子供の頃、ミンミンゼミを見つけるのは至難の業だった。

 

 

なぜそうだったのかということが、やっとこの歳になって分かった。

 

少し離れたところから見ると、背中の柄が木の一部のようにしか見えず、しかも翅(ハネ)が透明なので、子供の目で分かるわけがありません😅 

 

実家のある犬山(愛知県)の片田舎では、ミンミンゼミは山奥の木の高いところにいるという記憶があったのだが、ここ(練馬のはずれ)では人の目線の高さにいるから見つけやすいのも、理由の一つかもしれない。

 

自然が生み出した、自然の迷彩色。

擬態というのは、なんとも不思議でおもしろい。

そして、驚くばかりです。

 

それにしても、コバルトブルーの色鮮やかな模様が本当に綺麗だ。左右対称で芸術的としか言いようがない。

 

芸術的センスを持つセミ、ミンミンゼミ。

 

おそらくミンミンゼミからすれば、そんなことなど考えたことなんぞ微塵もなく、ただ単に生きるための知恵を働かせて進化した結果なんだろう。

 

でもそれが、霊長類のヒト、人間からすれば摩訶不思議なのである。

 

 

 

 

 

レイチェル・カーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』(Sense of Wonder)で、彼女はこんな事を言っていた。

 

すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしい と。

 

 

でも近頃は、公園や自然が多く残る場所で遊ぶ子供をあまり見かけなくなった。東京という街だから、そういう子供があまりいないのかも知れないのだが。

 

人間の住む生活環境も、昔と比べればガラリと変わってしまい、オトナは目先の生活にあくせく追われ、コドモはコドモで塾や習い事などの生存競争に追われてしまい、それどころではなくなっているのかも知れない。

 

 

でも、どこかで一歩立ち止まり、自然の中で過ごし、自然に立ち帰ってほしいと切に願う。カーソンが言うように「人間も自然の一部」なのだから。

 

センス・オブ・ワンダー

神秘さや不思議さに目を見はる感性を、いつまでも失わないでほしい。

 

 

ミンミンゼミを見ていたらふと、そんな事を考えた。