢に見せたまへ」などいひて、詣でさするなめり(詣でさせるようだ)。そのほどは(作者に)精進せさす。大きな鏡(銅鏡)が必要なアイテムのようです。「え~ぬ」は「~できない」。「あべからむさま」は「あるべからむさま」の略。「将来そうであるはずの様子」という意味です。「詣でさするなめり」の「めり」は「~のようだ」という助動詞。母はちゃんと娘に説明しているだろうから、あえて「めり」と入れて、ちょっと距離を置いている感じを出しているのかなと思います。母親の熱心さに比べて、当の作者は「はあ……」という感じか。参籠は三日間。その間、作者は自宅で精進潔斎させられています。で、まもなく僧が帰ってきます。なかなか夢が見られず苦労したようです。この僧帰りて、「夢をだに見でまかでなむが(夢を見ないで初瀬を退去するのが)本意なきこと。いかが帰りても申すべきと、いみじうぬかづきおこなひて(必死でぬかづいてお祈りして)、寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の(とても気高く清らかでいらっしゃる女性で)、うるはしくさうぞきたまへるが(立派に装束を着なさった女性が)、奉りし鏡(お前に奉納した鏡)をひきさげて、~床に頭をすりつけてお祈りした甲斐あって、その夜の夢に気高く正装した女性が、例の鏡をさげて現れます。観音様なんでしょう。「いみじうけだかう~おはする女の」の最後の「の」は、例の「同格の『の』」というやつです。また、「うるはしく」は、現代語の「麗しい」というより、「端正に、きちんと」という感じを表す語。「さうぞく」は「装束をつける」という意味の動詞です。(授業うざい(`Д´) !)『この鏡には、文(ふみ)や添ひたりし(願文が添えられていたか)』と問ひたまへば、かしこまりて、『文もさぶらはざりき(ございませんでした)。この鏡をなむ奉れとはべりし(鏡だけ奉れということでした)』と答へたてまつれば、『あやしかりけることかな(おかしなことだな)。文添ふべきものを』とて、『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ。これ見ればあはれに悲しきぞ』とて、さめざめと泣きたまふを見れば、臥しまろび泣き嘆きたる影うつれり。願いを書いた文を鏡に添えるのが決まり……と言うのですが、そういうものなんでしょうか。一応プロである僧侶も知らなかったようなので、初瀬だけの決まり事なのか、あるいは、この夢において唐突に語られたことなのか。ともあれ、鏡には人の姿が映っているようです。「あわれで悲しい」姿。観音様はそれを見て泣いています。鏡に映っているのは、伏せって泣き嘆いている女性の姿……。見せて欲しいとお願いした、作者の未来の姿なのでしょう。『このかげを見れば、いみじうかなしな。これ見よ』とて、いま片つかたに(もう片方に)うつれるかげを見せたまへば、御簾(みす)どもあおやかに、几帳(きちょう)おしいでたる下より、いろいろの衣こぼれいで、梅、桜さきたるに、うぐひす木伝ひなきたるを見せて、『これを見るはうれしな』 と、のたまふとなむ見えし」と語るなり。ところが、鏡の裏面を見よ、と観音様がおっしゃるのに従うと、なんとこちら側には、美しくも華やかな情景が映っています。宮廷の中宮のお部屋か、はたまた大貴族のお屋敷か。着飾った女房たちがたくさんいて、庭には梅、桜。ウグイスが木の間を伝い飛びながら鳴いている。「これを見るのはうれしい」と観音様。「悪い未来」と「良い未来」の二つを見せられたんですね。幸、不幸の両方が訪れる──というお告げとも取れるし、幸不幸のどちらの未来が訪れるかはお前次第だよ──というお告げとも取れる。占いとしては、ちょっとずるい気もしますね(笑)幸も不幸もあるよ、というのは人生ではむしろ当たり前だし、どちらになるかはお前次第、というのも何だか責任転嫁くさいですよね。結局、お前の努力しだいだ──というのでは、お告げの意味がないような(^^;)僧侶は、たんまりお金をもらって代理で夢見に来たのに、ほんとは夢を見られなくて、苦し紛れにウソの夢を創作したのかもしれません。幸不幸どちらかの夢にするのは罪悪感がある(僧侶もたぶん初瀬を信じている)から、どっちつかずの、何とでも解釈できる夢を考えたのでは、と思います。あるいは、すべて母親の指示かもしれません。このままだとあんた、未婚のまま年老いて、経済的にも苦しい人生を送ることになるよ。位の高い、裕福な男と結婚すれば、美しくも華やかな人生を送れるんだよ。さあ、心を決めなさい。──そう思わせるための大芝居を打ったのではないか、という気もします。そのために初瀬信仰が利用された……。作者は、この僧の報告を聞いて、次のように記しています。いかに見えけるぞ、とだに耳もとめず。どのように見えたのか、とさえ、耳にも止めなかった。夢が意味するところはもちろん、夢の詳細についてさえ、まったく聞こうとしなかった。まるで興味なし(^^;)若気の至りだった……という感じで、年老いた作者はこの時のことを回想しているようです。

