北緯39° Light Rail  (since 2007)
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平成のレトロパチンコ

この春から諸事情で現住地の不動産登記の見直しを行っております。

その中で敷地内の古い作業小屋が耐震性に問題があることが判明しましてこの度、解体することにしました。

 

まあ築推定70年は経過しているであろう建築物で過去には春の大嵐で屋根もすっぽり飛ばされた経緯があります、基礎は無く玉石の上に乗っかっているだけの

筋交いも無い建物ですから東日本大震災で倒壊しなかったのは奇跡かも知れません。

 

解体するのは良しとしても小屋の中に残っている収納物の行き先がこれまた大変、ほとんどは農家時代に使っていた古い農機具なのですが一部は普段は使わない日用品もあります、まずはこれを何とかしないといけません。

そこで敷地内の車庫と物置小屋に分散収納することにしましたが、問題は物置小屋の収納物の多さです。

早速これを機会に断捨離を実行したのですが最後に残ったのが家内には大きい声で言い難い、独身時代に集めた平成初期のパチンコ台。

 

今はほとんど遊ぶ機会も無くなりましたが以前は物置小屋の一角にパチンコ台3台設置できる島を作って天井上部からパチンコ玉を自動補給できる様にリアル

パチンコ屋風にして遊んでいました。


 

後に結婚して家内の荷物が増えた時に撤去してそのまま現在は壁に立て掛けて布切れで養生保存しておりました。

三共、平和、西陣の3メーカー3台の台本体と中身のセル板と制御基盤が十数台ありかなりの場所を占有してしまってます。

 

今回これらを作業小屋解体を機に処分することを決意しましたが、一部は友人へ譲渡、またもう一部はセル板と制御基盤のみ残して卓上パチンコに改造する予定で残りは全て処分することにしました。

 

そこで処分の前に今も稼働するかどうか確かめるため電源を入れてみることに。

1991年(平成3年)に平和から発売された当時では斬新だった液晶デジパチ「麻雀物語」です。

 

独身時代は仕事終わりにパチンコ屋直行の日々が多くこの機種は最新式ということもあり毎日打ちに行って、意外に大負けしたことがありませんでした。

むしろ保留玉連荘タイプのためか稼がせてもらった記憶があり思い出深い機種で当時の職業荒柄、入れ替えのタイミングで業者から譲って頂いた1台です。

電源は液晶画面の起動に少し時間が掛かりましたが無事に立ち上がりました。

 

最初の「麻雀物語」の画面続いて「アタシと勝負する?」ってメッセージがゲームへの欲求をそそります。

アタッカーのセンサーを突っついてみるとデジタルも無事に回り、一発目でリーチがきたのですがお見事に外れ!

デジタル回転中とリーチ中のサウンドもまさに平成レトロ。

今日は夕方近くで時間も無かったのでゆっくり遊ぶことが出来ませんでしたが、卓上タイプへ手を加えて改造後、気軽に自宅で遊べる様に保存候補の1台になりました。

作業小屋解体前までには他の保存候補、三共「フィーバーパワフル」、西陣の「CR花満開」なども試してみたいと思います。

 

 

 

Nゲージ、セミお座敷レイアウトの橋上化

6月も夏至を過ぎてもう月末になりました、今の時期は未明の午前3時前には東の空が明るくなり始め、清々しい空気が夜勤明けの体を癒してくれます。

ただ気になるのはコロナ。

コロナ禍による自粛規制や都道府県を跨ぐ移動も解除され経済活動の活発化が期待されますが、感染は一部地域にて増減を繰り返してることが気になります。

当方職場のコロナ禍による景気低迷の余波はまさに遅れて6月に来てしまい、この月末の一週間は一時帰休となりました。

以前からもしそうなったらやりたい事がありまして、やっと実行出来そうなこのタイミング、それはNゲージレイアウトの橋上化です。

 

通常の連休、特に春のGWは家庭菜園に忙しくなかなかインドアな生活は出来ません、しかし一時帰休ならある意味自宅待機ですから白昼に自宅前をウロウロしてご近所からの視線を気にするより室内暮らしの方が好都合です。

 

現在のレイアウトは2016年にそれまでの小型レイアウトを一新して広く新幹線も走らせられる線路配置にしたいという希望がありスペースがそれなりに必要になったのでお座敷レイアウトへ転換しました。

ただ真のお座敷だとどうしても電源やポイントケーブルが邪魔になるため、OSBボードを購入し6分割した物の上に線路を配置してケーブル類をOSBボードの継ぎ目から配線できる様にしておりました。

寸法は2700mmX1200mm。

この方法に不満はありませんでしたが、どうしてもレイアウトから天井の無駄な空間が気になる、しかも少しづつ買い足している車両の収納スペースも少なくなり困っていたので何とか収納スペースを確保するためにレイアウトを橋上化して、下の空いたスペースへ収納が出来る様に考えました。

 

ところがいざ作業開始!となると面倒くさい気持ちが優先してしまいその場で暫く躊躇してしまうんですね。

でも思い切って解体開始!

