1/2子神社参拝後、太田市にある冠稲荷神社へ向かいましたが参拝者の列が凄かったので、諦めて世良田八坂神社へ向かうことに

御朱印は、こちらの書置きのみでした

鳥居

由緒
当社の由緒は古く、上野国新田祇園牛頭天王縁起によると、貞観十八年(八七六年)丙申に上野新田のほとりに、 社を作らば静まるべしと、当所に鎮め奉る。
建武の頃、新田・足利両家の尊崇あり、新田の天王と称す。
人皇六十四代円融院の御時天禄元年(九七〇年)に、 都八坂の祇園社で、祇園祭を行い給いしより、 天禄三年(九七三年)に当社も祭礼として行われた。

世良田政義の娘と尹良親王との間に生まれた、 良王が津島天王社の神主になり。
正保年間(一六四四~一六四八年)に尾張津島天王社から当社に分霊した。永禄日記(長楽寺文書)に天王マツリヲイタスとあり、引き屋台を運行し、神興渡御を行う。
厄除け、方位除けの神として信仰を集め、各地に分社が作られた。
明治の神仏分離の際、神宮寺は廃寺になり、社名を八坂神社とした。


手水舎

芽の輪潜り

拝殿

本殿

御輿殿と末社



神楽殿


いつも世良田八坂神社では限定御朱印しか頂かないのでシンプルな御朱印もたまにはいいですね
この機会に御朱印にある『蘇民将来』について調べてみました

以下、Wikipediaから
蘇民将来(そみんしょうらい、非略体: 蘇民將來、蘓民將耒、 – 将耒、など)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。なお、岩手県県南では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。陰陽道では天徳神と同一視された。

蘇民将来の起源
武塔神や蘇民将来がどのような神仏を起源としたものであるかは今もって判然としていない。
武塔神については、密教でいう「武答天神王」によるという説と、尚武の神という意味で「タケタフカミ(武勝神)」という説が掲げられるが、ほかに朝鮮系の神とする説もあり、川村湊は『牛頭天王と蘇民将来伝説』のなかで武塔神と妻女頗梨采女(はりさいじょ)の関係と朝鮮土俗宗教である巫堂(ムーダン)とバリ公主神話の関係について関連があるのではないかとの説を述べている。
蘇民将来についても、何に由来した神かは不明であるものの、災厄避けの神としての信仰は平安時代にまでさかのぼり、各地でスサノオとのつながりで伝承され、信仰対象となってきた。


年末年始や厄祓いの際に頂く護符などに『蘇民将来』と記されているのは、説話や信仰を基にした災厄避けだったんですね
災厄避けのような意味なんだろうと思っていましたがやはり意味を理解しているか、いないかでは御利益も違ってくるような気もします
まだまだ勉強不足なので、これからも気になるものは調べて楽しく御利益を得られる参拝をしていこうと思います

群馬県太田市世良田町1497
駐車場は境内にあり