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  • 24Mar
    • まゆつば国語教室 44

      吉夢だけれど……今昔の夢 2                 ◇まゆつば国語教室 44「今昔の夢」という副題をつけておきながら、今回は『宇治拾遺物語』からのお話です。夢は、神仏がその意思を伝えるものなので、夢が暗示する未来は必ず実現します。吉夢であれば良い未来、凶夢であれば悪い未来が訪れます。そこで他人の夢を奪ったり買い取ったりする利口な人も現れるんですが、この夢の世界には一つの厳格な「戒め」が存在します。すなわち、「人に語るなかれ」!前回の話のように吉夢を奪われる危険があるし、そもそも「お告げの夢」というのは、人に語ったとたん効力が消えたり小さくなったりするもののようです。そこで今回は、せっかくすごい吉夢を見たのに……という、ちょっとザンネンなお話。これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者なり。彼の国にて善男夢にみるやう、西大寺と東大寺とをまたげて立ちたりと見て、妻(め)の女にこのよしを語る。伴善男(とものよしお)は平安時代初期の政治家。応天門が放火された応天門事件の首謀者とされ、伊豆に流罪となります。伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)という絵巻が有名ですね。出生は不確かだそうですが、この話では、もとは佐渡の人間で、郡司の従者をしていたと言います。大納言というのは大臣に次ぐ要職。そんな人が、辺境の佐渡で地元豪族の従者だったとは、ちょっと信じがたい話ですが。ともあれ、その善男が若いとき、奈良の大きな二つの寺をまたいで立っている夢を見た。奥さんにそのことを話します。すると……妻のいはく、「そこのまたこそ裂かれんずらめ」と合はするに、善男おどろきて「よしなきことを語りてけるかな」とおそれ思ひて、主(しゅう)の郡司が家へ行きむかふ所に、~「そこ」というのは二人称。「あなたの股が裂かれてしまうのでしょう」と夢合わせ(夢解き)をしたんですね。げ、股を裂かれる?「つまらないことを語ってしまったなぁ」と思いつつ、主人の郡司の家へお勤めに行きます。郡司きはめたる相人なりけるが、日来(ひごろ)はさもせぬに、ことのほかに饗応して、円座(わろうだ)取りいで、向かひて召しのぼせければ、善男あやしみをなして、「我をすかしのぼせて、妻の言ひつるやうにまたなど裂かんずるやらむ」とおそれ思ふほどに、~この郡司、夢の相やら、たぶん人相、手相なんかを読むことができる人でした。そこで、善男は夢の話をしたようです(書いてないけど)。すると郡司は、いつもそんなことをしないのに、大事な客人にするように、座布団(ござを重ねたような丸いやつ)を出して善男を座らせ、向かい合います。こりゃ、おれをだまして油断させ、妻が言ったように『股裂き』をするんじゃなかろうか!?いきなり股裂き──を恐れるのがちょっと変ですが、要は、何か失策にからんで処罰されるんじゃないか、と思ったんでしょう。股裂きの刑!!(゜д゜)郡司がいはく、「汝やんごとなき高相の夢みてけり。それによしなき人に語りてけり。かならず大位には至るとも、事いできて罪をかうぶらんぞ」と言ふ。「やんごとなき」とは、畏れかしこまらなければならないようなすごく貴い、といったような意味。格別の吉夢だったんですね。都を「またにかける」=支配する、という夢なんでしょう。郡司が善男を饗応したのは、出世のおこぼれにあずかろうと思ったんですね。それなのにそれなのに、その吉夢を「よしなき人」(奥さん)に話してしまった。そのために、必ず高い位には至るが、事件が起きて、罪をかぶることになるぞ。奥さんが夢の意味を読みまちがえたということでなく、奥さんが「股裂きされる」と言ったことが──その言葉が実体を持ってしまい、吉夢を傷つけたのだと思われます(言霊の思想です)。そんな言葉を発してしまったから、「よしなき人(良くない人、つまらない人)」と言っているんですね。しかるあひだ、善男縁につきて上京して大納言にいたる。されども犯罪をかうぶる。郡司が詞(ことば)にたがはず。そうこうするうちに、縁あって善男は都にのぼり、とんとん拍子に出生して大納言になりました(信じがたいけど)。しかし、かの応天門の事件で失脚してしまいます。予言が必ず当たるのも、この手の物語のお約束です。

