極めつけは、スピルバーグ監督の、JD・サウザー本人も、シンガーの役で出演している「Always」という映画のサントラに収録されている、オールディーズの名曲、「Smoke Gets In Your Eyes」の名演などは、私個人としては、「これだけは、誰にも文句を言わさんぞ」と言ったところなのですが、すでに、過去ログで、総スカンを食らっているカサンドラさんな私でございます。訳すと、「煙が目にしみるぜ」ですが、そういう歌を歌わせると右にでるものはいない、彼の特徴をよく表している、非常に、よくできたサントラで、オリジナルのプラターズをはるかにしのぐ名演なのですが、「何で、そこんところが伝わらんかなあ」という、一ファンの独り言でした。まあ、そういう男の切なさみたいなものを語らせると超一流の人物なわけですが、にもかかわらず、なかなか、それを第三者に伝えるのは、ハードルが高いのは、私自身、なぜなのか、よくわかりません。

リンダ・ロンシュタットや、イーグルスのメンバーや、プロデューサーのピーター・アッシャーや、後にヴァージン・レコードの社長として大成するデヴィッド・ゲフィンなど、彼の才能にいち早く気づいていた有名人は数知れずおり、スピルバーグ監督もその一人なわけですが、なんで、そういう人物を正当に評価することが、自閉症スペクトラム的な、マイ・ブームみたいな扱いに分類されるのかという話で、そういうことを客観的に証明する、歴史的な事実は、いくらでもあるわけです。

まあ、ただ、一方では、かく言う私自身も、中学生の頃に、すでに、「You're Only Lonely」をラジオで聴いて、名前だけは知っていたのですが、ファンになるまでの道のりは、決して平たんではなかったので、なかなか、その一線を越えるのが容易ではないという、第三者の心理というのもわからないわけではないわけですが、決して、自閉症スペクトラムに分類するようなことでないことだけは間違いないです。正直なところ、「You're Only Lonely」だけの一発屋みたいな認識でしたので、そこから突破口を、どう開くかどうかということが、要は問題なわけですが、そういう突破口が開けないのがカサンドラさんだと言われれば、まあ、確かに、それはそうかも知れませんが、あくまでも、それは一方的な主張に過ぎないです。まあ、そういう体験と言うのは、いわゆる「目からウロコ」みたいな体験であり、そういう目に張り付いたウロコというものは、無理やりはがすもんでもないと言われてしまえばそれまでではあります。それは、長年、私自身にも張り付いていたものなので、他の人のことをとやかく言える立場ではないです。そういうことを体験する以前の私が、このブログを読んでも、おそらく、自分でも、「何、言ってんだ、こいつ」という、チンプンカンプンな文章に映ることでしょう。

そういう再評価の機運が高まるまでの長い間、40そこそこで、4thアルバムをリリース後、いさぎよく引退してしまった背景にあるのも、そういう、一般大衆との間の断絶みたいなものだったという解釈もできるでしょう。

その予言みたいな歌詞が、4thアルバムの代表曲である「Go Ahaed and Rain」の、「This old word keep spinning around without a lucky guy like me」という歌詞なわけです。

それとよく似た歌を、ジョン・レノンが書いており、「Watching the Wheels」というタイトルですが、奇しくも、暗殺事件の直後にリリースされることになった曲でもあるのですが、認知度では圧倒的に上回る彼みたいな人物ですら、そういう、一般大衆との間との断絶を題材にしている点が非常に面白いところです。

このブログでは、ジョン・レノン・ネタも、ほぼ例外なくスルーされるので、そんなのは、私の個人的な人格の問題じゃねえだろという話に尽きるわけです。そういう教会の神秘家に対する嫌悪感みたいなものが根っこにあり、そういう神秘家特有の自意識というのを自閉症スペクトラムに分類することで、自分たちを正当化しようとする意図が見え隠れしているのは、自分たちが、筋金入りの偽善者に他ならないからで、ジェフ・ベックに対する偏見というのも、それと同様のものと私は解釈しております。

そういうの嫌悪感というのは、ジョン・レノンを殺害した殺人犯の、彼に対する殺意と、底辺でつながっている嫌悪感でもあるわけです。表面上は善意を装ってはいますが、何か、こう、真綿で首を絞めつけるようなところとか、人を飼い殺しにしているようなところとか、エージェントたちを通した罵詈雑言の数々であるとか、そういうシチュエーションに追い込まれている私をあざ笑うようなところとか、何から何まで、根底には悪意が見え隠れしていることは、否定できない事実でしょう。しまいには、「アスペ」のレッテルを貼り付けることで、全てを説明しようとする始末なわけですが、まあ、一歩、譲って私がアスペルガー症候群なり自閉症スペクトラムなりに属しているとしても、それは、私の人格の10%くらいを説明しているに過ぎない、取るに足らない事実だと言わせていただきます。そんなことより、「あなたがたの救いようのない偽善者ぶりのほうが、よっぽど問題ですよ」と私は言いたいです。あたかも、そういうことに耐えるのは、大人としてごく当然のことだと言わんばかりですが、正直申しまして、私は、こんな艱難辛苦に直面している人というのは、そんじゃそこらには滅多に見るもんじゃないです。

まあ、全てのことの始まりは、そういう一方通行的な愛と言うものを、クラスメイトの女性学生に強要した私の罪だと言えば、そうかもわかりませんし、そういう事実が現に、取沙汰されているわけですが、そんな復讐劇を、当の女性が実際に望んでいるならともかくとして、誰一人、望んでいないことを、そうやって実行することが、一体、誰の利益になるのかということが私の最も主張したい点であります。

そりゃ、私は、そういう悪事の極みみたいなことをしておいて、罪からは救われたと言ってはばからない、憎たらしい男かもわかりませんが、だからと言って、人をさんざん追いつめておいて、誤解の種ばかりをまき散らすような真似をするのだけはやめていただきたいということです。そんでもって、原因は、アスペだ、自閉症だと言って、そんな、「lucky guy」みたいなもの自体、あたかも、全く存在しないかのようなデマを作り上げているわけですが、本来、救済というものの真相というのは、そういう自意識に宿っているものであって、そういうことを頭から否定してかかるところが、一般大衆的な悪意だと言っているわけです。

まあ、かと言って、そんなものは、ひけらかすもんでもないわけですが、そういう楽曲群が、一般大衆の悪意でないにしろ、少なくとも誤解に満ちている点を代弁してくれている点は評価に値するわけですが、まあ、人々の無理解を楽曲にして、人々に理解を求めると言う、その辺の切り口のユニークさが、そういう楽曲群の特徴であるわけです。