母のこと。3

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母は、どこまでも真っ直ぐで、

自分のことより人のことばかり最優先に考えていて、

明るく笑顔で、

落ち込む時にはどっぷり落ち込むのに、周りにはそんな姿を一切見せない人でした。


沢山の人が、お母さんに会いにきてくれたよ。


「今年の8月の時点で、私に疲れてるでしょって言って席を譲ったんだよ」


「いっつも疲れてるでしょって、肩もみしてくれてね。自分のは、いいって言ってもませてくれなかったんだよね。」


みーんな同じことを話していたよ。



生きていない人を見るのは怖いんじゃないか。


オバケになって出てきたら、家族でも怖いからやだな。


とか、前までは思ってたんだけどね、


お母さんが眠る姿を見て、全く怖くなくてびっくりした。



久しぶりにゆっくり幸せそうに眠る母を見て、気持ち良さそうに寝ていて安心したよ。


お母さんがいつか出てきたら、


「ちゃんと私の声聞こえてた?」


「懐かしい人が沢山来てくれたんだよ!」


「お母さんも辛いこと、沢山あったと思う。けど、沢山の仲間たちに愛されて、幸せだったね」


って、いつものようにそう話したいなと思います。



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お母さんが居ない朝も、いつものように明けて。


お腹も空いたりして。


眠くなったりもして。


また、絵文字付きのLINEが届くんじゃないかと思っているし、実感はない。




だけど、きっとこの先、落ち着いた頃にふと猛烈に寂しくなって、何度も現実を突きつけられるんだろうなと思います。


休みの度に家や病院に行っていた生活が何ヶ月か続いていたから、まだその時と同じような気がしています。



だけど、もう会えないんだってちゃんと思っちゃったら涙が止まらなくなっちゃうと思うから、


そんな時に寂しくないように、ちゃんと見守っていてね。



人に辛い姿を見せるのは好きじゃないのに、

24日の日、私を落ち着かせようとしてくれたのか、

「私の壮絶な人生は、本にしておけば良かったねぇ。瞳に後は託すしかないか。」


って笑って話してたね。

だから、私の記憶にしっかり刻み込む為に、文章に残します。



ありがとう。

よく頑張ったね。

お母さんは私にとって、世界一の母だよ。

大好きです。


たまには私の前に出てきてね。

怖がりだから、なるべく怖くなくお願いね。



心配かけないように、頑張るね。

お父さんはお母さんの想像している通り、ふにゃふにゃになってるから。

お母さんが心配しないように、支えるよ。


こないだは今まで絶対に話さなかったような、お母さんとの馴れ初めを、シラフのお父さんから聞いたんだよ。


自分のことのように、嬉しかったよ。


お母さんが気に入っていた電気毛布は私が貰ったけど、お父さんも今日同じの買ってきたってさ。


今まで、ありがとう。

これからもよろしくね。

母のこと。2

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12月26日に退院し、

大晦日には母の希望であった母方の実家に行きました。


みんなを心配させたくないという思いから車椅子で行くことは嫌だったと思うし、

道中沢山の不安もあったと思う。


自信を無くした母の前では、私に任せなさい!大丈夫!と言っていたけど、

正直とっても不安だったし、怖かった。

無事辿り着けたとしても、無事に宇都宮へ帰って来られるのかという気持ちもあって。


だけど、無事に行き帰り出来て本当に良かった。お母さん、本当によく頑張ったね。



体調はあまり良くなく、右手は装具、左手は痺れて起き上がることができず、上半身を抱きかかえて起こす日々。


日に日に浮腫みも少しずつ戻り始め、トイレに行くことさえも辛い状態でしたが、お正月には、親戚みんなと人生ゲームをしたりして過ごしました。


私は仕事の為、母が帰ると決めた日に迎えに行くことを約束して、先に家へ帰宅。


母は「次に入院する時は、死に場所を決めることになるから、あくまでも帰るタイミングは自分の意思で決めたい」と言っていたので、もどかしくもありながら、母の意思を尊重しようと決めました。


家に帰ってから一度、母の様子を見に大阪に行きました。手の痺れからスプーンを持つことですら辛い状態の母が、梅酒の梅をどうしても食べたいと、テーブルの真ん中にある梅を手にとっていた時は驚いた。


アルコールが良くないことは分かっていたけれど、10年近く我慢してたんだもんなと、笑ってそっと見逃しました。

本当に嬉しそうにいたずらっぽく笑う母は、可愛かったです。


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自宅で過ごす限界と連絡が来て、大阪に迎えに行った24日、ベッドまであと少しのところで、大きく顔から転倒しました。


