1372回目:「なぜ」「どうして」は適切な意図で使う | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

「なぜ」という問いは何においても必要で、
常に忘れずにいたいものだと思っていました。

ところが先週土曜日の日経新聞、
「こころの健康学」で
「グルグル思考、一時中断を」
というタイトルの記事に
次のように書かれているのを見て

確かにそういう側面があるなと
考えさせられました。

(以下、抜粋です)

「なぜ」「どうして」という言葉は、
「なぜそんなことをしたのか」
「どうしてこんなことが起きたのか」
という攻め言葉のように感じられやすい。

そのため、さらに気持ちがめいったり
不安になったりする。気がつかないうちに
自分で自分を追い込んでいるのだ。

(ここまで)

立ち止まっているように見えて、
先に進める可能性がある熟考と

同じことを繰り返し考えているだけで
先に進むことができない反すうは違う。

この記事では反すうしている時には
「なぜ」「どうして」と原因を探る
ようになっていることが多い、と
書かれていますが

熟考する時にも、同じように原因を
探ることは多いと思います。

決して原因探求が悪いのではなく、

考えついた原因が、自分自身を含めて
誰かを責めるようなものであったりして
納得がいかないことで

それを解消しようと本気で取り組む気に
なれないことが、問題なのではないかと
思います。

そして、そうなってしまう理由の一つは、
そもそもその状況、現状を受け入れることが
できていないことにあるのではないか。

そんな風に思います。

目の前の現状を「前提」として
受け入れていなければ、
そこからどうしようかと前向きに
考えることは難しいでしょう。

もし「なぜ」にハマってしまって
前進しないことがあったとしたら、

目の前の現実を受け入れられて
いないのかもしれない、
と思った方がよいかもしれません。

「目の前の現実を受け入れられて
いない自分」を受け入れることが、

目の前の現実を受け入れる
第一歩だと思います。

また、「なぜ」は原因追究だけでなく
目的の探究にも使う問いです。

前進できない時に、目的探究の意図をもって
「なぜ自分は前進したくないのか」と
自問してみることをおススメしたいです。

「前進できない」理由はいくらでも
見つかると思いますが、

主体的な「前進しない」という言葉、
さらには明確な意図をもった
「前進したくない」という言葉を使う
ことが大事です。

前進しない理由、前進したくない理由は
見つからないはずです。

敢えてそこに留まっている理由は
ないのですから、進むしかありません。

ここに書いたように、そう簡単に
いくものではないのかもしれませんが

同じ「なぜ」でも、使う意図を変える
ことで、前進できなかったものが
前に進んでいかれるようになるかも
しれません。

自分にかける言葉を変えることで、
思考や、それをもととした行動を
変えることは

自分の経験としてもできることだと
信じているので、

少しでもよい状態を目指したいのであれば
言葉を変えることはおススメです。

お金も時間もかかりません。
必要なのは意識だけです。

日々出くわす大小のネガティブシャワー。
適切な意図をもって言葉を使い、
吹き飛ばしてポジションにしていきたい
と思います。


【今日のまとめ】

「なぜ」「どうして」にはまって
前進できない時、

それらの言葉の意図を
原因探究ではなく目的探究に
変えて使うことで、

前進したくなる自分になる。