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  • 21Mar
    • まゆつば国語教室 43

      夢を取る──今昔の夢 1 ◇まゆつば国語教室 43きのう怖い夢を見ました。夢を見ること自体が久しぶりで(目ざめて覚えているのが久しぶりで)、まして怖い夢はしばらくご無沙汰だったので、動悸がなかなか収まりませんでした(笑)そういえば高校から大学にかけては、怖い夢ばかり見ていたような気がします。まっ暗な荒野で何かに追いかけられたり、何かを殺したり……。フロイトやユングやシュールレアリズム運動にはまっていたころでした。おなじみ今昔物語集から、夢の話をいくつか取り上げてみようと思います。有名な話もありますが、創作などの参考になれば幸いです。学者から最高権力まで上りつめた人と言えば菅原道真が有名ですが、奈良時代にもう一人、吉備真備(きびのまきび)という人がいました。吉備(岡山県)の地方豪族の家柄で、貴族階級ではありません。もちろん、中央での出世など望むべくもない──はずでした。ところが、遣唐使に留学生として加わったのをきっかけに、下級官吏からみるみる出世し、知識と才覚と好運を武器にして、ついに正二位右大臣まで上りつめます。驚くべきことがあると、「それは起きるべくして起きたのだ」という理由付けの物語が、しばしば後から作られます。これもそんな話だと思われますが、当時の人たちが「夢」をどんなふうにとらえていたかを考える材料になります。※例によって、漢字の使い方、送り仮名などはいくつか読みやすく変えました。昔、備中の国に郡司がおり、その息子に吉備真備という人がいた。夢を見たので、「夢合わせ」をしてもらおうと「夢解き」の女のもとへ行った。夢合わせというのは、夢がどんな未来を示しているのか、その吉凶を占ってもらうこと。職業にしているプロフェッショナル(巫女さん系のおばあさんか)がいたようです。どんな夢を見たのかは書いてありません。夢合わせをしてもらった後、その女の人とおしゃべりしていると……人々あまた声して来なり(来るようだ)。国守の御子の太郎君のおはするなりけり。年は十七八ばかりの男にておはしけり。心ばへは知らず、容貌は清げなり。人四五人ばかり具したり。国司の長男のようです。十七、八歳の、性格は分からないがけっこうイケメン。お付きの者どももいる。「これや夢解きの女のもと」と問へば、御供の侍「これにて候ふ」と云ひて来れば、まき人(吉備真備)は上の方の内に入りて部屋のあるに入りて、穴より覗きて見れば、この君入り給ひて、「夢を云々見つるなり。いかなるぞ」とて語り聞かす。隣の部屋の壁の穴から覗いて見ると、このお坊ちゃんは、自分が見た夢の内容を、夢解きの女につらつらと話している。女聞きて「よにいみじき御夢なり。必ず大臣までなり上がり給ふべきなり。返す返すめでたく御覧じて候ふ。あなかしこあなかしこ、人に語り給ふな」と申しければ、この君、嬉しげにて衣を脱ぎて女に取らせて帰りぬ。大臣まで出世するという、世にも素晴らしい吉夢。そして、夢の内容を「けっして人に語ってはいけない」と女は言います。人に語ると、夢の効果が消えてしまうんですね。その折、まき人、部屋より出でて女に云ふやう「夢は取ると云ふ事のあるなり。この君の御夢、我に取らせ給へ。国守は四年過ぎぬれば帰り上りぬ。我は国人なれば、いつもながらへてあらんずる上に、郡司の子にてあれば、我をこそ大事に思はめ」と云へば、~真備は女に言います。「あの坊っちゃんの夢、おれにください!」人の夢を取る、ということが普通に行われていたようですね。国司は四年で任期が終わって都に帰ってしまう。おれは地元の人間だからずっといるし、地元のボスの郡司の子なんだから、おれのほうを大事にしろ──露骨な利益誘導ですね(^^;)女は即決で従います。さて、人の夢を取るって、どうやるんでしょうか。女「述べ給はんままに侍るべし。さらば、おはしつる君の如くにして入り給ひて、その語られつる夢をつゆも違はず語り給へ」と云へば、まき人喜びて、かの君のありつるやうに入り来て夢語りをしたれば、女、同じやうに云ふ。まき人、いと嬉しく思ひて、衣を脱ぎて取らせて去りぬ。お坊ちゃんと同じように部屋に入ってきて、お坊ちゃんの語った夢の内容を、一語一句たがわずに語れ。女も、まったく同じように返事をします。お代として、これも同じように着ている服を女に与えます。その後、文を習ひ読みければ、ただ通りに通りて、才ある人になりぬ。朝廷聞こし召して、試みらるるに、誠に才深くありければ、唐土(もろこし)へ「物よくよく習へ」とて遣はして、久しく唐土にありて、さまざまの事ども習ひ伝へて帰りたりければ、御門(みかど。天皇)賢き者に思(おぼ)し召して、次第になしあげ給ひて、大臣までに成されにけり。勉強すればどんどん頭に入ってくる。秀才との評判が朝廷の聞くところとなり、遣唐使に加えられ、長く中国で研鑽。天皇にも賢者として寵愛され、とんとん拍子に出世して、とうとう大臣になりました。(実際には、最高権力の間の政争にうまく立ち回ったりしつつ、好運にも恵まれて上りつめたよう)されば夢取る事は、実にかしこき事なり。かの、夢とられたりし備中守の子は、司もなき者にて止みにけり。夢を取られざらましかば、大臣までもなりなまし。されば、夢を人に聞かすまじきなりと云ひ伝へけり。夢取り──すごい効果があるんですね。夢を取られたお坊ちゃんは、これという役職もないまま終わってしまいました。ちょっと可哀想な気もするけど、ま、いいですかね。お坊ちゃんの心配なんか、する必要もなし(^^;)最後に、「~ましかば~まし」(もし~だったら、~だっただろうに)という、受験古文必修の「反実仮想」の語法が出てきます。そして結論。「いい夢は人に聞かせるな」。

