何かを守るという事は、何かを傷つけるって事~踊っていて感じた事 | 『人生わがままに生きよう』

『人生わがままに生きよう』

『あなたの人生まるっと"あなたいろ"に染めちゃおう』
もちろん、過去も大事だけど、これから作っていく未来の方が、最高に楽しいよ!!

✼••┈┈┈┈Prolog┈┈┈┈••✼

競技選手として、

プロ社交ダンサーとして、

 

いろんな世界を見てきた。

いろんな人を見て、

いろんな踊りを感じて、

いろんな想いに触れて、

いろんな場所で戦ってきた。

 

だから思う

「本当に大切なこと」

 

実力がものを言う世界で、

何が正しい事なのか分からなくなった時の処方箋。

 

わたしが今まで戦ってきたものたちから、

自分の意思で距離をとって、

「本当に大切なこと」に気づけるようになるまで。

 

その中での気づきが、

この文章を読んでくださっている方にとっての、

新しい気づきになるように。

 

今日がその、1日目になると信じて。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

 

 

  3章: 未来を共に創る 「 仲間」

✼1✼  勝ち負けって必要かな?

✼2✼ 誰と戦うべきだったんだろう

✼3✼ その場で作り出す美学

✼4✼  一生ダンサーでいたいと思える理由

✼5✼  さいごに

 

 

 

勝ち負けって必要かな?

 

今まで、

・誰かの役に立ちたい。

・すべてが平和であればいいのに。

 

 

そう感じていた過去の私が、

ダンスを通して感じた事。

 

 

それは、どんな世界でも、

勝つ人もいれば、負ける人もいる。

 

 

ジャンルが変わっても、

勝ち続けられる人もいるし、

同じジャンルでも、

なかなか勝てない人もいる。

 

もちろん、全員が「勝つ」

その気持ちをもってして戦うし、

もちろん、全員が「負ける」

ことを望んではいない。

 

 

それなのに、

勝てるのは、優勝できるのは一人だけ。

 

 

現役を引退した今だからこそ言えるのですが、

『そんな世界って正しかったと言えるのかな?』

 

 

誰かが、勝ち続ければ、

誰かは、負け続ける。

 

 

何かを守るということは、

何かを傷つけることにもなり得る。

 

 

だから、

「1位になり続ける」

そこには、ものすごい覚悟が必要ですし、

 

 

「1位を追いかけ続ける」

そこにも膨大な体力が必要。

 

 

そんな中で、

ダンスの試合当日。

音楽がダンス会場に鳴り響く3分間。

選手全員が、

 

・同じ時間に、

・同じ空間で、

・同じ曲で、

・同じ環境で、

・同じ条件で、

 

たった1つの『優勝』を目指して、全力で踊る。

 

だからこそ、

それぞれに順位がついてしまう事が、

当時の私には、胸を張って、

『これって最高だよね!』って言えない部分でもありました。

 

 

それでも、

息がきれなそうなくらい

身体がちぎれそうなくらい

足がもげそうなくらい

目が回りそうなくらい

目尻のシワがまた1つ増えそうなくらい

 

 

どんなに辛くても、

『ダンス』自身を嫌いになることもなく、

踊り続けるわけです。

それも、これら全てを楽しみながら。笑

 

 

だからこそ、

優勝した時は、やっぱり嬉しいし、

負けた時は、やっぱり悔しい。

 

 

当時は、そうやって、

とことん自分との勝負の世界に染まっていました。

 

 

そんな私にとっての、

当時のスローガン『明日の自分に勝とう!』

 

 

明日の自分よりも、『今の自分、最高だ!』

そう思える踊りを、練習をしよう。

明日は、もっと上手くなれるかな?

