2024年7月12日 金曜日 雨

今朝の比叡山です。

朝食を済ませ、ゆっくり。

天気予報を見ていると祇園祭へんで梅雨明けしそうです。

猛暑の前に掃除をしましょ。今日はオーディオ関係です。

BGMはカラスです。

今日は北側の掃除です。ベランダから掃除します。

アンプも移動です。サッシの溝も掃除です。

お昼を済ませ、ちょっと昼寝です。

午後の比叡山です。

午後はCDです。

掃除をしながら今度は西側の棚の移動です。

ちょっとこのへんで洛中散歩の続きでも。昨日のラ·ヴァチュールから桜馬場通を下ります。30mほど行くと「天ぷら圓堂 岡ざき邸」があります。

天ぷら圓堂 岡ざき邸

本店は祇園の八坂通にあります。有名な割烹料亭「祇園 さゝ木」さんの隣にあります。一度だけ妻といったことがあります。高級店で美味しいですし設えも素晴らしいです。料金は高いです。観光客向けのお店に感じました。地元民は2度目はないでしょうね。クリックしてください。

東側は剣道の聖地の旧武徳殿です。

さらに下がると府営住宅西天王町団地の一角に「尊勝寺跡」の説明版がります。

説明版です。

 平安時代の後期 (約800年前) この岡崎一帯には数多くの寺院が建立されました。なかでも歴代の天皇等を願主とする法勝寺(ほうしょうじ)、尊勝寺(そんしょうじ)、最勝寺(さいしょうじ)、円勝寺(えんしょうじ)、成勝寺(じょうしょうじ)、延勝寺(えんしょうじ)の6寺は、総称して「六勝寺(ろくしょうじ)」と呼ばれていました。
  昭和61年には当府営住宅西天王町団地の改築工事に伴って発掘調査が行なわれ、尊勝寺の御堂跡がみつかりました。 建物跡は、東西110尺 (33m) ・ 南北64尺 (19.2m) の規模をもち、東西6間・南北2間の身舎(もや)に廂(ひさし)と縁をめぐらせ、階段を設けていたことが明らかになりました。
  調査地は、尊勝寺推定復元図によれば観音堂にあたり、また『中右記(ちゅうゆうき)』・『阿沙婆抄(あさばしょう)』に、観音堂には6体の観音像を安置するという記載があって、今回の調査で身舎の間口が6間あることと一致することなどから、この御堂を観音堂と推定しています。

 昭和62年3月
  京都府土木建築部・京都府教育委員会 (財)京都府埋蔵文化財調査研究センター

 

 院政期,天皇・中宮の発願で岡崎の地に六つの寺院が建立されました。いずれも「勝」の字がつくので六勝寺と呼ばれました。尊勝寺はその一つで、堀河天皇(1079~1107)の御願寺です。康和4(1102)年に落慶供養が行われ、方四町の敷地には様々な堂舎が建てられました。創建後、たびたび災難に遭ましたが、そのつど修復されました。しかし、南北朝の内乱期に兵火で全焼したと伝えられています。

今日はこのへんで。

しばらくして夕食です。

今日の夕食です。

焼しゃぶとサラダです。

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焼しゃぶはウスターソースと黒胡椒で。美味しい。

サラダです。

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。

PS:夜にお風呂に入ろうと思いきや、シャワーと洗面台の混合栓から水もお湯も出なくなる。湯船にお湯はれるので、今日は行水です。明日中に修理できるやろうか?