今日は、まとまっていない記事です。
まとめられないのです
あながち、外れていないと思う。
私の予想は、母ゆずりなのですけどね
あ!スピリチュアルとか占いとかでは全くありません。現実的な予想。
父の思考。
父は、たぶん兄へ会社を作らせ、父のいなくなった後の、兄等の生活の運営を予想して、やっていった事(詳細はぶく)があります。
私は、これに大反対していました。←当時漠然と私の中で感じていた(嫌な予感)だけで
『あの性格の兄に、出来るわけないじゃん』『もし破綻した時に銀行は引き取らないって言うよ!(風の噂で聞いていました)』
父は『大丈夫だ!お前(私)が会社の運営に関わる事は、ないから!』と言っていましたが
結果、私の名も保証人として入っていた事があり(父の亡くなる1週間前に発覚!)。←これは、解決した。
細々した事は、沢山あったのですが、今日は、はぶきます。
母は、勉学等、無な人でした。畑や木々

が大好きで、病気をしてから新潟の山へ行くのが楽しみでした(キノコ
狩り)。『山へ行くと、い~じゃんか~』と言っていましたが、20代の私にはサッパリわからず
←今ならわかりますけどね
だから、畑を残したかった(家庭菜園ほどの)。残すには兄が『やる!』と決めれば残す事は出来たのに
(兄はサラリーマンではなく、自営業ですし母と畑をやっていたので残そうと思えば残せた)その決意ができませんでした。私は一人身なので銀行が許さず。
何が言いたいか。
昔昔に、母達世代が、何故、買い置きをしていたのか、食料が大事だと、土や水が大事だと。戦後の食料難を体験しているからですよね。『食べる事だけは大事だで
』と耳タコに言っていました。
私は、小さい頃から父へ
『このコンクリートは、はがせないの?』『コンクリートをはがせば、畑は作れないの?』と無意識に聞いていた子供でした。何故?なのか?は、自分でもわかりません。父は『えッ!出来るけど下砂利だで?』と、この会話何度したことか(笑)
祖母の畑仕事を見てたからなのかなぁ~
父が、どんどん畑の地を壊して、建物を建ててしまう事がイヤでイヤで、しかたがなかったんですよね。
だから、兄等が母の植えていった
柿の木やカリンの木、みかん、山椒の木々をバッサリとやった事が許せないんですよ。探せば、ムカゴもありました。
これから、もし
食料難の時期がきたとしたら。
と、思うと・・・
家庭菜園だけでも、残しておけたら、畑があったら、私達が食べる分くらいは、出来たのになぁ~
と、予想です。
ほんとに、兄等のやることなすこと
負のスパイラル
な方ばかり行くので、見ていてはがゆいのです。