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川谷さんの時間

川谷さんと僕はいわゆる同郷、同じ福岡県の出身です。といっても、実は、彼が生まれ育ったという田川のまちに一度も足を踏みたことがありません。

 

それは、彼がよくした哲学の世界とて同じ。生前、川谷さんが遺した著作物を一つとて最初から最後まで読み通したことがありません。すなわち、彼が遊んだ思索の森に一度も足を踏み入れたことがないのでした。

 

とはいえ、川谷さんは僕の身近にいるほぼ唯一の哲学者でしたから、折に触れ、道案内といいますか、哲学の手ほどきをお願いしました。そもそも子供の頃から、画家とピアニストと哲学者には漠然と憧れてきたのです(そのいずれもが、資質の面のみならず根気という点で見果てぬ夢であることに思い至ったのはそんなに昔のことではありません)。

 

ただ、几帳面にタイプまで打ってくれたお手製の読書リストに並ぶのはいずれも一見して難解そうなタイトルばかり。それでも、川谷さん一押しの互盛央モノは3冊か4冊か大人買いしてしまったのですが、ご本人の論文同様、歯が立たないとみるや、「積ん読」も諦めて早々に「書棚の肥やし」としてしまったものでした。

  かくも淡くもはかない川谷さんとの同郷・同僚関係でしたが、それも突然の訃報でピリオドが打たれてしまいました。

 

振り返ってみれば、しかし、下戸であり、これといった趣味がある訳でもない僕の対人関係のスタンダードを思えば、川谷さんとのそれが突出して淡かった、ということなどありません。それどころか、毎年、欠かさずに聴きにいったお子さんのキタラホールのコンサート、2011年だか12年だかに我が家で開催した借景としての有料真駒内花火大会を愛でる会にご夫妻で参加していただいたこと、これとほぼ前後して開いた川谷茂樹さんが主役(「話し手」)の法学部カフェ「〈人生〉が〈ゲーム〉であるという可能性を真剣に考えてみる:ゲームのメタフィジックス序説(の序説)」…などなど。どれひとつとて、簡単に忘れていい思い出などありません。

 

あ、そうだ。「これといった趣味がある訳でもない」とうそぶいてみたりしましたが、この20年、機械式の腕時計を控えめに集めはじめている自分に思い至りました。そんな自称目利きの僕からすれば、川谷さん愛用の腕時計は薄型で、オフホワイトな文字盤もミニマリズム的デザインで、結果、全体に気品があって洒落ていました。

 

仮に、いまや高宮家(川谷家)唯一の男性である和弥君があれを引き継ぐのだとしたら、ときどきはオーバーホールなどもして大切に使い続けていただきたいものです。川谷さんの「残りの時間」がご長男の腕で刻み続けられる、素敵なことだと思います。

 

(2018年7月21日「川谷茂樹追悼文集」に寄稿)

 

映画紹介(邦題)「ファニー・ファーム:勝手にユートピア」

告白します。遅まきながらつい先日観た「君の名は。」と、30年ほど前に観た「ファニー・ファーム」のどちらを採り上げるかで真剣に悩みました。

 

一方は日本のアニメ、他方はアメリカの実写コメディ。一方は高校に通う若い男女の心と時間の触れ合い、他方はそろそろ倦怠期にもさしかかろうという壮年夫婦のすれ違いの話。ぱっと見には、両作品を貫く共通点は微塵もないかに思えます。しかし、いずれの作品も都会と田舎双方の風景に、人間の生きることへの渇望をおかしくも哀しく描いています。

 

僕は3年半前、伊達市郊外の丘陵地に中古の一軒家を求め、そこにほぼほぼ一人で暮らしはじめています。依然、札幌に職場がある僕が、この無謀ともいえる引っ越しを断行するに背中を押した作品こそが「ファニー・ファーム」であった、と今に思います。

 

本作は、大都会マンハッタンの生活に疲れた小説家アンディ(チェビー・チェイス)とその妻エリザベスが、田舎暮らしに憧れてついに引っ越しを決行する、というお話です。が、呼吸をするように嘘をつき、意地悪・いたずらの限りを尽くす隣人たちに辟易として、ついには家の売却を決意します。しかし、隣人トラブル付の「事故物件」を売り抜けるのはなかなかに難しい。そこで、やがてやって来る内覧希望カップルに向けた「鉄板の田舎生活」キャンペーンを展開すべく、なんと嘘つき村人たち大勢を買収してまで「田舎芝居」を打つ。折しも季節は村が一年で一番輝いて見えるクリスマス。「村人たち」の迫真の演技は村のあるべき姿を映していて、アンディとエリザベスはついに……。

 

都会は田舎の価値を相対化すると同時に、その逆もまた真なり、であります。我が内なる理想の都会、理想の田舎にはそう易々と行き着けるものではありません。いや、だからこそ、人は旅を続け、生きることをやめないのかもしれません。

