『進撃の巨人』完結編の放送を前に、原作コミックをおさらいしています。

完結編(前編)には、確実に「132話:自由の翼」が含まれるでしょう。

 

フロックに言いたい。

「いいじゃないか、屈したって」

 
パラディ島の外まで追いかけてきたら、地鳴らしに巻き込まれて自分も死んでしまうのに、なぜ追いかけてきた…
地鳴らしが途中で止まったとしても、世界中の軍事力は大幅に削がれて、おそらくフロックの存命中に島が攻撃を受けることはないだろうってことは分かってたでしょうに。
エレンを止めようとするハンジさんたちの邪魔をするのは理解できるけど、港での戦闘で時間稼ぎは十分だったと思うよ。
 
誇りに死ぬことはない。
生きてた方がいいって言ってたのに、命がけで阻止しにきたね。
フロックは何のために戦ってたのかなあ?
名目上は「パラディ島の住民のため」なんでしょうけど、こういう不特定多数の人のために命を賭けてもいいと思えるのって、その不特定多数の中心に、自分にとって個人的にすごく大切な人がいる場合だけだと思うんですよ。

 

 

エルヴィンは「人類のため」に個人的な夢をあきらめて、命を捨てる覚悟をしたけど、その中心にいたのは調査兵団の仲間や部下だと思うんです。

部下たちの多くは、特攻作戦の前に既に亡くなっていたし、特攻を行うことでさらに多くの部下を死なせることになるけど、何もやらなきゃ全滅。

作戦が成功すれば、少しは生存者が残る可能性がある。

亡くなった仲間の意思を引き継ぐことにもなる。

 

フロックがイェーガー派の仲間を大事にしているようには思えない。

命令に逆らったら、すぐ射殺しそう。

大事なのは「悪魔を蘇らせるという使命」なのか?

エルヴィンを悪魔として蘇らせることが出来なかったから、新しい悪魔であるエレンに従うことが使命になっちゃった?

フロックは、エルヴィンの最後の演説とエレンの毒気に酔っぱらっていたのかも知れない。

 

私はイェーガー派を支持しませんが、フロックが島の外の人類を皆殺しにすることが生き延びる方法だと考えるようになったのは理解できる。

彼らは前線で戦う兵士で、敵の脅威を実感している。

理解できないのは、イェーガー派を支持するパラディ島の一般市民。

命がけで戦う兵士は、敵を滅ぼさないと殺されるという危機感を持つのは分かるけど、壁の中で曲りなりに平和な日常を送り「エレンに酒を捧げる!」とか言ってる一般市民にそこまでの危機感がありますかね?

島の外に敵がいなくなっても、今度はあなたたちが支持したイェーガー派の命令に逆らったら、簡単に射殺されると思いますよ。

 

私が、イェーガー派を支持できないのは、虐殺を肯定できないっていう奇麗ごとな理由とは別に、イェーガー派に従って、生き残った後の社会って、太平洋戦争当時の日本社会みたいなものでしょう?

そんな社会で幸せに生きる自信はないっていうのがある。