「戦争反対」、「平和が一番」、このような言葉はメディアが戦後ずっと言い続けた言葉です。確かに、そうであってほしい願望は世界中にあります。これは正論ですし、安易に反対する人はほとんどいないと思います。

しかし、一方で日本のメディアは、「選挙の弔い合戦」とか「受験戦争」など、我々の生活の一部を戦争に見立てていて、しかも、ほとんどの人がこのような言い方を受け入れています。

また、日本の就職活動を一斉に行ったり、入社や入学も一律に行う様は、「赤紙」が届いた状態といっても過言ではないでしょう。ある評論家も、日本の学校教育や就職の在り方は、まるで旧態依然の軍隊のようだといっています。また、このような状況もメディアは批判することもありません。

つまり、メディアは何を言いたいのか、どのような立場で意見を言っているのか、首尾一貫していません。まさに、世間をあおるだけの、その場しのぎなことしかしていないのです。

あえて批判させてもらいますが、選挙は戦(いくさ)ではありません。立候補した人たちが、現状の問題点を指摘して、どのような政策やアイデアでそれらを解決できるかを有権者に提示して、より適正な人を政治家として選んでもらうというプロセスです。

受験も戦争ではありません。本来は、高校や大学で学ぶ内容に必要な知識があるかどうかをチェックするものです。また、受験者がその学校に適切な人柄かなどの確認であり、周りの人たちと単純に優劣をつけるような「戦い」ではありません。ただ、日本では、「戦争」にすることによってビジネス化(金儲け)しているだけでしょう。

日常を戦争だと言って煽り、一方では、武器も何もかも捨てたら平和が訪れるとうそぶき、内部矛盾をはらんだことを平気で公共の電波にのせて流していることに、日本のメディアとして罪悪感はないのかどうか、疑問に思うのは私だけでしょうか。

平和も努力なしには成し遂げられません。まず、防衛力をしっかりつけないといけないですし、同盟など外交などを通じて平和を維持できる関係を「臨機応変」に築かなければいけません。加えて、食料やエネルギーの確保など、安全保障において多くの努力が必要なのです。

さらに、もう一つ重要なのは、現在の戦争にはいろいろな形態があって、経済、サイバー、宇宙空間、技術など多岐にわたって、見えない所で防戦しているのも事実なのです。いずれにせよ、単純な世界観で平和を維持するのは不可能ということです。

「姑息」という言葉を聞いたことがあると思いますが、これは「その場しのぎ」という意味です。責任ある方々が姑息なことを続けることを一般に許すというのは、問題がありますし、必ず、ある時点で手遅れになる可能性があると思います。

我々は「戦争と平和」という課題を人々の心の平和も含めて今一度考え直しても良いのかもしれません。