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  • 16Mar
    • まゆつば国語教室 42

      「敬語」って何?                            ◇まゆつば国語教室 42先般ある所で敬語が話題になっていて、昔作った高1向けの「敬語入門プリント」を思い出しました。尊敬語と丁寧語の違いとか、謙譲語の働きとか、けっこうわずらわしいですよね。──ということで、放置プレーになっていた「まゆ国」の続きとして、久しぶりにアップしてみます。敬語の基本をB4用紙1枚につめたものなので、たぶん今さらの話ですが。【1】尊敬語と謙譲語敬語には「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三種類がある。この三つはどう違うのか。口語文法では、「尊敬語=動作をする人を高める」「謙譲語=自分を低める」「丁寧語=丁寧に言う」 =以上、定義Aとすると説明されることが多い。「尊敬」「謙譲」「丁寧」という名前も、この捉え方に基づいて近代に作られたものだ。しかし、もともとの働きはちょっと違ったのだ! 古文を読む時には、定義Aの説明では理解できないことがよくある。例えば、 右大臣、姫に御文たてまつりたまふ。(お手紙を差し上げなさる)──という文。「たまふ」という尊敬語はAの説明で良さそうだが、「たてまつる」という謙譲語はどうだろうか。右大臣のセリフであれば「自分を低めている」と言えるが、これは地の文だ。つまり作者が右大臣を低めていることになり、右大臣を高める「たまふ」と矛盾する。右大臣は偉いのか偉くないのか? あるいは「偉いけど姫よりは偉くない」のか?実は、そういう問題ではないのだ。謙譲語とは本来、「自分を低める」ためのものではなく(だからこの名前もまずいのだが)、「動作を受ける人(動作の相手)を高めるもの」なのだ。右の例文では、「手紙をやる」という動作を受ける人、つまり「姫」を高めているのが、「たてまつる」という謙譲語なのだ。 たてまつる(謙譲語)…動作を受ける人=姫に、作者が敬意を表している。 たまふ(尊敬語)………動作をする人=右大臣に、作者が敬意を表している。というわけで、何の矛盾もない。姫も右大臣も、作者にとってはともに敬意を表すべき対象なのだ。*近世、主語が自分や身内の時にしか謙譲語を使わなくなったので、口語ではAのような定義になった。しかし、もともとの働きは違ったということです。【2】丁寧語丁寧語については、尊敬語と何となく混同している人が世の中に多い。「教授が来る予定でございます」──だめですね。「来る」という動作をする人=教授に敬意を表すには、「来る」の尊敬語が必要なのに、通常の「来る」のまま。アウト。後に続く「ございます」は丁寧語であって、教授ではなく、( 話し相手 )に敬意を表しているにすぎない。正しくは、「教授が( いらっしゃる )予定でございます」。話し相手が友達なら、丁寧語を省いて、「教授が( いらっしゃる予定だ )」でいいのです。 A 女、その男を恋ひたまふ。  [尊敬語](女はその男をお慕いになる。)B 女、その男を恋ひたてまつる。[謙譲語](女はその男をお慕い申し上げる。)C 女、その男を恋ひはべり。 [丁寧語](女はその男を慕うのでございます)Aは「恋ふ」という動作を( する人 )=( 女 )に対して、Bは「恋ふ」という動作を( 受ける人 )=( その男 )に対して、それぞれ作者が敬意を表している。ではCは、誰に対して作者が敬意を表しているのか。→「恋ふ」という動作に関わる人間ではなく、「この文を( 読む )人に対して」なのだ。つまり、丁寧語は動作そのものとは関係なく、その文を読む人や聞く人に対して、筆者(話者)が敬意を表しているのであり、尊敬語や謙譲語とは根本的に働きが違うのだ!ま、いずれにしても、尊敬語、謙譲語、丁寧語とも「誰かに敬意を表す」という点では同じであり、まとめて「敬語」と呼ばれるのはそのためなのだ。【3】誰から誰に向けた敬意か。敬語の基本は「誰から誰に向けた敬意か」をしっかりと認識することです。◇尊敬語は( 表現者 )から( 動作をする人 )に向けた敬意。◇謙譲語は( 表現者 )から( 動作を受ける人 )に向けた敬意。◇丁寧語は( 表現者 )から( 読む人、聞く人 )に向けた敬意。    表現者とは、その言葉を表現している人、つまり、地の文では[ 筆者 ]、会話文では[ 話者 ]のこと。*テストで「誰から誰への敬意か」と尋ねられたら、「表現者から聞く人へ」などと答えるのではなく、「作者からかぐや姫へ」「翁から帝へ」などと具体的に答えること。*謙譲語で「動作を受ける人」というのは、「~を、~に、~へ、~から、~のために」などなど、「主語以外の対象」を幅広く指すので注意! 憶良らは今はまからむ(あなたの邸宅から退出します) 内裏へ参りて(内裏に参上して。内裏に対する敬意) かばんをお持ちします(あなたのために)*古文では主語(~が)や動作の相手(~に)がよく省略される。敬語をカギにして話をつかもう。例えば、「天皇の子である光源氏」と「身分の低い姫」のやりとりの描写で、主語や目的語が全然なくても、「~と思ふ」なら主語は姫、「~とおぼす」(お思いになる=尊敬語)なら主語は光源氏なのだ。また、「恨みて」なら相手は姫、「恨み聞こえて」(恨み申し上げて=謙譲語)なら相手は光源氏である、と見当がつくという具合です。【4】補助動詞敬語では「補助動詞」が大事な役割をしている。「補助動詞」というのは、動詞が本来の意味を失って、助動詞みたいに意味を添える働きをしている時の、そういう用法の呼び方です。品詞は?と聞かれたら、あくまで動詞です。 ほうびをたまふ。(本動詞。「与える」という本来の意味を持っている。もちろん尊敬語) 泣きたまふ。(補助動詞。本来の意味はなく、「泣く」という動詞に尊敬の意を添えているだけ)まず、頻出の補助動詞を覚えよう。[尊敬] ◇~給(たま)ふ[謙譲] ◇~奉(たてまつ)る  ◇~聞(き)こゆ  ◇~参(まゐ)る  ◇~申す[丁寧] ◇~侍(はべ)り  ◇~候(さうら・さぶら)ふ【5】訳しかた「食べる」を「召し上がる=尊敬語」「いただく=謙譲語」と言うように、決まった口語敬語がある場合はそれを使うのがよい。ない場合は次のパターンを覚えておくと便利。[尊敬語] お~になる。 ~なさる。 ~ていらっしゃる。[謙譲語] ~申し上げる。 お~する。 ~してさしあげる。 ~させていただく。[丁寧語] ~です。 ~ます。 ~ございます。*現代では謙譲語があまり使われなくなったので、口語訳がちょっと不自然だけど仕方がない(笑)

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  • 13Mar
    • またもや、ご無沙汰でした

      しばらくログインできず、さては夜逃げ?蒸発?(古い)……等と思われたかもしれません。体調不良でしばらく沈没していたあと、かみさんが予約していたバリ島へ2週間行っていました。その間、なぜかネットとつながらず、ブログでは隠遁状態となっておりました。これからブロ友の皆様がたの所へも、少しずつ訪問させていただきます。で、たまっていたメールの中で、amebaからのを開いてみると、このブログがなんと「占い・スピリチュアル」ジャンルになっていました((゚m゚;)拝読して~と書いてあったけれど、膨大なブログを一つ一つ読んでいる暇はないだろうから、何かの単語で機械的に引っかかったんでしょう。占いのことなんて書いた記憶ないけど……あやしい宗教家でもめざそうかな(笑)バリ島は雨期の最後ですが、ほとんど晴れで、腰に優しい「夏の暑さ」でした。とはいえ、7時間のフライトはきつく、ことに格安チケットは早朝(始発電車が間に合わない)と深夜(午前1時発)で、それぞれ数日間はダウンでした"(-""-)"バリ島はおなじみの観光地なので、サンセットの海辺を1枚だけ。あ。もう一枚。ホテルのドアの外にいたやつ。右が下です(なぜかアップすると回転してしまった)ちなみに、公募はどうやっても「ごくたまに佳作」レベルから脱せないようで、老い先長くないのにあまり気合い入れても……という気分。ぼちぼちと、あくまで週1の文化部(ほぼ帰宅部)レベルで行こうと思います。若い方々は、少しずつでも、いつか見晴らしのいい頂上に到達するかもしれません。がんばってくださいね(^^;)きょうの日経新聞文化欄に、「森の戦士ボノロン」のフリーペーパーを発行している社長さんの文章が出ていました。文章にもマンガのエッセンスを取り入れている。「えっ」と驚くような書きだしで始め、泣きと笑いを明確に入れる。あざといと思われてもかまわない。わかりやすく、だれでも笑って泣けるものを作りたいのだ。童話を書く方には参考になるかも知れません。日経電子版に無料登録すると読めます。……って、宣伝で終わりか(`Д´) !

