思った事。今までも思っていた事は

争いや根になっている問題を 根本から見直さないと やはりいつまでも引きずると思う。自分は消化したと思い込み 先へ前へ進んでいると思っていても けして心地よく先へは進んでいない。 問題をかてに先へ行っている意識を向ける努力をしてしまっているうちは、心地よく先へいっていない。

どんなに長い年月をかけたとしても それは消えていない
問題になった人が亡くなったとしても自分の問題、事柄からは離れていない

離れないから 問題を消そうと手段を考えようと 次の好きな人をさがしたり、結婚したり、占いに頼ってみたり 本を読んでみたり 仕事にぼっとうしたり 要は問題から解放されていない。 本当に解放されていたら努力はしないと思うし自分には関係ない事だと自然に目がいかない。

やはりどんな事をしても根を自分自身で解決しなければ、心地よい先へは向かわない。 それを後ろ向きな努力という人もいるだろうけど、私は思わない。ある意味自分にとって前向きな努力だと思う。
人を傷つける事はよくないが、まずは過去に戻って相手と話し合う。話し合う事が出来ないなら第3者に入ってもらう。それも無理なら手紙を送る。返事がないなら 公的手段を使う。
亡くなっている人ならお墓へ仏壇で話し合いをする。その後の回答を待つ。見る。感じる。解釈する。

手段はいくらでもある
その上で 回答を得られない和解できなければ

その人はストーカーや依存という名の人に称してしまうのではないか?
存在している。話し合う事が出来る人であれば
そこまでしても 拒否や会話にならない人なんだ!と、言うことをきかなければいい そんな相手の言うことをまともに聞く価値もない人だ!と わかる事があるのではないか?

なら初めから意見をもつような相手でもなかった 意見を求める相手でもなかった。と納得解る事ができるかもしれない。

何事も 途中で諦めてはいけない 引き返してはいけない とことん向き合い納得する。

もちろん そこまでお金をかけて 身体を壊してまでする相手でも 事柄でも無い。と納得できた時点で解放されるなら そこで終わりに出来る出来事だっただろうし それでいい。