ステファン・エドバーグを初めて見たのは、
忘れもしない1989年のジャパンオープンテニスの時でした。
大学の友達が、授業に出ている時に、急に誘ってきてくれたのです。
(これは推測ですが、デートのキャンセルがあったみたい……)
大学に入学した時に、僕はミーハーな気持ちでテニスサークルに
入っていたので、テニスに興味を持っていましたが、
プロの試合は、当時まだ見たことがありませんでした。
行くと返事して、授業を途中で抜け出し、
有明コロシアムへ向かったのでした。
大会は、準々決勝が行われていました。
ジョン・マッケンロー、イワン・レンドル、ステファン・エドバーグらが、
顔をそろえていました。
しかし、それほどテニスに詳しくなかった当時の僕は、
この顔ぶれの本当の価値をわかっていませんでした。
コロシアムの扉を開けて、
最初に目に飛び込んできたのが、
エドバーグだったのです――。
カッコイイ!
ブロンドをなびかせ、
流れるようなサーブ&ボレーをするステファン。
彼の姿に心を打ち抜かれました。
ステファンのプレーを目で追っていると、有明にいることを忘れ、
ウインブルドンかどこか異国にいるような気分も
味あわせてもらえました。
エドバーグは、準々決勝を勝ちました(最終的に優勝します)。
その後、レンドル、マッケンローのプレーもよかったのですが、
僕は、エドバーグの華麗なプレーの余韻に浸っていました。
その後は、テニスイコールエドバーグとなりました。
インターネットのない時代でしたから、
エドバーグの出ているテニス雑誌を読みあさり、
テレビ中継に釘付けになりました。
そして、今や転職をしてテニスジャーナリストです。
エドバーグがいなかったら、ここまで来ることはなかったでしょう。
僕が、テニスジャーナリストになったときには、
残念ながら、エドバーグはすでに引退していました。
しかし、
03年クィーンズでボリス・ベッカーとのエキシビションマッチと
07年ティム・ヘンマンとのチャリティーマッチで(いずれもロンドン)、
2回だけ取材することができました。
エドバーグは、昔、テレビや雑誌で見たまんま、
優しい表情を浮かべた紳士でした。
僕のつたない英語の質問にも、丁寧にこたえてくれました。
クィーンズの時は、ステファン自ら立ち止まって、
写真を撮らせてくれました。
07年12月に再会した時のエドバーグは、41歳になりましたが、
若々しさを保っていました。
ステファンのサーブ&ボレーは健在です。
もちろん世界一美しいと言われたバックハンドも。
ステファン、
あなたは、僕の永遠なるテニスヒーローです。
僕はいつもテニスを取材しながら、
ずっとあなたの美しき残像を追い求めているような気がします。
また、きっとどこかで――。