 

(雑誌「これっと」2017年2月号掲載)

法学部を丸ごと出前する「法学部カフェ」

「今日は明日の伏線である」を座右の銘としている。出典は他にあるとの指摘でもあればすぐに改めるが、ひとまず出処は自分、と考える。たとえ今なしていることに意味や自信が見いだせなくとも、やがて必ずや合点が行く日がやって来る、ということ。であるがゆえに、何事も手抜きはこれを厳にいましめねばならない、となる。





自称「法学部カフェ店長」を名乗る


東京で過ごした20代のほぼ全部、僕はテレビの台本作家であった。これといった明確な職業観を持ち合わせていた訳ではない。学生時代、縁あって書いた1本のテレビ台本により知己を得て、あれよあれよという間に在京のテレビ局各局で台本を書かせていただくことに。収入もちょっとしたものだった。それが、30歳を目前にほんの休憩のつもりでアメリカの大学院に留学をしてみれば、その後、およそ10年の年月を経て豊平キャンパスの研究室に場を得ていた、といった恰好である。成り行きも成り行き、しかも研究者としては依然として駆け出しの僕が、一昨年の4月、所属の法学部で学部長に任じられてしまったのだからこれにはほとほと困った。


しかし、推挙されたからには、ひとまずは任期の2年を無為に過ごす訳にはいかない。折しも全国的な「法学部人気の陰り」が言われ始めた頃のことで、少なくとも道内では「学園大法学部」の神通力が効く今のうちに、そのブランディングに一段の厚みを増すべき、と考えた。長い話を短くすれば、それが「法学部カフェ」の立ち上げに思い至る一番の理由であった。期せずして昔とった杵柄としてのテレビ脚本や構成の技倆の何がしかを、いまや「法学部カフェ店長」として活かすべきときが到来したのである。





仕事縁も親子縁も何でも借りる


以来、2年間で全18回の法学部カフェを学内外、遠くは美唄市、旭川市や北見市で開催してきた。夏季や冬季の長期休暇期間を別にすれば「ほぼ1ケ月に1回の開催」を何とか遂行できた。これは、直接の担当である法学部広報戦略委員の面々の尽力に負うところが大きい。また、手前味噌ではあるが、人選の妙はなかなかのものだと悦に入っている。もちろん、これとて法学部教授会の全メンバーのコネをフル活用して綱渡りでやってきた訳で、実際、知縁をたどるだけで願ってもないような方々が向こうから次々と飛び込んで来て下さるのだった。



たとえば、第15回法学部カフェ「スタジオジブリのもう一つの仕事:ジブリ美術館ができるまで」では、あの宮崎駿さん率いるアニメーション制作集団スタジオジブリの重役のお一人であり、「館長」として三鷹の森ジブリ美術館の経営を担う中島清文さん(※写真左)が超過密スケジュールを押して来て下さった。その中島館長を引っ張ってきたのは、労働法が専門の淺野高宏法学部准教授である。淺野さん自身、弁護士資格を持ち、リアルな労働現場と学究とを架橋しながら活躍する超多忙な研究者。何を隠そう過去にスタジオジブリの職場の環境改善に尽力した経歴を持っている。中島館長を始め、ジブリスタッフの絶大な信頼を勝ち得ていてこその法学部カフェご来店であった。



樽見弘紀のブログ-三鷹の森ジブリ美術館の中島館長(写真左)

たとえば、第17回法学部カフェ「マスコミへのはるかな道」では、ただいま「みのもんたの朝ズバッ!」に毎朝ご出演のTBSアナウンサー・小林悠(はるか)さん(※写真中央)が貴重な休日返上で駆けつけて下さった。憧れの「女子アナ」に熱い眼差しを向ける多くの聴衆のなかに頭抜けて背の高い同僚教員の姿が……。英語教育が専門のリチャード・キザー法学部教授、その人である。ことさらに謳ったりはしなかったのだが、何を隠そう小林さんはキザー先生の実の娘さん。子供の時分はキザー先生に手を引かれて豊平キャンパスにも一度ならず遊びに来ていた、というのだから、「今日は明日の伏線」とはまさにこんなことを言うのだろう。



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大学アウトリーチの時代


近時、大学の役割を言うとき、教育と研究に加えて社会的使命なるものが必携だという。法学部カフェ店長として、法学部長として、社会的使命という大学の持つもうひとつの役割を僕は「アウトリーチ」と表現することが多い。アウトしてリーチする、すなわち、豊平キャンパスという(事実としても、比喩表現としても)手狭な場所に坐して学生の「来客」を待つばかりではなく、出かけて行って様々な生活の現場、生業を持つ方々と繋がりをつけてこそ、教員の持つ多様な知見にリアリティが付与される、血が通う、と信じる。法学部アウトリーチに工夫を巡らす、――迷いや道草の多かった僕のこれまでの人生も、このためなら何かお役に立てることもありはしまいか、――日々、そんな自己暗示をかけかけ、法学部カフェ店長その他の学部長業務に勤めている。