両手を使えず、かばうことが出来ない中で転倒した事は本当に怖かったと思うし、

私も通り道の邪魔にならないよう後ろから追っかけていた為、守れなかった申し訳なさと恐怖で涙が止まりませんでした。


その頃には、立ち上がるだけで息が切れてふらつきが来るため、立ち上がると決めて立ち上がるまでに2時間ほどかかるようになっていました。


会話におや?と思うことが多くなったと確信したのは、その頃だと思います。


帰りの新幹線の中で2人で食べた、近畿味めぐり弁当、美味しかったね。


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1月25日、沢山の方の協力があって、何とか大阪から宇都宮まで帰り、その足で母はそのまま再入院しました。


到着日は半日ずっと検査が続き、担当医から言われたことは、余命1ヶ月。急変もありえます。という内容でした。


私を励ます為かもしれませんが、

「これで死ぬと確定した訳じゃないし、大丈夫。」

と私に言ってくれた母に、

入院をすれば、少しでも良く、楽な状態になるかもしれないと希望を持つ母に、

その事を伝えて、なにもかも潰すような真似はしたくなくて、その事は伝えずに伏せました。


28日に父が面会に行った時は「瞳が来なくて心配なの」と言ってくれてたようで。


翌日29日に会った際は、終始ぼんやりとしていて、面会の4時間中、3時間半位はほとんど寝ていて。会話も二言三言通じる時と、通じない時とバラつきがある状態だったのに、


「次寝てたらもったいないから起こしてね」


って言ってたね。

何度も声かけたんだけどなぁ~と思いながら、お母さんらしいなって思ったよ。


「お母さん、いいお母さんだったかなぁ?」って言った時、すぐに「お母さんは私にとって世界一のお母さんだよ」って応えられなくてごめんね。


こんな話をする事が、近い死を受け入れなきゃいけないようなことに感じて、

「良いお母さんだよ」って応えるので精一杯でした。



次は2日に来るからね。って言った時の、本当に嬉しそうな満面の笑顔も忘れられません。


相当しんどかっただろうに、亡くなる2日前まで麻薬投与をしなかった母は、最後まで頑張り屋さんの母でした。



私、2日は、病院に行く前に、東京で行われる1時間程のライブに行こうとしていたんです。


こんな事になると思ってなくて。


今から入場するよ。という直前に病院から電話がかかってきて、急いで新幹線に乗り継いで向かって。


もしライブを観ていたら、間に合ってなかったかもしれない。


「2日に来るって言ってたじゃん。申し訳ないけど、早く来て!」


って、多分お母さん言ってたんだな。


表参道の横断歩道が青信号になるのを待っている時、ふっとお母さんの匂いがしたよ。


伝えてくれて、ありがとう。

待たせて、ごめんね。



闘病中だった、母の父(祖父)もその日の3時間程後に容態が急変して、天国へと旅立ちました。


大分前から食べ物も食べられなくなって、寝たきり状態でいたおじいちゃん。


あの状態で生きることも辛いと思うんだ。


と今回母の妹が母に話していたこともあったようでね、お母さんが寂しくないように、一緒に行ったのかなって思うよ。


不思議だけど、全て意味があるような気がします。

母のこと。1

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2007年5月9日、私が20歳の頃、母が原発性乳癌で母が入院しました。


母は家族に打ち明ける何年も前からこの病気の事に気が付いていたようですが、私が知ったのは、確か19歳の時。


車の免許を持たず、歩くことが自慢だった母の肺に水が溜まり、少し歩く度に息が切れるようになり、病院に行った時には


「このまま何もしなければ余命半年。治療して1年。」


というお医者さんからの診断でした。


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それから11年の間、色々な場所に出掛けました。

体調が良くなかったり、骨への転移が見つかったり、色々な事はありましたが、

そんなことすらも忘れて一緒に居ることが当たり前に感じられるように過ごすことが出来ました。


私の30歳の誕生日には、箱根に旅行も行ったね。あの日、本当に一緒に旅行へ行って良かった。


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2018年6月末、母から連絡があり、

「肝臓への転移が見つかった。ポート手術をしない限り、余命は2ヶ月。」と連絡が来ました。


11年付き添って下さった担当医の方からは、

「抗ガン剤が効かなくなり、ほかの方法を使うのであれば、ポート手術が必須。受けなければ、余命2ヶ月。

ポート手術をしたとしても、それに効果があるのかないのか、余命が3ヶ月に伸びる程度なのか、それは分からない。

ここまで生きてきたことが奇跡に近い。

強い副作用もある中で、どれだけ辛い治療になるか、身体の負担も考えた時に、私は無理にこれを選択しないとしても良いと思う。」と、話がありました。



母の意思は、身体にメスは入れたくない。

ポート手術をしてから調子が良くなくなったと言っていた人もいるし、それで効くかどうかも分からない。


金銭面や色々な心配も重なっての気持ちだったかとは思いますが、最終的には私も母のその意思を受け止めることにしました。


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8月、最期の親孝行だと、抗ガン剤治療を辞めたことを隠し、母は実家に帰りました。