本当は、台枠を作ったらそのままの状態で移設出来ればいいのですが、ボードが6分割の上、重量もそれなりですから、解体してから台枠の上へ移設することにしました。

 

台枠は木材で組むかイレクターパイプで組むか悩みましたが、加工が伴い時間が掛かりそうなので今回は寸法的にも加工の手間が無さそうなL型スチールを近所のホムセンで購入して台枠を組んでみました。

基本、部材をネジで止めるだけなので作業は至ってスムーズ、組み終わった部分からレイアウトボードを移設してゆきます。

台枠の寸法は3000mmX1200mm、長さに約300mmの余裕が出来てしまいましたが、将来はコントローラー設置スペースかレイアウト拡張スペースとして取っておきます。

全ての移設が終わったらボードの平行を余ったネジを台枠とボードの間に入れてスペーサーにして調節終了。

ここまで約1日半の作業でした。

そしてワタワと線路を復旧させて、形だけはそれなりに復元出来ました。

次の作業は、まず車両のテスト走行後、線路の固定、そしてストラクチャー類を戻す予定です。

 

今回で完全な固定レイアウト復活ですから、気兼ねなく線路固定も出来ますし、野山を作る事もストラクチャーに照明を組み込むことも可能です。

 

さて、一時帰休も残りわずか、どこまで作業が進むでしょうか?

 

 

 

 

懐かしの写真 その2 (昭和50年代、昼の東北本線)

GW真っ只中と言いたいところですが、今年はいつものこの時期とは様子がガラリと変わってます。

コロナ禍で緊急事態宣言真っ只中、外出自粛要請に伴って街はガラン、通行するクルマも少なめで寂しい連休となりました。

当然鉄道の方も定期列車以外臨時列車やイベント列車も運行中止で、沿線を見ても珍しい、面白い列車は一切見られません、走っているのはご当地馴染の701系電車や貨物のみで写真撮影する楽しみも味わえない状況。

 

そんなストレス発散には昔の鉄道写真で鉄道懐古。

今日の写真はおそらく昭和50年代中期の撮影と思われますが岩手県南部の東北本線で撮影された写真です。

当時は、時刻もろくに確認せず線路際に立っても、次々に色んな列車、特急や急行、鈍行、気動車、機関車などバラエティー豊かで飽きることがありませんでした。

455系 急行「いわて号」、「いわて号」は昼行と夜行がありましたが夜行は12両編成でグリーン車が2両連結の豪華?仕様だった気がします。

 

同じく455系 急行「くりこま号」、こちらは首都圏ではなく仙台と盛岡を結ぶ地方急行でした。

 

東北の優等列車のひとつ特急「やまびこ号」、盛岡と上野を約6時間で結んでました、特急「はつかり」「やみちのく」に比べ停車駅が多いのが気になりましたがその分、旅気分を味わうには絶好の特急列車だった思いがあります。

 

停車駅が多いが故、地方間移動には便利で岩手のビジネスマンにも人気列車で、東北新幹線開通後には盛岡発着の新幹線の名称に「やまびこ」が引き継がれました。

 

特急と言えば当時は俊足の485系や583系電車が主流でしたが、繁忙期には客車での臨時列車もありました。

これは臨時特急列車 「はつかり51号」、14系座席車での運転です。

この当時14系座席車は一部の急行「十和田号」でも使用されてましたので優越感はそれほど感じられなかったのではないかと勝手に想像してしまいますが、停車駅は少なくモーター音の無い静かなクルージングを楽しむのには良かったかも知れませんね。

個人的には貴重な存在だったと認識しております。

 

東北本線は貨物列車の大動脈でもあり北海道新幹線開通後の現在もその役割を担っております、ED75型電機機関車と緑の6000型?貨物コンテナが懐かしいです。

 