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  • 29Jan
  • 28Jan
  • 12Jan
    • TOBE「夢」は今回も安定の落選でした "(-""-)"11,12月と続けて出さなかったんですが、アイデアが出ないだけじゃなくて、なんか意欲がなくなってきたんですよね。ほかの公募もこのところ全然出してない。これだけは……と思っていたアンデルセンとキッズエクスプレスも結局、不戦敗でした。TOBEを含めて、公募はしばらくだめそうです。いちおう、今年1年は続けようかと思ってるんですが、気力体力がどうなることやら "(-""-)"ということで、落選の「夢」をアメ限から再upしておきます。   夢のシステム「え? 財務省のお役人なの、あんた。最近は役所もセールスをするのかい」「いえ、今日はその左にある『夢の長寿』協会事務局として参りました。資産をお持ちの高齢者を対象に、人生でやり残した夢をラストステージでかなえていただこうという新規事業なんです」「やり残した夢ねえ。まあ、ろくにつきあいのない甥や姪に遺産を残すのもなんだし、話だけ聞かせてもらうか」「ありがとうございます。ではさっそく」        *「ほう、作家ですか。それはすばらしい夢ですね」「いや、大学が文学部でね。若気の至りで、いっときそんな夢を抱いていたんだ。会社勤めを後悔しているわけじゃないよ。安定した生活だったし、それなりに面白かった。重役にもなれたしね。まあ、もし作家になっていたらどうだったろうと、ちょっと興味があるだけだよ」「それこそ、わが『夢の長寿』協会のコンセプトです。必ずや作家にさせていただきます」「いくらくらいかかるのかね。作家になるの」「作品はおありですか」「作品? 学生時代に書いたショートショートが十くらい……捨てちゃったかなあ。やっぱり作品がないと話にならんよね」「いやいや。ゴーストライターに書かせるという手があります。少しお高くなりますが」「で、いくらくらいなの」「出版費と広告宣伝費、マスコミに取り上げてもらうための接待費、ランキングに入るための大量買いの費用も入れて……」「えっ、そんなに?」「人気作家になったら、若い女の子にちやほやされますよ」        *「さあさあ。店の外まで長蛇の列ですよ」「サイン会なんて気恥ずかしいなあ。一応、練習はしてきたけどさ。若い女の子はいるのかね」「おまかせください。私どもの仕事にぬかりはありません」「て、それ、サクラを用意したってこと?」「め、めっそうもない。作品を読んで感動した人たちですよ。さあさあ」「げっ。ばあさんばかりじゃないか」「あれ? それはちょっと認識を変えていただかないと。六十九歳までは若者と呼ぶって、このあいだ法律で決まったじゃないですか。昔の感覚でいたら、この超絶高齢社会は生きていけませんよ」        *「売れた分は収入になるんだよね。ランキングにも入ったし」「それは無理です。売れた分だけ費用もかかっていますから。作家になるのが夢だったんですよね。お金なんて、あの世まで持っていけるものじゃありません。作家としての喜びを満喫することに集中なさったほうがよろしいかと」「しかし、なんか物足りないなあ。作家って、この程度のもんだったっけ」「名誉ですね」「名誉?」「賞を取りましょう。芥川賞とか直木賞とか。まあ、ノーベル賞はさすがにお手持ちの資産では難しいですが」「お金を出せば直木賞とか取れるの?」「何とか頑張ってみます」        *「ごめんなさい。残りの資産が足りなくなってしまったようです。『夢の長寿協会文学賞』で手を打っていただけますか」「そんな賞があるの。うさん臭い名前だな」「そんなことはありません。財務省が全面的にバックアップしている国家的な賞です」「やっぱり直木賞がいいなあ。資産はまだ大分残っているはずなんだが」「入院、葬儀、死後の手続き費用などをキープすると、これでほぼ終わりです」「えっ、財産を全部使い果たしたってこと?」「はい。財務省で把握している御資産データに沿って事業を進めましたので」「死にたくなってきた」「そんなに悲観なさらないで。高齢者の夢がマネーフローを活発にし、国家の景気を支える。まさに夢のシステムじゃないですか」「あした、どっかから飛びおりるよ」「良かった。ちょうどその日程で計算してあるんですよ。これだけピタリなのも珍しい」ひどい話ですねえ。おそまつさまでした (^^;)

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  • 31Dec
  • 14Dec
    • むし

