結城紬というと、憧れとしてみているならまだしも、もともと生産現場の人の声ってもう完全に腐っとります。憧れの目ではなく生活の手段でさえある。これが非常に伝わりにくいしなかなか言えない。買いにきた方が憧れててこっちは手段です、とか普通に答えてしまい、取材もあっさり腰折れ。だってもともとあったものとしてみているなら憧れなわけないでしょう。そのひらきなおりで夢を売る。もうわけわかんないでしょう。ここをまず私は語っちゃう。それがえらいうけるんだ。世の中がおかしいよ。