今年は私にとって2回目の成人式の年。

2021年の合言葉を「成人式ダブルで!!」にすることは新型コロナ流行の影響のため自粛しましたが、あと一ヶ月で2022年になってしまいます。

そんなこんなで私も40ですが、数年前からアラフォーでしたので、あと数年はアラフォーということで乗り切ってまいります。

そのためにも若い人のふりをしなければなりません。

最近、若い人は脱毛などをするのが当然らしいので、私も流行りに乗って(?!)脱毛しております。頭頂部が集中的に自然に抜けていきます。たぶん永久脱毛です。

そんな相変わらずな私ですが、30年前も最近も私の評価には大した変化もなく、そうしたところも相変わらずなようです。

 

物事の評価を客観的事実と主観的事実との二点を基にすると考えたとき、人物評価においては後者が重要な役割を果たす。

その人物評価が異口同音となっている場合、その評価はその対象人物の多くの人にとってのイメージを如実に示していると言えるのではないだろうか。

他者の私に対する評価は以下の通りである。

①(第一)印象 ②少し理解が進んだ時の印象 ③身体面 ③恋愛面での印象

 

約30年前

①「なんか気持ち悪い」

②「なにを考えているのかわからない」

③「くさい」、「肌が汚い」、「キモイ」

④「女に興味なさそう」

 

約20年前

①「気持ち悪い」

②「なにを考えているのかわからない」

③「くさい」、「肌が汚い」、「ださい」、「キモイ」

④「お前の恋愛感情はただの嫌がらせ」

 

約10年前

①「ウザくてキモイ」

②「なにを考えているのかわからない」

③「くさい」、「はげ」、「ひげが濃い」

④「お前に好かれて嬉しい人はいない」

 

最近

①「なんかダメ」、「やることなすこと全てがキモイ」

②「なにを考えているのかわからない」、「なにをしたいのかわからない」、「頭がオカシイ」

③「くさい」、「はげ」

④「男としての魅力がない」、「お前に好かれて嬉しい人はいない」、「人を好きになる資格がない」

 

昔も今も間違いなく同一人物のようです。

この30年、私なりにいい人になろうと頑張ってきたにも関わらず、この有様でございます。

ポジティブに捉えれば、イメージ戦略がうまくいっている(笑)

ネガティブに捉えれば、何をしても無駄・・・・・・汗

もちろん長い付き合いの人間は私のことを褒めてくれたりしますのでご安心ください。

上記のような評価を毎日言われているわけでもありませんし、誰からも言われるわけではありません。その点もご安心ください。

ただ私の周りには基本的に10年未満の付き合いしかしてない方が大半で、そんな方々からの評価は上記の通りとなっております。

そして、私の生き方として、意図せず他者に不快感を与えるのは本望ではないので、そうしたご意見には真摯に対応して参ります。

ちなみに、意図して他者に不快感を与えることについては吝かではありませんので、ご注意ください(笑)

 

さて、イメージ戦略は冗談としても、私の決めてある生き方が①や②の原因になるのは自覚しております。

基本的な行動指針としては自分のことを分からせないようにしてしまっている癖がついております。

それは「私とあなたは違う人間ですよ」というメッセージのための行動指針だと今であれば説明できますが、30年前はそんな説明できる筈もなくなく、ただただそうしなければならないと感じておりました。

これが私の「大人」の定義である「自他の区別がつく人」に繋がっているわけです。

 

この行動指針から導き出された主要な行動は何かというと「笑う」となります。

私は喜怒哀楽どの感情でも基本的に笑ってます(笑)

怒られていようが、嫌われていようが、人が死のうが笑ってます(笑)

これも30年続けているので癖になってます。

そりゃ「キモイ」とか「何考えているのかわからない」と思われたり言われたりするのも仕方ないですね(笑)

とはいえ、ここ10年は表情のバリエーションを増やす努力もしてます。

ただ面倒くさいときは、長年の癖が顔を出します。表情だけに・・・・・・・アセアセ

 