母は宇都宮から。私は池袋から、それぞれ夜行バスに乗り、大阪で待ち合わせの予定でした。


大阪到着まであと30分ほど、となった頃、

下に落ちそうになった荷物を拾おうとして母は転倒し、右肘を骨折。骨転移により、もろくなった母の骨は折れやすくなっていたようで、大阪で母と会ったのは、関西の見知らぬ緊急病院でした。


我慢強い母が、骨折の痛みから緊急病院で痛みに耐えられず泣いている声を聞きながら、処置室の外で待っていた1時間弱は、不安で涙が止まらなかった。


お医者さんからは「ボルトを入れる手術をしなければくっつかない。ただ、そのリスクは高い。例え手術が成功したとしても、骨折前のように力を入れることは出来ない。」と言われ、


見知らぬ病院で、すぐに栃木に戻る事をお勧めします。と言われた母の気持ち。

そして、最期の親孝行だと思ってきた母への仕打ちを考えると、本当に悔しくて涙が止まりませんでした。



その時初めて、ずっと誰にも言ってこなかった気持ちを、友人に全部吐き出しました。


母が一番抱えて苦しいのに、私が弱音を吐くのはズルいと思っていたけれど、


あの時ほんとに色々勝手にだけど、吐き出させてもらえる場所があって、私は心から助けられました。


いつも呑んでるばかりだけど(笑)、

根拠ない大丈夫よりも何よりも、色々考えつつも(多分)普通でいてくれる友人のあたたかさが、本当にありがたかったです。


ありがとう。


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それからは、頻繁に実家に帰っては、

母と色々な話をしました。


これ、瞳好きだと思うよって言って、

録画していたアーティストのライブ映像とかを沢山見せてもらったね。


たわいもない話だけど、瞳好きだと思うよ。は全てドンピシャで、流石だなと思ってました。


お陰で、知らなかったアーティストの曲も知ることが出来たよ。ありがとう。


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10月19日、手足の浮腫みがひどくなり、歩くことが困難になったため、母が入院することになりました。


入院する時には、1人で歩くこともほとんどままならず、タクシーと車イスを使って行きました。


退院後に自宅で過ごすため、

上手く使えなくなった左手の痺れを少しでも改善させ、何とか歩けるようにリハビリをして日々を過ごしていました。


リハビリの看護師さんとのお話は、母にとって、本当に癒しで、希望でした。


母の入院中も私は仕事を続けていたから、

リハビリの看護師さんが献身的に明るく母をサポートしてくれた事で、母も寂しい時間を少しでも少なくする事が出来たかなと思えました。


本当に感謝しかないです。


入院前に自力でバスの階段や玄関の段差を上がる事ができなかった母が、リハビリ用の階段を、とんとん上がって向こう側にいこうとした時は感動したよ。


本当に、凄いよ。


みんなに心配されるような姿を見せたくない。自分で出来ることを増やしたい。と最後まで頑張っていました。


手のしびれもある中で、包丁でりんごの皮剥きをしたい。

お父さんがいない時にも自分でりんごを食べられるようになりたい。


と言った時、手から力がストンと抜ける時があるのを知っていたし、怖かったから全力で反対してやらせなかったけれど、今思ってもそのパワー、本当に凄いと思う。


あの時は、ごめんね。

30回目。

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30回目の10月25日。


ついに、サー。になりました。

アラ抜きの、サーです。


とはいえ、歳を重ねることにそんなにネガティヴな感情はなく、どちらかというと、

前向きな気持ちの方がわりと大きかったりします。


刻々着々と重ねることを余儀なくされる中で、

ちゃんと付いていけてます?と焦りはしますけども。



占いも読むには読むけど、対して影響も受けず、

ふーん。と読み物として楽しむだけの私ですが、

唯一毎週読んでしまうのが、

しいたけさんの占い。


あぁ!と当たってることが多いのよね。


以下、ある時の占いから


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「自分が幸せになるために」など、

そういう「私のために」という理由で出せる力は

実は限られています。(もちろん、蠍座のパワーはとても強いので、それでも充分すぎるほど強いのですが。)

でも、あなたが真に強い力を発揮するときは

「この人(たち)のためになら、もう私は倒れてもいい」と強く願うときです。


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ほんとそうだな、と。


20代最後の歳、そんな風に感じられる瞬間が

沢山あった気がしていて、とても有難く感じます。



人生色んなことがあれど(笑)、

どれもいつか、


「あんなことあったねぇ~。」


「あの経験があって良かったねぇ~。」


と思う日が来るもんです。きっと。笑



そういう意味でも、節目を迎える前に経験しておいたら、より人としても深みが出るかもね、30代。

という経験を沢山出来た気がするので(笑)、

感謝。


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職場のみんなが、サプライズで祝ってくれました。
ありがとう!



