昭和39年9月、神戸本社へ転勤になった。それまでに開発していたウールのゴルフソックスは出来上がったので、次にゴルフシューズの改良品に取り掛かった。
その時代の重い革底に変えて、ラバーソールの靴を開発したのだが、当時はまだこれらの製品は家内工業の時代で大量生産するわけにいかなかった。
ところで、その頃のゴルフシューズと言えば黒しか売れなかった。だが、私はあえて白いゴルフシューズを作り、冬場にそのサンプルを履いてコースへ行った。するとどうだろう。それを見たメンバーがゲラゲラ笑ったものだ。今では白いゴルフシューズは当たり前になったが、当時のゴルファーの目には奇異に映ったのである。
シューズばかりではない。
ゴルフウェアにしてもモノトーンの地味なものばかりで、現在の色鮮やかなウェアなど、予想もできないような時代だった。
だが、私はもっと明るくあるべきだと考えていた。ゴルフコースは会社などと環境が違う。気持ちの転換をはかれるウェア、つまり心の解放がウェアにも必要だと思っていた。
昭和40年に仕事で香港に行った時、当たり前のように売られていたイタリア製の赤いスラックスを買って帰った。
それをはいてホームコースの西宮CCへ行った時の雰囲気を今も忘れられない。ほとんどのゴルファーが見てはいけないものを見てしまったという感じで、言葉も出ない。
やっとラウンドの終わる頃になって、
女性ゴルファーがやってきて、「これで私たちも赤いセーターが着れる」と。
私は当時、西宮CCのクラブチャンピオンだったから、多くのメンバーが無視されるだけで済んだのかもしれない。むしろ驚きのあまり、声も出なかったのかもしれない。
確かに当時の一般的なゴルファーのウェアは白いシャツにグレーなどの地味なスラックス、そして黒い革靴と決まっていたのだから、私の赤いスラックスはいかにもトンデいたのだろう。
しかし、私はモルモットになったつもりで、ゴルフウェアに色彩を取り入れていくことにした。
ゴルフコースは自然の広い空間であり、職場とは違う雰囲気の世界にしたいと思っていた。