ではなくて、『今』最高の踊りをしよう。

それも、成長には必要だから。

 

 

そうやって、

誰かに『勝つ』でもなく、誰かを『負かす』でもなく、

自分のために『ダンス』をする。

そう自分に、誓いながら、踊っていました。

 

 

だからこそ、

試合会場に、立ってダンスフロアに入って行く時には、

いつもこう考えていました。

 

 

 「今、この瞬間まで、

全力で自分と戦ってきた。

 

だから、ここからはもう、

自分を楽しませるために踊ろう。

 

今は、誰とも戦わない。

観ている人が、そして自分自身が、

明日もまた頑張ろう。

 

そう思える踊りをしよう。」

 

 

当時は、そこでいっぱいいっぱいでしたし、

ここが全てだと、そう思っていました。

 

 

そういう意味で、他者との勝ち負けって、

必要ではないなって、、、。

 

 

ですが、

それだけではまだ不十分だったと、

そう思う部分があったので、

わたしが今だから思う、

新しい価値観を追加していこうと思います。

 

 

 

誰と戦うべきだったんだろう?

 

 

「誰かと戦う」のではなく、

「自分と勝負しよう」

 

 

その過去のわたしの価値観に、

1つ加えるとしたら、

『誠実さ』だと、今は思います。

 

 

つまり、勝ち負けではなく、

いかに自分に誠実か?

それとも不誠実か?

 

 

『明日の自分に勝つ』

それは『明日の自分に誠実でいる』

ってことなんだと。

 

 

自分に誠実でいるために

そのことに100%忠実でいるために、

誰かとぶつかる。

それは悪いことではなく、

自分の人生から逃げないことなんだと思うんです。

 

 

それが、

自分や、自分の大切な人にとっても、

そして、今は、見えていない、

第3者、周りの人たちにとっても、

誠実な行動なのか?

 

 

そこを考えられていたのか、

そうでなかったのかで、

明日の自分との約束が決まってくる。

 

 

そして、約束は、守ったり、

破るためにあるんじゃなくて、

自分の人生を歩いていく、

その道しるべのために立てる看板みたいなものだと、

常に、目の前に進む方向を示してくれる矢印(看板)があるから、

確信を持って歩みを進めることができる、

そういう性質があるものだと、

そう捉えられるようになったんです。

 

 

要するに、

勝ち負けって、その定義が、

とても移ろいやすいものであって、

比べる対象が変われば、

または、見る視点が変えれば、

その判定っていくらでも変わってしまうもの。

 

 

そういう意味で、

「勝ち負け」からちゃんと距離を取って、

冷静に考える。

その先のもっと基準値の高いところで、

意見やこだわりがぶつかることもある。

 

 

それすらも、

自分らしくいるためには必要だよね。

って思えてくる。

 

 

例えば、試合の時、

『ダンス』の審査員は、

最大で同時に12組(選手)の踊りを、

3分間以内で、順位付けをしていきます。

その基準や好みはそれぞれに違うわけですね。

 

 

スッと芯のある踊りが評価されることもあれば、

癖や個性ある踊りが評価される場合もある。

 

 

フレッシュでよく動く踊り、

大人らしい表現や技術、音楽性、表情、振り付け、

挙げだしたらきりがないわけなんですが、

当日の審査員が、何を基準にしているかは、

踊る前も踊った後も、

正確に全員分は、分からないわけです。

 

 

だから、

自分がそれまで練習してきた、

教わってきたことに、誠実に踊る方が、

結果がどうであったにせよ、

踊りきれたのかそうでないかの検証ができる。

私は、そう感じていました。

 

 

もちろん、他人からの評価は、とても重要です。

だから、ダンス仲間同士で朝まで、

お互いのこだわりを、ぶつけ合い、

語り尽くすこともあります。

 

 

でも、それ以上に重要なことは、

自分が今、何を意識し、何を何%実行できたのか?

