紫式部は藤原道長に請われて、乗り気ではなかった宮中へ上がり、一条天皇に奉ずるための「源氏物語」を書き始める。


そうして書き始められた「源氏物語」が、世界最古の長編物語と言われるまでになるのである。


ではなぜ「源氏物語」がその後も多くの人々にこれだけ長く読み継がれて来たのかを、詳しく見ていこう。


「源氏物語」は紫式部が自宅で執筆したのが始まりで、その後物語好きの友人たちに貸したところから世に広まったと考えられている。


これをきっかけにして紫式部が藤原道長にスカウトされ彰子の女房になったと考えられるからだ。


したがって、当初の読者は紫式部の女性の友人たち、それもいわゆる専業主婦層だったと思われる。


当初紫式部は窮屈な宮中への出仕を拒んでいたが、道長が父や親族にまで手を伸ばして要請したため、仕方なく内裏へ上がっている。


宮仕え後、紫式部は道長の要請で一条天皇のために執筆を続けたが、読者は瞬く間にどんどん増えて行く。


「紫式部日記」によれば天皇はもとより多くの公卿たちまでが、この物語を奪い合って読んだという。


「源氏物語」はなぜこのように人気を博したのだろうか。


またど うしてその人気が衰えることなく、千年も伝えられてきたのだろう。


それは、多様な読者のニーズにそれぞれ応えるところを持っていたからだ。


当時は 「竹取物語」や「うつほ物語」などが、女性や子どもたちの間で読まれていた。


「源氏物語」の最初の読者である女性たちは、従来の子ども騙し的な「物語」に不満を抱き始めていた。


物語は所詮作り話にすぎないというのだ。


そうした女たちが求めていたのは、空想の中の男が救ってくれるわけではないこの現実、生身の自分たちが抱える現実を写し取る作品だった。


「源氏物語」から三十年ほど前に、身を挺するようにして そんな作品を書いたのが藤原道網母であった。


彼女は自分の二十年にわたる結婚生活の喜びと苦しみを、手記「蜻蛉日記」として世に出した。


そこには藤原兼家の妾として生きる彼女の、悩みや愚痴が脚色されることなく正直にそのまま綴られている。


ちなみに彼女は姉妹が紫式部の祖父の兄と結婚しているので、紫式部の遠縁にあたる。


紫式部は道綱の母の自分の感情を赤裸々に綴った文章に、大きな影響を受けている。


そのため「源氏物語」は、本物を求める女たちの思いを十分に考慮して作られている。


それは誰よりも紫式部自身が、貧乏な子持ちの未亡人というやりきれない現実を抱えていたからに違いない。


生まれた家によって将来がほぼ見通せる身分社会。


その中で父や夫の庇護を失った女性の苦労、いっぽうで父や夫に翻弄される女性の苦労。


或いは順調に人生を達成しているかに見えて、陰で涙を流し続けている女性の苦労などなど。


そうした幾つもの真実を、「源氏物語」はくみ上げてストーリーにしている。


もちろん女性ばかりではない。世間の矢面に立つ男たちにもそれぞれの苦労がある。


「源氏物語」は、現実の人間社会を映 したリアリズム物語として広く人々の心をつかんだのである。


ところで多くの人々に読まれるということは、多くの読み方が出来るとういうことでもある。


そのため「源氏物語」が、反体制文学であるとか、紫式部はレズビアンであるといった極論も存在する。


しかし時代とともに読者層が変化したり、読まれ方が変わるということは、それだけ「源氏物語」が奥深いということでもある。


紫式部は千年前に現れた、現代にも通じるフェミニスト、だとも言われている。


大河ドラマでは初めてといわれる平安の貴族文化を取り上げたのが、今回の「光る君へ」である。


この機会に「源氏物語」を読み直して見れば、また新しい発見があるのかも知れない。

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