7月10日に投稿したなう | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。



同じ拘置舎の2階での生活でしたが、平成4年の時は被害者の意識も戻らず、植物人間の可能性や死んでしまう可能性も高い状況下だったので、それはそれは息苦しく重苦しい精神状態での拘置所生活でもありました。
7/10 13:14

判決が確定するまでちょうど一年ぐらいの拘置所での生活だったのかと思いますが、短くも思える生活で、面会もほとんどなかったので、記憶に残っていることも少ない生活でした。そういえばプログラミングの勉強をすることの多い生活でもあったと思います。
7/10 13:15

*** DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月9日
7/10 13:35

宇出津の図書館に来て作業を始めようとしたのですが、Wifiに接続すると昨日のTwitterへの投稿分が、実際には投稿されていなかったことに気が付き、それを投稿しました。スマホのモバイル通信は負担が大きいので契約を寛恕し、携帯機器でのWifiを使っています。
7/10 13:36

一番安い料金プランにしているので月のデータ量が200MBしかありません。自宅で普通にインターネットを使っていると普通に1時間ほどで使い切ってしまいそうなデータ量です。
7/10 13:36

自宅でインターネットを使っていれば通信データは使い放題ですし、6月6日に光通信に切り替えたところなので、通信速度も不満のないスピードです。特に上りのアップロードでは前のADSL回線より軽く30倍以上の速度が出ているようです。
7/10 13:36

ただ他のことなど諸々と出費もかさみ、年間の支払いもあるので経済的にはかなり厳しくなっています。そのぶんも集中してこの告訴状の作成に取り組みたいと思っています。
7/10 13:36

ずっと忘れていたことでしたが、今ふと思い出しました。一括で現金払いかカード払いをしていたような気もします。時期がはっきりしませんが、平成11年かもしれません。彼の自宅に行き、そのパソコンを見たという憶えもありません。
7/10 13:56

ここでも記憶と事実の整理をしておきたいと思いますが、私がまともに被告訴人大網健二の円光寺の自宅に遊びに行ったのは1回だけでした。平成9年の1月に福井刑務所を出てから、まだ日の浅い頃でした。
7/10 13:56

どうやって行ったのかは憶えがないですが、彼の車で連れて行ってもらったことは間違いないと思います。車以外となるとバスですが、私は一度もバスで円光寺の周辺には行ったことがありません。
7/10 13:56

夕方遅い時間に家に行き、奥の方の居間のような部屋で、彼の妻と再会したことも印象的に憶えています。気持ちを込めた作り笑いにも思えなくはなかったですが、満面の笑みでこころよく迎え入れてくれました。夕食も振る舞ってくれたのですが、天ぷらが出たようなことを微かに憶えています。
7/10 13:56

食事を終えたあとか、あるいはその前だったような気もするのですが、野々市の方のスーパー銭湯のようなところに行き、風呂に入りました。金沢の周辺ではよくある大きな銭湯です。彼の子供が一緒だったような気もするのですが、記憶ははっきりしません。
7/10 13:56

どちらの女優かもはっきり思い出せず、名前の感じが違っている可能性もあるので、あとでなるべくなら調べて正確な情報を書いておきたいと思います。
7/10 14:17

翌朝は、被告訴人大網健二が仕事に出かける車に同乗して、金沢市神田の合同庁舎まで送ってもらいました。目的は労働基準監督署です。それ以外には考えられません。その建物に労働基準監督署があることは随分前から知っていましたが、実際に訪れたのはその時が初めてだったと思います。
7/10 14:17

ただし、労働基準監督署に相談に行ったのはそれが初めてではなく、初めに金沢市場輸送に入社した昭和59年1月の少し前まで働いていた会社のことで、相談に行き、労働喜寿監督署の職員と一緒にその会社に行ったことは一つの場面として記憶にあります。
7/10 14:17

私の記憶の中では、神田の合同庁舎と大手町の金沢地方検察庁の庁舎の建物というのは、だいたい同じ頃に出来たという気がして、以前は新しい建物というイメージも強くありました。ただ、どちらも建設中の様子は見た覚えもなく、建物が出来る前のその周辺の状況も記憶にはありません。
7/10 14:17

その時、途中までは被告訴人大網健二の妻も同乗していました。途中の町中で降りていったのですが、寒空の中でのことでした。日本生命の保険外交員の仕事をやっていて、そのまま営業の仕事に回る、というような話でした。
7/10 14:17

労働基準監督署に行ったあとは、金沢地方検察庁、裁判所、金沢西警察署にも行ったように思います。裁判所の場合だと、室内に招かれて本格的な話をしたのは、2階の階段を登ってすぐの部屋で、名古屋高裁金沢支部の刑事部でした。
7/10 14:37

裁判所に行ったのであれば、すぐ近くの金沢地方検察庁にも行ったと考えられるのですが、当時はっきりした用事で金沢地方検察庁に行ったのも一度だけで、刑事特別部のゴダイという人に会った時のことでした。
7/10 14:37

その時は、三階か四階の喫煙所のような場所で話をしました。待合室と喫煙所がほとんど一緒になっていたようにも思いおます。正面から建物をみれば、右端の側面の部分で、窓の下には若杉幸平弁護士の法律事務所も真下 近くに見えたのではとも思われる位置です。
7/10 14:37