そこに尽きるんじゃないかなとも思います。

 

 

そういう意味で、

「勝ち負け」や「比べる」って必要なくて、

自分の基準に誠実でいたいよねって思うんです。

 

 

その場で作り出す美学

 

 

社交ダンスは、紳士の踊りです。

踊りながら進む方向(反時計回り)

も決まっていますし、

万が一、選手同士ぶつかってしまったら、

試合中でも、フロアを出てからも、

きちんと謝ります。

 

 

その姿勢も、人がジャッジしている以上、

審査の対象にはなってくると思うのですが、

そもそも、紳士淑女として、

その姿勢は当たり前のことでもあります。

 

 

悪いことをしてしまったなと思ったら、その場で謝る。

自分の行動を省みる。

もちろん全員が全員そうではないかもしれません。

相手が悪い。そう捉える人もいるかもしれません。

 

 

そもそも人って、

勝ち負けにこだわるあまり、

視野が狭くなって、正常に物事を判断できなくなる。

そういうことって、よくあるからです。

そして、そこには時に、

攻撃性にも近い感情が生まれます。

 

 

その攻撃性は、ある意味、

「自分を守る」という感情だと、

私は考えています。

 

 

自分は悪くない。

自分のしたことは正しい。

だから、相手が悪いんだ、

相手が正しくなかっただけだ。

 

 

そうやって、「自分を守る」

に重きを置いてしまうと、

結果として、

誰かを傷つけることになります。

 

 

誰だって、力で、言葉で、

身体や、心を攻撃されたら、

痛みを感じるわけです。

 

それは、

友達間でも、

恋人間でも、

夫婦間でも、

親子間でも、

 

どの間でも起こり得るものだと思います。

それはある意味、

人として、

動物として、

生き抜くための知恵とも捉えることができます。

 

 

人は自分や家族、仲間を守るために、

嘘をつかなければならないこともある。

 

 

大昔、厳しい自然環境の中で、

食料を全て自分たちで、

まかなわなければならなかった時代。

同じ食料や、

同じ水場を奪い合うこともあったわけです。

 

 

そんな時、

相手を出し抜いたり、

自分の命を守るために戦ったりすることは、

厳しい自然の中で、生き抜くために、

必須の選択でもあったはずなんです。

 

 

ですが今、

その厳しい自然環境の中に放り出される。

そういったことは、まずない環境に、

この記事を読まれているあなたはいるはずなんです。

 

 

だとしたら、

たとえ、本能だとしても、

それが恒常性だとしても、

 

 

常に自分の守りに入る。

ではなくて、

どんな時も相手を受け入れる。

そんなあなたになって欲しいなって、

私ごとではありますが、思うんですね。

 

 

もちろん私もまだまだ成長過程であるので、

自分だけを守りたくなる。

そういう感情が「0」ではないのは間違いありません。

ですが、だからこそ、

一生勉強、一生成長期だと思っています。

 

 

それでも、

試合会場や、練習場で踊っていると思うんです。

自分の踊るスペースや、

出番待ちの間、舞台裏で、

休憩するスペースを確保することがあります。

 

 

その時に、他の選手の場所を奪ったり、

「ここは、わたしの場所だ!」

っと言わんばかりに、言葉で攻撃して来たり。。。

 

 

それって、最高の『ダンス』ではないよねって。

だって、見ている人にはわかります。

誰が、場所を奪い、誰が譲ったのか。

それは、そのまま踊りにも現れるからです。

 

 

むしろ、その奪い合いさえも、

踊りながら、美学にしてしまう選手もいます。

 

 

踊る場所が重なってしまっても、

アドリブで、踊りながら避けてみたり、

お互いに声を掛け合う代わりに、

ダンスとしての表現で、

「こちらへどうぞ。

私たちは、こちらに行きますね」と、

伝えてみたり。

 

 

その掛け合いもある意味、

『ダンス』でもあるんだなって、

やっぱり『ダンス』っていいなって、

そう思うんですね。

 

 

選手の立ち位置によっては、

一瞬、ペア(カップル)が入れ違ったのでは?

