「精神医学と疾病概念」 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ
2010-11-09 14:07:22

「精神医学と疾病概念」

テーマ:ブログ

「松嶋×町山の未公開映画を観るTV」は好きな番組でして前回は「ORGASM Inc」をやっておりました。
http://www.matsumachi.com/
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 女性の性感を高める新薬「女性版バイアグラ」の開発に躍起の製薬業界。そんな製薬会社の実態とその信憑性のないデータを、ひとりの女性監督が追う。女性の性的機能不全とは、果たして事実なのか、それとも製薬会社のでっち上げなのか?
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 かなり笑えたんですが女性の“性機能不全”、つまり、「イケないのは病気だ!」と煽る製薬業界とお医者さん、「そんなもんは病気ちゅう!」と戦う識者や団体の攻防戦を追ったもので、最終的にはアメリカではFDAに認可されなかったという話。FDA(アメリカの食品医薬品局)が「イケるかイケないかより心臓発作という副作用の懸念を無視できるかい!」(意訳)とかがんばっておりましたね。松嶋さんは「ところで愛はどこにいったんですか?」ともっともな突っ込みしてたり、町山さんが「セックス依存症も、“ただの浮気者”だと言い訳にならんからねー」みたいなこと言ってましたが、自己責任の思想が強くて、訴訟が多い社会っていうのは、最終的に自分を救済するためには、「病気のせい」にすがるしかなく、その「病気」は誰が決めるかというと、お医者さんや社会が決めるわけで、境界線が微妙な「病気」が多い社会っていうのは、ほんとは自己責任社会じゃないのかもなあと思いました。ある種のセーフティネットなんだろうな、と。

 以前も「慢性ライム病」のドキュメントをやっていたんだけど、アメリカで突出して数が多いのは、「慢性ライム病」(ライム病は実在します)とされている多くがどーもウソっぽい(患者が神経系や心理面の問題は抱えているのは事実だけどそれは慢性ライム病ではないのではということ)。そのウソかホントかでアメリカ医学会まっぷたつみたいな話でこれも面白かった。

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http://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k02_g1/k02_11/k02_11.html
 欧米では現在でも年間数万人のライム病患者が発生し、さらにその報告数も年々増加していることから、社会的にも重大な問題となっている。
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 さて。以下の本とてもおもしろかったです。
 特に「精神」が絡む病気というのは以上のような議論がよくあるわけなんですが、これは70年代の精神科医たちの討論を復刊したもの。
精神医学と疾病概念 (精神医学重要文献シリーズ)

 当時70年代は非人道的な精神医療の実態が告発されたり、「白い巨塔」のように医局制度が攻撃もされていた時代。

 「反精神医学」と考え方というのは簡単にいうと、「そもそも精神病なんて、医者や社会が貼ったレッテルであって、そんなものは存在しない!」というこれはこれで極端な議論なんですが、医療現場を攻撃したり、「権威」ある先生を攻めるにはちょうど便乗しやすい議論だったという面もあります。


 以下の討論部分で、臺(ウテナ)先生が、「反精神医学」的立場からすると批判される側、土居先生は、「「甘え」の構造 」が有名ですね。荻野先生もどっちかいうと「反精神医学」のほうの立場の模様。臺先生は私は読んでると、とても当たり前のことを何度も何度も言ってます。

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土居 ・・・・しかし、新しい言葉なのか、古い言葉なのか、新しい歌なのか、古い歌なのか、と私は問いたい。
荻野 ある意味では僕は古い歌だと思います。私にとっては。
臺 わからない(笑)
土居
 ちょっと臺先生にわかるように説明していただきたい。
荻野 何かね、人間、長い間人類が一番大切にしてきたものがね、それが今日、完全な技術主義によって一つ一つむしばまれてると思うんですね。土居さんの言葉で言うが、秘密がなくなりつつある。例えば友情だとか夫婦生活だとか、いわば都会の祭典、祭とかですね。そういうものまでが技術によって支配されつつある。そういう中で、一番の犠牲者、一番とは言わないけど、統合失調症もその犠牲者のひとりじゃなかろうかと思うわけです。・・・・・・そういうふうな現代文明観がというものが私の根底にあるわけですね。ですから、そこからのtransということが新しい方向と言われれば、新しい方向ですね。しかし、それは古いものの打破かと言われれば、古い歌の想起でもあるわけです。
内沼 私は治療的共同体ってあんまり知らないし、またあんまり興味もないんですが、先生は平等の精神で貫かれている共同体うんぬんと書いておられますけど、そういうものが先生にとって非常に古い歌になるわけなんですか。
荻野 それはそのまま古い歌じゃないんですけど、古い歌への志向、そういうものものいろんな場所で文学とか、いろんなところで見られますね。で、こういうもののなかにもそういうものを見たいを思ったんです。そういうふうに理解したいと思うんです。・・・・
内沼 私はこういう言葉を聞いただけで、げんなりしちゃうんですよ(笑)
荻野 げんなりする人多いかも・・・・。
内沼 なぜげんなりすると言うんでしょうかね。ともかく感覚的にげんなりしちゃうんです(笑)
臺 
実際にね私、クラークさんのところに行って見てますとね、そんな新しい感じはちょっともしないいんですよ。----
松沢病院でやっていたこととちょっとも変わらないんですね。・・・・
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 「共同体復活♪」みたいな言葉が出てきて、ここでは全員「げんなり」(笑)。この“げんなり”ってわかるなあ。でも、80年代や90年代のような心の議論のみが蔓延している状況よりは、「げんなり」はしてるだけマシかなあと思ったんですが。

