マリアの子、大工ヨセフの養子イエスの叡智。

 

 女性名詞の知識グノーシス(γνῶσις)はナーリッジ。

 女性名詞の知恵ソフィア(σοφία)はワイズダム。

 女性名詞の理解スネシス(σύνεσις)はアンダースタンディング。

 女性名詞の宇宙ウニベルシタス(universitas)からユニヴァース。

 女性名詞の世界ウェオロルド(weorold)からワールド。

 女性名詞の自然ナートゥーラ(Natura)からネイチャー。

 女性名詞の自由リーベルタース🗽(Libertas)からリバティ🗽。

 女性名詞の公正ユースティティア(Iustitia)からジャスティス。

 

 

 悪なる世間は男性で回る。

 善なる世界は女性で回る。

 約束の地カナンにつながる。

 偽なる石工は知らない。

 真なる石工は知ってる。

 キリストは大工の養子。

 

 בַּרְזֶלהַרנָגַשׁ

 

 女性の「鉄山靠てつざんこう」で悪の世間を退治しよう。

 

 

『本気出せばお前殺せる』

 

 

 ドウ。

 

 

『このヒーラー、めんどくさい』

 

 ドッ。

 

 

『ワンパンマン』

 

 ドォン。

 

 

 

 

 ガーン!

 絵の元ネタは『拳児』。物珍しいためか、「鉄山靠てつざんこう」は人気作品で使われ続け、増え続けている。

 

 

『アンデッドアンラック』

 

 

 鉄山靠てつざんこうは、華夏かか(チャイナの美称)の少数人種、回族の八極拳の技。背中でドーンとぶつかる技。二人組で背中をぶつけ合う練習は、とんでもない音がしている。

 

 

 

 

 これを聞けば、「この技、効くのか?」と思ってた人も「すごく痛そう」と思うだろう。

 

 

 

 

己こそ己の寄るべ、己を措きて誰によるべぞ、良く整えし己こそ、まこと得がたき寄るべなり。

━━少林寺拳法の聖句

 

 武術がユダヤ人のイエスとユダヤ的なフリーメーソンとどうつながるか。「鉄山」はともかく「こう」。華夏かかの「カオ」は日本でなじみがない。一応、「もたれる」「もたれかかる」「(よる、たよる)」「たがう(たがう、そむく、したがわない)」と書く。わたしは少林寺で習った「寄る」を「る」に寄せる。る」を夜のヴァルナ光のアフラ・マズダーに寄せる。古語の「カゲ」は日光や月光や火の光、人の姿や物の形も意味した。日本で修羅や天狗と呪われてきた阿修羅王の正体は、天使のオリジンであるアフラ・マズダー。日食月食する阿修羅王は太陽や月の上位者、太陽と月と星を超えた夜天の光。夜とカゲにることで、太陽と月と星を拝ませない光の天使に近寄る。

 

 

 

 

 華夏語の靠は。

①寄りかかる。もたれる。

②(物・体を)たてかける、もたせかける。

③近づく、寄る。

④近づける、接近させる。

⑤頼る、依存する。

信頼する、頼りにする

⑦【前置詞】(…を手段・道具・根拠)として。

(伝統劇で役者が着ける)よろい。

 

 鉄山靠てつざんこうは①〜④辺りだろう。寄りかかる、近づく。「カオ」は日本の「たがう、そむく、したがわない」がない。いや、これは聖書とフリーメーソンとゾロアスターの話だ。八極拳は回族のイスラム武術。信頼を含む「カオ」により、聖書とコーランとゾロアスターとフリーメーソンに「近づく」。

 

 

 

 


 信。信じる語、信用、信頼、信仰はみんな大嘘。ギリシャの女知識グノーシス、女知恵ソフィア、女理解スネシスに寄せる。英語believeの「信じる、信用する」は誤訳。Be-(by, near, 近寄る)は「。-lieve(leave)は「そのままにする、残す、許可する」。さらに「信(しん)」は漢文風の音読み。訓読みは、たより(手紙)、まかせる、まこと。どれもあまり使わない。愚民は「日本で英語なんていつ使うんだ」と言うけれど、現代日本語は英語から造られた人工言語。日本国の仕組みは全て英語。believe(信じる、信用する)」「trust(信頼する)」「confidence(自信、打ち明け話、秘密、内緒)」「faith(信仰)」はみんな原語から遠い。トラストは「かたい」を基礎にしたビリーブより強い言い方、カンファダンスやフェイスも「かたい」から来る語特にカンファダンスの自信=打ち明け話=秘密=内緒は意味不明「con-」は【自】でなく【皆(ともに、いっしょに)】。英訳された日本語は英語のパーツを無視している。標準語は誤字誤用が何万もある。それを「愛」から確かめてみよう。