      ご無沙汰です。相変わらず、というか、ますます気分が低調で、ひょっとしたらこれは「うつ」だろうかと思う日々。何もやる気がしない。出かける気もしない。おいしいものを食べたいとも思わない。もちろん、女性にも関心ない。だめですね、これじゃ。腰痛でいつも体の芯がじんわり痛いから、いろんなことがいやになってしまうのかも知れません。創作も、アイデアが浮かぶ気配がないんですよね。TOBEの今月の課題「星」なんて、いくらでも話が作れそうなのに……(泣)もうしばらくぼんやりして、次の手を考えたいと思っています。うということで、久々にTOBE落選作を再upしてみます。     虫                                *公募ガイドTOBE──課題「虫」「丸いものがありますね」と、抑揚のない声で医者がつぶやいた。 サングラスをかけているので、目つきはわからない。角刈りの頭とほおの傷跡が、その筋の人かと思わせる。「聞いているんですか」 むっとした口調で、しかし顔はシャウカステンのレントゲン写真に向けたまま、医者が言った。「は、はい。それが痛みの原因なんですか」「さあ、どうかな」「何なんでしょ、それ」「卵のようですね」「卵?」とぼくは復唱した。「のようだ、と言っただけだよ。実際に何であるかは切り開いてみないとわからない」「手術するんですか」「したければね」「……したくはないです」「じゃあ、しないよ」「大丈夫なんですか」「大丈夫かどうかは、それが何であるかによるな。でも手術はいやなんでしょ」「必要なら我慢しますが」「だからね」と、医者はドスの利いた低い声を出した。眉間に青筋が立っている。「必要かどうかは、切り開いてみなければわからんのだよ」「しばらく考えさせてください」 かろうじてそう言うと、ぼくはあたふたと逃げ出した。 吐き気が止まらない。 バスに乗って、隣の市の病院を受診した。「すごいすごい。なんだろ、これ」 女医さんがうれしそうに、並んだレントゲン写真に顔を寄せる。斜めを向いた白衣の胸元から、ちらりと谷間がのぞいている。 心臓の下あたり、あの卵があった場所に、端が丸くて細長いもの──まさに芋虫だ──が写っている。「ここがポイントよ」と人さし指を四枚の写真に踊らせたのは、芋虫の足の部分だった。「少しずつ形が違っているでしょ。動いているのよ」「やっぱり手術ですか」「あら、芋虫はきらいなの?」「好きとかきらいとか言うことじゃなくて」「きらいじゃないなら、飼っておけば」「飼う?」絶句した。体の中で芋虫を飼うなんて。「どう成長していくか楽しみだわ。一週間したら、また来てね」 女医さんは、キャバクラのお姉ちゃんのように、妖しく目尻を下げた。 吐き気は三日ほどしたら治まった。 サナギになって、動くのをやめたのかもしれない。……って、まさか本当に芋虫なのか。 部屋で布団にくるまって、一日じゅうモゾモゾしていると、自分自身が芋虫になっていくような気がする。カフカの小説みたいだな。あれはカブトムシだったっけ。なんで虫になったんだったか。遠い学生時代に読んだきりだから、内容を思い出せない。理由はなかった気がする。それがシュールで不条理なんだよな、たしか。 ぶつぶつ言っていたら、とつぜん鋭い痛みが胸の奥ではじけた。 体を抱え込んでうずくまり、はね上がり、転がり、壁に何度も激突した。 隣の人らしい大声。やがてドアが破られる音。そして救急車のサイレン……異常な状況に動転しながら、雲のなかに溶けこむように、妙に気分がふわふわしていた。 胸板の内側から、小さな炎が這い出ようとしているかのような感覚。 痛みなのか快感なのかわからない。自分という存在が迷子になったかのような、どこか哲学的な気分。「さあ。君たちもよく見ておきなさい」 老人特有のかすれ声が、白い闇のなかで揺れている。どすの利いた低音と、女のキャラメル声がそれに交じるのだが、何と言っているのかわからない。あの二人、教授に仕えるヒラ医師たち、という役どころだろうか。きっと、あいつら、できているぞ。はやりの不倫だ。 と、どうでもいいことを考えている自分を、もう一人の自分が眺めている。ミラーボールのような、きれいな複眼のイメージ。 ずん、ときた。陣痛だろうか、これは。痛みのない、麻薬のような陣痛。       すべてが終わった翌朝。 初々しさを白衣に包んだ、そばかすだらけの若い看護師が、病室の窓を開けた。 どこにいたのか、黒と黄色の大きなアゲハ蝶が一羽、ふらふらと舞いあがり、窓を抜けて、紺碧の空へ飛び出していった。ううむ。意味不明ですねえ。シュールなのは好きなんだけど(大学の卒論テーマでした(笑))、これはただの独りよがりですね。とほほ "(-""-)"

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  • 05Dec
    • まゆつば国語教室 41

         日本語の乱れ?                                        ◇まゆつば国語教室 41先日、ネットニュースで、<10代女子向け総合メディア「マイナビティーンズ」による調査「2017年ティーンが選ぶトレンドランキング」(長い……)>というのが出ていました。1位「インスタ映え」2位「熱盛 」3位「〜ンゴ」4位「〜な説」5位「オーマイゴッドファーザー」6位「BFF」7位「ありよりのなし」8位「良きき」9位「バブい」10位「すこ」だそう。1位しか意味が分からなかった"(-""-)"ちなみに、2位は「熱くなるほど盛り上がっている」、3位は「わろたンゴ」「泣いたンゴ」と語尾に付けて楽しむ言葉なんだとか。なんか、日本語もえらいことになってますねぇ。最近の若者の言葉遣いはなっとらん(`Д´) !正しい言葉遣いをしろ(`Д´) !と怒る人は昔からいて、有名なのは、かの清少納言ですかね。◇枕草子186段 ふと心劣り(がっかり)とかするものは、男も女も、言葉の文字いやしう(下品に)使ひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ(よくない)。ただ文字一つに、あやしう(不思議なことに)、あてにもいやしうも(上品にも下品にも)なるは、いかなるにかあらむ(どういうことだろうか)。~文字というのは、手紙なんかのことを言ってるんでしょうね。このあと、言い方のよしあしがひとくさり続いて(中略)……「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし。まいて(まして)、文(手紙)に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそ、あしう書きなしつれば、言ふかひなく、作り人さへこそいとほしけれ(作者まで哀れになってしまう)。 「ひてつ車に」と言ひし人もありき。「求む」といふことを「みとむ」なんどは、みな言ふめり。鎌倉時代の軍記物なんかになると、「言はんとす」が変じた「言はむず(る)」が普通に出てきた気がしますが、平安中期にはまだ違和感の強い表現だったようです。清少納言は、それだけでもうだめ!と怒っています。「ひとつ」を「ひてつ」、「求む」を「みとむ」というのは後世には伝わっていない。一時的な流行?だったんでしょうか。兼好法師も、「なにごとも古い時代が慕わしい」と言いつつ、言葉の乱れを嘆いています。◇徒然草22段たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ(残念なものになってきている)。古(いにしえ)は、「車もたげよ(牛車に牛をつけよ)」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様(いまよう、現代)の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮(とのもりょう、宮中の雑事をした役所)人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講の御聴聞所なるをば「御講の廬」とこそ言ふを、「講廬」と言ふ。口をし(残念だ)とぞ、古き人は仰せられし。~とまだまだ、「昔は良かった」という話が続きます(^^;)ぼくは国語のセンセとして「正しい日本語を使おう!」と生徒に言ってきたし、うるさいことを言う人間も必要だと思うので、言葉に関しては基本的に保守派の立場ですが、最初に挙げたような新語、ほんとは嫌いじゃない。というか、日本語が変化してきた歴史を見ると、けっこう「わかってるなぁ、君たち、日本語のこと」とほめたくなります。こんなふうに変化しつづけ、新しい言葉が生まれつづけてきたのが、じつは日本語の歴史でもあります。9位の「バブい」(赤ちゃんぽい)なんか、とてもうまいと思いますよ。センスあり!