 臺先生はほかの本(下にリンクしてます)では、精神病院を、私立に押し付けて、「商品」にしてしまい、少ない職員でたくさん見れるような、「治療」じゃなくて「管理」にしちゃったのがいけないんじゃないの?っていうふうに言ってるんですか、そういう話はならない。「反精神医学」チームは「社会」「社会」っていってるんですが、実はあんまり見れてないわけです。

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臺 ・・・・十何年も前に「ロビンソン・クルーソーの病気」という小文を書いたことがあるんです。ロビンソン・クルーソーの物語では、彼は風邪をひいて熱を出したくらいで、ラムかなにかを、酒に入れて飲んで治っちゃうんですが、精神病にはならないんですね。しかし、進行麻痺になったとすれば、あの話はできなくて、彼はもう死んでしまうからこれは問題ないんですが、ロビンソン・クルーソーが統合失調症にならなかったとしてもおそらくあの話は出来上がらなかっただろうと思えるんです。たとえば、フライディが出てきたときに彼は被害的になって撃ち殺したかも知れない、彼はフライディの助けて一緒に暮らしたということのために、彼はその後にイギリスに帰れる道を開いているわけです。彼の島には、野蛮人や反乱船員が攻めてきますからね。で、先ほど狂った状態は不健康ではないと土居さんは言いましたね。
土居 
狂っているということと不健康であるということは同一の範疇ではない、という意味で言ったのです。
臺 私は狂った状態というのは不健康であろう、不健康と言えると言いたいのですね。
たとえば、ロビンソン・クルーソーが狂ったら、彼はその後の危機に対して、適切に処理することができなくて、あの島で死んだでしょうね。・・・・狂った状態というのは不健康であるのが普通だと僕は思いますね。・・・・(略)

臺 だけど疾患という言葉が出てくる前にですね、われわれが統合失調症と言っているような状態がたった一人の島で起こったとしても、やはりそれは不健康な状態であって、彼はロンドンには帰れないと十分予想されると。

土居 そういうふうに先生は判断するわけで、その判断は判断なりに価値があるわけですけれど、しかし、狂っているという概念自体はノルムがあって、ノルムから狂っているという正常・異常の分け方ですね。たしかに正常・異常という相補的なcomplementary な概念は精神医学にずいぶん入っています。これと、健康・病気というcomplementary な概念は全く違うものです。このほかにもうひとつ別に善悪という概念があるわけですね。これも精神医学のなかに知らず知らず入ってくることがあるのですが、以上3つの相補的概念は全然別のものであるということは私は言いたいのです。

臺 それはいいんですよ。不健康のなかに病気があると僕は前に申しましたがね、全部が不健康、即病気とは言えない。
土居 不健康が即疾患と言えない、というならわかりますけれど、健康と病気というのは相補的な概念なんだから、健康でないっていうのは・・・・。
臺 そうじゃないの。健康と不健康は相補的だけど、病気とは正確には相補的ではない。
(略)
吉松 ・・・われわれの立場としては、目の前にいる患者をどう見るかということですね。だから、ロビンソン・クルーソーが医者にかからなければ、今言ったようなことはあまり意味がない気がします。

臺 そうでしょうか。しかしロビンソン・クルーソーが狂ったら、おそらくフライディとは共同生活はしませんね。そしてフライディはそばにいなかったら、その後の危機を乗り越えることができないわけです。