って思えるシーンもあったり、

表情で表現してみたり、

そういう人間味のある表現が、

自分のすぐ目の前で展開されている。

 

 

その臨場感がたまらなく好きだなって、

ダンスフロアで踊っている時にも、

外から見ている時にも、感じるんです。

 

 

その場で、瞬時に考えるというよりかは、

身体で感じて、身体で表現する。

その瞬間に出会えるという意味では、

どんなスポーツでも、

そして、日常のあらゆる瞬間でも、

同じなんじゃないかなと思うんです。

 

 

それこそ会話なんかも、

瞬時に、

様々なことを判断して言葉を紡いでいきますし、

料理も、

食材の状態や調理中の火の入り具合、

その日の気温や、湿度、

自分の体の状態によって変わる味覚など、

たくさんの要素の中で、

その場その場で、形にしていくわけです。

 

 

同じ味付けでも、

相手の反応が違うこともある。

そんな時、瞬時にかけ算の思考で、

調味料を追加したり、

一緒に食べるサイドメニューを、

ささっと用意したり、

そういう日常の中にも表現ってある。

 

 

だから、毎日が「楽しい」

その瞬間で積み重なっていくんだと思います。

 

 

 

 

一生ダンサーでいたいと思える理由

 

 

さて、少し、料理の話にそれてしまったので、

『ダンス』の話に戻しますね。

 

 

先ほどの相手へ心を配れる『ダンス』

この譲り合いの心って、

ある意味、自分を守るためではなくて、

相手の全てを受け止めるため。

っていう意味でもあると思うんです。

 

 

・相手の意思も汲みつつ、

かつ自分の方針も曲げることなく表現する。

 

・お互いの距離感、

そのちょうどいい塩梅が瞬時にわかる。

 

 

この2つが、24時間できたら、

お互いに戦いになることもない。

そのために広い心、広い視野を持つ。

ってことなんじゃないかなと。

 

 

・正しい事があれば、正しくない事がある。

・勝った人の後ろには、負けた人がいる。

・ある人にとって、いい踊りでも、ある人にとってはいい踊りではない。

 

 

それらは、とても相対的であるからこそ、

自分が何を譲り、

そして、何を譲らないのか?

その境界線をちゃんと理解できているから、

周りにも心を配れる。

そんな心も視野も広い人になれる。

 

 

それを感じることができたダンスであったから、

私は、一生ダンサーでいたいなって思えているわけです。

 

 

例えば、こんなことがありました。

私は身長が157cm、

社交ダンサーとしては、小さい方でもありました。

 

 

そんな私が、初めて、

年に1回イギリスで開かれるUKと呼ばれる試合に、

出場したときのことです。

 

 

私自身、初めての試合会場で、

右も左もわからぬまま、

自分の背番号が英語でコールされ(呼ばれ)、

自分を奮い立たせながら、

ダンスフロアに入っていく。

 

 

他の選手も、

各々の番号を呼ばれるごとに、

次々にダンスフロアに入って、

踊り始めます。

 

 

私たちペアは、なんせ背が低い。

海外の選手で170、180cmは当たり前の中で、

必死に、動こう。そう踊っていたんですね。

 

 

そんな記念すべき初海外試合、

しばらく踊っていると、

あぁやっぱり、私たちペアが進んで行きたい方向に、

180cm以上ある日本の選手が踊っていたんです。

 

 

多分このまま進んだら、

まずいな。

相手の動きの邪魔になってしまうな。

そう思った瞬間でした。

 

 

相手の選手が、

多分、自分たちの振り付けを変えてだと思うんですが、

私たちが、あたふた踊っている上を、

軽々とすり抜かれていったんですね。

 

 

要するに、お互いに身体はスレスレを通り抜け、

相手のペアが、広げている腕(ホールド)の下を、

私たちがくぐり抜けた。

そんな状態です。

 

 

それも、ものすごくユーモアたっぷりの表情で、

「頑張って!」って声をかけてくれながら。。。

 

 

ここは、ちょっと、説明させてもらうと、

同じ試合でも、無差別級での試合と、

同一級での試合と、いろいろあるんですが、

この時は、無差別級、

つまり、すべてのランクの選手が一度に踊って、

優勝を目指す。

そういう試合でした。

 

 

