シンなる光において。
すべての戦死者に安らかな眠りあれ。       

 

 


 

 

 シャローム(平安あれ)。本物の終戦日は9月2日です。第二次世界大戦(1939〜1945年)の終戦日、本物の敗戦日は9月2日です。世界の常識ですが日本人だけ知らされません。ロシアより偏向報道がひどい日本は、「終戦の日」とをつけて、「終戦日」と言いません。バレた時に「終戦日とは言ってない」と言い訳するためです。日本人はまったく過去を顧みず、まったく反省していません。8月15日の虚言では死者が鎮まりません。

 

 



 

 本物の条文。世界の国々は、万人を国民にせばめない「万人の正義(Human Rights」の条文をシェアしています。実際の西洋諸国はさまざまな差別がありますが、条文では「万人を国民にすり替える」「正義を権利にすり替える」「皆立事みなだつこと(constitution)を神話の憲法にすり替える」などの洗脳をしていません。世界一愚かな日本民族だけ、「憲法による国民の権利」を盲信しています。大戦敗戦国で「憲法」を改正していない愚かな国は日本だけ。本物は「憲法」という神話用語ではないからです。本物は日出ずる処や天皇や聖徳太子とは無関係です。皆立事みなだつことは企業や組織、体格や体質もあらわす生きた体皆立事みなだつことは時代にすり合わせ、みんなで改正することが当たり前です。

 

 

 

 

 

 本物の建国年。普通の国は建国年をシェアしますが、異常な日本は教科書に日本建国年すら載せません。実際の日本建国年は689年。この年に日本が建国され、「天皇」という用語も作られました。だから、604年に日本国があり、推古天皇や厩戸王(聖徳太子)がいて、憲法十七条(和の精神)が制定されたのはフィクションです。実質上の日本建国者かつ初代天皇は天武ですが、日本人は天武が第40代天皇というフィクションを盲信しています。ところが、歴代天皇の位牌をすべて預かる泉涌寺では、天武とその子孫だけ位牌を作らず、天皇のための儀式も行いません。本建国には暗部があり、そのために「日本人に建国年を教えない」という洗脳に至りました。嘘に嘘を重ねた結果、嘘だらけの「日本国憲法」が出来ました。日本国憲法のキーワードはほとんどが全文字誤訳です条文の原語は英語なので、日本人の99%は日本国憲法の内容がわかりません。初代天皇の大罪、建国年の隠ぺい、フィクションの憲法十七条、全文字誤訳だらけの日本国憲法、改正されない憲法。これらはつながっています。

 

 




 

 

 

 本物の太陽。日本の遣唐使は唐帝国で証言しています。「日本国はヤマト国(日出ずる国)とは別で、かつて小国だったがヤマト国を併合した」と。「大和」は757年に新しく作られので、『万葉集』に「大和」の歌はまったくありません。神話では、なぜか日本が豊葦原の中つ国を征服し、中つ国の神器によって「天皇」即位しています。神話では、中つ国の星神が「殷の紂王(君主側)」にたとえられ、日本の太陽神が「周の武王(君主殺し)」にたとえられています。正史と神話から判断すれば、日本は反乱して宗主国を乗っ取り、「ヤマト」「豊葦原中つ国」を名乗った成り上がりです。だから東国の武家政権は、成り上がりの太陽神を【この国を乗っ取った虚言神】と嫌い、神仏に数えませんでした。武家から太陽神ごと嫌われる日本が、由緒正しい国なはずがありません。世界の諸神話では太陽神が主神になる例は少なく、より上位の神(天空神、大地神、雷神)などがいて、上位神が太陽神を吸収する程度。正義の神アスラ王、夜天の神ヴァルナは日食月食をも司り、後にアスラ(阿修羅)は聖書やコーランの「太陽と月と星を拝ませない天使」に吸収されました。逆にアスラの敵デーヴァはデーモンに吸収されました。日本人は天使を修羅に貶め、悪魔を天神と崇め、明星を最高の菩薩と崇めるデーモン側です。日本や仏教は天使の敵です。さらに、中世日本では「日本を所有する第六天魔王が太陽神に神璽(勾玉)を与えたから、天皇家は正統だ」という変な神話が流布しました。魔王が真の国主で、天皇に権威を与える側ならば、武家が太陽神を嫌った背景が見えてきます。聖書視点でなくても、日本という太陽は不正な偽物本物の近代化は、太陽王ルイ14世が確立した絶対王政を廃止すること。本物の近代化は「太陽の天皇と臣民なき平等」を確立することです光が来て本物の太陽が明らかになった時、日本という闇は消え去るでしょう。 



