ほいさ!まきとです!!!



すずめの戸締まり観てきました!の感想兼考察Part2になりやす!!!







文字数制限でネタバレ無しとありに分けさせていただきやした、、、



読んでない方は前の記事から見てくださいまし\(^o^)/







てことでこちらの記事はネタバレありの感想と考察になります!





それではどうぞ!!





まず、この作品は震災を題材にしています。



もっと言えば災害後の世界をモチーフにしています。



苦手な人はいるかと思いますが、そうではない人は積極的に見てほしい。



この作品には、廃墟がとても大事な役割を担っていて、昔は栄えていたが廃れていった場所がある事を強調している。



これを監督は「日本が老化している」と表現しました。



なんて独特な表現なんだろう(笑)



建物を建てる前や、何かをする前はほぼ必ず地鎮祭などの儀式があるが、終わった後の地鎮祭や魂抜きはあまり一般的ではない。



これは僕もよく疑問に感じていました。

でもわかったんです。



人は常に自分達のことしか考えていない。

んですよ。



どういうことかというと、地鎮祭も何らかの儀式も、何かを始める前。



要は自分達に何か被害を被りたくない一心でやってるんです。



本当に土地の事を考え、そこを司る神を讃えているのであれば、終わりの儀式も普及するはず。



テーマパーク等の開発跡地の様な場所は顕著。



商売の為に建てて、使いものにならなくなったら切り捨てる。



撤退する際は建物すらもそのままで廃墟化。



最初だけツラよくしといていざ関わってみたら態度が一変するみたいな。



そんな勝手な事してたら神様はお怒りになりますよねぇ、、、



作中では後ろ戸を閉める際にその場の思いを感じ取る必要がありました。



神様だけではなく、人々の想いが形を変えてあのミミズになっているんだと思いました。



そのミミズ=人々の想いの供養を戸締師?どう書くのかはわからないですが、しているんだと思います。



先程も言ったように、放置された土地の終わりの地鎮祭、魂抜きのような役割なのかと。



すごく感慨深くなりました。



そしてこれはすずめの成長ストーリーでもあります。



僕が考察するに、いくつかの成長があり、、



①義理の親子関係の成長



②巫女?戸締師としての成長



③親離れ、自身としての成長



あとまだありそうだけど、、、ざっとこんな感じです。



一つ一つ説明すると、



①義理の親子関係の成長



まぁ見ての通り義理の親子の問題も同時進行で進んでいきます。



途中は



すずめは世界を守る為に動いてるのに、何もわからない叔母さんが引き止めようとしてくる。



僕らも途中は厄介だなぁと感じます。



でもそれってめちゃくちゃ監督にしてやられていて、すずめの立ち位置に感情移入させられてるんですよね(笑)



こっちの気も知らないでそっちの考えばっかり押し付けてきて、、、!!!ってな感じで

これは思春期の親に対しての感情まんまなんですよね(笑)



