結城市の歴史 近代結城のなりたち
引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市 編集:結城市史編さん委員会
P964
秋元家と大島家の紬織り(2)
麦作協業組合の第二代組合長を勤めたのは大島明家である。同家では農地改革
前耕地5ヘクタールを所有していた。現在大島家の耕地所有は協業の水田1.5
ヘクタールのほかに水田35アール、畑94アールあるが、協業地以外で自作
しているのは菜園10アールだけである。菜園耕作の主なる作業は、組合の大型
機械を適宜にかり出してすませているから、協業組合への出役約750時間(a)
以外はほとんど紬生産に従事している。同家も明治時代から紬を織っていたが、
ほんの農閑期の副業として行っていた程度であった。現在見習人5人と委託人
5人を抱えている。自家生産は年間10反程度にすぎず大部分が委託生産となって
いる。1979年(昭和54)は39反を委託で織りあげた。大島家では3軒の買継
商と取引きしており、図案を買継商が持ってきた中から適宜選んで生産している。
注文は大島家の生産能力以上にあり、仕事が足りないということではない。
自主生産は全く行わず全部注文生産である。長男は絣くくりに専念し、当主が
下拵えその他を引き受けている。当主の妻は自分でも紬を織るが、見習人の
指導が主なる仕事となっている。同家で使用する紬糸は結城市内と関城町の糸
屋から仕入れている。染色は関城町へ頼む。麦作協業組合設立前は紬織りはあく
まで農閑期として行なっていたが、最近では紬生産に重点を置いた経営となって
いる。協業組合の参加者は大部分がこのような経営形態をとっている。
(a)うちオペレーターとして約275時間
<秋元家と大島家の紬織り おわり>