私の「ハッピー・チャンネル(ラブリー・周波数❤️)に合わせた体験」を書きます💗

昔(12年くらい前)ミラジーノというDAIHATSUの軽自動車に憧れて、いつか、家族用ではなく自分専用の車として、ホイホイと自由に乗りたいなあ。と思いました。


(画像お借りしました)

これこれ。この初代のミラ・ジーノね!
ドイツのワーゲン・ヴァリアントとイギリスのミニクーパー(今の新しいやつではなく、ミニ1000とかあの辺の昔の小さいかわいいやつ)とを、足して2で割ったような、味のあるクラシカルな、大人しい品のよさ。
これに憧れたんですよねえ。(*´∀`*)💕


今思えば、その時の感覚は、「欲しい」でも「あればいいのに」でも「望む」でも「願う」でもなく

ただただ、狙いを定めて焦点を合わせて憧れまくるというか、

ただただ、素敵な気分、ミラジーノかわいい、かわいい、綺麗、かわいい、カッコイイ、嬉しい、ワクワクする、ジーノかわいいかわいいかわいい❤️😍✨💓❤️❤️
純粋にひたすらそればっかりでした。(*´∀`*)ポッ💗🎵💖

もしも頭で考えるだけだったら、たぶんこう言ったでしょう。「今すでにパパの車が家族の足としてあるんだし、パパがあの車を処分するはずないし、仮に2台目なんかあったとしても置くところ無いし、だいたい車なんて高いじゃん、この家計で私専用のセカンド軽自動車なんて、買えるわけない。手に入るわけない。夢だよ夢、夢のまた夢。」って。

でも、こうやって書けるくらいなんだから多少、いやほんの一瞬は、この思考が頭を掠めたことはあるのかもしれません。でも、そんな風に考えて悩んだり、手に入らないことを不満に思ったりがっかりしながら時間を過ごしていた記憶は、正直、ほとんど覚えてさえいないのです。

条件がどうのとか一切考えず、実際に手に入る可能性とか超どうでも良いところで、ただ純粋に、それが叶っている時の自分の気分と同調するというか。先に気分の良さを味わっているというか。手に入ってもいないのに(笑)、先に既に妄想に浸ってエヘエヘ笑ってニヤケていた、というか。そういう気持ちでミラジーノのことを考えては楽しいイイ気分になっていたのです☆(←この部分、後述。)

自分専用軽、しかもミラジーノ☆に乗っている私の、なんと素敵なことか、なんと楽しくて嬉しくてかっこよくて可愛くて幸せなことか💗💓✨😍💖って。


町でミラジーノにすれ違っても、ああっあれだ💗💓って華やかに気分アガッテワクワクしたし。

ジーノさえ心に浮かべば、ひたすら幸せで気分よかった。他のことは一切、無い。


そんなふうな日々があり、 そして今振り返ってみれば、

ふとしたいきさつが重なって 重なって

ミラジーノ、乗ったよね。所有したよね。

で、その日々ももはや越えて

今はムーブコンテに乗ってる。

楽しかった日々。数年間、ほんとうにお世話になり、あちこち好きなところへ共に旅した、運んでくれた。ジーノ君との日々。あっという間に、過ぎ去りました。あの日、はるか遠い憧れだと思っていたものが、もういつのまにか、現実に叶って、そして過去へと過ぎ去りました。

こんなことが、振り返ってみれば、他にもいくつかあります。

あの日「まさかね」と思った「佳きこと」たち。

ちゃんと叶ってきたんだ。(*´∀`)ノ

バシャールやhappyさんやみつろうさんやはるちゃんの言うことは、ほんとうにほんとうだし、私たちにも誰にでも、簡単に同じように起こることなんだ。


(↑こうやって言葉に起こすと、即座に「ハウツー」みたいになってしまうのが残念です。気の持ち様を真似してやってみて頂くのは大いに結構ですが、ハウツーだと思わないでくださいね。自分の都合の良い願望を、引き寄せることを最初から狙って、下心満載でなぞって、この気持ちの持ち方をやるのでは、ないのです。気分良い楽しい幸せな時間を過ごしたということが、一番のギフトなのであって、もうそれだけでいいんです、ほんとは。ついてくる結果は、気分よく過ごしたことが招いた、結果。単なるオマケです。人に「幸せになって見せる」「こんなん獲れたんやで!と成果を披露する」のではなく、自分が幸せな気分で過ごせたなら、もうそれでいいのです。)


(追記)だから、妙に彼らを特別視する必要も、神のように崇拝する必要も、気に入ってもらいたいとばかり取り上げてもらいたいとばかり取り巻く必要も、振り向いて誉めて認めてもらいたいとばかり下らない質問を投げ掛けて注意を引く必要も、一個もないのです。ファンクラブ作って取り巻いてイイネイイネと盛り上がって終わりじゃ、本来の意味は無いのです。
同意できることを教わったなら、黙って自分にも取り入れ、自分で実行するのみ、自分が今度は幸せになるのみ、です。



今日もお読み下さりありがとうございました☆

Let's be HAPPY!🥝💛❤️