どうも気が付かない間にWifiの接続がきれていたようです。接続というよりはモバイル機器の電源がオフになっていました。だいぶん前にさかのぼってツイートしなければなりません。
7/10 17:01

あとになると思いますが、被告訴人大網健二がその隣の奥の民家について、自分が紹介をしたような話をしていました。それだけではなく、その大家のような人のことも話していたと思います。
7/10 17:21

当時の私としては他に気がかりなことがあったためか、それほど重く、深くも考えずに聞き流していたようにも思うのですが、大家のような人というのは高齢の女性のようで、なにか工場をやっているような話で、屋根の方の手伝いがなんとかと言っていたような気がします。
7/10 17:22

さらにいえば、私は被告訴人大網健二と二人でその工場のようなところに行き、なにかをしたような気もするのですが、それもごくごく曖昧な記憶になってしまいました。工場というのは間明から玉鉾の方面だったような気もするのですが、昨夜見た夢の内容を思い出すような感じで、雲をつかむようです。
7/10 17:22

隣の奥の家の購入が、被告訴人大網健二の仲介によるものという話は一度も聞きませんでしたし、そんな重要な売買であれば直接顔を合わしに被告訴人大網健二が来ることはあったはずと思えます。
7/10 17:22

既に書いていると思いますが、西金沢の駅の近くの小料理屋のことがきっかけでした。雨の降る夜だったとも記憶にありますが、配管ではなくエアコンの工事がなんとかと話していたような気もします。
7/10 17:22

被告訴人大網健二の姿は不思議なぐらい長い間、さっぱりと見ることがありませんでした。被告訴人大網健二が被告訴人KYNのところに顔を出すようになったのは平成10年の11月になってからだったと思います。
7/10 17:22

配管の工事の話でなかったことは間違いないと思いますし、配管の工事に問題があれば施工をした業者を呼ぶのが当たり前かと思います。極力安上がりにするためエアコンの工事の相談を持ちかけてきたように見えましたが、どこか腑に落ちない話にも見えました。
7/10 17:42

エアコンといえば、その平成10年の夏、私は生まれて初めてエアコンを買ったのですが、それは被告訴人KYNも関わりのある業者の集まりでの会場のことであったと、これもぼんやりですが記憶にあります。場所も金沢の西の方ではなかったかという程度しか思い出せない話になっています。
7/10 17:42

業者間のしがらみや付き合いのようなものがある場であったと思いますが、とにかくエアコンを買いました。被告訴人KYNの勧めもあったのだと思いますが、取り付けを手伝ってやるという話があったはずです。
7/10 17:42

実際に被告訴人KYNが北安江の借家に来て、二階でエアコンを取り付けるのを手伝ってくれたという場面も記憶に残っています。その時のも仕事でエアコンの取り付けはやったことがあるとか、することがあるとは話していたと思います。
7/10 17:42

ついでに書いておくと業者の集まりの会場には最新機器のお披露目のようなものもあったと思います。いろいろとブースがあって、食べるものや子供を楽しませるようなものも多かった気がします。被告訴人KYNは家族連れで参加していたように思います。
7/10 17:42

被告訴人大網健二の姿を被告訴人KYNのところで見るようになったのもそれからだったと思います。私が被告訴人KYNのところで仕事をすると決まる前後の一定の間は、ちょくちょくと顔を出していたように思いますが、まったくといっていいぐらい姿を見せなくなっていたように思います。
7/10 18:03

被告訴人KYNのところでの仕事というのは朝は7時に出勤になっていたと思います。初めは7時半だったきもするのですが、私が入って2,3日後には7時になった気もするのです。ずっと7時だったので余り気にはしなかったですが、そういうこともあったかと思います。
7/10 18:03

休みというのは日曜日だけだったと思います。日曜出勤というのも皆無ではなかった気もしますが、ほとんどはなかったと思います。
7/10 18:03

現場で仕事を終え 片付けてから帰ってくるので、18時から19時の間に帰ってくることが多かったような気がします。事務所が隣に移ってからは、その後の解散までの時間も長くなりましたが、もちろん必要な打ち合わせもありました。
7/10 18:03

配管の仕事というのは現場の仕事だけではなく、図面を見て部品を拾い出し、それを注文したり、買いに行くという仕事もありました。
7/10 18:03

一水のことで被告訴人大網健二が顔を出して以来、私ともちょくちょく会うようになりました。そんな頃から総合建設業を目指すとか夢のような話を語るようになり、兄貴の大網商事をそのようにしたいなどと構想を語るようになったのです。
7/10 18:23

あれこれと話を聞いていても具体性のある話とは思えませんでしたが、被告訴人KYNが隣の奥の家を買うと言い出し、それを現実にものにしたということもあったので、それなりには話を聞いていました。
7/10 18:23

そのうち大網商事の社員教育として講師を招き経済学だかの話を聞くので、被告訴人KYNに場所を貸してくれと頼んでいました。指定した場所というのがその隣の奥の家です。
7/10 18:23

変な言い方をすれば夜逃げをしたあとの抜け殻のような家でした。事務所のように使っていたのは玄関からまっすぐ入った板張りのダイニングキッチンのような部屋でした。事務所らしくなったのはリフォームの工事をした翌年つまり平成11年の1月下旬のことです。
7/10 18:24

講師というのも大学の先生のような話でした。呼ばれた方もさぞや驚くのではないかと想像もしましたが、とてもまともな話とは思えなかったです。
7/10 18:24