ですので、当時の私たちにとっては、

目の前で踊っていた選手は、

4ランクぐらい上の選手だったわけです。

 

 

それも、当時も今も日本でトップクラスの選手でした。

そんな経験の中感じた、

トップ選手が通り過ぎる時に起こる”風”

その雰囲気がなんとも忘れられないんです。

 

 

こういう瞬間があるから、

一生ダンサーでいたいと思えましたし、

自分もそう相手に伝えられるダンサーになりたいなと、

 

 

踊っている最中、

つまり、試合中ではありましたが、

勝ち負けとかではなく、

あぁ、こんな素敵な選手になりたいなと、

心から思った瞬間でした。

 

 

 

さいごに

 

 

人口70億人、

その中で、ダンス人口100万人。

 

 

もし、わたしと全く同じ経験をしてきたとしても、

同じ答えに至ることはないかもしれません。

それは、1人1人が違う人間である以上、

違った答えになる方が自然だからです。

 

 

だから、「正解」はない。

でも、自分の「正解」を追いかけ続けたい。

 

 

目の前の人に、自分の踊りをアピールする。

それ以上に、

自分が踊ることで、何かを変えたい。

 

 

そう考えられるようになってからは、

見えてくる世界が変わってきました。

 

 

だからこそ、その都度、

条件や目的を丁寧に設定してあげることで、

毎日の捉え方って、

その楽しみ方って、

まったく変わってくると思うんです。

 

 

自分とも、相手とも、戦わない。

ただ、ひたすらに全てに誠実でいること。

実行し続けることは、難しいことかもしれません。

 

 

だからって、

過去の私のように、

勝ち負けにこだわっていても、

毎日の彩って、そんなに変わらないわけなんです。

 

 

つまり、何かと比較している以上、

それ以上にも、それ以下にも、

なれないってことなんですね。

 

 

つまり、1位にこだわるあまり、

自分が美しいと思えない『ダンス』にはしたくないなと。

 

 

先ほど書いたUKの試合の時も、

わたしにとっては、

目の前を踊っていた選手が心の中での1位だったわけです。

(「頑張って」と声をかけて私たちを避けてくれた選手)

 

 

それはある意味、

心の中だけにしまっておくから、

美しいのかなと思ったりもします。

 

 

良く、「願い事は誰にも話しちゃダメよ」

って小さい時に周りに言われた感覚に近いです。

 

 

もちろん順位にしちゃうから、

生まれる物語もあるとは思います。

 

 

でも、逆に、順位として表さない中での方が、

最高に美しいものってたくさんある。

 

 

だからわたしは、

『one and only』という言葉が好きです。

 

 

自分の中での「ひとつだけ」にできる瞬間を、

1つ1つ集めていきたいなと考えています。

 

 

そういう意味で、

自分の中での「ひとつだけ」がわかる。

それはつまり、

誰かにとっての「ひとつだけ」もわかる。

そこに素直になれた日々の行動は、

最高に自分自身に誠実だよねって思えます。

 

 

私たちに声をかけてくれた選手も、きっと、

自分たちの踊りに誠実に、

行動しただけだったんだと思います。

 

 

周りがどんなに不誠実であろうと、

自分で自分を見捨てない限り、
自分に誠実でいる限り、

自分自身の”光”は失われない。

 

 

だから、相手から見て、

輝いているように見えるんだと、

 

 

それが、

" 自分で自分の人生を歩む "為の第1歩。

 

だから思う

 「本当に大切なこと」

 

全てに心を配ろうよ。

その方が、自分にとっても、相手にとっても、

最高の『今』になるから。

そうやって、最高の『今』を積み重ねるから、

あなたの人生は、どんどん加速していくし、

あなたの周りには、どんどん素敵な仲間が集まってくる。

 

 

 

だからこそ、

最高の『今』を24時間積み重ねよう。

 

 

それができているあなたであれば、

「本当に大切なこと」にも、

ちゃんと気づけるから。。。

 

 

••✼••美波••✼••

 

 

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