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  • 02Dec
    • まゆつば国語教室 40

        子を見捨てた僧                                        ◇まゆつば国語教室 40親を食ってしまった僧の話を取り上げたので、今度は、大水に流された子を見捨てた僧の話です。親と子、今昔の価値観の違いを考えさせられます。今昔物語集・本朝仏法部・巻19第27話より。淀川の川辺にお寺があり、その寺の僧には、可愛がっている男の子がいました。五、六歳くらいで、色白く、顔立ちも性格もすばらしかった。あるとき、淀川が増水して、川べりの人家がたくさん流された。その水に、この法師の家、押し流されにけり。しかれば、その家に年老いたりける母の有りけるをも知らず、この愛する子をも知らずして、騒ぎ迷ひけるに、子は前に流れて、母は一町ばかり下りて、浮かび沈みして、流れ下りけるに~僧の家も流された。家の中には、年老いた母と子供がいたのだけれど、僧は知らずにバタバタしていた。子は手前の方、母は百メートルあまり先を流されて、浮かび沈みしていた。この法師、色白き児の流れけるを見て、「彼れは我が子なめり(であるようだ)」と思ひて、騒ぎ迷ひて、游(およぎ・抜き手)を掻きて、流れ合ひて見るに、我が子にて有れば(であるので)、喜びながら、片手を以って子を提げて、片手を以ては游を掻きて、岸様に(きしざま・岸の方へ)来たり着かむとする程に~わが子を発見!片手でかかえて、必死に岸へ泳ぎます。また、母、水に溺れて流れ下るを見て、二人を助くべき様は無かりければ(なかったので)、法師の思はく、「命有らば、子をば、またも儲けてむ(もうけてむ・きっと作れる)。母には、只今別れなば(別れてしまったら)、また値ふべき様無し(会える方法がない)」と思ひて、子を打ち棄て、母の流るる方に掻き着きて、母を助けて、岸に上せつ。どうでしょ。この考え方。泳ぎながら二人は助けられない。となれば……子はまた作れるが、母は二度と会えない。(・Θ・;)子を水の中に捨てて、母を助けました。母、水呑みて、腹脹(ふくれ)たりければ、疏(つくろ)ひ助けつるに、妻、寄り来て云はく、「汝は奇異(あさまし)き態しつる者かな。目は二つ有り。只、濁り有りて、白玉と思ひつる我が子を殺して、朽木の様なる嫗(おうな)の、今日明日死ぬべきをば、いかに思ひて取り上げつるぞ」と、泣き悲しんで、云ひければ~子の母(奥さん)は怒ります。白玉のわが子を殺して、今にも死にそうな朽ち木のような老婆を助けるなんて!すると、父の法師、「現に云ふ事、理(ことわり)なれども、明日死なむず(死ぬだろう)と云ふとも、いかでか、母をば子には替へむ(どうして母を子に替えられようか)。命有らば、子はまたも儲けてむ。汝、歎き悲しむ事無かれ」と、誘(こしら)ふと云へども(言いきかせるが)、母の心やむべきに非ずして、音を挙げて泣き叫ぶ程に~また先ほどの理屈を、妻に言って聞かせます。奥さんは泣き叫び続けます。そりゃ、そうでしょね。(・Θ・;)そのとき、母を助けたる事を、仏、「哀れ」とや思(おぼ)しめしけむ(お思いになったのだろうか)、その子をも末に、人、取り上げたりければ、聞き付けて、子をも呼び寄せて、父母あひ共に限り無く喜びけり。よかった♥子供も、だれかが助けてくれました。喜び合う親子三人。ん? めでたしめでたし?その夜、法師の夢に、見知らぬ、やんごとなき(徳の高そうな)僧来て、法師に告げてのたまはく、「汝が心、甚だ貴し」となむ讃め給ふと見て、夢覚めにけり。「まことに有り難き(めったにない)法師の心なり」とぞ、これを見聞く人、皆讃め貴びけるとなむ、語り伝へたるとや。はい。やっぱり、めでたしめでたし、なんですね。周りの人々も、作者も、この僧の考え方や行為を褒めちぎっています。ぼくは、子供と母とどちらが大事──というより、「いったん助けた子を見捨てて、母を助ける」ことの是非だと思うんですが。そんなことは問題外なんですね。愛する子より母を大事にした=親孝行、すばらしい、という論理です。それは同時に、「子供は自分の持ち物」という発想でもある。大事な持ち物を捨てて、母の命を救った。だから偉い、というわけです。子供は親の所有物──それは実は、古今東西ずっと続いてきた(かなりの国で今も保たれている)価値観です。「主君のために自分の子供を身代わりに殺す」という話、歌舞伎によくありますよね(熊谷陣屋、伽蘿先代萩(めいぼくせんだいはぎ)など)民衆は涙しながら拍手喝采したわけですが、どうでしょ。ぼくは違和感がぬぐえません。子供は親の所有物、という発想が根っこにあるのが、どうしてもだめ。"(-""-)"       *     *     *     *「大切な家族、どちらを助ける」というテーマで、ぼくの好きな話を最後に。出典を忘れてしまったので、覚えているまま概略を……。あるとき、孔子に弟子が尋ねた。「家が火事になったとします。妻と母と、どちらか一人しか助けられないとしたら、先生はどちらを助けますか」孔子は笑って即答した。「そのとき近くにいる方を助けるさ」