 

 

 

 

 愛の法。聖書の「法律(律法」は、第一が「(唯一の)神々なるיהוה‎を愛する」。第二が「隣人を愛する」。信じるではない。実は日本語の「愛する、愛情、恋愛」はクリスチャンのラヴに寄せた英語翻訳語。日本の法観念、「憲法、法律、律法」も英語翻訳語。本当の「法律」と「律法」は同じ「law」で、別々の単語ではない。世界195か国がシェアするナチュラル・ローは自然法でなく「生まれながらの法律」。それは、ユーラシア大陸の古典法(聖書の聖法、コーランの聖法、ギリシャ・ローマの法と正義の女神たち、ヴェーダの天則=アヴェスターの天の正義)に基づく。西洋や中東やインドは無法な「教え」「学び」がなく天の法律と天の正義が先にあり、国の法律や国の正義が後に続く。日本は泥臭いド田舎で、愛と生まれと法律と正義がみんな欠けている

 

 

 

 

 愛の法つづき。大工ヨセフの養子イエス。西洋人は確固たる愛の法があり、恥が価値基準ではないので、「愛が恥ずかしい」がない。また、西洋は「教え」「学び」という悪語がない。キリスト教、教会、宗教、一神教、多神教、教育、教科書…。全て造語。学校、学生、学者、哲学、文学、科学、何もかも作り物。また、西洋は「頑張る/努力」「仲良し/仲間」の悪語がない。『マタイの福音書』6章、イエスは天叢雲アメノムラクモなる「ディア(διά)」で告げた、【努力しない野の百合ですら、神がソロモン王より着飾ってくれる】と。世界のド田舎者は、愛と法を拒み、悪語を振りかざす。

 

 

「愛」

「יהוה‎」

唯一の神々אֱלֹהִיםエローヒーム)」

「‎天叢雲アメノムラクモを意味する『デルタ(Δ, δ)』」

「教学なき法律(律法)」

「恥が基準でない」

「信じるは優先順位が低い」

 

 

七つとも日本人に意味不明だ。さらに「愛するは英語風」「信じるは漢文風」。訓読みを広めないと分からない。わたしは「愛する」を「でる」に九州…吸収させることを提案する。「唯一の神々でる」に始まり、「隣人をでる」「敵をでる」「好きな人をでる」「同性をでる」を対等に寄せる。ラヴはクリエイト(言霊コトダマ:立てる[創る])、フォーギヴ(ゆるす)、ピティ(同情)、マーシー(慈悲)、グローリー(栄光)を伴う。ラヴは皆立みなだちを憲法にすり替えない。ラヴは万人国民にせばめない。ラヴは正義(右)は権利だとだまさない。ラヴはブラザーやシスターを兄弟姉妹で年齢差別しない。ラヴはスクールで先生や先輩後輩の年齢差別をしない。ネイチャーも同じ。ニセの愛による差別は、日本が1979年から批准している国際正義規約(国際人権規約、法的拘束力あり)では犯罪日本人は泥臭い犯罪者の集まり。日本の平和はロシアのウクライナ侵攻より悪い   

 

 

石工(メーソン)

 

 

 石工。ラヴを広めるため、かたい誠実さをあらわすいしばし」にtrustの意味を九州…吸収させよう。かためる(かたくしんじる)」。型を重んじる武術に寄せよう。いしばし石工いしくソロモンとフリーメーソンとイエス・キリストに寄せよう。Trustの語源deru-は「be firm, solid, steadfast(固められた、固体、確固とした)」で、ふわふわな信じると逆。「かたいもの」でなければ、ファームやソリッドやステッドファストはわからない。なので英語の「believe(る。信じる)」<「trust(かためる信頼する)」。

 

 

 

 

 

