「 産経抄 この五年 」
石井英夫 (いしい・ひでお 昭和8年~)
株式会社文藝春秋 平成13年1月発行・より
七日の明け方近くふと目ざめて枕元のラジオをつけると、NHK の
「ラジオ深夜便」 で”外交秘話”を語っているひとがいた。
話は途中からだったが、大東亜戦争も末期になり、いよいよ敗色濃厚となった時期である。
昭和二十(1945)年四月初めに小磯国昭内閣が総辞職して鈴木貫太郎内閣が成立するが、その直後の12日、アメリカのルーズベルト大統領が六十三歳で急死した。
そこで興味ぶかい事態がおきた。
仇敵の親玉が死んだのだから普通なら拍手喝采する。
しかしたとえ戦火を交えている仲とはいえ、国と国との間には礼節というものがある。
それが国際的常識である。
しかもその時は秘密裏に戦争を終結させ和平をさぐるための交渉もしていた。
そこで、このひとは、アメリカ国民に弔意を表すことを進言したという。
それに東郷茂徳外相も同意し、鈴木首相の名をもってアメリカ国民に大統領逝去をいたむ弔電を打った。
何しろお互いに相手を”鬼畜”呼ばわりし、憎悪をむき出しにして戦っていた最中である。
それがアメリカを大いに驚かせた。
その時ドイツの作家トーマス・マンはアメリカに在住し、週一度ラジオ放送を受け持っていた。
「日本はやはりサムライの国である。見上げたものだ。それに引きかえ
我が祖国は万歳、万歳と喜んだ。恥ずかしいことである」、
マンはラジオでそう述懐したというのである。
午前五時になって、話の主は外交評論家の加瀬俊一氏だったことがわかった。
かの地の詩人ホイットマンは 『草の葉』 のなかで 「毅然たる武士」 を称賛したが、かつては戦争のさなかにも花は咲き、礼は存していたと考えたら目がさえてしまった。
6月16日 奈良公園・飛火野にて撮影