 

  

 

 

 本物のカルチャー。第二次世界大戦(1939〜1945年)への参戦、太平洋戦争の何がいけなかったのか?それは民なき人間を「国民と非国民」に分け、天皇・大臣・国民という差別で世界征服しようとしたことです。西洋は「小」のサービスで回り、大統領・大臣・大人・大学という大きな語がありません。日本人は大丈夫、大事、大切と大きな語を乱発しますが、大陸の中国人は「大」をあまり使いません。日本人は困るとすぐ「日本には日本の文化がある」と逃げます。けれど文化(culture)や伝統(tradition)は英語から誤訳された造語で、本来は自国に引きこもる用語ではありません。カルト(cult)、カルチャー(culture)、カルトヴェイシャン(cultivation)は“耕し”です。カルト、文化、教養というカタカナ誤用と誤訳では何も分かりません。日本は「耕されない荒れ地」で、学校教育やメディアが基本的人語を伝えません。カルト、カルチャー、カルトヴェイシャンすら伝えない。ザ・ピープル、プレジデント、ミニスター、アダルト、ユニヴァーシティすら伝えない。建国年も敗戦日も伝えない。「日本文化」「日本の伝統」に閉じ込めて思考停止させるこれは洗脳です残念ながら、日本は旧統一教会と大差ありません。「文化と伝統」は洗脳です。



  



 

 

 本物のリバティ🗽本物のリバティ🗽は、ひとりひとりに宿る世界の内なる光で、「政る語」「信じる語」「教える語」「自由」という用語をもたらしません。ガヴァメント(government)やポリティクス(politics)やパーティ(party)は政府、政治、政党という“政”の共通パーツはありません。ビリーブ(believe)やトラスト(trust)やカンファダンス(confidence)は信じる、信頼、自信というの共通パーツはありません。チャーチ(church)やリリジャン(religion)やエジュケイション(education)は教会、宗教、教育という“教”の共通パーツはありません。自由と誤訳されるfree、freedom、liberty🗽は漢字圏にないもので「自ら」や「由る」ではありません。ありもしない政教分離、信教の自由とはいったい何でしょうか?それは無知の闇、傲慢な知ったかぶりに過ぎません。昔から日本になく、宗教や教育で教えられないことを日本人が知るはずがありません政治と政府、宗教と教育、信仰と信用、自由と誤認すれば、必ず人間未満の家畜になります。残念ながら、日本の義務教育は旧統一教会の教えと大差ありません。「自由」は字面も中身もない、誰も啓蒙しない闇です。

 

 

 

 





 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく」

━━『学問のすすめ(1872年)』

 

 本物のネイチャー。本当の世界は「自然」という用語がありません。ネイチャーは「産まれ」、言霊コトダマの「ムス」です。オリジンの「ナートゥーラ」は天神ウラノスや地神ガイアを産んだゼウスの曾祖母で、雷電の力を解放するものですナートゥーラはイザナミと八つの雷を黄泉に封印する神話と真逆です。ネイチャーは美醜や多少や貧富の差別に使えない語で、自然と真逆です。また、ナチュラルな平等は「女性と雷電の解放」を前提とし、支配層の天皇や大臣、支配される国民という和のカーストがありません。ナチュラルな平等は、先輩後輩、先生生徒、年上年下の年齢カーストがありません。ナチュラルなブラザーズは兄と弟という年齢カーストがありません。ナチュラルなシスターズは姉と妹という年齢カーストがありません。つまり、島産みの兄妹、太陽が姉、月が兄、海が弟という天皇神話はアンナチュラルな不平等の呪いです。先生や先輩による学校教育そのものが不平等の呪いです。けれども、日本の教育者やマスメディアは「本当のネイチャーは天皇も大臣も国民もない平等」「本当のネイチャーは兄弟姉妹や先生先輩の年齢上下の差別がありません」と伝えません。福澤諭吉は『学問のすすめ(1872年)』で万人の生まれながらの平等を語りました。それから150年日本人は「万人」から「国民」に退化し、「国民を万人に改正すべき」と批判できない家畜に成り果てました哲学者の和辻哲郎であれ、映画監督の宮崎駿であれ、「本当のネイチャー(ムス)」を伝える努力をしていません。平等の根拠はクリエイターとナチュラル・ローですが、日本人は150年怠け続け、神とクリエイター、自然とネイチャーをすり合わせる努力をまったくしませんでした。自然は思考停止をうながす地獄の機械です。

