日芸(日大藝術学部)の2022年度後期授業(各科目とも全15回の授業)も、現在、折り返し点を過ぎたところです。

 

私は今年度の後期は、

 

・「放送概論Ⅱ」(放送学科設定科目・2単位)

・「ジャーナリズム論Ⅱ」(文芸学科設定科目・2単位)

 

の2科目を履修していますが、いずれも、

 

・「放送概論Ⅰ」(前期科目・2単位を修得済み

・「ジャーナリズム論Ⅰ」(前期科目・2単位を修得済み

 

の継続科目(セット科目)です。

 

「放送概論」の方は、今年度当初(4月)から、キャンパス内の教室で受講する対面授業が復活し、「ジャーナリズム論」の方も、10月14日の第4回授業から対面授業となりました。

(ただし、先生や授業に参加するゲストの都合で、Google Classroomにアップされた課題映像を各自が自由に視聴してレポートを提出するオンデマンド形式の授業や、先生、受講者、授業のゲストを全てZoomでつなぐ形式の授業……等々、オンラインの授業もたまに挿入されます。でも、両科目とも、原則は対面授業です。)

 

両科目ともなかなかハイレベルの講義が展開され、知的興奮を覚えることが多いですが、今回は、まず「放送概論Ⅱ」の方から、これまでの勉学の内容等について簡潔に報告をさせていただきます。

よろしければ、チラッとでも覗いてみてくださいませ。

 

 

※ ちなみに前から4列目が、授業時の私の”定席”です。

 

 

【科目名・放送概論Ⅱ(2単位・後期科目)・全15回】
【担当者・K先生(放送学科教授)】

K先生については、

<日芸での2022年度前期勉学報告~その1(「放送概論Ⅰ」)~>

で詳しく紹介してありますので、そちらをご参照ください。

 

【講義の概要(全15回;現在9回まで実施済み)】
①「テレビの『やくめ』」

②「8・15」

③「8・15の2」

④「どきゅめんたりぃ」

⑤「16:9の世界」

⑥「放送法?」

⑦「オンデマンド授業;NIPT(出生前診断)に関するドキュメンタリー番組を視聴してのレポート提出」;この回のみ対面授業ではありませんでした

⑧「ヒューマン?」

⑨「放送局というおしごと」

(なお、全ての授業回において、事後の課題レポート提出が必須です。)

 

 

※ 換気のため窓を開けてますので、最近は寒いです。。。

 

 

【後期の今までの授業を受講してのコメント】

では、以下、箇条書き、かつ、(原則として)「である」調で……。

 

講義内容はかなりロジカルかつハイレベル。

しかし、その内容を一生懸命追っていき、一生懸命考えて毎回のレポートを仕上げると、テレビやラジオというメディアを考える視点が明らかに深化する……という感じの素晴らしい授業であり、この特徴は、後期も何ら変わっていない。

 

後期第5回目の授業(10/24)のタイトルである「16:9の世界」は、もちろん、地デジ化によって、テレビ画面のアスペクト比(縦横比)が、従来の「4:3」から「16:9」に変わったことを意味している。

この回の授業でK先生は、「地上デジタル放送への移行」=「地デジ化」を、数学や物理学等の知見も交えた放送技術論的側面からも、総務省が所管する電波行政制度の側面からも、緻密かつ体系的に大変わかりやすく説明してくださった。

K先生の見事な講義で、わかったようでいて実はよくわかっていなかったことをしっかり理解できて(笑)、幸せな気持ちになった次第(*^_^*)。

 

 

※ 「放送概論Ⅱ」受講者の仮装は、ほぼゼロでしたが(^_^;)……。

 

 

授業において、以下のような優れたドキュメンタリー番組(各種放送賞受賞番組)を何本か視聴した。

 

「ドキュメンタリーは、ストレートニュースと違って、『事実』そのものを報道するものではなく、必ず制作者側の『演出』が入っている。そして、取材者と被取材者の間にラポール(信頼関係)が成立しないことには作れない。」

 

K先生のそのような説明を聴いた上で、以下のような各番組を視聴した。

 

■テレメンタリー2022・「おいだば、時給125円」(秋田朝日放送制作)

現在、わが国の非都市部で、すさまじい勢いで進展してしまっている「買い物難民・買い物弱者・買い物困難者」の問題を、秋田県の雪深い集落を長期取材して、現実的な視点も交えて描いたドキュメンタリー。

【参照】

<ABEMAでこの番組を視聴できます>

 

■目撃!にっぽん・「妹が生まれなかったかもしれない世界~出生前診断と向き合って~」(NHK名古屋制作)

今、出生前診断が手軽さを背景に広がっているが、ダウン症の妹のいる女性ディレクターが、自身の家族(特に両親)や出生前診断を受けた親たちと対話し、“命を選ぶ”ことの意味と向き合ったドキュメンタリー。

(下の公式サイトの文章を一部改変して抜粋した。)

【参照】

<NHKの番組公式サイト>

 