 ミナカタ。「confidence(皆矼みなかた。自信)」と覚える。ラテン語の女性名詞「confidentia」が語源。カンファダンスのconは「全部。ともに、いっしょに」の意味。「皆」は「全部。ともに、いっしょに」の意味。「fidence(to trust)」は「かためる(かたく信じる)」。だからカンファダンスの「共にかためる」は打ち明け話や内緒話の意味にもなる。【自信】は「女性名詞」「全く」「共に」「かたい」の意味がない。「confirm(皆確みなかためる。[意志を]しっかり固める確かめる、確認する、確証する。堅信礼けんしんれい[クリスチャンの正式加入式]を施す)」。コンファーム、イシをすっかり固める…石をかためる。『まんが日本昔ばなし』の坊やが乗る竜は、タケミナカタやミシャグジさまとも呼ばれる。神在月かみありづき龍蛇様りゅうへびさまを、モーセのかたい青銅の蛇熾天使達セラフィムの毒蛇につなげていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フリーメーソンの開祖ヒラムは、聖書のツロの王ヒラムと青銅職人ヒラムをかけ合わせた伝説。主に石材で建てられたエルサレム神殿の第一神殿はソロモン王がヒラムに建築させた。なのでそれはソロモン神殿とも呼ばれる。その秘密は「空」。その建築現場では「の道具の音がいっさい聞かれなかった」。あくまで、現場では。石材がメインとは言え、建築である以上、青銅、レバノン杉が使われている。わたしが野生のフリーメーソンなのはこの辺に関わる。鉄なしの熟練工ばかりの神秘的な現場は、泥臭い田舎者にとって悪魔が建てたように見えただろう。 

 

 

ヨルといばら

 

 

 石切り悪魔。コーラン34章では火産霊ホムスビ(ジン)がソロモン神殿の建築をしたとある。西洋では「悪魔」として伝わった。ソロモン神殿建築では、悪魔アスモデウスの配下「シャミール」という石切り悪魔が使われたと。この虫はどんな固いものでも切ることができた。ヘブライ語で男性名詞いばらを「シャミール(שָׁמִיר)」と言う。これは1700年前から「アダマンティン」とも訳されてきた。神話金属アダマンタイト、ウルヴァリンの爪アダマンチウム。日本風に訳すならヒヒイロカネすごく固い金属。シャミールとは頑固さ、頑なを張ること、頑張るを振りかざすラヴなき者のこと。シャミールは、技術に長けているが感情表現に乏しく、ラヴから遠い頑固者。シャミールは頑固親父で、悪い魔女に依頼して、女の子を頑固ないばらで閉じ込める。頑固なヒヒイロカネは、イエス・キリストにトゲトゲしく無視を決め込む悪魔の虫。しかし、ソロモンはそんな悪魔の虫を使役する者、イエス・キリストはいばらを制する王。愛宕山あたごやまに逃げる茨木童子はキリスト(人の子)の血肉を食み食いしたラヴの幼子。

 

 

 

 

 ユダヤ人は十戒の「十」を尊ぶ。宮本武蔵は十月十日の夜から『五輪書』を書き始めた。武蔵は冒頭で「(九州の)岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向ふ」としつつ、仏法や儒道の古語を借りなかった。武蔵は、軍記や軍法の旧きことも用いず、実の心をとして顕した。武蔵は、兵法の道を大工に例えた。その究極は「」。智者ソロモンの秘密も「」。『五輪書』はこう締めくくられる。「空、善あり、悪なし。智は有なり。利は有なり。道は有なり。心は空なり」。アウグスティヌス(354〜430年)を含め、いつの時代もクリスチャンは必ず言う。「善あり、悪なし」と。これはゾロアスターを踏まえて超えた女性智。聖書の3ページ目に「善悪の知識の木から食べるな」とある。『空』はなき善を得る大工の道。

 

 

 

 

 

 カラダ。大工ヨセフの養子イエスはエルサレム神殿に入った後、ムチで色々としばいた。いいぞ!イエスは言った、エルサレム神殿を壊せ、三日で建て直してみせようと。イエスは己の体をエルサレム神殿に見立てた。ただし、英語は「ニセ体語」がない。固体、液体、気体、物体、体験、具体は全文字誤訳の造語そして、イエスは「人の子が三日後に立ち上がる(復活する)」を「建つ」にかけている。イエスが12歳の少女を「立ち上がらせる(復活する)」時に使ったアラム語「クーム(קוּם)」。この単語の初出は『エズラ記』5章2節エホツァダクの子イエス(ヨシュア)が立ち上がり、エルサレム内に神殿を建て始めた」。偶然ではない。英語の「レイズ(raise)」は、「(柱・給料・ほこり・笑いなどを)立ち上げる」(人を)復活させる」の意味がある。しかし、辺境に生息する悪魔の虫けら、もとい日本国民は物体や体験や具体という虫けら語のため、人の足で立ち上がれない聖書のギリシャ語やアラム語やヘブライ語の叡智がなければ、虫けらは人体を持てない。