 

 

 

THE WORLD


 

 

 本物のワールド。今はアメリカもヨーロッパもロシアも腐敗しました。わたしが言う「世界」は腐敗した西洋諸国ではありません。地上の国が地上の国を真似て国を立て直すことはできません。本当の【神々】は政信教なく、自由や自然で洗脳しません。いわゆる旧約聖書の【神】、本当は単数形の【神々( אֱלֹהִיםエローヒーム)】です。ヘブライ語原文で【神】という呼び方は少なく、約90%は【神々】です。【神々】は一人称が“we”であり、【神々】の似姿はアダム、男性、女性です。【神々】は無性と男性と女性を内包するもの。なぜ同性婚と異性婚が「神の名において」等しく認められるべきか?それは本当の【神】が、無性で男性で女性な【神々】で、その似姿たる人間は必ずしも肉体と性が一致しないからです。「父なる神」ばかり繰り返せば、国々が男尊女卑で歪みます。こうした歪みを修正する形で啓示されたのが、『クルアーン(コーラン)』でした。アッラーは父でも母でもなく、男でも女でもありません。残念ながら地上の中東諸国はアッラーの強みが活かされず、男尊女卑に傾いてしまいました。福音書のエゴ(εγώ、egṓはイエス・キリストの「良いわたし」で、「悪い自我」ではありません。あらゆる国々は【神々】やエゴや男女を改ざんしています「わが国すごい」「世間様」で思考停止する限り、自国自分が見えません。神々はすべての国々の土台に関わるため、誰も神々の問題を避けることはできません。「聖職者や偉い人、誰かが代わりに考えてくれるだろう」という他人まかせは諸悪の根源です。神々はすべての人にとって自分の問題です。神々について自分の頭で考えない限り、各国が歪めた偽物の世界に閉じ込められ、本当の自分と本物の世界を見失います。

 

 

 





 

 本物の【ゴッズ】。もしもロシアやアメリカやヨーロッパで「 אֱלֹהִיםエローヒーム】を【Gods】と訳した聖書」をシェアしたら、いや、日本や韓国や中国で「אֱלֹהִים】を【神々】と訳した政信教なき聖書」をシェアしたら、必ず不可逆の変化が起きます。【神々】は「兄弟姉妹」「支配する者(天皇、臣)と支配される民(奴隷)」のカーストを立てませんでした。【神々】を立てれば、世界から「兄弟姉妹」「皇臣民」「政信教」という言葉が消えるのです。「民主主義や国民や人民など」を廃止すれば、間違いなく日中韓の国名が変わります。姉なる太陽や虚空なる明星が消え、天皇や大臣や国民が消えれば、日本も密教も憲法も政府も消滅します。その後、東アジアに新しい国々が立つでしょう。

 

 



Ταλιθα κουμ
 

 

 

 本物のスタンド。最初の神、稲の神、合気道の神は「国常立尊クニノトコタチノミコト」です。実はこの常立トコタチは聖書のクリエイターでもあり、言霊の「タツ」は本当の「クリエイト(創造する)」を兼ねています。稲荷の祝詞は「それ神は唯一にして御形なし。虚にして霊あり。天地開闢て此方国常立尊を拝し奉れば」と聖書(創世記1章)の痕跡があります。底が立つ、風立ちぬ、虹が立つ、月が立つ、根本的な力を創るのが「立たせる」こと。英語でも「スタンド(立つ)」はとても重要です。

ステイト(state
たち(国、状態)」
ストア(store
立物たてもの(店)」
ステーション(station
立処たつところ(駅)」。
イグズィストゥンス(existence
外立よそだち(存在)」
インスタトゥーシャン(institution
内立事うちだつこと(制度、法令)」
コンスタテューシャン(constitution
皆立事みなだつこと(憲法)」
カンスティチュアンシィ(constituency
皆立力みなだつちから(有権者、選挙区)」
ミニストリ(ministry
小立こだち(官公庁、省庁の建物、聖職)」
ミニスター(minister
小立こだちにん(大臣、聖職者)」

インシステンス(insistence )
上立うえたち(主張)」
アンダースタンディング(understanding
下立したたち(理解)」
ディスタンス(distance
離立はなれだち(距離)」

 

 

 

 



 