吉松 だから、ロビンソン・クルーソーの生活史にとっては意味がある。しかし臨床医にとっては。
臺 
でも医者はいないんだもの。
吉松 でも逆に医者がいるからこそ、臨床医学が出てくる。いろいろな判断概念が出てくるのではないかという気がします。
臺 だから僕が言いたいのは、医者が出てきて判断する前に、医者がいようがいまいが、ロビンソン・クルーソーが一人で島にいたときに狂った状態に、しかも病気で狂った状態でいるということがあり得るだろう、とこう言っているんです。そしてもし彼がそういう状態になれば、生きてロンドンに帰れないと言っているわけです。(略)
土居
 
それはイギリスに帰ることが幸福であるという前提のもとに立ってのことですね。
 
今は幸福という問題は言っていないんです。

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 何度も臺先生は同じこと言ってるんですけど、「イギリスに帰ることが~」はいちゃもんにしか見えん。土居先生の突っ込みがあさっての方向に~!!!

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土居 それは再発ということを、非常に悪いことであるという考えがどこかにあるということです。再発してもかまわないじゃありませんか。再発の自由も奪っちゃ、気の毒な気がする(笑)。
 いいことじゃないんですね。患者にとっても医者にとっても。

土居 しかし、失敗はないでしょう。

 失敗じゃないですか、少なくとも。

土居 いや、もしたとえば先生の疾患概念によるならば、それはそれこそ、オートマティックに起きることなのであって・・・・。

臺 いやそんなこといってないですよ、ちっとも。疾患と患者の生活を同一視しないでください。だから僕は、統合失調症者の運命的なものであって宿命的じゃないといってるでしょう。

土居 ですから、そこで失敗という受け取り方をすることには、僕は非常に抵抗を感じますね。失敗というふうに見たら、患者も救われないな。医者も救われないし。そこから成長の可能性もなくなってしまうと思う。

臺 僕はそれはちょっと・・・・。土居さんも無理していらっしゃいませんか(笑)。(略)

臺 それから、たとえば、失敗というと極端な場合を考えればいいんですよ。患者が自殺しちゃうということがあるわけですよね。これはどう見たって失敗としかいえないんじゃないですか。

土居 それは医者の失敗というなら、僕はまだわかるんですがね。

臺 当人にとっても失敗でしょう。自殺してしまえば、成長もないでしょう。

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 「再発する自由」ってなんだよ!ですが、ほんとにこういうことが大真面目に語られているんですよねー。私は病気になったらぜったい臺先生に診てもらいたいです。臺先生は入院されてた患者さんが病院を抜け出したとき、お医者さんや看護婦さんと総出で探し、そして電車に飛び込み自殺をされていた方を、看護婦さんがそのバラバラ遺体を拾ってきて泣いているのを見て、自分も拾いにいけばよかったと悲しんでいる先生ですから、よく怒らずに聞いてるなあと。

 臺先生は日本の「反精神医学」の嵐(+全共闘運動)のときにご自身の研究が「人体実験」と糾弾された方なんですね。内容は「反実証的」な医療過誤訴訟のようなものです。そして、当時は例えば大野病院の訴訟のときのように守ってくれる動きがほとんどなかった。学会あげての吊るしあげ。

 小熊英二さんの「1968」では全共闘の学生が、研究書などを焼き払ってますが、精神医療現場での「運動」はもっとひどい。精神病院にたてこもり、もっとも弱い患者を盾にして、「自主管理」を要求。臺先生は機動隊を拒否します。それはストレスにとても過敏な精神病の患者たちを守るためでしたが、それさえも「自主管理運動」をかばっているとも批判されました。

誰が風を見たか―ある精神科医の生涯/台 弘

 例えば、今は難治性のパーキンソン病などでは、脳の深部に電極を入れる深部脳刺激療法(DBS)がされたりしますが、私は、こういった医療の実績や脳科学の研究から、タブーとされていた「精神外科」は戻ってくるのではないかと思います。でも臺先生の研究がきちんと進められていたら、日本の精神医療はもっとすすんでいたのではないかと残念でなりません。

 この当時の「反精神医学運動」を“理不尽な部分も多々あった医療過誤訴訟みたいなもの”と考えると、そののちの「精神医療」が精神分析やら、占いと大差ないような“療法”に傾倒することになったのはわかる気がします。箱庭療法やら、マンダラではまあ患者は死なないでしょ。“安心安全な医療”(それは医療ではないと思いますが)にのみ精神科医が押し込まれていったのではないかと思います。

 精神分析で有名なフロイトももともとは「コカイン」を研究してたようです。患者を中毒にもしちゃったようですね。非難もされました。そういう苦しみもあって、患者がその療法によってまず死なない、非難されない“精神分析”になっていたのかもしれないなあと思います。

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