人生日々是勉強。

今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。



福島フェス2017

テーマ:
お久しぶりです。

文章にちゃんと残しておきたいな、と思った時にふらっと訪れては、こっそり記録を残しています。

そんな中でも、ちょこちょこ覗いて下さる方、
いつもありがとうございます。


さて。今月は、毎年恒例の福島フェス2017へ行ってきました。

2日間開催される福島フェスの1日目は、中学時代からずっと大好きで応援しているRAGFAIRがステージに登場!
しかも、メンバーが揃ってステージに出演するのは1年ぶり!なので、どうしても観たい!

と思いつつ、仕事を休む訳にはいかず。笑

半ば諦めかけていたのですが、仕事を終えて走ったら1曲くらいは聴けるかも!!

と淡い期待と泣きそうな気持ちを胸に(笑)、
池袋から六本木まで急いで向かい、
運良く数曲聴くことができました。

20分程ステージが押してたようで、そのおかげです。奇跡。
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それぞれの活動も応援しているけれど、5人並んでいる事、その歌声から生まれるハーモニーは、やっぱり特別なのです。

5人揃って聴ける機会は減ったけれど、今もこうやって活動して下さっていることが、何より嬉しい。本当にありがとう。

イントロからワクワクが止まらない、HANAが聴けて良かった!


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ライブを堪能した後は、地ビールといかにんじんをゲットし、帰宅。


2日目は、池袋で短大時代の友人の結婚式へ
出席。

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水族館で行う挙式は初めてでしたが、
本当に綺麗だったなぁ。
卒業以来初めて会えた同期も全然変わってなくて、それが何だかとても嬉しかったです。


幸せな気持ちで満たされた後は、ドレスから私服に着替え、そのまま2日目の福島フェスへ。


福島の旅館の女将さんと会場にいる全員で行う、じゃんけん大会は(例年に引き続き)華麗に負け(笑)、
地ビールといかにんじん(買い置き用...)と美味しいとうもろこし焼きを堪能。



途中、洋輔さんにお会いし、
iPodにサインをいただき、お写真まで一緒に撮っていただき...


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一生の宝物になりました!

忙しいであろう中、本当に優しく対応&色々とお話しして下さって、ありがとうございます😊

(あまりにも嬉しかったので、父と母にすぐさま写真を送りつけました。笑)


「おでん、聴きました?😧」
(先日ソロアルバム購入者限定でDL配信された楽曲)
と聴かれ、
「はい!先日ツイッターでマイクの事を言ってた者です!」
と応えたら、
「あぁー!!!!!!ありがとうございますっ」

と言って下さり、それだけでとっても嬉しかったです。笑


会場でわらじ音頭が始まる際には、
洋輔さんが先陣をきって
「皆さん行きますよー!」と
近くにいた人達を引き連れて、
人混みをすり抜けステージ前まで移動。

みんなで見よう見真似で音頭を踊り(笑)、

途中方向転換してわらじ神輿にひかれそうになって、大笑いして横にはけて...を何度も繰り返し、

何だか良い思い出が出来ました。笑


16年前は、憧れの洋輔さんとお話ししたり、
わらじ音頭を踊るとは想像もしていなかったことでしょう

近くにいた2人組のファンの方とも、わらじ音頭で仲良くなれて、楽しかったです


美味しい地ビールでほどよく酔った後に聴いた、スカパラLIVEも最高でした!



3年前から参加し始めた福島フェス。


食べ物もお酒も美味しくて(初めて行った時のしいたけ焼きと秋刀魚の美味しさは衝撃でした!)、
ブースにいる人が何より本当にあたたかくて、
都会のど真ん中で親戚の家に遊びに来たような気持ちになれる...そんなとても素敵なイベントで。


食ブースとお酒ブースの内容をしっかりチェックし(笑)、丸ごと!楽しみに、
そして、思う存分堪能させてもらっています。



福島りょうぜん漬け本舗のいかにんじんとお漬物、
ふくしまを元気にする会の美味しい野菜、
みちのく福島路ビールの美味しいビール、

来年の秋もこの場所でまた楽しめますように!