0484、アズールレーン(アズレン)と艦船擬人化要素の話 | ひたすら楽して日本国民2

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いい世来いよと人の云う
お前のことが好きだった

結論から言うと、これゲームなので・・・

 

硬派気取りしたいなら擬人化なんかせずに船のまま鑑賞しろよ。

ちょうどWoWsがやってるわけだし?

まあアレもロマンとギャグとネタ要素だらけなんだが。

 

 

 

・・・・と言えば終わってしまう話なんだよね。

 

なので、そもそも擬人化とは何なのかって話を先にするけど。

 

 

 

擬人化っていうか「疑似人格の付与」、

『ゲゲゲの鬼太郎』でも知られているアレコレの話をするんだけど、

まあ『ポケットモンスター』でもいいか。

 

動物だの妖怪だのという人間以外の存在でも、

人間と同じように会話ができたらきっと楽しいはずだという、

夢やらロマンやらは、少なくとも僕には理解ができないけど共感ならできる。

 

逆だろって思うだろうが、そうでもない。

 

そもそも体の構造が違うのだから、四足歩行をする動物は盲腸で悩まない。

だから人間が盲腸で悩んでる時点で彼らには共感をしてもらえない。

オスがメスの後ろから交わる獣の道理がヒトに通じるはずもない。

 

食べるものも食べ方も異なるし、

手を使ってモノを器用に扱える人間の感覚が、

基本的に口くらいしか使えない動物と共有できるわけもない。

 

だから、そんなことが実行・実現・実践できるわけがないので、理解ができない。

 

でもそれが実現できたとしたら、

それはきっと素晴らしい理想の塊であろうということだけはわかるから、

共感ならできる。

 

人間だって親子間や男女間や理系文系間でさえろくに共感できないし、

同じ理系でも工学系と生物系では共感できないしで、

共感できることのほうが珍しいはずなんだけどさ。

 

 

 

 

 

だから擬人化の前段階としての「疑似人格の付与」の時点で、

既に理屈を捏ねていいわけがないんだよね。

 

理屈を投げ捨てた人間だけが踏み込んでいい。

 

無機物はモノを喋らない。

植物にも痛みはあると研究で判明している今の時代であっても、

しかし彼らが黙して語らない存在であることは変わらない。

 

植物だけを選んでブッ殺してるヴィーガンやベジタリアンは、

植物のことをかわいそうだと思わない鬼畜や外道でしかありえないのだから、

共感能力をもう少し磨いてきていただきたいもんである。

 

他者を殺さなければ生きられない存在のことを動物というのだからな。

 

まあ植物だって背の低いものを覆って日光を独占してるから、

生物そのものが他者の犠牲なくしては生きられないのだけどね。

 

その程度の理屈で全てが一般化され片付いてしまうからこそ、

理屈を捏ねたいならこっちに来るなって話なのよ。

 

 

 

 

 

で、擬人化の話。

 

あえて人間の形に近づけることで、

人間と同じ価値観を理解できるけれども微妙に異なる存在として描き、

その違いに価値を見出す・・・必要すらないのは、まあお察しいただけるだろう。

 

人間の形になったのなら、もはや人間にしか見えない。

それは異常者たる僕だってそう感じるくらいには普遍的な原理原則のはずだ。

 

ヘビやトカゲやカメが人間の形になったとして、

 

元が何であれ人間の形をしているなら、

人間側の存在として扱うほうが自然だし、

そうしないなら人型にした意味がない。

 

人型ロボは擬人化って言わないけどね。

最初っからそういう形してるだけのロボだから。

だから「人型ロボを擬人化する」ことはできる。

 

 

 

 

わざわざ人間の形にしたのだから、人間側の存在として扱うべき。

 

人間側の存在ではないのに擬人化する意味なんか、

あるいは疑似人格を付与する意味なんか、

物語の都合か作者の都合でしかない。

 

そしてそこまで異物であることを強調されて嬉しい客がどれだけいるのか?

 

リアルかもしれないが、楽しくはない。

なぜなら、最初っから異物だとわかってるなら同調するのが面倒臭いから。

だから地元に溶け込まないヨソモノは嫌われる。

 

移民・難民・外国人、およびハーフなどがどこに行っても難儀する理由は、

差別されているからではなく、

地元の人たちに合わせようとせず、自分が合わせてもらうことしか要求していないから。

 

最初っから異物としてのみ自分の存在を主張するなら、

共存する気のない異物なんて排除されるに決まっている

 

もし住み分けができるなら最初っから関わらないほうが楽に決まってる。

お互いに異種なんだからな。

 

その中でもごく一部でだけ共感ができたのなら、それは願ってもないことかもしれないが。

 

 

 

 

 

いずれにせよ、擬人化した時点でそれはもう、元が何であるかは関係ないのよ。

 

原型を留めろ、

元ネタを重視しろというなら、

擬人化なんかしなくていい

 

「我々の近くにいる存在として描くために擬人化した」のだからね。

 

 

 

 

だからアズールレーンも、いうまでもないけれど、

艦船を、軍艦を擬人化したから、だから何なんだって話になるに決まってる。

 

人間の形をしているのだから人間のようにふるまうはずだし、

元が船だから船扱いしろというなら、

喋るな、変形するな、海上でフジツボに付着されろ、という話にしかならない。

 

※このリンクはフジツボが苦手な人は踏まないほうがいい

 

まあ、当たり前・・・・・・・・・だと思いたい。

 

だから艤装(船の装備品)部分がどうのこうのと喋ってる人がいるけど、

別にどうだっていいよ。

 

そもそもリアル軍艦の装備を語らいたいなら、

そんなもんリアル軍艦だけ見てシコってろよって話。

 

人型になって小型化して形状も機能も物理的特性も変化してるんだから、

同一の存在であっていいわけがねえでしょっていう。

 

戦艦大和の460mm主砲は、

バカでかい砲弾を支えるためにクソデカ砲塔になったわけであって、

小型化すれば拳銃やアサルトライフルみたいなサイズ感にするほうが「正しい」

 

それでも見た目のロマンの問題で、

船の大きさが人型キャラの大きさに相当するなら、

艤装はある程度誇張されたサイズ感のほうが「カッコいい」

 

 

               

 

 

女の腕力でこんなもん支えられるかって話だからね。

体力のある僕でもまあ辛かろう。

 

 

 

 

 

 

せっかく人の形にするんだから、人間側に寄せないと意味がないし損もする。

擬人化した時点で実物ではないし、

三次元のものを二次元にした時点で空想でしかない。

 

アズレンはゲームなので、ゲームと現実の区別をつけましょうねっていう。

 

たったこれだけの話を、わざわざする必要なんかないと思ってるんだけどね。

 

ごくごく一部に激烈なキチガイゲロクソナメクジがいるからあえて書いたけど。