 

 

 

Two men look out through the same bars; One sees the mud, and one the stars.  Frederick Langridge, 1896

「二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た。」 フレデリック・ラングブリッジ

 

 立つ。英語の「立つ語」は人や国の柱だ。キングダム・オブ・ヘブン(天国)、キングダム(王国)、ワイズダム、フリーダムの語尾「-dom」は「国」ではなく、国以前の土台として「立てられたもの」。天地が創造される前から母なる知恵があった、国法の前にナチュラルな法律がある、国民より前に人類がいる、天皇を超える主権者(国民全員)がいる、国民全員が天皇に権威を与えてやってる側、国民全員が政治家に権力を与えてやってる側、お上でない公僕は国より個人を優先する義務があるしかし、日本人はこれら国の土台をシェアしていない。日本は個人と人権と人格の語彙が無かった。「公」がつく語彙、公共、公務、公僕、公営、公立、公園、共和制(リパブリック)は泥臭い造語。日本は公私ともに偽物。「パブリック」は下々だった「皆の衆」で、お上だった「公」とは真逆「タツ」の改訳から見せよう。

 

 

・「国常立尊クニノトコタチノミコト」は初めの神、稲の唯一神、聖書の神、合気道の唯一神。

・「天国」は「天立アマダテ(kingdom of heaven)」。天のキングダム。

・「王国」は「帝立みかどだて(kingdom)」。

・「自由」は「愛立めでだて(freedom)」。

・「知恵」は「賢立さかだて(wisdom)」。

・「存在」は「外立よそだち(existence)」。

・「制度」は「内立うちだち(institution)」。

・「憲法」は「皆立みなだち(constitution)」。

・「省庁」は「小立こだち(ministry)」。

・「大臣」は「小立人こだちにん(minister)」。

・「指導」は「内建うちたて(instruction)」。

・「指導者」は「内建人うちたてにん(instructor)」。インストラクター。

 

 

無価値な埴輪

 

 

 泥人形。国は確固とした言葉タテなければならない。今の日本語はフィクションだらけ。フィクションの正しい訳は「泥形どろがた」。リアリティの正しい訳は「物」。現実と虚構は不出来な造語。宮内庁は学術的調査のない古墳を天皇古墳と偽る。日本語はハニワのようなフィクションで出来ている。キングはでなく帝王、エンペラーは皇帝でなく征夷大将軍。ポープは教皇でなくパパ。プレジデントは大統領でなく前座。ミニスターは大臣でなく小立人こだちにんザ・ピープルは国民にせばめない万人。シチズンは市町村の民でない京人みやこびとコンスタテューシャンは憲法でなく皆立みなだち。ライトは権利でなく正義(右)。カルチャーは文化でなく耕し。ガヴァメントは政府でなく舵取かじとり。泥臭い日本語ニュースは意味不明。日本語はハニワのようなガラクタで、人語と呼べる水準にない

 

 

葦船

 

 

 秦氏。京都を建てた者たち。唐帝国(618〜907年)で公認されたキリスト道ネストリウス派の波斯寺(638年)は、大秦寺(745年)と改名された。しかし、689年に建国された日本では、イラン人とローマ人と建築が得意なクリスチャンの区別があいまいだった。大秦のクリスチャンな渡来人の秦氏は、「神は唯一」の祝詞を持ち、稲🌾の神社(稲荷大社)と酒🍶の神社(松尾大社)を創建し、平安京(京都)を造営した。ローマから東へ東へ移動してきたネストリウス派は、穀物造り、酒造り、建築技術をウリにしていた。秦氏の唯一神は『日本書紀』の初めの神、葦牙アシカビなる国常立尊クニノトコタチノミコト初めの島は葦船で捨てられた。初めの国は日本でなく豊葦原の中つ国だった。モーセは葦船で捨てられた。イエスは右手に葦杖を握った。三種の神器は豊葦原に基づくもの。泥に等しい日本に国っぽさを与えたのはイエス・キリスト。それが真実だ本物のサイエンスやアート(人道)は外国語や歴史や法律も含む。しかし、泥臭い科学や芸術や人道は確固たる人智がない。

 

 

 

 

