成熟した紬市場ではアンティークや過去の作品が市場に出て評価を得ている。発展途上においてはこうした過去を振り返る余裕もなければ、本来新品ではないので値段はつかない。それほど着物市場が染織ブームのあった頃を着物ユーザーが熱視しているということである。結城紬の場合も同じで親や祖父が持っていた着物を引き取り手に買い取ってもらうため、それが購入者が真贋がわからず私のような生産者が数を見てきたという意味で、聞きにくるといった過去にない意味不明な対応がしばらく続いた。産地問屋へ行くと値段も付いていなくて説明もしてくれなかったという見学者がやたら多い。織元かて完璧な人脈があるわけではないので行き違いや不要な存在、としてはじかれてしまう人の方が圧倒的に多い。とくに生産においては嘘をいった言わないで裁判沙汰になり滅んでしまった生産者がいるくらいのである。それほどきわどい商法をしてきて産地問屋は成り立っている。さらにここ最近、非常に絣需要が問屋や職人間で流れてくる。それはあと5年それより先に産地が括り手がいないという過酷な現実が待ていて、説明はできても生産ができてこないという繊細な危機管理から打ち出された戦略である。仮に私も8割は辛くて厳しい生産現場にいて絣を聞かれたら生産しているときだけは私のところで済ませるかもしれないが基本的には背景まで美しさにこだわるようなインスタ映えに代表されるスマホユーザーであれば織物協同組合事務所のある場所で実演することにするだろう。それと織元の情報という真に生産において必要な情報というのは高分子研究所(元茨城繊維工業指導所)などの危機管理や非常事態時において文化保護に代表される公的機関が国の重要無形文化財やユネスコ無形文化遺産の生産術をすでに技術的ノウハウや情報を織元や染織組合等の連結で控えているので、紹介するとすれば高分子研究所等の場所になる。私の場合、密かに生き残ってしまった絣生産者として産地問屋にすでに認知されているので、今は絣生産を重視するしかない。案外、見えない見えていない制約というのはどこの織物にもあったりするのではないかと思う。生産現場においては親はあまり載せないで欲しい、歳をかさねてしまいこそこそとちょぼちょぼと生産に勤しむ現場というのはあんまりであるといっている。結城紬は年間産地全体で1000反前後まで現在において縮小したがなんども同じ説明に私としてはなってしまうが生産性は非効率的なものでなかなかできてこないものだし、まして絣を織らないと織り手は極端に利幅が減り持続的活動はいたって厳しい現実と私も絣生産では過酷なあまり砂糖水を買い飢えをしのぐかのごとく飲み物に投資してしまい現金はあまり残るわけでもない。だがかなり結城紬を研究してこういうものが欲しいという生産ラインが保てているうちはとにかく玉突きするように良品を排出して行くしかない。結城紬はインスタ映えしないですよね、と言われて確かに写真では伝わりきれない部分がありいろいろと難しいのである。すでに結城紬を持っている人はその先祖のいぶきを感じ大切にしたり、買いたいものができた時に無理のない買い物をして欲しいということだ。