たまにはDD51型ディーゼル機関車の単独回送も。

北上線と釜石線への送り込みだったのかも知れませんね。

当時は複線電化区間での走行シーンに少し違和感を覚えた気がします。

 

50系客車、定番中の定番、地方の各駅停車といえばこの通称レッドトレイン、それまで主流だった旧型客車を淘汰し12系客車的な乗り心地に優越感を感じた時代でもありました。

 

JRになりその後は合理化が進み、現在岩手県内では特急、急行が廃止され、見かけることが出来る列車は貨物と701系電車、一部区間のキハ100(110)系ぐらいでしょうか。

現在、上の写真と同じ場所に立つとこんな風景が定番になってしまいましたが、かつての長距離列車が走馬灯の様に思い出されます。

(写真の701系電車は2012年当時のものです)

懐かし写真 その1

前回投稿は2019年8月の「家を建てる!?」で暫くぶりの投稿になります。

自宅建て替えは計画中ではありましたが、何せ農村地帯の古い自宅のため役所に出向くも登記がされてない、接道が取れないなど現在の建築基準を満たせない土地であることが判明、やっと不動産屋さんに諸手続きを代行してもらいそれなりに建築できそうになった所に今度はコロナショック!!

計画は保留中となってしまいました。

様々な検討を重ねた結果、本宅の建て替えは一旦保留として、金銭的に負担の掛からない自宅敷地内に新たに息子夫婦用一戸建ての住宅を来年度中に建築する計画に落ち着きました。

これだと解体費掛からず土地も新規購入もせずに基本、建物本体の価格でゆけそうですから。

しかし、まずはコロナ問題の終息を願うばかりです。

 

ただ今回の建て替え計画に伴って、要らないもの要るものの整理、断捨離は実施しました。

その中で写真類も結構大量に出てきまして、以前から探していた学生時代に撮影した鉄道写真やクルマの写真を発掘することが出来ました。

いくら探しても出て来ない物が出て来るのが断捨離のいいところ。

作業自体は苦痛でしたが、それらを発掘出来た時は疲れが一気に吹っ飛ぶ勢いの喜びでした。

 

そんな懐かしい写真を少しずつですがUPしてゆきたいと思います。

全ての写真で言えることですが撮影日が刻印されてないので正確な時期は不明で撮影時期はおおよそとなります。

 

最初の写真は、

おそらく昭和53年頃の花巻駅構内にて撮影されたキハ58系、釜石線下り急行陸中号と思われます。

始発は仙台と思われますが、途中多層建て急行として一関にて分割、合併を行い花巻までは「さかり」、「たざわ」と併結されてきたものと思われます。

花巻駅1番線ホームで出発を待つキハ58系急行

 

パノラミックウインドウがカッコイイ1500番台

 

次の写真は逆に釜石から花巻駅に到着した上り急行陸中号と思われす、この後は東北本線に乗り入れ、他の急行と合併、分割しながら仙台まで向かったもの思われます。

 

いずれにしても撮影した記憶はあるのですが、当時の撮影DATAなど一切なく、正確な列車名までは覚えておらず憶測となってしまうことが残念です。

でもこうやって写真だけでも記録が残っていたことには感謝です。

 

こんな感じで懐かしい写真を掲載してゆければと思います。

 

 

 

家を建てる!? その1

久々の投稿になります。

模型レイアウトの方はチビチビやってましたが、あまり手が込んだ作り込みをすると何か後々大変なことになりそうで、気がかりでそれなりにってところです。

 

が、しかしやっぱその時が遂にやって参りました様です、まだ少し先のお話ですが、事情がありまして、家を建て替える(増築)することになりそうです。

 

現在の住まいは一部2階建てで、平屋部分は主に台所や風呂場などの水廻り、2階部分は寝室を主として使用してますが、平屋部分は約24年前に建て替えを

済ませており、今回は2階建部分を一旦取り壊し、立て替える計画です。

 

ただ、なんせ建築場所が昔の田舎の農村地帯のため、接道やら水道口径やら、しかも平屋部分の建築基準も最新に合ってないなど問題が山積みで、そう簡単

には行かない気配で現在、工務店と調整中です。

果たして、家は建てる事が出来るのか不明ですが、進捗を綴って行ければと思います。

そんな状況なので、模型レイアウトも一旦撤収しなければならない状況です。

 

もちろん、新しい家が建てられた暁には、専用の模型部屋も組み込む予定です。

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