教育に命を懸けよ 2
今、昨年10月に大津市で起きた中学2年生のいじめ自殺事件が、9ヶ月を経て日本中を震撼させる大事件となっている。学校、教育委員会、警察も含め、真相をみんなで覆い隠そうとした事件の全貌が、生徒たちのアンケート結果などから明らかになってきたからである。
「昼休みに自殺の練習をさせられていた」「無理やりゴミを口に入れられていた」「万引きをさせられ、縛り付けたうえでそれを告白する様子を録画されていた」など、いじめを超えた凄惨な犯罪の実態が多くの生徒に目撃され、教師にも通報されながら、生徒の自殺を止めることが出来なかった。
教育委員会は「いじめと自殺との因果関係は断定できない」と、責任回避に汲々とし、事件後、刑事告発しようとした父親に、大津警察署は三度も門前払いをしたという。「被害者が死んでいるから立証が難しい」との言い分だったというが、それでは殺人事件は被害者が死んでいるから捜査出来ないということになるではないか。生徒たちは、とくに教師に対して「先生にいっても何もしてくれないから」と不信感をあらわにしている。
「週刊新潮」によれば、事件後保護者集会で主犯格の生徒の母親は、自分たちこそ被害者であるかのような文書を配布するなど、全く反省の態度が見られなかったという。しかし、大津の自殺事件がきっかけとなって、全国各地で陰湿ないじめ事件の実態が明るみに出始めたのは結構なことだ。
学校や警察などが正面から対応しない原因として「少年法」と「人権」の前にことなかれ主義を決め込んでいることが挙げられるが、いじめ行為の首謀者や加担した少年の親の側にも、子どもは純粋無垢で悪事は働かないと信じたい、という願望があるように思う。だが、子どもは結構大人の顔色を読むし、残酷なこともやるし、嘘もつく。私は子どもは人間の卵であって、教育や道徳によって人間になっていくのだと思っている。(3は29日出稿予定)