■目撃!にっぽん・「わたしの芝浜~落語家 林家つる子の挑戦~」(NHK東京制作)

古典落語を女性の目線で改作するという大胆な試みをしている女性落語家・林家つる子さんを、女性ディレクターが追ったドキュメンタリー。

つる子さんは、脇役ばかりで心情を描かれることも少なかった女性の登場人物を丁寧に表現し、現代の女性でも共感できる落語を目指している。今回挑んだのは歴代の名人たちが語り継いできた大ネタ「芝浜」。既婚の先輩落語家や若い女性など、さまざまな立場の女性に助言を求めながら、新しい落語を生み出そうとする。

(下の公式サイトの文章を一部改変して抜粋した。)

【参照】

<NHKの番組公式サイト>

<NHKオンデマンドでこの番組を視聴できます>

<林家つる子公式YouTubeチャンネル>

 

 

 

そして、視聴後に必ずレポートを提出するわけですが、ここでは、その例として、「おいだば、時給125円」と「わたしの芝浜~落語家 林家つる子の挑戦~」について書いたレポートを、本ブログ記事の最末尾に示すことにします。

よろしかったら、お目通しください。

 

世界中にそういう奇特な方々が、4名くらいはいらっしゃると思いますので笑……。

 

 

……ということで、<日芸・2022年度後期授業「中間」報告~その1;「放送概論Ⅱ」~>については、ここまでとさせていただきます。

 

 

※ 首が痛い時は食欲もあまりなく、学食ではもっぱらたぬきそば(310円・税込)でした。

 

 

【参考①】

[日芸での勉学に関する過去の記事一覧]

○ 2019年度

<久々の「学生」気分を楽しみたいと思っています>

<いよいよ大学の授業が始まりました>

<日芸に通い始めて一ヶ月が経ちました~その1~>

<日芸に通い始めて一ヶ月が経ちました~その2~>

<日芸に通い始めて一ヶ月が経ちました~その3の(1)~>

<日芸に通い始めて一ヶ月が経ちました~その3の(2)~>

<「前期の授業もそろそろ終盤に入ってきました」>

<日芸名物の「キセキの石」について>

<日芸近くの富士山に登った(?!)というお話>

<日芸江古田キャンパスにおける各種アートの躍動について>

<日芸科目等履修生としての「前期」報告~その1~>

<日芸科目等履修生としての「前期」報告~その2~>

<「後期」の授業がスタートして約一ヶ月が経過しました>

<日芸科目等履修生としての2019年度が終わりました>

 

○ 2020年度

<コロナ禍と共に2020年度が始まりましたね>

<日芸もオンライン授業がスタートしました>

<日芸のオンライン授業&日々のウォーキングに関して>

<久々に日芸のキャンパスへ行きましたが…>

<後期授業(オンライン授業)がスタートして約一ヶ月が経過しました>

<学生にとってオンライン授業で大変なこととは……>

<コロナに翻弄されましたが、後期試験も終わりました>

<2020年度の勉学の成果を報告します>

<2021年度に履修を考えている科目とは>

 

○ 2021年度

<2021年度の日芸の授業、スタートです>

<日芸キャンパスへの入構規制について等>

<「放送広告論Ⅰ」の授業から影響を受けたこと>

<前期勉学報告;「放送広告論Ⅰ」について>

<前期勉学報告;「テレビは果たしてオワコンなのか?!」>

<後期の授業が5回ほど終わりました>

<「放送広告論」の発展学習;「広告」=「CM」だけではない……というお話です>

<日芸での2021年度勉学報告です~その1~>

<日芸での2021年度勉学報告です~その2~>

<久々に日芸キャンパスに出向きました>

 

○ 2022年度

<日芸での2022年度前期勉学報告~その1(「放送概論Ⅰ」)~>

<前回の記事の補足;民放局のテレビ番組を視聴する際のコストについて等>

<日芸での2022年度前期勉学報告~その2(「ジャーナリズム論Ⅰ」)~>

<日芸2022年度前期の「成績」報告です>

<2022年度前期の「成績」が良い方に修正されました(^_-)-☆>

ちなみにこの記事は、<2022年9月&10月の振り返り記事>内での報告です。)

 

【参考②】

[私が提出した「放送概論Ⅰ」の課題レポート]

1)まずは番組(テレメンタリー2022「おいだば、時給125円」・秋田朝日放送制作・2022年5月28日放送)の率直な感想、思ったことをかいてください(140字~)

2)今回この番組が取り上げた問題は何か、その問題のために番組が果たした役割は何か、分析してください(140字~)

 

1)

  映像、構成、ナレーション……等々のバランスがよく取れた、いい意味でオーソドックスな、そして視聴者に素直に問題点をアピールするという目的を達成したドキュメンタリー番組であると、感じた。

 冒頭、雪の中でも移動販売車をじっと待っている老婆の映像(視聴者も感情移入しやすい映像)から入り、最終盤では、雪のない風景を挿入して「長期取材」をさりげなくアピールするなど、わかりやすく、そして手堅く作られた番組であるという印象も持った。

