お市の方には姉妹が13人いたと言われるが、お市と同じくそれぞれ戦国武将に嫁いで波乱万丈の生涯を送っている。


お市の方の姉妹たちの生涯を見ていこう。


お市の方の父・織田信秀には12男13女の合計25人の子どもたちがいたと言われている。


娘13人のうち6人が織田一族に嫁いでいいるところから、信秀が織田家親族の婚姻政策を重要視していたことがうかがえる。


次におくらの方、小林殿、お犬の方の3人が尾張の有力者に嫁いでいる。


そしてお市をはじめ残りの4人が隣国の有力者に嫁いでいるのである。


またお市は浅井長政の死後、柴田勝家と再婚したが、13人のうちの3人が一番目の夫を失ってから再婚している。


たとえばお市の異母妹のお犬の方は、最初は尾張の有力者で大野城主の佐治信方に嫁いでいる。


お犬の方の肖像画が今も残っているが、お市に似て、美しい。


織田家の子どもたちは美男美女揃いで、そのために特に娘たちは政略結婚におおいに利用されたようである。


信長は大野の港の水軍に目を付けて、伊勢湾の海上交通を意識して、佐治信方に妹のお犬の方を嫁がせたのである。


お犬の方は信方との間に2男1女をもうけたが、信方は22歳の若さで戦死する。


伊勢長島の一向一揆で信長は、二万人を越える大量虐殺を行ったが、この緒戦で信方は討死している。


未亡人となったお犬の方は信長のもとに帰るが、4年後には公家の細川昭元に嫁いでいる。


お犬の方は昭元との間にも1男2女をもうけたが、本能寺の変で信長が死去した三ヶ月後に病没している。


再婚して悲惨な目にあった姉妹はお市の方だけではなかったのである。


また織田一族に嫁いだ姉妹のなかにも戦乱の犠牲者となった者も多かった。


お市の姉の犬山殿は、父信秀によって織田一族の織田信清に嫁がされている。


信秀亡き後、信長は岩倉城主の織田信賢を攻めるために、信清の協力を得て信賢を攻め滅ぼして尾張を統一した。


ところが尾張を統一すると信長は信清との関係が悪化したため、信清の居城を攻め落として国外へ追放している。


犬山殿は信長が引き取っている、その後にお市はこの姉と同じパターンをたどるのである。


浅井長政が信長を裏切ったのも、このような信長の過去を知ったからなのかも知れない。


また織田一族に嫁いだお市の妹と思われる女性二人も、同じような運命をたどっている。


この女性たちの名前は不詳だが、同族の織田信直と織田信成にそれぞれ嫁いでいる。


ところがこの夫たちがやはり長島の一向一揆でともに戦死している。


織田信長の妹たちやその娘たちは、信長死後は豊臣秀吉にも政略結婚の道具として利用されている。


お市の方の三人の娘、茶々、初、江が、秀吉の政略結婚に利用されたたり、茶々を秀吉の側室にしたことは有名である。


さらに秀吉は、神保氏張に嫁いで出戻っていたお市の姉妹を、稲葉一鉄の息子・貞通の後妻に入れている。


そして貞通の妻はその後5人もの貞通の子どもを、高齢にもかかわらず産んでいる。


お市と信長の13人の姉妹たちは、美人であるうえに多産系であったために、戦国武将たちからは引く手あまたであったのかも知れないが、それが姉妹たちにとって幸せであったのかどうかは不明である。


【お市の方の姉妹たち】ユーチューブ動画