結城市の歴史 近代結城のなりたち
引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市 編集:結城市史編さん委員会
P989
紬生産の発展
紬生産の概況(2)
結城紬の生産反数に大きな変化はみられなかったが、生産品の高級化は
着実にみられた。結城紬の生産は結城市を中心とする近隣農村の農閑企業
として主として生産されていたが、国の重要無形文化財として指定後は
検査制度の定着によって技術の改善が行われた。需要者からもその芸術性
が高く評価されるようになって、生産地においてもその期待に応える努力
が払われた。この間生産者が農閑余業から本業へと経営の重点を移し、
通年生産の傾向を強めている。このような諸要因によって生産物は年々
高級化する傾向を示している。結城紬では模様を亀甲絣と十字絣で精緻に
織り出しているが、幅九寸四分の反物に100個以上の亀甲絣や十字絣を
入れて模様を織り出すものは高級品とされ、80個で模様をつくるものを
中級品とされている。高、中級品の模様は緯糸、経糸双方に模様をつけ、
両者の織合せによって鮮やかな模様を織り出している。緯糸、経糸いずれ
か一方の模様によって模様を織り出すものは緯絣、経絣と呼ばれ、下級品
とされている。縞もの、無地ものも下級品である。表にあるように、
1966年(昭和41)には生産物の過半が下級品で占められ、高級品は10%
にすぎなかった。1970年以降になると、下級品はほぼ45%以下となり、
高級品は約20%に達している。中級品は全体として不安定な推移を示して
いる。結城紬に女物が多く生産されるようになったものも戦後の大きな変化
である。戦前の結城紬は男物の生産が中心であり、女物は三割程度にすぎな
かった。戦後の技術改善は染色部門にも顕著にみられ、変化と色彩に富んだ
模様を細かな亀甲絣や十字絣によって鮮やかに織り出すことができるように
なり、結城紬は女性の着物愛好家に珍重されるようになった。とくに、重要
無形文化財指定以降は女物の需要が高まり、最近では90%以上が女物によっ
て占められているようになった。(a)。
(a)<三百年を生きる>より
<紬生産の概況(2) おわり>