令和6年上半期の芥川賞は、松永K三蔵氏の『バリ山行』と、朝比奈秋氏の『サンショウウオの四十九日』のが受賞しました。
芥川賞受賞作は毎回読み、私の備忘録としてこのブログに書いています。
今回は『サンショウウオの四十九日』を紹介します。
いつものように、挿入写真はにぎやかしであって、記事の内容とは関係ありません。
【ストーリー】
主人公は、濱岸杏と濱岸瞬の姉妹。
二人は結合双生児。
ベトちゃんドクちゃんとは違っていて、頭も胸も腹もすべてが半分ずつくっついているので、はたから見たら一人の人間に見えます。
一つの身体に二つの人格があるため二重人格者とも間違われますが、そうではありません。
顔やその他の部位は、左右で微妙に違っているのです。
脳や内臓も、一つの部位もあれば二つに分かれている部位もあります。
こんな主人公が、叔父の葬式と四十九日の法要で、自分の存在や命について考えます。
葬式は岡山で、四十九日は京都の田舎で。
姉妹は藤沢、両親は平塚に住んでいるので、新幹線で出かけます。
【印象に残ったこと】
☞両親や学校の同級生は、哀れみや同情を示さず普通の人に対すると同じようにあっけらかんと接します。
重い内容だけど、明るくほのぼのとした内容に感じるのは、そのおかげです。
☞進学した看護学校の病院実習で、先輩看護師は普通に接してくれます。
一方、入院患者からは奇異な目で見られます。
いろんな体験をしている人と世間の情報に疎い人とでは、特異なものに対する感じ方が違う ものです。
☞就職した会社での製品検査の仕事では、他の社員よりたくさんの製品を処理します。
左右別々に目や手を使えるので当然です。
でも給料は一人分と言うのが面白い。
☞博物館に行った時のこと。
館長が説明してくれます。
そこで『陰陽図』↓を見ます。
この白黒は『相補相克』を表現しているとのこと。
『相補相克』とは、補いあい、かつ、競いあう、ということ。
白い部分と黒い部分がお互いを補完し合って一つにまとまっているとの説明を受けます。
主人公には、黒いサンショウウオと白いサンショウウオが追いかけっこをして、お互いの尻尾を食べ合っているように見えてきます。
白は黒の尻尾を食べて生きている
⇒黒はその白の尻尾を食べて生きている・・・・(繰り返し)
杏は、自分と瞬が白と黒のサンショウウオだと感じます。
そして、自分が死んだ時どうなるのか?と考えます。
【読後感】
私は、一つの体に、男性時の私と女性時の裕美が宿っている。
二人が同時間に存在しないのは、小説と違うけど。
同時に半分ずつの自分が表に出たら、こう↓なるかしら?
↑半分女性の裕美、半分男性の私
白と黒のサンショウウオの関係に似ていると言えなくもない。
裕美になることで男性時に頑張ることができ、それによって裕美になる環境(特に費用)を作ることができる。
奇異な人間に見られても、理解しているかいないかで私への接し方は変わるというのも同じ。
私も、普通に接してくれる人もいれば、奇異な目で見る人もいるもんな~。
↑普通に接してくださった方たち。おさるさんも含めて・・・・
難しくて読むのをあきらめかけたけど、自分を例えてみたら、読み込むことができました。
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