③の評価について「肌が汚い」のは20年前に皮膚科にて「遺伝的なもの、病名もある」という診断が出てますので諦めています。

そんな理由もあって、最近は常に長袖を着てます。昔は半袖も着ていましたが、最近は夏でも涼しい長袖が手軽に入手できるので助かってます。

「くさい」については、気を付けておりますが、肉体労働をしている関係もあって、服自体にニオイが染みついてしまっていることも多いので面倒くさいです。最近は車もくさいです(泣)本当に面倒くさいです。

とはいえ、香水などをつけると、自分の鼻がおかしくなるので「においをもってにおいを制す」対処法は取りがたいため、基本的に人に接近しすぎないようにしております。ボディタッチなんてもってのほかです。求められれば、ハグなどいくらでも応じますけど・・・(笑)、申し訳ない気持ちでいっぱいです。ハグに応じた後に「おめー加齢臭だなっ!!」と言われたこともありますし、「くさい」のは紛れもなく事実です(汗)←この汗がくさいのかもしれませんね(笑)それを言われてからは、前以上に他者に接近しすぎないよう気を付けておりますので、ご安心ください。
10年前に言われた「ひげが濃い」については、脱毛ブームに乗るしかないと考えてますが、別の部位がブームを先取りして「はげ」という評価を頂いてしまってますので、自分の身体とはいえ、思い通りにならないものでございます(笑)

 

恋愛面での評価は、残念な限りです。

恋愛感情を抱いた時点で、相手に不快感を与えてしまうようなので「無理ゲー」ってやつですね(笑)
仮に私と誰かの恋愛ゲームが成り立ったとしても「クソゲー」であることはわかりきってますし・・・・・・(泣)

そもそも私にとって恋愛感情は相手への好意の形態のうちの一種に過ぎず、私の40年の人生において「好意の形態」を「恋愛感情」に固定し続けられたことは未だかつてございません。

ただ恋愛感情を抱いた相手と好意の形態が変わったとしても一生関わっていきたいし、関わっていこうとは考えております。

もちろん私に対する評価は④なので、拒否られるのは当然となっております。

「かすがい」的なものがなければ一生関わることは「ほぼ無理ゲー」です。

①~④を総合すると、自分が誰かの恋愛対象となるのも難しいようですので、この件についても諦めたほうが無難のようです(笑)

 

ちなみに私にとっての禁忌は「一方的に他者を犠牲にして自己の利益を追求すること」ですので、一般論や慣習、一般的な倫理は糞くらえと考えております。

もちろん一般論や慣習、一般的な倫理は「一方的に他者を犠牲にして自己の利益を追求すること」を否定する規定が多いですので、そこまで私の行動が社会通念から逸脱することはありません(笑)

 

 

ただ

 

「『ヨモギサワのルール』のみに従う生き方をしております」

 

「ヨモギサワのルール」は以下の通り。

・「自分は自分でいい、あなたはあなたでいい」という人権の基本の厳守

・「根拠のない他者否定」の否定

・他者に属さず、他者に属されず

・他者を代弁せず、他者に代弁させず

 

この「ヨモギサワのルール」から導き出される禁忌のひとつが

 

「一方的に他者を犠牲にして自己の利益を追求する」

 

となります。

簡単に言えば、「自分だけ良ければいい」と思ってる奴を私は最も忌み嫌っています、ということです。

そんな私の

「あなたの行動は『自分だけ良ければいい』と思っているとしか考えられない」

という評価に対して

「世の中、そんなもんでしょ」

と宣ったバカが最近いましたので、次回は私の人間関係構築について実例を交えながら書き連ねたいと思います。

 

 

今回は自分の話だけで「誰得?」という話になってしまいましたが、40を機にした「ヨモギサワの生き方宣言」ということでご容赦ください。
更には、いろいろ説明不足となっておりますので、ご注意ください(笑)