1434回目:見たいようにしか見ないことに気付いていない恐怖 | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

人は自分が見たいようにしか
物事を見ていない。

よく言われることです。

これについて怖いなと思うのは、

自分が何かを見ている時に
見たいようにしか見ていない

という事実に、

私を含めておそらく多くの方が
気づいていないということです。

本でも映画でも音楽でも
何かを評価するとき、
場合によっては人事評価ですら

良いか否かの判断は
自分が見たいように見ている
のだと思います。

言い方を変えると、

何をもってよしとするか、
どういう状態をよいものと
判断するかは、

各人が持っている基準次第
だということです。

明らかに個人の好みが
反映される本や音楽など
趣味の領域ならともかく

人事評価でそれはないでしょ、
と思われるかもしれません。

ですが、私自身が過去に
そのような経験をしたことが
あります。

15年ほど前のことですが、
直属の上司が変わった時に

新しい上司から
「どうして昨年はこんなに
評価が低かったの?!」と
驚かれたことがありますが

それに対して私が答えたのは

「前の上司の方は、私のように
あれこれチャレンジしてくる
タイプは苦手だったからじゃ
ないかと思います」

あくまで推測ではありますが、

明らかに誰がお気に入りか
否かがわかる方でしたので(苦笑)
遠く外れてはいないでしょう。

評価に対して納得できない場合、
理由の説明を求めることも
できるのですが

悪い評価でもなかったので
やめておいた次第。

どちらの上司がいい悪いという
ことではなく、

それぞれの評価ポイントが
違ったということです。

社内の統一の基準で評価する
ことにはなっていますが、

完全に評価者個人を消して
誰が評価しても同じになる

ということは、実際には
起こり得ないことだと
想像できるでしょう。

自分がどんなに評価している
事、物、人があったとして

決してそれが賛同を得る
わけではない。

事や物であれば、
好みの問題として片づけられる
かもしれませんが、

人の評価となると、
果たしてどうでしょうか。

評価者としては、
自分の評価ポイント以外の
視点も取り入れるようにする。

被評価者としては、
自分が評価されたポイントを知り

良い評価であっても単純に
喜んで終わるのではなく

それ以外のポイントでは
どうなのかを自省し、

低い評価を受けた場合にも
ただ落ち込むのではなく

それ以外のポイントで
良い面があるのではないかと
考える。

視点を広げようというときに、

自分とはまったく異なる
むしろ相容れない人の視点では
どうなるかを考えてみるのも

ひとつの方法かもしれません。


【今日のまとめ】

怖いのは、

見たいようにしか
見ていないことではなく

見たいようにしか
見ていないことに
気付いていないこと。