809年、最澄の尽力で入京した空海は朝廷からの依頼仕事に没頭した。
仕事中はZONE状態で楽しかった。
多忙な仕事の合間にも本が執筆したくなり、あいついで執筆した。
それができたのは室戸岬の洞窟で、
虚空蔵菩薩の化身「明けの明星」が、
体内に飛び込んできたからである。
虚空は広大無限に一切の智慧を蔵する。己虚しくすればその智慧は発露するから。
多忙な仕事のさなか、空海は以前山林修行で歩いた高野山を思い出すようになった。日を重ねるごとに高野山を賜りたいと強く願うようになり、とうとう天皇に請い許可される。
空海はいつどこにいても楽しかったが、高野山を賜りたかった理由は、
未来に真言を慕う者たちのための、
修禅道場を作りたかった。
道場に適した場が高野山だった。
そして空海自身の、即身成仏する唯一の地を「山」しかあり得なかった。
山は水の源
水は川に流れ
海にたどり着き
空にのぼり
雨を降らす
そのサイクルリズムは
即身成仏そのものです
方便として弟子にはこう伝えた
「私は死なない。いつでもこの奥にいるから安心しろ」と。
空海は人間の弱さを知っていた。
「自然のサイクルそのものが、即身成仏した私だと」真理を述べたところで、心もとないだろうし、救えない。だったら方便で救おうと。
■空海の仕事
★薬子の変での嵯峨天皇勝利と鎮護国家のための大祈祷。
★早良親王が幽閉された乙訓寺の責任者として、荒廃した伽藍の修理造営を任され、早良親王の怨霊を鎮魂する。
★高雄山寺にて
金剛界結縁灌頂開催
胎蔵界結縁灌頂開催
★宮人の文章作成能力向上のため、
宮中に居住
★満濃池改修工事を指揮
★東大寺に灌頂道場「真言院」建立
そこで平城上皇に灌頂を授けた
★東寺を賜り真言道場とした
★雨乞い祈祷
★教育施設「綜芸種智院」設置
庶民に教育の門を開く
あらゆる思想・学問を網羅する総合教育機関
★淳和天皇の勅命にこたえ
「秘密曼陀羅十住心論」十巻著す
★831年 病気になり高野山に籠りたい旨上奏するが、天皇に慰留される
★832年 秋より高野山に隠棲
禅定を好む日々に入る
★834年 毎年正月、宮中にて、
「真言の修法」を行いたい旨を奏上し許可を得る
★835年
1/8 宮中にて真言修法を行う
3/15 高野山にて弟子たちに遺言を伝える
3月21日 午前4時入定 享年62歳