えー、特捜最前線風に最後に挨拶して終わろうと思っていたのですが、兄さん書かれた記事 にこんな文章が載っておりましたので、それに対する私の意見を付け足したいと思います。


しかーし、最後の最後まで酷かったナ。あの嘘予告は何ナんだ?この予告はウソデスと表示してあるからいいってわけじゃナいゾ。


いやあ、鋭いところを突いてきました。実は本編終了後に「次回予告篇」が流れたんですよ。ところが画面には「これは嘘です」とかいう文字がうるさく出ていたのです。あれはたぶん、実写版の演出を意識したのでしょう。実写版でも次回予告が流れたのです。もちろん、これは嘘ですとかいうアホな文章は出ず、次回作を匂わす作りになっていました。あれの評判がよかったのでそれを再現したつもりだったのでしょう。出来は実写版に遠く及びませんでしたがね。



大体、新作のラストは酷過ぎました。旧作でも実写版でもドロンボーが3本道に分かれる交差点で別れ、ドロンジョ様が「いい女は振り返らないもんなんだよ。」という名台詞を披露してまっすぐ進んでいくところが映った後、上空からの絵が映って、あの3本道は実はその先で一本に合流しているのを見せ、それによってドロンボーが再会して再結成されるのを暗示して終わっていたのです。3人が再会する場面は一切流れません。余韻を残し、視聴者の頭の中で続きを想像させるとても粋な演出でした。



ところが新作は早々と3本道がその先で合流することを見せてしまいました。「何これ?」と思ったら、ドロンボーは3本道を進むわけではなく、2台のタイムマシンにドロンジョとトンズラーが分乗し、ボヤッキーが東北新幹線に乗って別れます。ところがドロンボーもドクロベエも未練を残し、また元のアジトに再会するところまでクドクドと描いて終わったのです。このアニメのスタッフは今の子供達を馬鹿にしているのでしょうか? いや、子供向けに作っているわけでもなさそうですね。どちらにしろ、視聴者の知性を馬鹿にしているとしか思えません。高橋ナツコは定番シーンをぶっ壊して工夫をしたつもりなのでしょうが、その工夫が稚拙なものであるため、かえって白けてしまいました。この程度の小者が新作ヤッターマンのシリーズ構成とかいう物をやっていたのですから、面白いわけがありません。



ま、新作作るのは結構なことでしょう。しかし、旧作の思い出をことごとくぶち壊していいわけがありません。子供の頃、私は本放送で毎週旧作のヤッターマンを見ていました。時には見られないことがあり、当時はビデオデッキもなかったことから、毎週毎週必死に見ていました、今度はどんな話なのだろうか? 今度はどのメカが出るのだろう? このわくわく感は佐助氏のような再放送世代は体験できないでしょう。再放送世代はあらかじめ話のあらすじがわかっているからです。佐助氏の世代には、ヤッターマンからゼンダマン、オタスケマン、とだんだんと低調になって行く様子を体感できてはいないでしょう。私はヤットデタマンでタイムボカンシリーズに見切りをつけました。その世代間のギャップが似非ファン達との感じ方の違いとなっているのかもしれません。