今回も佐秀楽譜研究会。
曲は「『箱根の山』に寄す」です。
この「箱根の山」というのは
現代では瀧廉太郎作曲の「箱根八里」を指します。
当時は、佐藤先生とも交流のあったテノール歌手の藤原義江氏が
山田耕作が伴奏をつけ編曲をした「箱根の山」というタイトルで
発表したものが流行していたので
「箱根の山」という曲名になっているのでしょう。
箱根八里とは、東海道五拾三次の
小田原宿から箱根峠を越えて三島宿までの八里(約32km)を指すそうです。
「箱根の山に寄す」では、途中で箱根馬子唄に旋律が入ります。
この旋律は「箱根馬子唄」で検索すると
いっぱい出てきますので、
お好きな歌い回しを参考になさってください。
さて、佐藤先生はコメントで
「あの「荒城の月」を作った瀧廉太郎の作曲と聞いて、
こんな平凡な曲をあの有名な人が…と
驚く人もあるでしょう。
私もその一人だったのですが、この曲を良く研究してみて
驚嘆したのはそのリズムの変化です。」
と言及しています。
その直後、「ここではそういう話は避けますが、
さすがに瀧廉太郎だと思って、感心し直したものです」
と、簡潔に切り上げています。
佐藤先生は一体何に驚嘆したのか?
この曲について調べていくと
瀧廉太郎が東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)研究科
在学(在職)中に懸賞に応募したものだったこと、
この曲とメンデルスゾーンの「交響曲第2番《讃歌》」冒頭部が
類似しているという指摘があることがわかりました。
当時の東京音楽学校には、ドイツ音楽に造詣の深い教授陣が多くいたため
瀧廉太郎自身、メンデルスゾーンの影響を受けた可能性は否定できませんが、
この曲を作詞した、東京音楽学校教授の鳥居忱(とりいまこと)が
難しい詞に明るく力強いメロディがついたことに
大変に驚いたと言われています。
当時の、漢文調の歌詞にはやはり、
あまりリズミカルな曲調をつけるという発想がなかったのではないか、
シンコペーションや三連符のような、
日本の楽曲では使われてこなかった「最先端」のリズムを
21歳の若者が易々と取り入れてしまった、というところに
佐藤先生も驚嘆したのではないか、と考えました。
そうすると、上記コメントに続く
「さて、皆さんはただ活発にマーチ・テンポで
これを奏して行けば良いのですが」という指示に対して
そんな斬新さが隠れているとも考えずにただ
「こんな平凡な曲」として活発に奏すればよい
ハーモニカはアマチュアの楽器、
難しく考えず、なるべく平易に
みんなが楽しめればよいのだ、という
当時の佐藤先生のお考えに帰着します。
今でこそ、もっともっと複雑かつ斬新な
メロディやリズムが溢れていますが
当時は、一聞平凡に聞こえるこのメロディも
驚嘆に値する斬新さがあったのですね。
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