そうなんです、気を遣って距離を感じていると言いながらも、実はすずめは既に叔母さんに心を開いていて、親として見ているんです。



でも信頼関係がない為、頼れない。



まぁ無意識に信頼してるからこそ、ああもう!って親に対してみたいにイラつくし、拒否できるんですけどね。



だからこの親子関係に関して言えば、特に成長したのは叔母さんなんです。



とても辛辣な事をすずめに吐露した際に、実はすずめに家族として見られている事に気がつき、自分の未熟さを責めます。



でも何であんなこと言ったんだろとは言いましたが、言って良かったんです。



すずめを傷つけてしまったが、今まで傷つけないように扱いすぎてたんです。



叔母さん自身が傷つかない為に。



だからそれを吐露した後はすずめとは良い信頼関係が出来上がっています。



その後押しを叔母さんに取り憑いたサダイジンはしたのかなと勝手におもってます。



もうすずめは災害で驚く程成長していたんです。



本人もラストシーンまでは気が付いていませんでしたが。



すずめの戸締師としての成長。



これはあくまで一考察として、、、



要石ってのは西と東で一つずつあります。



西の要石はすずめが抜いてしまったダイジンですね。



東の要石はサダイジン。



気付いたと思うんですが、サダイジンの姿はダイジンに比べてすごく大きくて立派です。



神様なので、信仰の多さによって力の強さが決まります。



あくまで予想ですがサダイジンと草太のお爺さんが主従関係のように感じました。



もしかすると戸締師というのは墓守り?神官のような存在で、それの末裔が草太。



その東の戸締師がわざわざ西に来ているところを鑑みると、西の戸締師はどこかで途絶えてしまったんじゃないかな?と思わざるを得ません。



なのでサダイジンの祀られている場所は立派なのに比べて、ダイジンの場所は廃墟。



身体の大きさも信仰の違いを表現しているのかと。



途絶え、ダイジンを信仰するモノはいなくなり、力が弱まっていた。



だからダイジンは痩せ細り、小さい姿になっていた。



そして小さい頃に常世に迷い込んだ事があるすずめはダイジンと出会い、ダイジンに見初められます。



ここは優しいすずめをダイジンが気に入り、更に新たな戸締師としての可能性を見込んだのだと思っています。



そしてすずめからも認知されることで、神としての姿を取り戻し、やせ細った身体から元気な姿になります。



この時は可愛い!という認知でしたね、笑



逆に最後あたりですずめからの信仰を失った際に急に痩せ細ります。



そして僕の中の最大の疑問である、なんで草太イスにされたん!?!?!?!?



問題はこれが関係しているのかと思ってます。



ダイジンはすずめを戸締師として成長させたいのに、草太がいるとすずめは成長出来ない。



でも1人では何もわからないから助言もできるようにイスにした。



まぁ、本当にすずめと2人きりになりたくて邪魔だから要石にしたってことも考えられます(笑)



けど、ミミズが出る場所を案内していたところを鑑みると、神としての役割もやはり意識しているんだと思います。



ラストですずめは草太を助ける為に私が要石になると言います。



愛する人と一緒にいたい。



というのはダイジンがすずめに対してとても思っている事。



なのに、すずめは愛する人の為なら自分が犠牲になっても良いと言う。



そこでダイジンは本当の愛というものに気が付きます。



愛する人の幸せは自分にとっても幸せで、自分が犠牲になったとしても愛する人の幸せを願うのも愛故に出来ることなのだと。



そして自分が自分だけの幸せの為に、本来自分の役割を他人に押し付けて愛する人を傷つけていたことを知り、ダイジンは要石に戻ります。



これはある意味、、、



切ない少女漫画でもあるんですよ!?!?!?!?!?!?



えぇ!?!?!?!?!?!?



その人の幸せのために自分は身を引くんですよ!!!!!!!!



本当は一緒にいたいのに!!!!!!



すずめの成長話の最中でダイジンの成長も語っちゃいましたね。



③親離れ、自身としての成長



これは見ての通り、すずめはお母さんをずっと求めていて、探していて、心の中で引っかかっています。



けど、常世で見たと思っていたお母さんは実は未来の自分で、そして過去のすずめは未来のすずめに励まされ、未来のすずめは過去のすずめに気付かされます。



過去のすずめはお母さんがいないことをもう既に知っていて、理解していたんです。



でもお母さんという像にずっと縋っていたんです。



それは未来のすずめも一緒です。



でも常世で見たお母さんは自分だと気がついた時点で、自分はもう自分の足で立ってると気が付きます。



このシーン、、、



とっくのとうにすずめは、、、



あぁーここ本当にグッときたなー



私はすずめの明日!



ですって。



私はすずめの明日=こんなにも元気に暮らしてる!大丈夫!と元気づける意味もあるけど



自分は自分の足で立って生きていくことをすずめに言ったようで自分の心に刻んだんだと思ってます。



これはメタ的な意味もあると思ってて、今作は災害をテーマにしているので、災害に見舞われた人へのメッセージでもあると思います。



常に未来に希望を、プラスなイメージを持って欲しいという強いメッセージを感じました。



災害中のすずめに対して、立派に成長した自分を見せて私はすずめの明日!



と言ったのは、明日さえも真っ暗な人に対してはとても励ましになります。



あぁ、、、良い作品。



ともあれ、監督の性癖が今回も出まくっていて笑いましたwww



中古車オープンカーで流れる昔のポップも、イス草太に足で乗るシーンも、草太に座るシーンも、、、



すずめが靴下ごと水に入ったシーンも、怪我した足を洗っていたシーンも、、、



変態だけど、それも独自性を貫き通している一つの自己表現として俺は愛したいなぁと思っています!



なんかばあーーーーっと走り書いているので上手く伝えられてるかわかりません(笑)



もっかい観に行きたいなぁ。



まぁきょうはここらへんで!!!



そいじゃ!!!