300<スリーハンドレッド>(R-15)  これほど屈強な男達が、居たのか? | 新・伝説のhiropoo映画日記

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映画が好きだ。ドラマも好きだ。
そして、イケてる面はもっと好きだ。

そんな好きなものが詰まった日記、読んでみるかい。



2007・米     ★★★★☆(4.1)


監督:ザック・スナイダー

出演:ジェラルド・バトラー  レナ・ヘディ  デヴィッド・ウェンハム  ドミニク・ウェスト  トム・ウィズダム



紀元前480年。  数々ある国の中に、スパルタと言う国があった。


先ず生まれたての子供は、じっくりと選別される。  障害や奇異な部分のある子供は谷底にうち捨てられた。

7歳になると親元を離され、戦士になる為の心得や準備に入る。

成人の儀式では、たった独り山に放たれ、餓えた野獣に敢然と立ち向かわねばならない。

そうして、生き残った者だけが一人前として認められると言う、過酷にして厳格なルールのもと男達は育てられ

世界史上、類稀なる国を作り出した。   それが、スパルタ…。


徹底して教え込まれるスパルタの掟。

服従はしない。  退却はしない。  降伏はしない。



弱者は、生きることすら許されないスパルタの男の中の男。 スパルタ王・レオニダス(バトラー)。

レオニダスの元にペルシア帝国からの遣いがやって来た。

千もの国々を征服してきたペルシア帝国が、次に狙うはスパルタを始めとするギリシアの地。


使者は、声高らかに言う。 

「国を滅ぼされたくなければ、ペルシアの大王セルクセスに土地と水を差し出し服従の証をたてよ」と…。


服従するか、さもなければ死か…。  レオニダスが問うまでも無い、ペルシアの使者を葬った。



葬ったと同時に、スパルタは100万の大軍を敵に回したのであった…。


王であるレオニタスとて、独断では決められぬ事柄があった。

山の頂上に住み着く、見た目は卑しい・司祭達に打診し、宣託者(オラクル)を通じて神々に開戦の許しを

請わねばならなかったのである。


が、欲に目が眩んだ司祭達は、スパルタ軍らの出兵を禁じた。

既にセルクセスによって、司祭達には金が湯水の様に与えられていたのであった。



神々の答えはNOであった。  しかし、此処で兵を出さねばペルシアに跪かねばならなくなる。

が、戦う事は許されないのだ…。



レオニダスは答えを出した。  表向きには戦いに行くのでは無いと…。

供を連れて、散歩に出かけると…。


王の決意を知り、元に集まった精鋭達は300人。  必ず一家には家督を継ぐ者が残る事。


そして、100万人対300人の戦いの火蓋は切って落とされたのであった…。

服従はしない。  退却はしない。  降伏はしない。  スパルタの掟を心に刻みながら、前進するのみ…。




《***》

6月9日上映開始の「300<スリーハンドレッド>」をコレマタ、マイヤンガー・シスターの試写状で観て来た。

今月は、もう1本試写が当たっている、マイヤンガー・シスター、ドリーム・ジャンボは当たらないだろう。

(そんな事は、どうでも良いのだけれど…。  あんまり、いらぬ事を言うと貰えなくなっちゃうしねドキドキ



兎に角、上映予告で一目見た時より、惚れ込んでしまった映像美。

途方も無い制作時間が使われたCG作品かと思いきや、一旦通常の映画作品として撮り上げてから

グラフィック処理をして、作り出された作品なんだそうだ。


モノホンの腹筋や体作りに役者達も8週間以上のトレーニングを続けながら、それは撮影中も続けられたとか。

もう、本当に「毎度有り!」を通り越すような素晴らしい、均整のとれた体つき。

映像の美しさも有るのだが、この作られた肉体の美しさも見逃す事は出来ないのである。



原作は、「シンシティ」で日本では一躍有名になった、フランク・ミラー(シンシティでは監督も)の

グラフィック・ノベルの映画化。

ストーリーの本筋は、伝説的な史実「テルモピュライの戦い」


日本では、「スパルタ教育」等で知られている言葉、“スパルタ”は此処から来ている。



R-15となっているのだが、殆どが戦いの場面で有り、普通で撮影されたものであれば、

思わず目を覆いたくなる様な戦場のシーン等は、グラフィック処理されているお蔭で、

それ程、血生臭さを感じない気がする。


しかし、ラヴシーンではUPになった背中に生える、産毛の1本1本まで見える様で、かえってリアルにも感じる。


そして、繰り広げられる壮大なストーリーは、「男の中の男達」のお話。  本当に見ていて惚れ惚れする。

ただ、障害を持って生まれたものは「人間では無い」様な描かれ方をしている為に、見ていて気分を

害する方も中には出てくるかもしれない。


レオニダスにそういう子供が出来、亡き者としなければならない辛さや切なさも描かれていればなぁ~と

少々思わざるを得ない…。


日本でも忍者の世界が、少々似ている気がしないでも無いのだが…。



グラフィック処理をする事により、その時代にすんなり入れる効果も倍増する反面、どうしても

ゲームの画面を思い出さざるを得ない感覚に見舞われ、少々バーチャルな感じを受ける為に

リアルさが、遠のいてしまうと言うマイナス面もあると感じた。


しかし、私はこういう色々な試行錯誤によって生み出される、新しい映画もコレマタ大好きであるし

気持ちがワクワクする。


タダ、これは全く私だけの感想なのかもしれないが、「シンシティ」は見ている間は結構辛くて

見終わった後から、徐々に波打つ様に面白さが湧いて来たのに対して、「300」においては

実際にバーチャル体験を(作品を見ている)している時は、アドレナリンMAX状態なのだが

作品終了と共に、それらは消えてなくなってしまう感じを受けた。


この作品は、出来うれば大画面で見て、一緒にスパルタ兵士の一人として100万の敵と戦って欲しいと思う。