(『豊平会報』第70号に寄稿)















極端主義に走り勝ちな日本の「節電中」を憂う

 ここ北海道は「節電」の真っ只中にある。言うまでもなく、泊が依然として止まったままゆえのことである。

羽田ー千歳間を年がら年中往復している身には明らかなのだが、その「節電中」のオモムキには、しかし、東京と札幌(千歳空港を含む)とでは若干の違いがある。たとえば、公衆トイレのハンドドライヤーの多くが、ここ北海道では使用休止となっている。

ハンドドライヤーがいかほどエコか、についての大いなる疑問はここでも何度か触れているが、今日話題にしたいポイントはそれとは若干違う。要は、(いっときに大容量の電気を喰らうハンドドライヤーを)「止めるのはいい。で、その代替案は?」ということについてだ。

そもそもハンドドライヤーは頻繁な補充が面倒なペーパータオルの対案であったハズだ。ここで一端、ハンドドライヤーを止めるのなら、いま一度、ペーパータオルを臨時で置くことに戻すなり、やはり手を濡らす客に対する配慮が必要なのではないか、と思う。

日本人の美徳、ハンカチの携帯がその対案だ!と声高に叫ぶ向きもあるかとも思う。日本人としては、これにも大きく頷かないではない。でも、次は、千歳空港の国際線ターミナルと国内線ターミナルをつなぐ連結通路部分のトイレの三菱ハンドドライヤーが休止中の動かざる「証拠写真」である。

 
  
結論的には、これはいただけない。

そもそも「ハンカチの携帯」は日本に特殊なのであって、外国人の多くがそのような習慣を持ち合わせてはいない。まがりなりにも、ここは世界の玄関口に併設されたインターナショナルなお手洗いのハズだ。であるのなら、ここくらいは「いえいえ余計なお気遣いなく、足りない電気は他でやりくりしとりますから…」と虚勢をはってでもハンドドライヤーを動かそうではないか。あるいは、ぱりっとしたペーパータオルをきちん、きちんと充填するのもそれはそれでありだ。それこそが、まぎれもない日本人の美徳であるホスピタリティというものではないか。

ハンドドライヤーはきちんと動いている、動いてはいるが僕は、私は電気は使わない、電気は使わずハンカチで手を拭く……それが、日本人の矜持というものだ。今からでも遅くはない、空港関係者の方々にはそこのところをいま一度冷静になって、よーくご検討いただきたい。


非デザイン

ゼミの女子学生に「先生、そろそろブログ更新なさいね」と言われたので、またまた久方ぶりに自身のブログにアクセスすることに。これでも中学生のころは毎日、欠かさず日記をしたためていたというのだから……怠惰は贅肉より身につき易い。


閑話休題。前から気になっていた昭和の香りを色濃く残す、札幌・裏参道近くの、かの洋食屋さんをついに「食事で」訪れた。このお店にうかがうのは、正確にはこれが2回目。最初は同レストラン2階を貸し切って開かれたクラシックのコンサートだった。チェロとピアノの演奏を聴きながらも、下から立ち上ってくるハンバーグの美味しそうな匂いに、次はぜひ「食事で!」と心に誓ったのであった。


で、結果、正直食事はさほどのことはなかった(=それが、ここにお店の名前を明かさない理由でもある)。見た目わらじのようなハンバーグは、味までまさしくわらじのようで漠然としている(わらじ自体を食したことはないが…もちろん)。それが昭和といえば昭和だが、しかし、店主、あるいは、料理長がここまで「当時のまま」にこだわる理由は少なくとも僕には解せない。


しかし、漫然とした夕食の締めくくりとして出てきたティーカップには小躍りした。まったくの推察の域を出ないが、このデザインは古道具屋や骨董朝市で選んできたようなものではないと断言したい。言葉を換えれば、客や目利きの審美眼のふるいに一切かかってはいないのだ。つまり、このデザインが時流であった当時(確かに、このようなデザインの象印魔法瓶が我が家にもあったぞ…)、町場の商店で何の気なしにセット買いされたカップが割れなかった分だけ残っていて、それが当時も今も現役として供されているだけなのだ。


これを僕は愛着を込めて「非デザイン」なカップ、と命名したい。ものづくりの現場にインダストリアルデザイナーなどが口出す場面がほぼ皆無だった時代。ほぼ9割の金持ちとほぼ全部のビンボー人が、「カップが花柄だったら嬉しいよね」というくらいのソコソコのエクスペクテーションで括ることが出来た時代。ハンズもロフトも無印もなかった時代。いまやそこには戻れない「非デザイン」な時代に1日か2日でいいから(必ずや現在に戻ってこれるという保証付きで)時間旅行したい。
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