 偽の建国。『旧唐書』『新唐書』によれば、日本の遣唐使は「日本がヤマトとは別」「日本はヤマトを併合した」「日本はヤマトの東、日の辺りに在る国」と言っていた。『万葉集』に「大和」の地名は一度も出てこない。「大和」が定められたのは757年から。大和国(奈良県)は偽ヤマト。日本の小・中・高の歴史教科書は建国年(689年)を載せない。和の精神の始まり、憲法十七条(604年)は『日本書紀』は神話の推古天皇が根拠。「唐」「日本」「天皇」がない【隋の時代】に「日本の推古天皇による遣唐使、皇太子による憲法十七条」とはフィクション。歴代天皇の葬儀を行う泉涌寺は、日本建国者の天皇(天武)の子孫だけ罪人扱いし、位牌を作らず、天皇用の儀式から外す。『三国志』魏書は「魏志倭人伝」「邪馬臺(台)國」がなく、「邪馬壹(壱)國」とある。魏帝国は「臺(台)」を【唯一なる天子(皇帝)の宮殿】の字とした。「よこしまの国」「しいあなたばれる(ヒミコ)女王」に「臺(台)」は使われない。そして、武家法はアマテラスの名を呼ばない。『倭朝論鈔わちょうろんしょう(1536年)』では「アマテラスは虚言神で、豊葦原とよあしはらなかくに大己貴神オオナムチノカミからこの国を乗っ取った」と注釈する。豊葦原とよあしはらなかくに国譲りが虚言なため、天皇と三種の神器に正統性がない。日本はお里が知れる辺境で、国と呼べる水準に達していない。

 

 

 

稲荷鬼王神社

 

 

 がため。ロゴス(λόγος)はあつめる言霊コトダマ。全ての日本人は、聖書と舌蒐したあつめ(言語)と豊葦原とよあしはらなかくにが要る。こころのソロモン神殿をこころの出雲に建てる時期。誰もがこころの匠にならなければいけない。。Love. Believe. Trust. Faith. Confidence. Confirm. かんたんな基本的人語がこころの大工用具だ。こころのソロモン神殿を建てなければ、日本の皇臣民は人として立てない。ソロモン神殿を建て直すジーザスは人類に内在するインナーチャイルドの冠をかぶり、右手葦杖カラモスを握り、十字架のを背負う者はユアセルフ。ラヴの洞穴、愛宕山あたごやまに逃げる羅生門茨木童子は、渡辺綱から右手を取り戻す。茨木童子はヤマタノオロチの子たる酒呑童子と共に人の子の血肉をラヴで飲み食いする。二人は真にきる天国のチャイルド日食月食する阿修は日月星を拝ませない天使。羅生門の羅は天使アシュラのラ、生は天国の命。平安京エルサレムは稲荷の唯一神を崇める秦氏が建てた。京都の祇園はられて三が日る「お屠蘇」の園。ゆえにこころの羅生門は狭き天国門。羅生門や稲荷鬼王門から入らない限り、ソロモン神殿に詣でられない。チャイナにオニと鬼門と裏鬼門はない。チャイナの鬼神は太陽の気でできた天神(甲乙の神)愛宕郡おたぎぐんに祀られた牛頭天皇、愛宕山あたごやまに逃げた茨木童子または宇治の橋姫を疑えば、ラヴなき地獄へ落ちる。日本の鬼観と陰陽観はあべこべ。呪いを解け。言え、福は内、鬼は内」と。くぐれ、こころの鬼門を。

 

 

 

 

 葦はよし。葦をでよ。葦にれ。葦をかためよ。愛してる、恥ずかしい、信じてる、頑張ろう、仲良くと繰り返せば、必ず地獄に落ちる呪われた虫けら語は人語に敵対する1884年に造られた虫けら語は半島や大陸も汚染した。和製漢語は『1984年』の洗脳語ニュースピークとまで揶揄された。人の文字、ギリシャ文字とヘブライ文字がどんな形と意味を持つか。ヘブライ文字「クフ(ק)」は昼や日を超える【】を意味する。不死の賢者ウトナピシュティムは葦船で大洪水を生き延びた。モーセは葦船で捨てられ生き延びた。ローマ神話の葦笛シュリンクスは太陽神に制御できない。【ペルシャ語のコーラン】は真なる太陽シャムスに向けられた葦笛の詩。クリスチャンの葦尺法カノン・ロークラシック音楽の法。最初の神は葦牙アシカビで、最初の島は葦船で捨てられ、最初の国は豊葦原だった。大工のインナーチャイルドは右手に葦杖を持ち、悪魔の虫けらシャミールを人に戻す。

 

 

 

 神在り月の葦原に生きる同胞に幸の手、福の手、雅の手あれ。

 神無し月の日本、左の辛さ、左の禍い、左のさとびから遠ざかれますように。