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  • 30Nov
    • まゆつば国語教室 39

         父親を食った僧                  ◇まゆつば国語教室 39相変わらず万事に意欲低迷なう、であります "(-""-)"とりあえず景気づけにブログを書いてみようかと……。頭が働かないので、安直にいつもの「今昔物語集」から一つ。有名な話はだいたい「本朝世俗部」というカテゴリーにあるのですが、今回は「本朝仏法部」であります。善行やお経の功徳でいいことがあったとか、悪いことをしたから仏罰を受けたとか、そんな話ばかりなんだけど、それなりに面白いものもいくつかあって、今回は「父親を食ってしまった僧」のお話。え?((゚m゚;)由緒正しいのに、住職がだめだめで落ちぶれてしまったお寺が舞台です。ある夜、浄覚という住職が夢を見た。浄覚が夢に、死にたる父の別当(寺の責任者。住職)、きはめて老耄して、杖をつきて来て云はく、「われは仏の物を誤用の罪に依りて、鯰の身を受けて、大きさ三尺ばかりにして、この寺の瓦の下になむ有るに、行くべき方も無く、水も少なく、狭く暗き所に有りて、苦く侘しき事限り無し。寺の公金を横領したのか、仏具を売り払ったのか。その罪で、死んだあとナマズに生まれ変わってしまったそうであります。1メートルもの大ナマズで、寺の瓦の下(?)でつらい生活をしている。しかるに、明後日の未時(ひつじどき。午後2時ごろ)に、大風吹きて、この寺倒れなむとす。しかるに、寺倒れなば、われ地に落ちて、這ひ行かむに、童部(わらわべ)見て打ち殺してむ(きっと打ち殺すだろう)。それを汝、童部に打たしめずして、桂河(桂川)に持ち行きて放つべし。しからば、われ、大水に入りて、広き目を見、楽くなむ有るべき」と告ぐと見て、夢覚めぬ。あさって大風が吹いて、お堂が倒れる。おれは地面に落ちて、子供たちに打ち殺されるだろう。そうならないよう、桂川に持っていって放してくれ。浄覚、妻に夢のことを話すと、「何なんでしょうね、それ」と首をかしげる。翌々日、お昼頃からにわかに空が曇り、大風が吹いてきました。そして、お堂が倒壊。すると、屋根の裏板の中に年来の雨水がたまっていて、そこに魚が何匹も……大きなる魚ども、多く有りける。庭に落ちたるを、その辺の者ども、桶を提げて掻き入れ騒ぐに、その中に三尺ばかりの鯰、這ひ出たり。夢に違(たが)ふ事無し。しかるに、浄覚、慳貪邪見深きが故に、夢の告げも思ひも敢へず(思慮せず)、忽(たちまち)に魚の大きに楽しげなるに耽りて、長き金杖を以って、魚の頭に突き立て、太郎子(長男)の童を呼びて、「これ取れ」と云へば、魚大きにして、取られねば(取れないので)、草苅る鎌と云ふ物を以って、顋(あぎと。あご、えら)を掻き切りて、葛に貫きて、家に持ち行きて、他の魚どもなど始めて桶に入れて、女どもに戴(いだ)かしめて、家に行きたれば~やっちゃいましたね。草刈り鎌でえらの所をざっくり。奥さん、それを見て、びっくりします。妻、この鯰を見て云はく、「この鯰は夢に見えける鯰にこそ有めれ(であるようだ)。いかに殺しつるぞ(どうして殺したのか)」と。浄覚が云はく、「童部の為に殺されむも同じ事なり。敢へなむ(さしつかえない)。われ取りて、他人交へずして、子どもの童部とよく食ひたらむをぞ、故別当は、『うれし』と思(おぼ)さむ」と云ひて、つぶつぶと切りて、鍋に入れて煮て、よく食ひつ。親子水入らずで食えば、死んだじいさんも喜ぶだろう……なんと勝手な理屈。鍋で煮て、食っちゃいました。浄覚が云く、「怪しく、いかなるにか有らむ、他の鯰よりぞ、この鯰の殊に味の甘きは。故別当の肉(ししむら)なれば、よきなめり。この汁すすれよ」と、妻に云ひて、愛し食ひけるに、大きなる骨、浄覚が喉に立ちて、えつえつと吐迷(はきまどひ)ける程に、骨出ざりければ、遂(つい)に死にけり。「ほかのナマズよりうまいぞ。じいさんの肉だからうまいんだろう」……す、すごい発言((゚m゚;)しかし、これは仏法を説くためのお話であります。うまくてよかったね♥──とはなりません、もちろん。のどに骨が刺さって、死んでしまいました。仏の罰か、じいさんの復讐か。これ、他に非ず。夢の告げを信ぜずして、日の内に現報を感ぜるなり(その日のうちに報いを受けたのだ)。思ふに、いかなる悪趣に堕ちて、量(はかり)無き苦を受くらむ。これを聞く人、皆浄覚をそしり、悪(にく)みけりとなむ、語り伝へたるとや。しかし、じいさんの肉だからよけいうまいと言ってのける住職といい(そもそも魚でも肉食は禁止)、お寺のものを私物化していたそのじいさんと言い、“生臭坊主”はこの時代からたくさんいたんですね。めでたしめでたし(ちがうか)。

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