国、店、駅、存在、制度、憲法、有権者、官公庁、大臣、主張、理解、距離などの誤訳。素直に「立つ」で訳せばいいものを、わざと下立したたち(理解)できないように訳されています。これだけ「立つ」を奪われれば、国が立たず、誰も人として立てません。人語の基本はタツと強調してもいいほどです。本当の天地創造は「申立シンリツבָּרָא)」、【神々】が神秘の雷電(申)によって天地を立たせること。ヘブライ語もギリシャ語もラテン語もアラビア語も「アール(R, r)」そのものが神秘の雷電を示します。ゼウスの三つの雷電とゼウスに雷電を与えた巨人に共通する文字は「ロー(Ρ, ρ)」だけ。「主(Κυρίου)」「キスト(Χριστός)」「マア(Μαρία)」のようにキーワードに「ロー(Ρ, ρ)」が入っています。聖書で「復活する」と訳される「エゲイー(ἐγείρω)」も雷つきの「起き上がる、立ち上がる」単語。星も雷つきの「アステー(ἀστήρ)」で、東方三博士をキリストまで導いたのは「立つ星」でした。福音書の雷と電はどちらも女性名詞で、ナートゥーラの雷電ですナチュラルな平等の前提は「女性と雷電の解放」です。「立つ星」は雷電なる主トコタチとキリストとマリアへの道案内。その道で女性イザナミと八つの雷は解放され、スタンド語で新しい国が立ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本物の努力。努を分解すると「女+右手(又)+力」となります。ヘブライ語の右手「ヤミーン(יָמִין」は女性名詞で、ヘブライ語の正義「ツェダーカー(צְדָקָה」も女性名詞です。イスラム圏の寄付「サダカ(صَدَقَة」は、女性名詞の正義ツェダーカーから来る単語です。ラテン語の正義の女神「ユースティティア(iustitia」が英語の中正・正義「ジャスティス(justice」になりました。これらが権利もとい、正しさ・正義(right)に関連する背景です。ユーラシア大陸では「右=正、強、清」「左=邪、弱、汚」が昔からシェアされています。聖書やコーラン以前からそうで、小国群も元からそうでした。日本だけが左上右下にこだわり、右なる女性イザナミを悪役にして太陽や神々や政や衣食住で「左が上、右が下」を強行しました。その結果、日本は左右逆転させ、神仏と悪魔を逆転させ、正しさを権利に歪め、「努なき努力」を振りかざす「人権後進国」になりました。世界の子供たちはrightが正しさかつ右と知っています。日本人はテレビやネットの有名人でもrightを知りません。日本は豚が支配する『動物農場』です。『動物農場』は、人間の右手(努)がありません。権利という豚語をやめ、rightを正義や正しさと呼ばない限り、ジャパニーズはヒューマンの水準に届きません。本物の努力のために、聖書やコーランの力は必須です

 

 

 



 

 リアル。本物の【神々】や本物のムスをシェアすること。「終戦の日」は洗脳のためのフィクションです。9月2日が敗戦日で終戦日。本物のムスは、女性イザナミや八つの雷を黄泉に封じていません。本物のムスは、姉なる太陽や兄なる月や弟なる海を産んでいません。本当のムスは、天皇も大臣も国民も産んでいません。本当に戦争を終わらせるためには、八百万の虚言の外、8月15日が終戦の日という虚言の外に立つしかありません。敗戦前と同じように、憲法だ、権利だ、天皇だ、大臣だ、国民だ、政府だ、宗教だ、文化だ、自由だ、自然だと豚語を繰り返す限り、死者がさ迷い続け、戦争は終わりません。生きている人間は世界大戦を招いた幻想から卒業しなければいけません。憲法や和の精神は幻想で、日本建国した初代天皇は大罪人でした。日本はヤマトでなく、日出ずる国でなく、豊葦原の中つ国でなく、汚い手段で成り上がった小国でした。だから日本は国譲りの虚言をやめ、国と神器を出雲に返す義務がありますその後、日本は消滅し、まともな国、新しい葦原国あしはらこくが立つでしょう。日本の無神論者は無知無能で、フィクションの迷路から外に出られません。フィクションからリアルに移行するために、聖書原典とコーラン原典は必須です。葦船で捨てられたモーセと葦杖を右手に握るキリストは、葦牙アシカビ葦原国あしはらこくとすり合わせられるでしょう。

 

 

 

 

 

Today we see a different world, because the light has come.
 

今日わたしたちは違う世界を見ます、なぜなら光が来たからです。

 

━━『A Course in Miracles』Lesson 75