 

2)

 今、わが国の非都市部で、すさまじい勢いで進展してしまっている「買い物難民・買い物弱者・買い物困難者」の問題を、このドキュメンタリー番組は取り上げたわけである。秋田県旧南外村の奥地のような「限界集落」はもとより、それほど辺鄙なエリアでなくても、この現象は発生している。しかも旧南外村の場合は、冬季は豪雪に閉ざされるという季節的なハンディキャップまで背負っている。

 番組は、買い物弱者の人々の様子と共に、この問題に立ち向かうべく結成された、NPO法人による移動販売と小さな小売りスーパーの取り組みを丹念に追う。そして、この取り組みが、地域の高齢者による実質的にはボランティアに近い活動によってやっと成り立っていることを、視聴者に示すわけである。

 この事実を、我々はどう捉えるべきなのか?

 やり甲斐のあるボランティア的な活動故、このNPO法人の業務に携わっている高齢者のモチベーション自体は、決して低くない。そして、このことは、高齢者にとって老後の生きがいにも繋がるであろう。

 反面、時給125円、すなわち4時間働いてジャスト500円の”賃金らしきもの”では、高齢者以外の労働者が雇用に応じるわけがなく(第一、最低賃金法違反になってしまう!)、したがって、この事業の後継者は全く育たない。しかし、こうやって人件費コストを抑えない限り、低価格での販売ができないわけである。

 つまり、表面的かつ短期的には「買い物難民」を救っているこの事業も、それはあくまでも苦しい弥縫策(びほうさく)に過ぎないことをこの番組はしっかりと描き、結果として、その抜本的な対策の必要性を広く社会に訴えていることこそが、本ドキュメンタリーの果たしている役割なのではと、強く感じた。

 ただ、世の中の全ての問題事が、まるで快刀乱麻(かいとうらんま)を断つごとくスッキリと解決することはあり得ない。弥縫策で何とかしのぎ続け、未来に予想されるcollapseのことは敢えて考えないというスタンスも、精神衛生上、人間の性(さが)としては必要なのかもしれない。こんな”深読み”までさせてくれたドキュメンタリー番組だったことも、付記させていただくことにする。

 

【参考③】

[私が提出した「放送概論Ⅰ」の課題レポート]

わたしの芝浜~落語家 林家つる子の挑戦~(2022年1月30日放送)
1)まずは率直な感想をどうぞ(140〜400字)
2)この番組のディレクターが林家つる子さんのむこうに見たもの、林家つる子さんを通して伝えようとしたことはなんだと考えますか?(200〜500字)


1)
 女性落語家でなければ気づかなかったであろうジェンダー的な視点からあの超名作の「芝浜」を新たに改作(再構成)しようという、つる子さんの意欲的な試みに、まずは率直に感心した。
 このチャレンジの動機について推測すると、まずは、つる子さんご自身のジェンダー意識の高さが原動力となり、次に、このチャレンジを通して落語界への女性ファンの取り込みを図りたいと思ったからであろう。
 それに加えて私は、彼女の師匠が林家正蔵であったことも大きかったと思う。今はほぼ高座に専念しているが、林家こぶ平時代はかなりタレント活動に力を入れていた。それに対しては当然批判もあったが、タレント活動によって、師匠自身も社会の動き等に関する意識が鋭敏になったと思う。タレント活動とは全く無縁の視野が狭い落語家が師匠だったら、つる子さんのこの試み自体、”即却下”だったのではないだろうか。

2)
 
それは間違いなく、「男は男らしく、女は女らしく」という固定的かつ保守的なジェンダーからの脱却であろう。
 私が毎週愛聴している「司馬遼太郎短篇傑作選」というラジオ朗読番組があるが、ナビゲーターの竹下景子さんが番組の最後に必ず、「なおこの作品には、現在放送では使用されていない表現が含まれておりますが、歴史小説としての作者の意図を尊重して原文のまま放送いたしました。ご了承ください」という断りを述べている。「現在使用されていない表現」には、男尊女卑意識に起因する表現も含まれている。
 文学作品でも落語でも、「現在使用されていない表現」をオリジナルのまま表現すること自体は何ら問題はないと思うし、むしろそうすべきである(ただ、放送等で流す場合は、竹下景子さんが述べたような断りは入れてほしいが…)。「男は男らしく、女は女らしく」という固定的かつ保守的なジェンダーと、それから派生する男尊女卑意識が厳然としてあったこと(いや、今だって残っていること)を、文芸や大衆演芸という領域において残しておくという行為も、必要である。
 なぜならば、この行為を前提として、あるいは、この行為を乗り越える先にこそ、落語という大衆演芸セクションにおいても新たなジェンダー意識を構築していこうとする、つる子さんのようなチャレンジが、時代史のパースペクティブとしてきちんと位置づけられるからである。
 ディレクターの制作意図を、私はこんなふうに推測した次第である。

 

↑↑

後期もこんなレポートを毎回書いていますから、なかなか大変です(^^;)。

 

 

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